第179話
ウィリアムたちから逃れ、アレスは、秘密の部屋で、仕事をこなしている。
外からの騒々しさが、伝わってこない。
次から次へと舞い込む、煩わしい書類仕事を片付けていた。
ここで、仕事をすることは、珍しかった。
休息の場として、使用していたのだ。
だが、持ち込まれる量が多く、放置して置くと、溜まる一方だった。
そのため、早く片付け、他に、したいことがあったので、こちらに移動していたのである。
部屋で、仕事を片付けていても、人の出入りが頻繁で、落ち着かなったのだった。
とにかく、早く仕事を、片付けたかったのだ。
「何で、こんなに、仕事が……」
目を通しながらも、愚痴が漏れていた。
片付けても、片付けても、煩わしい書類仕事も多く、その上、公務などで、様々な行事に出席するしかなかった。
いっこうに、仕事が片付く様子が、見えなかったのだ。
アレスとしては、いち早く、仕事にメドをつけ、少しでも早く、リーシャとの訓練に、入りたかったのである。
突如、ドアがノックされ、アレスの身体が強張った。
徐々に緩み、小さく息を吐いてから、口を開く。
「リーシャだろう。さっさと入れ」
アレスの了承を得て、口角を上げているリーシャの顔が、ドアから覗けている。
不機嫌なアレスを捉え、部屋に入り込んだ。
何の躊躇いもなく、アレスの前に、腰掛けていたのである。
乱入して来た、リーシャに、目を向けることをしない。
すでに、書類を、読み始めているアレスだった。
仕事に、邁進していたのだ。
少しでも、早く、片付けるために。
能天気なリーシャに、構っている暇などない。
けれど、部屋に入ることを、認めてしまっていたのだった。
僅かだが、様子が、気になっていたのである。
「ねぇ、何しているの?」
「見て、わからないのか、仕事だ」
「そうだけど。どんな仕事をしているの?」
「言っても、わかるのか」
そっけない態度。
勿論、書類に、目を通しているままだ。
口を尖らせる、リーシャだった。
(そうだけど、教えてくれても、いいじゃない)
「こんなところで、何に、油を売っている?」
「ちゃんと、勉強は、終わらせてきたもん」
顔を上げ、胡乱げな眼差しを注いでいる。
「本当だもん。散歩していたら、クララたちに、今日は、外には、出ないようにと言われて、この辺を、散歩していたのよ」
秘密の部屋を訪れる前、しっかりと、お后教育などを、終わらせていたのである。
暇になったリーシャは、することもなかったので、王宮内を散歩していたのだった。
けれど、瞬く間に、クララやヘレナに、自分たちが住まう仮宮殿に、戻されてしまったのだ。
「散歩? 迷子の間違いじゃないのか」
「うっ。確かに、ヘルヴィン宮殿の方へ、行っちゃっただけど……」
「ヘルヴィン宮殿……」
急に、アレスの雲行きが、怪しくなっていった。
だが、リーシャは気づかない。
「なんか、いつも以上に、人が多かったよね」
すこぶる、アレスの機嫌が悪い。
懸命に、気持ちを、押し込んでいた。
(……当たり前だ。今日は、軍の会議の日だ。侍女たちに、言われても、当然だな。よくも、あんなところへ行って……)
軍の会議と言うこともあり、いつもより、ウィリアムたちも、神経を尖らせていたのである。そうした理由もあり、部屋にいることに、嫌気を刺していたアレスだった。
「何で、あんなに、人が多かったの? 何かあるの?」
「何も、聞いていないのか?」
(何を、やっているんだ)
「うん。急いで、戻りましょうって言われて、戻ってきたから」
これ見よがしに、盛大な嘆息を吐いていた。
「軍の会議を、ヘルヴィン宮殿で、やっているからな」
「軍の会議?」
「ああ」
「アレスは、出なくっても、いいの?」
「今日はいい」
「そうなんだ。軍の会議って、いつも、ヘルヴィン宮殿で、やっているの?」
知らないことをアレスに、教えて貰ったことが、嬉しいリーシャだった。
段々と、渋面になっていく。
(何、はしゃいでいるんだ?)
