第165話
昼食を挟み、午後の部が始まった。
アレスとリーシャは揃って、特別席に戻り、競技を観戦している。
陽射しを遮る場所に、飢えていたゼインたち。
午後からは、特別席で、のんびりと、寛いでいた。
ナタリーたちとのことがあり、他の特進科の生徒たちが、ホワイトヴィレッジに逃げ込むのをよそ目に、競技に参加しないものの、グランドに残っていたのだ。
「ねぇ。あの人、速いよ」
グランドで、行われている中距離を、興奮気味にリーシャが眺めている。
だが、相手からは、何も返さない。
ただ、黙り込んで、正面を向いたままだった。
「アレス」
腕を掴んで、ゆすってみても、反応がない。
ひたすら、グランドに、視線を傾けていた。
「……」
段々と、面白くなくなり、唇を尖らせている。
雲行きが妖しくなっても、表情に、変化が訪れなかった。
深い思考の渦に、アレスは、囚われていたのだ。
だから、声をかけても、ゆすっても、気づかない。
ずっと、《コンドルの翼》のハンクとのやり取りを思い返し、考え込んでいた。
(何を考えているんだ? あの人は)
シュトラー王が、ストーカー行為に走っているのを、訝しげっている。
似たような行動をしている認識を、以前から、持っていた。
まさか、本物のストーカー行為をしているとは、思ってもみなかったのだ。
つくづく、自分の認識の甘さに、呆れていた。
なぜ、誰も、止めようとしないのかと、目を細めている。
どう考えても、異常な行動しか思えない。
(リーシャだけが、ターゲットだけでは、なかったようだが……)
写真の対象者は、ソフィーズ家全員だった。
そのことに、なぜか、ホッとしていたのである。
粛々と、アレスが、観戦している姿を、生徒たちが見つめていた。
王族として、培った経験を活かし、見ているふりが上手い。
誰もが、熱心に、競技を眺めていると、思い込んでいたのだ。
ただし、隣にいるリーシャと、近くにいるゼインたちは、何かに、没頭していることを把握していた。
(……クロス殿が、貴族を捨ててからとは……)
無表情を装っているが、その内心は、苦りきっている。
強権を振るうシュトラー王を、そこまでさせる、クロスと言う人物に、更なる興味を巡らせるのだった。
(《コンドルの翼》に、警護とストーカーまがいのことを、させていたのか……。このことを世間が知ったら……)
不意に、意地の悪い笑みが、微かに零れてしまう。
嗜虐心が、くすぐられていた。
(王宮の威厳が、失墜だな)
守るべき立場にいながら、慌てふためくところを、見たいと抱いてしまった。
(大変に、なるだろうな)
脳裏に、浮かぶのは、必死に、それらのことを、もみ消そうとする、重臣二人の姿である。
躍起に、シュトラー王の所業を、影で潰していたことが、容易に、連想できるのだった。
日ごろから、二人が、影日向となり、潰してきた現場を、幾度と、垣間見てきたからだ。
二人を働かせても、痛くも痒くもない、あの人顔が、頭の中で支配していった。
(……あの人のことだ、バレたとしても、気にしないだろう。そして、決して、文句を言わせないだろう。それが、あの人だから)
鷹揚に振舞う、シュトラー王の絵姿が、腹立たしい。
近頃は、おとなしくしていたが、いざ動き出したら、誰にも、止められないことを痛感していたのだった。
鎮火していたはずの炎が、胸の中で、くすぶり始めようとしている。
(油断できないな……)
ふと、ハンクが撮っていた写真が、思い起こされた。
「写真か……」
か細く、漏らした声。
生徒たちの声に、紛れていた。
隣にいるリーシャにも、近くにいるゼインたちにも、聞こえない。
つい先ほど、確かめた写真の数々が、頭を掠めていく。
撮られた写真には、様々なリーシャの表情が、映し出されていたのである。
友達と談笑している顔、怒っている顔、懸命に、応援している顔、本当に、様々な顔が、収められていた。
その中でも、アレスの心の比重を捉えるのは、ラルムと、親しげに話している写真だ。
枚数としたら、僅かしかなかった。
それでも、その写真が、とても印象的で、頭から離れない。
(……あんなものまで)
内心、苦虫を潰したような感覚に、蹂躙されていた。
あんな写真が、誰かの目に、触れるかと想像しただけで、我慢できなかったのだ。
だが、データを、消去したい気持ちを押し殺し、カメラを持ち主に、返したのだった。
たかだか、一回、消去したところで、氷山の一角だと、わかったからだ。
それに、以前、リーシャから、瑠璃の間には、たくさんの写真が、飾られていたと言う話が蘇ってくる。
