第164話
互いに、見つめ合っているアレスとハンク。
両者、一言も、喋らない。
人気がない場所で、ただ、どうするかと、牽制し合っていた。
見つかった衝撃で、当初、あたふたとしていたが、ある程度、理性が戻ってくると、早く、この場から逃げなくてはと、ハンクの意識が働いていく。
背筋を伸ばし、素早く挨拶してから、この場から、離れようと目論んだ。
視界に見える範囲に、アレスとハンクしかいない。
頭を下げ、立ち去ろうとするのを、アレスが、威厳ある声音で制する。
「待て」
歩き出そうとした足が、ぴたりと、止まった。
逃げ場を失ったかのように、身体を、アレス側に向き直す。
「なぜ、ここにいる?」
ハンクの瞳が、微かに揺らめく。
もっとも、してほしく、なかった質問だったからだ。
まさか、こんな辺鄙なところへ、王太子であるアレスが、一人で、やってくるとは思わず、油断していたのだった。
シュトラー王からも、ソーマ、フェルサからも、十分、注意をするようにと言われていた。
それにもかかわらず、もっとも、見つかっては、いけない人物の一人に、遭遇してしまい、ハンク自身、まともな思考が失われつつあった。
「……極秘に、警備を、命じられまして」
間違ったことは、言っていない。
ただ、その他に、命じられたことが、主であることを噤んでいた。
「極秘? 聞いていない」
まっすぐに、アレスの双眸が、ハンクに向けられている。
逃げを、許さない眼差しが、居た堪れない。
「殿下や、妃殿下にも、内密でして……」
チクチクと、刺すような視線。
絶えられず、しどろもどろで答えるしかない。
シュトラー王の命令で、リーシャの様子を、写真や動画で収める他に、実際に、リーシャが、使っている教室の風景なども、収めてくるようにと、言われていたのである。
それを、実行しようと、美術科の教室に潜り込んで、教室内の写真を撮ったり、リーシャが使用している机なども、写真に撮っていたのだった。
それらを、撮り終えてから、校舎から、出てきたところを、アレスに見つかってしまった。
「私にもか?」
「はい……」
「それは、おかしい。警務の配置状況を、把握しているが、お前たちが、入る込む隙がないはずだ。その隙を、ついたとしても、なぜ、お前が、ここにいる?」
ここを、巡回する時間は、少し前に、終えているはずだった。
巡回する経路や、時間なども、アレスの元に届いており、それらすべてのことを、事前に耳にしていた。
そして、次の巡回までには、若干の余裕があったのだ。
それらのことも、アレスは、ほのめかしている。
「それは……」
なかなか、言葉が出てこない。
王族の警護に、当たっているのは、軍の中にある、警務部が担当しており、軍のエリート部隊でもある《コンドルの翼》も、一部、担っていることを、アレスも、把握はしていた。
だが、それにしても、たかが、学校行事のため、動かすことが、おかしかったのだ。
「何か、問題でもあれば、出動するは、明白だが、そんな情報が、入ったと、一切、聞いていない。それとも、急に、情報が入ったのか? 入ったのならば、なぜ、私に、知らせない?」
詰め寄っていくが、ハンクの口が重い。
微かに唇が乾き、震えが見えていた。
「どうした? 私には、何も入っていないが?」
仕事をしないシュトラー王の代わりに、次期国王となるアレスが、高校生である身分でありながらも、政務の一部に携わっており、いろいろな国内外の情報が、アレスの耳にも入るように、なっていたのである。
そして、頭脳明晰で、隙がないと、称されるアレスが、シュトラー王たちが、密かに動いていることを、薄々と感じる程度に、認識をしていたのだった。
「それにだ、そのカメラは、何だ?」
降ろされた視線。
ハンクが、手に持っていた高機能なカメラを、捉えていたのである。
すかさず、手にしていた、カメラを隠す。
どう見ても、警備には、不釣合いなものだ。
「何でもありません」
面白いぐらいに、ハンクの顔が、引きつっている。
「出せ」
凍えだしそうな一言を、浴びせた。
「……」
「私は、出せと言っている。聞こえなかったのか?」
「……いいえ」
「だったら、早く、出せ」
逡巡した後、観念し、隠していたカメラを渡した。
操作して、液晶画面を開く。
何を撮っていたのか、確かめていたのだ。
「……」
「……犯罪者に落ちたか? それとも、《コンドルの翼》が、犯罪グループに、落ちているのか? さて、どっちだ?」
顔をあげ、消沈しているハンクを、見据えている。
液晶画面には、リーシャの姿や、誰も、いない教室や、机などが、映っていた。
「ち、違います」
「だったら、なぜ、妃殿下の写真がある? ファンなのか」
