第17話 結婚当日
王太子アレスとリーシャの結婚式当日。
朝から上機嫌だったはずのシュトラー王は、数人の秘書官やソーマたちとシュトラー王専用の執務室にいた。そこでは溜まっている書類をチャックしてほしい年配の秘書官と、それを嫌がるシュトラー王が押し問答を繰り返している。
当初の予定では、取り巻きたちを巻き、花嫁衣装に着替えているだろうリーシャのところへ足を運ぶはずだった。
だが、見つかってしまい、拘束され、執務室に連れ込まれたのだった。
最近ではアレスに政務を無理やり押し付け、シュトラー王自体は好き放題にしていることが多かった。でも、全部任せることもできない政務もあり、秘書官や取り巻きたちに急かされて、溜まっている数十件ある案件の処理をさせられていたのだ。
「祝いの日なのに、こんなもの……」
書類の束を横目で見た。
かなりの量だ。
その眉間に深いしわが刻まれている。
「でしたら、普段から溜めずに見ていただきたいと存じ上げます」
年配の秘書官が残っている書類の束を露骨にいやそうなシュトラー王の目の前に追加しながら愚痴を零した。
「うっ」
「陛下。式までの時間がありません。早急に指示をお願いします」
「後でやる」
「今すぐにお願いします」
シュトラー王と年配の秘書官のやり取りを、他の秘書官たちは緊迫する空気感をひしひしと肌で感じ取っていた。
その場に居た堪れなくなる。
他の秘書官たちはオロオロとするばかりだ。
この場から逃げ出すこともできずに、それぞれにいやな冷や汗を流す。
「リーシャに会いに行く。美しくなった姿を、式の前にひと目見たい。これは後にする。リーシャに会うのが先だ」
リーシャと名を連呼するたびに、他の秘書官たちは、互いに視線をぶつかり合わせる二人を見比べた。
シュトラー王にとって優先順位はリーシャで、年配の秘書官の優先順位は案件の指示だった。
相容れぬ二人は静かな火花を散らしている。
「式が始まれば会えます。それにリーシャ様に会う役目は陛下ではなく、王太子殿下のすることと存じ上げます。陛下、式が遅れていいのですか? 早急に指示を。そうしましたら、式に早く出られると存じ上げます」
年配の秘書官は慣れたように、次から次へと言葉を畳み掛けた。
シュトラー王の表情は露骨に曇る。
威圧する意味合いの表情の一つだ。
年配の秘書官は怯まない。
むしろ笑っている。
「書類に目を通してください」
普通の秘書官だったら、このシュトラー王の表情で引き下がっていた。
さらに他の秘書官たちは俯いたまま濃い脂汗を流す。
「……後でやると言っているだろう」
「早急に指示を」
「後だ」
「指示を」
ふとシュトラー王は気怠そうに息を吐いた。
これ以上のやり取りが面倒になったのだ。
「……わかった」
粘り強い年配の秘書官に根負けし、うんざりとした顔で、すでに置いてあった書類の束に瞬時に目を通して、的確な指示を次々に行っていった。
他の秘書官たちはホッと胸を撫で下ろす。
その成り行きを黙って、秘書官たちより少し離れた位置で、傍観する立場を取っていたソーマが、面白いものをこっそりと見るようにほくそ笑みながら眺めていた。
書類の束が片づいたところで、疲れ気味のシュトラー王は秘書官たちを下がらせる。
「下がれ」
そんな不遜な態度に慣れたように、ソーマ以外の人間は次々と執務室から外へ出て行った。
黙って見送っていたソーマは、誰も部屋にいなくなると前へ歩み寄っていった。
「お疲れさん」
二人は挙式に出るために、すでに豪華な礼服を着込んでいる。
「よくここまで溜め込んだな」
「うるさい」
机を挟んで正面に立って、薄笑いをみせるソーマを睨めつける。
睨めつけられても、まったく怯む気配をみせない。
この程度の睨みは日常茶飯事だったからだ。
