第176話
貴族院が終わり、休憩室を使わず、宮殿の中にある多くの者が、利用できる喫茶店に、中立の立場をとっている、オブリザツム伯爵一人が、ゆっくりと、コーヒーを嗜んでいたのである。
背筋を伸ばし、優雅な所作だった。
誰も、貴族院である、オブリザツム伯爵の存在を気にしない。
普段から、ここを、一人で、利用していたからだ。
ある意味、いつもの光景でもあった。
彼は、貴族院の中でも、古株の一人だ。
カークランド侯爵や、ハーデンベルギア侯爵よりも年下で、シュトラー王とは、同年代である。
今回、アレスとリーシャの婚儀において、オブリザツム伯爵は、反対に回った一人でもあった。
そして、あまり、貴族院の者とも、一緒に行動することもない。
ほぼ、一人で、行動をしていたのである。
そんなオブリザツム伯爵の下へ、貴族院の一人で、新興勢力でもあり、反シュトラー王派の勢力の一つである、ルザリス男爵が、姿を現したのだった。
店内の様子は、変わらない。
貴族の出入りが、それなりにあったからだ。
それぞれの、休憩を、過ごしていたのである。
突如、現れたルザリス男爵に、目を向ける者がいなかった。
周りの様子も、気にすることもなく、ルザリス男爵が、まっすぐに、オブリザツム伯爵の正面に、腰掛けたのだった。
年上で、貴族院でも、先輩であるオブリザツム伯爵よりも、鷹揚な振舞いだ。
微かに、不快な表情を、滲ませるオブリザツム伯爵。
ルザリス男爵は、まだ四十代後半の歳だ。
「よろしいですか?」
「座る前に、断るものだが?」
「そうでした。やり直しますか?」
「いい」
そっけない態度だった。
注文を聞きに来た店員に、オブリザツム伯爵と、同じものを頼み、それが出されるまで、オブリザツム伯爵の口は、キツく結ばれていた。
ルザリス男爵は、取り留めないことを、口に出していたのだ。
眉間にしわを寄せつつも、オブリザツム伯爵は、聞いていたのである。
二人だけの空間が、また、でき上がっていた。
置かれたコーヒーを、ルザリス男爵が飲んだ。
「用件は?」
誰の視線も、感じなくても、自分たちを、窺っている者がいると、オブリザツム伯爵は睨んでいた。
用心に越したことがないと、さらに、周りの様子を、気にかけていたのである。
けれど、いっこうに、探知できない。
そして、痛くもない腹を、探られたくなかったので、この場に止まり、ルザリス男爵との会話を選んだのだった。
ピリピリとしているオブリザツム伯爵とは違い、ルザリス男爵は、飄々としている。
「少しは、会話を、楽しみませんか?」
にこやかに、口にするルザリス男爵。
少し、怪訝そうな双眸を巡らす、オブリザツム伯爵だった。
「見られていないと、思っているのか?」
「いいえ。見られている可能性もあると、踏んでいます」
平然としている、ルザリス男爵の顔。
真意を見出すため、見据えている。
けれど、何も、読むことができない。
(腐っていても、貴族院に、入るだけのことは、あるのか)
細く、溜息を吐いた。
「私は、お喋りをするつもりがない。用件がないようなら、私は帰る」
「用件は、ありますよ」
「だったら、話せ」
うんざりしている顔を、覗かせている。
回りくどいところがある、ルザリス男爵は、元々、好きではなかった。
不意に、オブリザツム伯爵の脳裏に、シュトラー王の顔が、浮かんでいた。
(報告、行くだろうな。さてさて、困ったものだ)
「これまで、活発に、動かれてこなかったシュトラー王は、なぜ、自ら活発に、動かれているのでしょうか?」
「……」
「あまり、政治に関心を、お持ちになって、おられないようでしたが?」
活発な動きが見られる、シュトラー王のことが、ルザリス男爵個人としても、強く、何かに促されるように、このところ、身体を動かしていたのである。
シュトラー王の重臣でもある、ソーマやフェルサの動きには、常に、注意を行っていた。
これまで、貴族院にも、顔を出さなかったシュトラー王のことは、それほど、注意していなかったのである。
だが、シュトラー王の動き次第では、今後の自分たちに、非常に、かかわる問題でもあったからだ。
相手の顔色を、探るような眼差し。
相手しているオブリザツム伯爵も、容易に、自分の思考や感情を、読めないようにしている。
(随分と、警戒しているだろうな。こやつが、一番、気にかけているのは、ソーマ、フェルサ辺りか? それとも……。ま、考えるのは、よそう)
「知らぬ。ご本人に、聞かれれば、よろしいだろう」
突き放した言い方に、気にする素振りもない。
予想の範疇だったからだ。
「オブリザツム伯爵は、貴族院の中でも古株で、シュトラー王とは、同世代。まず、オブリザツム伯爵の意見を、聞かせて、いただきたいと、思いまして」
さらりと、言い放った。
「……」
同年代である、シュトラー王の顔が掠めている。
それも、若かりし頃のだ。
顔が、曇りそうになるのを、堪えていた。
最も、思い出したくもない、時代だった。
「私は、シュトラー王ではない。今まで、国王の考えていることを、理解できたことなんて、一度もない」