冷え冷えとする目を細め、身体から、禍々しく、黒々とする威圧感を、放出している。
「それは……」
何度も、答えようと、口を開く。
だが、すぐに、閉じられてしまう。
シュトラー王や、総司令官に、口止めされていたが、もっとも、躊躇われていた理由は、自分自身のプライドだった。
エリート集団と言われて、所属しているところが、こんなことをしているとは、どうしても言えなかったのである。
「何だ、これは。無人の教室に、机。どう見ても、変質者にしか、見えないのだが?」
「……」
撮ったものを言われても、口が重い。
さらに、操作し、撮っていたものを、さらに確かめていく。
「……お前には、そういう趣味があったのか?」
「違います」
犯罪者と、思われたくない一心で、思いっきりと否定した。
ハンクの名誉が、掛かっていた。
「だろうな。これは、妃殿下の教室か?」
「えっ……。はい……」
しょうがなく、ハンクが認めた。
犯罪者の烙印を押していないことに、ハンクが胸を撫で下ろす。
「で、これは、妃殿下の机か」
「はい……そうです」
これらの写真を、見ただけで、変質者と、決め付けていなかった。
ただ、すんなりと、喋らせるため、カマをかけたのに過ぎない。
以前から、ことあるごとに、《コンドルの翼》が、自分たちの写真を、密かに、撮っていることを承知していた。
いつから、このような写真を、撮り始めたのか、単に、それを聞き出すためだった。
「この証拠を、警察に提出すれば、変質者でなくても、ファンでなくても、一時的に言えど、確保されるのは、しょうがないな」
蠱惑的な笑みが、アレスから漏れていた。
「……殿下……」
あまりに、衝撃的な言葉の羅列に、フリーズしている。
「嘘は、許さない」
「うっ」
その双眸は、逃げを許さないと、示していた。
「いいな」
「……はい」
「妃殿下に、警務部とは関係なく、張り付いているな?」
「はい」
言われるがまま、答えていくしか、道は残っていない。
「どこでもか」
「基本的には、どこでも、張り付いています。ただ、場所的に、困難な場所も、ありますので」
「どこだ?」
「王妃様主催のお茶会や、妃殿下の講義場所など、いろいろと」
「その場合は?」
「できるだけ、近くで、待機しております。何か、あれば、瞬時に、動けるように」
「仮宮殿では、どうしている?」
「さすがに、殿下も、おりますので、入り込むのは、不可能です。ですから、周辺を窺っているだけです。毎日では、ありません。極々、まれですけど……」
黙ったまま、これまでのリーシャの行動を、思い返していた。
「……高いからか?」
余計なことはつけず、端的に尋ねた。
「はぁ?」
質問の意図が見えず、ハンクが困ってしまう。
「綿密な調査も、お前たちが、したんだろう?」
「……はい」
ようやく、アレスが、ハーツパイロットとしての、能力の数値を、聞いているのだと、把握した。
「で、高いから、警護をしているのか?」
「はい」
しっかりと頷いた。
「狙われているのか? それに、その情報が、外に、漏れているのか?」
「警戒している段階では、ないかと」
詳しいことまでは、降りていなかった。
命じられるがまま、任務を、遂行していたのだった。
「そうか。いつから、知っている?」
「つい最近です」
「本当か?」
「本当です」
「では、いつから、こんな写真を、撮っている?」
大きく、瞳が揺れた。
「嘘は、許さないと、言ったな」
「……《コンドルの翼》は、長年の間、ソフィーズ家を警護し、写真を撮っていました」
予想を超える内容に、唖然としてしまう。
数年前から、リーシャの周りを、うろついていたのかと、思っていたのである。
それが、リーシャが生まれる、遥か前から、始まっていたとは、考えもつかなかったのだ。
「妃殿下の祖父クロス殿が、貴族から離れてから、ずっとか?」
「そのように、聞いていますが?」
歴代の《コンドルの翼》が、クロスの家族を、見守っていたのだった。
「……」
その衝撃に、二の句が出ない。
(何をやっているんだ、あの人たちは)
何度も、アレスから、視線をはずしたり、見たり、繰り返している。
「膨大な写真が、ある訳だな?」
「たぶん、そうではないかと、思います」
「管理は、お前たちがしているか?」
「いいえ。総司令官や、副司令官に渡す場合が、主ですが。直接、陛下に、お渡しする場合もあります」
「そうか」
カメラを返し、顔面蒼白なハンクを帰した。
もう、ハンクの姿もない。
「ストーカーか、あの人は」
一人になったアレスが、小さく呟くのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。