「自業自得だな」
その内心ではシュトラー王に対し、瞬時に正確な判断ができる能力の凄さに感心していた。けれど、それを一度も口にしたことはない。
図に乗るのは明白だったからだ。
「準備していても、書類を見る時間ぐらいはあっただろう」
ここ数日シュトラー王が何をしていたか知っていた。
その準備にはソーマやフェルサまでかかわっていたのだ。
それも半ば無理やりの状況でだ。
「俺は準備しながらも、仕事はしていたんだが?」
「……」
ソーマの言葉に無視を決め込む。
ある準備をしながらでも、書類に目を通して指示する時間は確かにあった。
それを怠っていたのはシュトラー王自身だった。
「だから、こんなことになるんだろう」
「リーシャの喜ぶ姿を思い浮かべていたら、時間が過ぎていった。書類よりも、嫁いでくるリーシャのことを考えている方が、どれだけ楽しいか。それにどれだけ待ち望んだと思っている」
「呆れるな。お前と結婚する訳じゃないんだぞ」
「悪かったな」
シュトラー王たちは挙式の準備の他に、リーシャが結婚を承諾した時点からリーシャが喜ばせようとある準備を着々と行っていた。そういう準備にソーマやフェルサはやり過ぎだと苦言をしたが、聞く耳を備えていなかった。
ソーマは密かに嘆息を零していた。
「お前の孫であるアレス殿下と結婚するんだ。忘れるな」
「わかっている」
「俺には忘れているように思えるが?」
「忘れている訳じゃない。すぐ近くにクロスがいるようでな。楽しくて仕方ない」
「……そうだな」
珍しく素直な答えに、容赦なく言うソーマも素直に頷く。
「言っておくが、絶対にやり過ぎだぞ」
「どこがだ。まだまだ足りないぐらいだ」
浮き足立っている言動に、呆れ気味な視線を送った。
(知らんぞ。リーシャに嫌われても)
ここ数日のシュトラー王の行動は尋常ではない。
昔から知っているソーマでさえ、呆れ気味に見ているほどだ。
周囲で特に最近仕え始めた侍従たちは、その奇抜な言動にポカンと大口を開けている状況がいくつもあった。
「まだ、やるつもりか?」
「悪いか」
「悪いとは言わんが、周りをよく見ろ」
くだらんとばかりに、真剣に忠告しているソーマの言葉を鼻先で笑う。
シュトラー王の周囲にいる侍従たちに、小さなエールを送りたい気分になっていた。
「侍従たちが大変だな」
「ところで、報告はどうした? そのために来たのだろうが」
ソーマが手に持っていた書類に視線を注ぐ。
先程の言葉にムカついているシュトラー王は、無造作にソーマの手から剥がした。
「……」
書類を読んでいるところに、手短な説明を加えていく。
「向こう側の秘蔵っ子、動き始めたようだな。まだ国レベルしか出ていないが。それも秘密裏に試合して、国の中でもその存在を明らかにしていない」
「もう少し詳細な情報がないのか? 使えない者ばかりだ」
「そう言うな。これでも命がけで、手に入れた情報だ」
「わかっている、そんなこと。短い休息後、更なる情報を調べるように。これでは、何の役にも立たない」
「わかった」
すでにソーマの手から剥がした書類に目を通し終わる。
シュトラーはもう読む必要はないと、机の上に乱暴に投げ捨てた。
「時間がないな。とにかく二人のシンクロ率を上げることが先決だな」
「ああ。……本当にいいんだな」
真剣な眼差しのソーマが問いかけた。
目の前に立っているソーマを見上げる。
「今更なんだ」
「最終確認だ」
「変更はない」
「了承した」
「……」
浮かないままでラルムは母親メリナと二人で、二人のために用意されている控室にいた。
挙式が始まるまでの時間を静かに過ごしていた。
先に帰国していたラルムとは違い、一週間前にフランスからメリナは帰国したばかりだった。
