第166話
「ラルム……」
前方から、一人で歩いている、ラルムをアレスが捉えていた。
先ほどと同じように、ボディーガードを下がらせていたので、周囲には誰もいない。
リーシャと一緒にいると、写真の件で、傷つけてしまう恐れを抱き、ゼインと話し込んでいる隙に、特別席から、抜け出したのである。
心を落ち着かせるのに、休息が必要だった。
そのための時間だった。
その要因でもある、ラルムと、出逢ってしまう。
だが、胸の苦りきっているものが、表情に表れていない。
清々しい表情で、出迎えていたのである。
「アレス」
温和な微笑みで、ラルムが近づいた。
競技を終え、見学席に、戻る途中だった。
「随分と、大活躍だな」
穏やかなに、活躍しているラルムを賞賛した。
出場する競技、すべてにおいて、一位を独占していたのである。
生徒たちからも、注目を浴びていたのだ。
「たまたまさ」
謙遜しているラルム。
「特進科や、スポーツ科を、抜いてもか」
困ったなと、苦笑し、返すだけだ。
特進科や、スポーツ科の万能な生徒を、かなりの距離をつけ、一位になっていた。
王太子のいとこでもある、ラルムに、熱い眼差しが、向かない訳がない。
大活躍しているラルムの光景。
目にするたび、大きな歓声が、湧き上がっていた。
そうした経緯があったため、アレスたちに対する、生徒たちの好奇な視線が、減少傾向にあったのだ。
そうした活躍を、美術科の生徒やリーシャが、大声を上げて喜び、ラルムは返礼とばかりに、美術科の生徒やリーシャに、ありがとうと、微笑みを返していたのだった。
そうした仕草も、さわやかだと、好感を、急上昇させていた。
対照的に、アレスは、そうした行為が面白い。
何を企んでいるのかと、無意識に、声音や態度が尖ってしまう。
「向こうで、訓練をしていたようだな」
「健康維持程度だけどね。設備だって、こことは、違うからね」
現状の違いを、淡々と、口にしていた。
機嫌を損ねていると巡らせても、ラルムは意に介さない。
普段通りの、物腰が柔らかな態度だ。
他の人だったら、萎縮していたかもしれない。
「そうか……」
返事とは、裏腹に、丸っきり、信用していなかった。
如実に、ラルムの身体能力の高さを、目にしたからだ。
それに、ベストの力を、出していないことも見抜いていた。
まだまだ、隠された力が、残っていると、踏んでいたのである。
「なぜ、出た?」
「みんなと、楽しもうと思って」
「王族としての品格を、問われるぞ」
僅かに、目を細めているアレスだった。
「王族から出たと、前にも、言ったはずだよ。僕は、いち貴族さ」
咎められても、柔和な表情を崩さない。
誰に対しても、ラルムは、物腰が柔らかった。
そのせいもあり、このところの、ラルムの評判を耳にしていた。
だからと言って、王位の継承が、揺るがないことも、承知している。
「継承権は、持っている」
「一応ね」
何でもないような、口ぶりだ。
そんなことには、興味ないと言う態度だった。
でも、それが、本当か、どうか、冷静に、アレスは図っていたのである。
ラルムの母メリナが、裏で、画策している情報を、掴んでいたのだった。
否応なく、アレスの耳に、そういった類の話が、舞い込んでしまう。
「だったら、おとなしくしているべきだ」
いとことしての忠告を送った。
「長年、王宮の外にいたせいかな、みんなと、一緒にやることに、慣れちゃって。でも、アレスのアドバイスも、受け取るよ」
柔和な笑顔で、さらりと、かわした。
アレスの眼光が、ラルムを見据えている。
「それよりも、いいのか? 妃殿下を一人にさせて」
アレスと、話しながらも、リーシャを、気にかけていた。
こうして、自分と話している間も、一人で、寂しいのではないかと。
真摯な視線を、アレスに注いでいたのだ。
「……ゼインたちと、話し込んでいる」
アレスの言葉で、一抹の不安が、ラルムの脳裏に募っていく。
ゼインたちが、発する心無い言葉で、リーシャが、傷つく恐れがあったからだ。
アレスの手前、ゼインたちも、そうした態度をしないだろうと、目論んでいた。
午後から、ゼインたちが、特別席に、たむろっているのを、見かけ、把握はしていたのだった。
それが、輪をかける原因となっていたのだ。
だから、一刻も早く、アレスには、戻って貰う必要性があったのである。
容易に、傍にいけない、自分の代わりに。
「常に、一緒にいるべきだよ」
自分も、特別席のテントにいき、少しでも、不安がっている気持ちを、和らげてあげたかった。
でも、目立つ場所で、不用意に近づいて、さらに、傷つける可能性も高く、特別席に近寄れなかったのだ。
アレスのいとこである自分が、人妻となったリーシャに近づき、リーシャに対する中傷の原因に、なってはならなかった。
遥かに、遠い距離感に、ジレンマを抱きつつも、リーシャを、傷つけないように、守りたかったのである。
「頼れるのは、アレスだけなんだから」
悔しいが、今、傍にいられるのは、アレスだけと、痛感していた。
平常心を装いながら、置かれている立場の違いに、歯がゆさを味わっている。
「……あれは図太い。気にかけるまでもない」
「繊細な子だよ」
即座に、反論した。
そんなラルムの態度も、不満の種だった。
(そんなことは、言われなくっても、知っている。笑ったり、怒ったり、泣いたり、コロコロと、表情を変える。図太いようで、ガラスのように脆い。だから、壊れないようにと、あれの傍を離れた……)
感情のまま、吐露しないで、目の前にいるラルムを、平然と、捉えているだけだ。
内側では、嵐のように、かき乱されている。