瑠璃の間は、シュトラー王のプライベート空間で、限られた人間しか、出入りできなかった。
王太子であるアレスさえ、入ったことがない。
そこに、写真が保存されていると、把握できただけでも、収穫だと思えた。
(いつか、あの人に、泡をふかせる……)
見ない振りをすると、決めたはずなのに、記憶から、消したくても、消えない写真が、色を濃くしていく。
写真に映っている二人は仲睦まじく、自然から、出てくる微笑みが溢れていた。
そして、それは、二人を目撃するたび、見かける光景だった。
(……)
全身が、面白くない感情に、犯されていく。
アレスの気分を害していることに気づかぬまま、こちら側に戻ってこさせようと、躍起になっているリーシャが、声をかけようとしている。
「やめとけよ」
ゼインの制止で、発せようとした声が止まった。
長年友人としての付き合いで、アレスの背中のオーラだけで、状態をある程度、感じることができたのだった。
現段階の背中から、醸し出しているものは、よくないと判別を下したため、止めに入ったのだ。
藪蛇を突っついても、悪化させる必要性がないと、抱いたのである。
「そっとしておけ」
「……」
逡巡し、肩を落としながら、正面に、身体を傾けていた。
グランドでは、熱戦が繰り広げられている。
「黙って、見ているんだな」
珍しく、ゼインが苦言を呈している、傍らで、ティオとフランクが、競技とは関係ない話で、盛り上がっていた。
だから、二人のことなんて、耳に届いていない。
「何が、楽しいんだ?」
ボソッと、ゼインが呟いた。
正面を向いていたリーシャが、ゼインの方へ振り向く。
「前、向いていろよ。目立つだろう」
言われるがまま、体勢を正す。
「だって、みんなと一緒にできて、楽しいじゃない」
思ったことを口に出していた。
見ているよりも、みんなと、参加した方が面白いと、感じていたからだ。
参加していいアレスも、ゼインたちも、そうじゃないんだろうか?と、頭を傾げていた。
「そうか」
そっけなく、ゼインが返した。
(何で、参加しないのかな?)
「熱いな」
この日差しの暑さに、ゼインがぼやいたのだ。
「それよりも、ここにいて、平気なの?」
敬遠したいような場所にいるゼインたちに、不思議でしょうがない。
生徒も、近づかなければ、教師も、来賓に訪れた人たちも、近づこうとしなかった。
それほど、目立つ席だった。
そんな特別席に、平然と、涼ませてくれと言って、ゼインたちが訪れたのだ。
好奇な目が溢れてても、全然、気にする素振りがなかった。
「あっちは、まるっきり陽射し浴びるからな。ここで、休憩だ」
眼差しを、見学席に送る。
煌々と、太陽が降り注いで、生徒たちの体力を、消耗させていた。
「確かに。暑そうだね」
素直な感想が、漏れていた。
グランドでは、競技を行っている人たちの額から、大量の汗で滲んでいる。
誰も、涼しいところを求めていたが、見学席には、日差しを遮るものがない。
若干、見学席にいる生徒たちの人数が、少なくなっていた。
暑さから、隠れるため、木陰や校舎の中へ、移動していたのだ。
「それに比べてここは、これが、あるからな」
気軽な仕草で、天井を指し示した。
強い陽射しを遮断するため、テントが、立てられていたのだった。
「でも、結構、恥ずかしいよ」
みんなに見られ、辛いと、リーシャが吐露した。
こういった環境に、慣れているアレスとは違い、優遇されている立場に、後ろめたさと申し訳なさが、混雑していたのである。
「確かに。でも、諦めろ、そういう立場に、なったんだからな」
他人事のように、ゼインが諭していた。
「そういうものなのかな……」
すべてを飲み込めない。
王族だからと言う理由だけで、特別扱いされることに、納得できなかった。
(王族だって、みんなと、変わらない人間なのに)
「そういうものだ」
「……ところで。どうして、特進科は少ないの?」
見学席にいる特進科の生徒の人数が、極端に、少なかった。
クラスごとに、見学席が、設けられている。
だが、クラスの人数が、少ない特進科では、三学年まとめて、特進科チームとして、参加していたのだ。
「サボっているんだろう」
当然のような言い方に、リーシャが眉を潜めている。
「みんな?」
「大体そうだろ。来ているやつらは、無理やりに、競技に組み込まれた、庶民だろうな」
言われるがまま、特進科の見学席に、眼差しを注ぐ。
一年生の顔ぶれは、普通家庭出身の生徒ばかりで、貴族出身は一人か、二人しかいない。