はしゃいでいる姿に、見当がつかないアレスである。
「専用の会議室が、あるからな。それに、毎回ではない、定期的に、あそこの部屋を使ってしている。小さな会議では、本部の会議室を使っている」
「そうなんだ」
感心している声を、零していた。
(何を、学んでいるんだ、こいつは。ユマたちから、教えて貰っていないのか)
訝しげな表情を、アレスが、滲ませていたのだった。
「で、その軍の会議って、何を、会議しているの?」
「……お前に言っても、わからない」
「わかるかもしれないじゃない」
一方的な言い方に、不貞腐れ気味だ。
(わかるものか)
僅かに、アレスの口角が上がっていた。
「じゃ、世界情勢のことは、どう考えている?」
絶対に、答えられないだろうと言う顔に、ますます、口が尖っていく。
「どうした? 早く答えろ」
膨れている頬。
好戦的な笑みと共に、アレスが突っついていた。
「……多くの国が平和で、楽しく……」
「バカ」
「……」
「そんなのは、偽りだ。大体、この国を考えてみろ。お前も、王宮に住人になって、少しくらいは、理解できるように、なったんじゃないのか」
眉間にしわを寄せている、リーシャの顔。
これまで会った、貴族たちの顔を、掠めていたのである。
「貴族たちの腹は、何を考えているのか、わからないだろう」
「……。でも……、いい人は、いるよ」
「……いるかもしれないが、数が少ない」
「でも……」
「どの国も、同じようなものだ。下手したら、ここよりも、悪いところなんて、もっと、あるかもしれない」
ユマたちからも、他国の人間には、特に、気をつけるように、指導を受けていたのだ。
ただ、どうやって、気をつければいいのか、よく、わかっていないだけで。
リーシャからしたら、何で、仲良くできないんだろうと、首を傾げることが、多かったのだった。
「とにかく、誰にも、気を許すな」
「……疲れない?」
「……。慣れろ」
「……」
「いいな」
納得いけていない、リーシャの表情。
有無を言わせない顔を、アレスが覗かせていた。
(リーシャは、危機管理が甘いから、危険分子とは、かかわらせないようにしないと)
ふと、リーシャを窺うと、悲しげな表情を浮かべていた。
沈んだ雰囲気を、払拭するために、アレスの口が開く。
「先ほどの質問の答えだが、他国の動向や、デステニーバトルに、関することだろう」
「デステニーバトル?」
首を傾げ、突如、話題を変えたアレスを、見つめていた。
「お前の頭は……」
「ごめん」
小さく、息を吐くアレス。
「デステニーバトルは、一応、軍の組織の一部として、組み込まれている」
目を見開いている姿を、アレスが捉えていた。
(こいつは、ホント。何を学んでいるんだ? ラルムと、遊んでいるじゃないだろうな……。やはり、僕が、監視しないと、ダメだな)
「数ある軍の一つの部署だと、思っていれば、いいだろう?」
「へぇー」
「ハーツパイロットを外れた人間や、引退した人間の多くの者が、軍のあらゆる部門に、移動となっている。軍の幹部をしている者の中にも、ハーツパイロットだった経歴を持つ者がいる。生粋の軍人の方が、多いがな」
「じゃ、私たちも、軍人って、言うこと?」
「少し、違う。ハーツパイロットは、特別だからだ」
「そうなんだ。じゃ、私が、ハーツパイロットをやめたりしたら、軍の仕事もするの?」
素直な疑問を、口に出していていた。
「バカ。俺たちは、王族だぞ。する訳ないだろう」
「そっか。私たち、王族だったね」
笑っている姿に、呆れつつも、アレスの口元は、小さく笑っていたのだった。
「それと、軍の会議の日は、決して、ヘルヴィン宮殿に近づくな」
アレスから、唐突に注意を受け、きょとんと、首を傾げている。
「幹部たちに便乗して、探りに来る連中も、いるからだ」
(軍も、一枚岩じゃないからな……。今後は、もっと、警戒していた方が、いいかもしれないな)
最近、軍の会議にも、顔を出すことが多くなったアレス。
結束が固い訳ではないと、軍の会議に、出席するようになってから、感じ取っていたのである。
そして、何よりも、軍の関係者とのつながりが、弱かったのだった。
シュトラー王が、軍の関係者を、掌握していることもあり、これ以上、シュトラー王との繋がりを、強めたりしたくなかったのだ。
そのため、アレスは、軍の関係者とは、距離をとっていた。
そのせいもあり、軍のことに関しては、疎かったのだ。
「……何か、いやだな……」
何とも言えない顔を、リーシャが、覗かせていた。
(軍の人間関係が、不明だからな……。こうなるのなら、もう少し、軍の関係者を作っておけば、よかったな……。後悔しても遅いか。とりあえず、今からでも、作っていく方向で、考えていた方がいいな……。そうなると、今以上に、顔を出さなければ……)
内心で、苦々しい思いを抱いていた。
けれど、それが、表情に出ることがない。
アレスの双眸に、映っているのは、顰めっ面しながら、逡巡しているリーシャの姿だった。
「何でもだ。陛下に、呼ばれた際は、誰かを、必ず、連れて行け」
「……わかった」
「なら、いい」
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