第177話
今日から、新章に入ります。
「元気か?」
部屋に入ってきた男に向け、ソーマが、気軽に声を掛けていた。
ムスッとしたまま、立ち尽くしている男。
貴族院の一人である、オブリザツム伯爵だった。
部屋は、オブリザツム伯爵の書斎で、ソーマを、招いた憶えがなかった。
いつも通りに、帰宅したら、屋敷の者から、ソーマが来ていることを告げられ、訝しげるしかない。
これ見よがしに、オブリザツム伯爵が、盛大な溜息を漏らしていた。
ケロッとしたまま、出されている酒を、ソーマが飲んでいる。
まるで、自宅で、くつろいでいるような雰囲気だった。
そうした様子も、気に入らない。
「いつまで、立っているんだ? さっさと、座ったら、どうだ?」
「ここは、私の屋敷だ」
ブスッと、表情を崩さない。
帰れと、顔で、訴えていたのである。
容易に、オブリザツム伯爵の意図を読んでも、一切、動こうとしない。
鷹揚で、優雅に、ソーマが、構えていたのだった。
「知っている。だから、来たんじゃないか」
「軽率じゃないのか?」
「ルザリス男爵とは違い、ちゃんと、こっそりと、来たんだぞ」
胸を張っているソーマ。
周囲に悟られないように、オブリザツム伯爵邸に、足を運んでいた。
勝ち誇った顔が、余計に、腹立たしい。
だが、それを出すと、ますます、図に乗るソーマを巡らせ、グッと堪えている。
立場が違えど、長年、二人は、アメスタリア国を、支えている重鎮でもあったのだ。
「話の内容は、知っているんじゃないのか?」
話しながら、オブリザツム伯爵が上座に腰掛け、我が物顔しているソーマと、対峙していたのである。
無表情だった。
そして、ソーマは、飄々とした佇まいを崩さない。
「知っている。確認だ」
「それにしては、フットワークが、良過ぎないか?」
嫌味を添えていた。
確認するにしても、ソーマ自身が、出てこなくとも、よかったのだ。
だが、あえて、オブリザツム伯爵の屋敷に、訪れていたのである。
「いろいろと、出かけることがあるんで、ついでだ」
「ついでで、来ないで貰いたい」
本音を吐露していた。
シュトラー王派や、反シュトラー王派などからは、中立の立場を取っており、距離をとっていたのである。そのため、両者から、会いに来られることを、迷惑がっていたのだった。
「知っている」
ニコッと、ソーマが、笑ってみせる。
苦々しい顔を、オブリザツム伯爵が覗かせていた。
昔から、オブリザツム伯爵が、嫌がることを、ソーマがしてきたからだった。
同年代と言うこともあり、何かと、オブリザツム伯爵とソーマたちは、交流があったのである。
ただ、シュトラー王とは、かかわりたくないと言うこともあり、距離を置いていたのだった。
反シュトラー王派とも、相容れぬところがあり、組することも、なかったのである。
以前から、オブリザツム伯爵家は、長年に渡り、中立する立場を通していたため、家の歴史が長く続いていたのだ。
半眼してから、息を吐いた。
そして、もう一度、楽しげなソーマの顔を捉えている。
「な、俺は、どこに行くと思う?」
「知るか」
乱暴に、吐き捨てていた。
興味もなく、オブリザツム伯爵としては、早く退散して欲しかったのだ。
「少しは、考えろよ」
(隠密行動まで、把握しているか!)
「無駄なことは、しない主義だ」
「面白くないぞ」
「それで、結構」
「つまらないな」
首を竦めているソーマだった。
「……」
「答えは、クロスに、会いにいってくる」
瞠目している、オブリザツム伯爵だ。
クロスが、国内にしないことは、把握していた。
その人物に、会いに行くことは、とても重要なことを、指し示していたのだった。
虚を突くことができたと、ヘラヘラと、笑っているソーマである。
徐々に、眉間のしわが、濃くなっていった。
「……いいのか、そんな重大なことを、口にして」
「大丈夫。お前は、この機密事項を、話さないだろう?」
当たり前のような振舞いに、ムカムカしていく。
「情報を漏らしたら、大変なことに、なるんじゃないのか?」
「そうだな」
能天気な声音だ。
「どうして、私が漏らさないと、思うんだ? 私だって、人間だぞ」
「長い付き合いなんだ。ちゃんと、性格は、把握しているだろう? お互いに」
茶目っ気たっぷりなソーマ。
ソーマが話す通り、付き合いが長い分、互いの性格は、理解し合っていたのである。
だから、余計に、面白くもないのだった。
「……話したりするか。また、揉めるのは、ゴメンだ」
「助かる」
「で、何を確認に、来た?」
オブリザツム伯爵は、早く帰って、貰いたかったのだ。
それが、形相にも、表れていたのである。
(長居させて、貰うか)
不敵に笑っているソーマの姿に、いやな予感しかしない、オブリザツム伯爵。
だが、口は、結ばれたままだった。
「どう見る?」
「何がだ?」
「最近の王宮は?」
「……騒がしいな」
隠す必要もないので、素直に、口に出していた。
「そうだな。シュトラー王が、活発になってきたんじゃないか」
射抜くような、ソーマの眼差し。
対し、オブリザツム伯爵は、変わらない。
「そうだな」
「なぜだと思う?」
「知らぬ」
そっけない、オブリザツム伯爵の態度だ。
好奇に溢れている、ソーマの眼光。
これに乗ると、時間の無駄だと、気にする素振りも見せない。
何よりも、早く帰って貰いたかったのだった。
そして、ソーマ自身も、そうしたオブリザツム伯爵の思考を読んでいた。
「知りたいと、思わないのか?」
「知りたいとも、思わない」
「なぜ?」
「いいことが、ないからだ」
まっすぐに、ソーマに注がれる、オブリザツム伯爵の双眸。
「……」
「いいことがあったか? 陛下が、動かれて?」
「……いや。あまり、ないかもな」
「だろう?」
シュトラー王が、活発に動いたことで、いいことなんて、一つもなかったのだった。
そうした過去の記憶が、走馬灯のように、ソーマの頭に流れていく。
苦々しい顔を窺わせていた。
何度も、シュトラー王の尻拭いを、ソーマたちがしてきたからだ。
けれど、ここで認めるのも、癪に障っていたのである。
「……でも、王の力は、取り戻したぞ?」
「ああ。確かに、取り戻した。かなりの血を流してな」
オブリザツム伯爵が、何を思っていたのか、すぐに理解していた。
(あれに関しては、こちらとしては、悪くないぞ)
「あれは、向こうが悪い。何かと、クロスに、ちょっかいを出したりして」
「勿論。出した方が、悪いが、あれは、やり過ぎた。どれだけ、古い家が、滅んだと思う?」
顔を顰めている、オブリザツム伯爵だ。
ずっと、オブリザツム伯爵の胸の中で、しこりとなっている、出来事があったのだった。
だが、その出来事は、ソーマたちの中では、大変な仕事だったと言う程度で、オブリザツム伯爵ほど、しこりになっていなかったのだ。
「数が減って、よかったじゃないか」
「その代わり、ロクなものが、増えたが?」
口調が、強くなっている。
「だな」
ソーマの態度は、崩れない。
「で、どうするつもりだ? また、減らすのか?」
思案を巡らせているソーマ。
「あれら、次第だな」
「……私は、見たくない」
目を伏せる、オブリザツム伯爵である。
彼の知り合いの多くも、いなくなっていたのだった。
あの虚無感だけは、もう二度と、味わいたくなかったのだ。
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