他の学年までは、把握していないので、わからなかったが。
「どこにいるの?」
「ホワイトヴィレッジか、教室だろう?」
一切、悪びれる様子も、ゼインには見られない。
至極、当たり前のことだろうと、表情から、溢れ出ていたのだ。
「……強制じゃないけど、一応、見学席で、応援とかしないの?」
あまりに薄情過ぎないかと、眉を潜めていた。
それと同時に、クラスメートとして、連帯感がないなと、掠めている。
「こんな暑いのに、応援かよ」
「だって」
「そんなやつらは、いないさ」
いる方が、おかしいだろうと、小バカにしたように、鼻先で笑っている。
「そんなものなの? 特進科って」
「そんなもんだろう? よく見てみろよ、王太子妃殿下。熱いのは、スポーツ科と、そっちのクラスだけじゃないか」
熱気が、籠もっているのは、スポーツ科と、リーシャが所属している、クラスだけで、他は、どこか、冷めていたのである。
だからといって、特進科ほど、極端に、最初から、不参加を決め込むクラスもいなかった。
「誰も、こんなものに、出たいやつなんて、いないさ。だから、サボっているんだろう。特に、特進科は、参加自由だしな」
特進科の特別な理由を、ゼインが口にした。
ハーツパイロットの訓練で、忙しくしている特進科は、クラス対抗戦の競技に、参加は自由となっていて、何も問題なかったのだ。
ただ、他の生徒の目も、あることから、最低人数だけを出すように、教師から、クラス対抗戦を、仕切っている生徒に命じられ、参加している多くが、庶民出身であり、貴族出身でも、階級が下か、興味本位で、出ている生徒しかいなかったのである。
そのせいもあり、特進科の席は、ガラガラ状態なのだった。
「みんなと、やることに、意義があるのに……」
結婚前のリーシャだったら、口にしていなかっただろう。
それが、自然と、口をついた。
王族、それも、王太子と結婚して、生活ががらりと変貌し、みんなと過ごす機会が、激減していたのである。
みんなと、ワイワイ楽しく過ごしていた時間が、如何に大切なものだったか、痛切に感じていたのだった。
「くだらない」
本気で、ゼインが吐き捨てた。
真摯に、そう抱いている目を、注いでいたのだ。
「みんなで、一緒って、ありえないだろう? 俺たちは、一応、ハーツパイロット候補生なんだぞ。数値が、高ければ残れるが、低ければ、落とされる。つまり、弱肉強食の中にいるんだ。それ、わかっているのか? 妃殿下は?」
「……それは……、そうだけど……」
どこか、釈然としないリーシャ。
やれやれと、首を竦ませていた。
「特進科の多くが、数値を上げることに、躍起になっている、連中の方が、多いだろうよ。まぁ、俺は、違うけど」
顔を上げ、ケロッとした顔を、覗かせているゼインを窺う。
「特に、貴族どもに、鼻を明かしたい、庶民たちは」
「王族とか、貴族とか、庶民とか、おかしくない? だって、目指すところが、同じなんだから」
「甘いね、妃殿下は。そんなこと言っていると、やられるぞ」
「……殺伐としている感じで、やだな」
ポツリと、本音を零した。
特進科での授業風景を、思い返していたのだ。
クラスの大半の人たちが、ライバルをケチ落として、数値が一つでも、上げるように、懸命に努力していたのである。
そんな重い空気に馴染めず、往生際悪く、自分が、ここにいるような人物じゃないと、思わずにはいられなかった。
「そういうところに、王太子妃殿下が、いるんだけどな」
チラリと、肩を落としているリーシャの背中を、眺めていた。
「……それは、そうかも、しれないけど」
特進科の生徒たちより、自分の数値が、上だと言うことを、最近、理解したが、ハーツパイロットになることに、躊躇いも、捨てきれなかったのだ。
溜息を吐くリーシャ。
「デステニーバトルは、国の名誉が、掛かっていることを、忘れるなよ、妃殿下」
「……わかっているもん」
真髄をついているゼイン。
何も言い返すことが、できない。
ただ、拗ねるしかできなかった。
五年に、一度行われるデステニーバトルで、国の命運が掛かっていたのだ。
そして、リーシャは、その素質を発見され、ハーツパイロットの訓練を、していたのだった。
不意に、隣にいるはずのアレスの方へ、翡翠の瞳を移動させる。
すると、いつの間にか、座っていた姿が消えていた。
「アレス……」
二人が、話に夢中になっている間に、席を立っていたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。