第169話
悪い空気が、漂う特別席に、恐る恐ると、カージュ・アギスが入っていく。
その腰は、引けていた。
特進科の一年生で、民間出身だ。
同じ一年生ではあるが、アレスたちとは、大きな隔たりがあった。
王族、その友達と、民間人。
「あのですね……」
声に導かれるように、アレス以外の誰もが、弱腰のカージュに、視線を送った。
顔を、強張らせているカージュ。
注目が、集まっている。
「私?」
「い、いいえ」
大きく首を振り、カージュが、思い切り否定した。
彼に、付き添っているイーサン・シュテルングの視線が、後方にいるゼインたちに、向けていた。
それで、ようやく、意図を汲めたのだった。
「俺たち」
胡乱げに、フランクが、零していた。
特別席にいるアレスや、リーシャではなく、そこで、サボっているゼインたちに、用事があり、何度も、躊躇しつつ、声をかけられず、何分もの時間を、無駄にしていたのだった。
何だよと、ティオが、半眼して睨んでいる。
威圧され、若干、いやそうな表情を覗かせていた。
カージュたちの方も、できれば、かかわりたくなかったのである。
そうせざるをえない事情が、できていたのだった。
特進科には、いろいろなグループがあり、ティオたちと、カージュたちは、互いに、反目しあっていたのである。
大きく、分けると、貴族と民間で別れていて、より接点がない。
「何か、ようか?」
話を進めないと、埒が明かないかと、相手を窺うように、ゼインが、ここに来た理由を尋ねた。
単純に、速く、退散してほしかったのだ。
「競技に、出てほしいんだけど?」
「競技?」
露骨に、拒絶反応をみせるフランク。
会話を、成り立たせようとしない、二人に、やれやれと、頭を痛めながらも、冷静にゼインが進めていった。
二人同様に、必要な人間以外は、付き合いは必要としないと言う、考えの持ち主であるが、二人よりかは、良識を弁えていたのだった。
「なぜ?」
「ラストのリレーで、出るやつがケガして、出られない」
簡潔に、状況を説明した。
(それでか……)
どうして、ここへ来たのか、得心するゼイン。
特進科は、一クラスしかなく、所属している生徒数も、他と比べると、少なかった。
そのために、クラスごとで、一チームとなっていたが、特進科だけは、三学年まとめて、一チームとなっていたのである。
それに、特進科はクラス対抗戦の参加は、自由と、緩めになっていたのだ。
そのため、参加している生徒数が、極端に少ない。
クラス対抗戦を、取り仕切っている生徒が、頭を悩ますほどだった。
「お前たちで、やればいいだろう?」
出たくないと、ティオが、突き放した。
疲れるのは、ごめんだと、ありありと、表情に浮かんでいる。
「俺たちは、出られない。規定の四種目やっていて。それに、他の連中も、同じさ」
自分たちが、出られない旨を伝えた。
規定さえなかったら、ここには来ていないと、いやそうな顔からも、読めていたのだ。
自由参加で、種目によっては、特進科の生徒が、出ていない競技もあったが、ラストに行われるリレーだけは違って、特進科も、必ず、代表者を出さないと、いけない決まりとなっていたのである。
わざわざ、敵対しているところには、足を向けたくなかったが、そういう訳にはいかず、仕方なく、こんなところまで、足を運んできたのだった。
「他に、出ていない者が、いたはずだが?」
疑問を、ゼインが突きつけた。
まだ、サボり組の多くの生徒が、残っていたのである。
その多くが、貴族出身だった。
「捜したけど、いない。君たちしか、いないんだよ」
仏頂面で、カージュが、答えていた。
彼らにとって、最後の砦だった。
他のサボり組は、何かを察知したように、どこかに、潜んでしまったのだ。
「……」
参加していない、他の貴族出身のメンツの顔を浮かべ、苦々しさを抱く。
(スマホにかけても、出ないだろうな)
同じ貴族出身でありながら、彼らとは、上手くいっていないのである。
「……断る」
逡巡した結果、ゼインも、拒否した。
「それでは、俺たちも困る」
カージュたちも、食い下がる訳にはいかない。
「参加しているやつは、全員、四つ出て、出られない」
暗礁に乗り上がり、身動きが、できなかったのである。
上の学年からの、圧力もあった。
「ラルム。お前、出ろよ。一応、特進科にも、所属しているんだから」
安易な思い付きを、ティオが、口にした。
いっせいに、気楽に成り行きを窺っていたラルムに、注目が集まっていく。
カージュたちも、その手があったかと、瞳を輝かせるのだった。