そして、そんな自分の気持ちに、戸惑ってもいた。
「忠告は、受けとく。だが、甘やかしては、馴染めない」
口にしたことは、本音でもあった。
特殊な環境に慣れるのに、厳しさも、必須だと、思っていたのである。
「……」
互いに、視線を外さない。
「王宮に、魔物がいる。お前だったら、わかっているだろう?」
眼差しは、言葉にしなくても、理解しているはずだと、同意しないラルムに、促している。
だが、言われたラルムにも、わかっていたのだ。
わかっていて、なお、アレスとは、相反していたのだった。
王宮に住む魔物どもが、どう凄いのか、王宮の外で、育っていても、目で、肌で、痛感していた。
そんな獰猛な檻の中に、放り込まれたリーシャ。
危険に晒されていないかと、常に、心配で、様子を窺えっていたのである。
(リーシャ……。今すぐ、駆け出して、守ってあげたいのに……)
醜い骨肉の争いが、王族、貴族の中で、繰り広げられていた。
誰もが、覇権を、手中に収めようと、暗躍しているのを、幼心にも、目にしていたのだ。
そうした王宮の中で、アレスも、ラルムも、育てられていた。
「そうした中で、生きるのだからな」
「……」
伏せていた双眸を、冷たさ感じるアレスに注ぐ。
それらの魔の手から、守ろうとしないアレスの行動。
内心では、ラルムは、苛立っていた。
まだ、おとなしくしている魔物たちだが、そう遠くない時期に、か弱いリーシャに、牙を剥くはずだと、懸念していたのである。
表立ってリーシャを、守ることができるのは、歯がゆいが、アレスしかいないと、ラルムは感じていたのだ。
「無知なあれを、誰もが、甘やかすから、未だに、ハーツの操作も、王宮での礼儀も、まともにできない。結婚して、もう、数ヶ月たつと言うのにだ。甘やかす者さえ、いなければ、もう少し、まともになっていただろうに」
安易に、手助けするなと、釘を刺していた。
逆に、ラルム自身を、逆なでしていたとは、知らずにだ。
「もっと、お后教育と訓練を、増やすべきだな」
「……」
リーシャの心痛も、思いやれないアレスに、憤りを感じずにはいられない。
だが、それを、表情に出すことが、許されなかった。
悔しさで、ギュッと、手を握り締めている。
「妃殿下は、妃殿下なりに、一生懸命だよ」
「一生懸命でも、成果が現れなければ、意味を持たない」
ただ、アレスは、リーシャから、手を引かせたかった。
ラルムが、リーシャに関わることが、許せないのだ。
それでも、庇おうとする仕草が、さらに、アレスの癇に障っていた。
「長い目で、見るべきだよ。妃殿下は、ずっと、外で、暮らしていたのだから」
「誰もが、そうは思わない」
反論を口にしつつ、わかっていると、心で噛み付く。
傍でいるアレスも、理解していた。
だからこそ、いち早く、王宮での暮らしに、馴染むべきと、判断していたのだ。
「……」
突き放したような、言い方。
ラルムが、眉を潜めたくなる。
けれど、務めてアレスは、平静を装っていた。
「王宮に、優しい人間はいない。現実を、教えるべきだ」
互いに、見つめ合った眼光。
「いつしか、誰もが、思うはずだ、何もできない、妃殿下だと」
「すぐに、誰もが、憧れる妃殿下には、なれないよ」
じっと、無表情で、ラルムを窺っている。
落ち着き払った顔で、あいつを見るなと、アレスが、吐き捨てたかった。
「リーシャは、私の妻だ。どうするかは、私が、決める」
リーシャを、どうするかを決めるのは、自分であり、ラルムではないと言う表情を、醸し出していた。
対するラルム。
所有権を持ち出されることに、虚をつかれ、すぐに返せない。
結婚したのは、互いの相違じゃないと、叫びたかったのを、押し殺すのが、精いっぱいだった。
(おじい様が、決めたことなんだ……)
胸の中で、悔しさと後悔に、支配されている。
(もう少し、早く伝えていれば……)
「……息抜きも、必要だと思う」
すべての感情を閉じ込め、伏せていた顔をあげた。
「自由な時間は、与えている」
冷ややかさを、前面に出している。
そんな態度、全部が、ラルムには、勝ち誇っている顔にしか、映っていない。
「……」
「それで、十分のはずだ」
「……」
何も、リーシャのこと、理解していないアレス。
怒りを抱くが、それと同時に、自分は、リーシャを、理解していると言う優越感が、心の中で広がっていた。
心境が滲み出たかのように、ラルムの口角が、僅かに上がっている。
ラルムの仕草を、無愛想に、アレスが、半眼していた。
「見解の相違だが、リーシャのことは、私が、決める。これは、揺るがない事実だ。だろう、ラルム? 何せ、私が、夫なのだから」
「……そうだね」
「そう言えば、まだ、競技に、出るのか?」
さらりと、話題を変えた。
同じように、ラルムも、気持ちを切り替える。
「後は、リレーだけ。妃殿下も、競技を楽しんでいるようだね。さっき、僕たちのところへ、来て話していたよ」
「そのようだな」
「訓練で、身体を動かしているから、これまでよりも、いいって、喜んでいたよ」
「そうか」
競技に、向かう合間などを縫って、リーシャは、ラルムたちがいるところまで、出向いていたのだった。
勿論、それらについても、アレスは、把握していたのである。
グランドの脇で、話し込んでいる光景を、特別席から、観察していたからだ。
「見ているだけだと、疲れないかい?」
「いつものことだから、何も問題はない」
「そうか。そろそろ、戻るよ。戻りが遅いと、みんなが、心配するからね」
「そうか」
冷めた眼差しで、受け流した。
「じゃ、アレス」
「ああ」
読んでいただき、ありがとうございます。