「……」
「それが、返答だ」
腹の奥を、見通させなかった、ルザリス男爵。
残念と思いつつも、諦めていない双眸があった。
(相変わらず、しつこい男だ)
「クロスと言う人物のことを、窺っても?」
「……勉強しなかったのか?」
あまり、聞きたくない名に、意識を、奪われそうになる。
けれど、目の前にいる男に、そうした感情を、見せる訳にはいかない。
オブリザツム伯爵の矜持でもあった。
「しましたよ。いかに、デステニーバトルが、重要なのかも」
ニッコリと、微笑んでいる。
婚儀の決議が、なされた後、ルザリス男爵たちは、クロスに関する情報を、必死に集めていた。
デステニーバトルで、シュトラー王とパートナーを組み、華々しい活躍を見せたが、訓練中に負傷し、そのまま引退し、貴族の席からも、抜いたと言う一般的なことしか、知ることができなかったのだった。
それ以外の情報が、全然、手にすることも叶わなかったのだ。
まるで、隠されているかのように。
「だったら、知っているだろう?」
「ゴールデンコンビで、不慮の事故で、引退したことも、把握しています。その後、貴族を捨て、庶民の身分に、落ちたことも」
「それ以外、何が必要だ?」
平然とした顔を、オブリザツム伯爵が覗かせていた。
「それ以上のことをです」
「……」
色のない瞳を、ルザリス男爵に、傾けている。
「シュトラー王と、クロスと言う人物の繋がりを」
「……パートナーであり、親友だった。それだけのことだ」
「それだけで、あそこまで、したんですか?」
食い下がらない、ルザリス男爵だ。
どうしても、それ以上の情報を、手にしたかったのだった。
隠してあるならば、暴きたいと言う欲に、駆られていたのである。
見つめられたままでも、オブリザツム伯爵の瞳が、揺るがない。
「知らぬ」
「親友だったから、自分の孫と、婚儀をさせ、デステニーバトルの、アレス殿下のパートナーにさせたのですか?」
「相性が、よかったのだろう。二人は、物凄かったからな」
シュトラー王と、クロスの相性が、よかった。
だから、デステニーバトルで、活躍することが、できたのである。
そのことがなければ、今のアメスタリア国の地位が、なかったのだ。
「職権乱用では、ありませんか?」
「……知らぬ」
「だから、婚儀の決議の際、反対したのででは、ないのですか?」
「……」
「なぜ、あの時、反対に、回れたのですか?」
事実、ルザリス男爵が、口にしたことを抱き、反対に回ったのだった。
それと、再び、過去の出来事が蘇り、一概に、賛成することが、できなかったのである。
同じことが、繰り返されないようにだ。
(あんなこと……)
もう一度、意識を、ルザリス男爵に巡らす。
「では、なぜ、あそこまで、シュトラー王は、リーシャ妃殿下のことを、溺愛しているのでしょうか?」
「あの席に、いただろう? クロス殿の孫だと」
「二人は、かつてパートナーだったと言うことは、聞きました」
「だから、信頼している親友であり、パートナーだった者の孫を、自分の孫と、一緒にさせたかっただけだろう」
当たり障りのない言葉しか、オブリザツム伯爵は、言わない。
「……」
「それ以外に、答えを知らない」
「……」
納得いっていない顔を、ルザリス男爵が、滲ませていた。
百も承知だった。
だが、これ以上、この議論を、する気になれなかったのだ。
「私よりも、詳しく把握しているかもしれない、クラーツ殿や、カークランド侯爵やハーデンベルギア侯爵に、聞けば、よろしかろう」
「……お聞きしました」
オブリザツム伯爵は、僅かに、瞠目していた。
彼の認識において、ルザリス男爵は、臆病者と、思っていたからである。
(クラーツ殿に、聞いたとしても、あの二人にも、接触を図っていたとは……。少しは、見直したな)
「では、私から、アドバイスを贈るとするなら、なぜ、あなたのような新興貴族は、増えていると、思うのか。それに、古くからの貴族は、少ない。そして、いたとしても、口は重いだろうな」
オブリザツム伯爵の話に、ルザリス男爵の顔が、険しくなっていった。
頭の中で、貴族の顔触れを、思い返していたのである。
「……どういうことですか? それは?」
「もう一度、歴史を、学ぶがよろしかろう」
「……」
「それに、クロス殿だけではない。貴族を、捨てた者は」
「……」
ますます、顰めっ面になっている。
「言っておくが、私は、中立だ。どこにも、所属することはない」
「……理解していますよ。私たち以外なところから、声がかかっても、オブリザツム伯爵は、頑なに与することを、なされなかった」
「……それが、ある意味、長生きするコツでも、あるな」
「……」
「無駄な努力は、するものではない」
「……」
「これ以上は、話すことはない」
オブリザツム伯爵は、立ち上がり、喫茶店を一人で出ていった。
それを、ルザリス男爵が、見送っていたのである。
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