二人で使うには広い控室だ。
横に座るメリナの存在を忘れたように、深くラルムは考え込んでいた。
(不安だ。大丈夫だろうか……)
強い憤りをフツフツと湧水のように溢れ出る。
(……なぜ、こんなことに)
この思考はリーシャが宮殿に連れて行かれたと知った時から始まっていた。
とめどないぐらいに自問自答していたのだ。
「なぜ……」
微かな叫びにも似た言葉が小さく漏れた。
窮屈すぎる王室で、天真爛漫な彼女がやっていけるのか、王室に適応できずに彼女が失われていくのではないかと不安でしょうがない。
あまりにもリーシャは王室のことをいい意味でも悪い意味でも無知で、何も知らな過ぎたからだ。
「……」
胸を張って堂々としているメリナは、考え込んでいる息子ラルムとは対照的にまっすぐに前を見据えていた。
透き通るような白い肌と美貌の持ち主であるメリナは、高校生になる息子がいるとは思えないほど美しかった。
優雅な仕草で紅茶に口をつける。
顔を曇らせているラルムは一度もカップに口をつけていない。
ただ、黙ったまま物思いに耽っているだけだ。
「いつまでそうしているのですか? 顔を上げなさい」
チラッとラルムはメリナの様子を窺う。
「これから始まるのです。しっかりしなさい」
表情一つ変えずに冷たい表情で話す姿に、胸がチクリと刺されたように痛む。
メリナの言葉は挙式の話をしている訳ではなかった。
何を指しているのか、母親の傍らに寄り添うようにいたラルムはわかっている。
幼い頃より何度もメリナに言い聞かされていた言葉だった。
母親のためならと言う思いだけで、父親の成し遂げられなかった夢を叶えようと奮起していた。
けれど、心からそう思えなくなっていた。
「ターゲスや私、それにラルムが受けたこの苦しみは許すことができない。絶対にこの苦しみをあの人たちにも味合わせてみせる」
手に持っていたカップはすでに置かれ、大腿の上に置かれた両拳は真っ白なほど握り締められている。
そんな両拳を見て、さらにラルムの心は激しく痛む。
「そうだね……、お母様」
長男であるターゲスが後継者として選ばれなかったことに、亡きターゲスやメリナはラルム以上に許せずにいた。幼き頃よりターゲスは自分が後継者だと信じ、勉強や人脈作りに精進してきた。それは幼いラルムにとっても当たり前のように父親ターゲスの跡は自分だと信じ込んでいた。だが、シュトラー王がアレスを後継者にすると言う発言からすべてが狂ってしまった。
シュトラー王に反発し、ターゲスは妻メリナと一人息子の幼いラルムを連れて、フランスに出て行ってしまった。
その数年後には無念のうちに、ターゲスは病死してしまう。
「許すものですか。この苦しみを何十倍にして、返してみせる」
何と言えばいいのかわからず、ただ母の言葉に耳を澄ませ聞いていた。
あまり聞きたい言葉ではない。
これまでのメリナの心情を思えば、そんなことラルムに言える道理がなかった。
「私とラルム……」
最後まで言葉を言う前に、ラルムは微かに笑みを作った。
これ以上、聞きたくないと思ったからだ。
「わかっているよ。お母様」
冷たい表情から母親の穏やかな表情になったメリナ。
愛情溢れる手で優しい笑みを浮かべているラルムの頬に触れた。
「大丈夫です。まだ幕は上がっていません。これが始まり、最後に勝利するのはラルム、あなたです」
ラルムは頷く。
「心配せずにいなさい」
「うん」
キラリとメリナの薄いブルーの目が妖しく光った。
「それと、忘れなさい」
短い言葉に、驚きを隠せないラルムは凍りつく。
「私たちとは違う道を選んだのです」
「……」
「私たちの大切な息子」
何度も冷たい手でラルムの頬を優しく触った。
読んでいただき、ありがとうございます。