うっかりラルムが、所属しているのを、忘れていたのだ。
親しみのこもった視線を、カージュたちが、一心不乱に注ぐ。
穏やかなラルムの性格もあり、比較的に、誰とでも、付き合いを、それとなくしていたのである。
申し訳なさそうな顔で、謝る。
「美術科の方で、代表として、出ることになっている。ごめん」
「それじゃ……」
面倒臭そうに、ティオが、リーシャに視線を止めた。
「私?」
きょとんとした顔で、自分を指す。
「特進科にも、所属しているだろう?」
「うん」
「エントリーしているのか?」
「していないけど」
「じゃ、出ろよ」
「別に、いいけど……」
集中する視線。
出ても、いいけどと言う気持ちが、傾き始めた瞬間。
不意に、妙案が浮かぶ。
不敵な笑みを、携えている。
(いいこと、思いついちゃった)
この際、しょうがないかと、カージュたちが、リーシャで、手を打とうかと、目を合わせていた。
その顔には、ようやく決まり、安堵の表情が、入り混じっていたのだった。
王族と言うことで、出る訳がないと、決め付けていたため、アレスとリーシャのことは、最初から省いていたのである。
「アレスが、出ればいいじゃない」
唐突に、リーシャが、提案を持ち出した。
指名された、当のアレスは、顰め面だ。
困惑を、匂わせているラルム。
交互に、アレスとリーシャの顔を、行き来している。
とんでもない発言により、カージュを初めとする誰もが、身体を、フリーズさせていた。
そんなことにも、気づかない。
さらに、リーシャは、話を進めていく。
突拍子もない出来事で、誰も、止められなかったのである。
「アレス。出てあげて」
無言の威圧を注ぐが、いい案だと、はしゃいでリーシャは、空気が読めていない。
「楽しいよ、参加すると」
当惑のアレスの腕を取って、ゆすっている。
「ねぇ、ねぇったら」
不穏なオーラを、アレスが、撒き散らす。
無視する仕草に、バカか、余計、悪化させるなと、心の中で、ゼインたちが突っ込むが、気づく気配もない。
会話の流れを、知らない人が見ていたなら、イチャイチャしているカップルにしか、見えないだろう光景だが、誰一人として、そんな余裕がなかった。
頼みに来た二人は、恐ろしい状況に、ただ、ただ、気圧されている。
「王族だからって、こんなところに座ってないで、やってみたら?」
「……」
「聞いているの? アレス」
「……」
「きっと、楽しいはずだから。ねぇ、アレス」
食い下がるどころか、ひたすら、突き進んでいった。
「……」
「幼い頃は、ラルムより、速かったんでしょ? だったら、走ってみせてよ」
じーと、目を細め、頼み込んでいるリーシャを、捉えている。
「きっと、私が、走るよりも、面白いよ」
「……」
場の空気を、考えないリーシャ。
とんでもないことを、楽々と口にする。
「大丈夫。ラストのリレーは、アレスで、変更しておいて」
業を煮やし、アレスの代わりに、勝手に、了承してしまったのだ。
過激な言動に、誰も、ついていけない。
マジかよと、硬直する面々。
「……妃殿下が、言うのならば……」
窮地に立たされていたカージュたちだったが、これで、いいのか、悪いのか、不明のままに、脱兎の勢いで、手続きをしに退散していった。
あっけなく、ラストのリレーに、アレスが立った。
「頑張ってね、アレス」
「……」
結局、肯定も、否定もしないまま、決まってしまった。
喜んでいるリーシャから、ラストのリレーに、参加するのが、決まっているラルムに傾けられていた。
穏やかに、よろしくねと、表情が、読むことができる。
(ラルムも、出るのか)
その傍らでは、ゼインたちが、心配げな眼差しを、投げかけていた。
ナタリーたちは、リーシャに、何勝手に決めているのよと、視線を注いでいたが、当の本人は、わかっていない。
怖いぐらいに、アレスは何も言わず、競技の方へ、視線を巡らせていた。
それに習うように、リーシャも、陽気に、競技を応援し始めていたのだ。
ラルム以外の、この場にいる者が、何を考えているんだと、能天気なリーシャの行動に、呆れている。
「こういう子だって、忘れていた……」
脱力感が、否めないナタリー。
職務に励む、二人の背中を見つめながら、密かに、ラルムは、闘志を滾らせていた。
誰一人として、そんなラルムの内なる姿勢に、気づく者がいない。
(本気でいくよ、アレス)
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