第163話
座っていることに、飽きてしまい、アレスが、静かに立ち上がった。
控えていたボディーガードたちも、一気に、緊張を張り詰めていく。
そんな彼らに、気にすることもしない。
ただ、思うように、動くだけだった。
アレスが、悠然と、周囲を見渡している。
そして、ある一点で、視線が止まっていたのだ。
すでに、リーシャが、参加していた競技が、終わっていた。
だが、なかなか、戻ってこない。
見知らぬ生徒たちと、話していたのである。
「何をしている?」
さっさと、戻ってこない苛立ちを、小さく、吐き捨てた。
その声は、微かに漏れる程度だ。
周りに、控えているボディーガードたちに、届いていなかった。
眼光鋭く睨んでいても、距離があったので、気づいた様子もない。
誰かに、呼びにいかせる手もあった。
けれど、アレスの矜持が許さない。
その結果、座っていたテントから、離れることにしたのである。
こんなところに、一人で、いたくなかったのだ。
生徒たちから、眺めがよく、かっこうの餌食だった。
王宮にいても、どこにいても、誰かの視線が向けられ、嫌気がさしていた。
(誰も、見ていないところへ、行きたいものだ)
そんなことも、できるはずもないのに、掠めていた。
テレビやネットに、流れないことはない、アレスの顔。
自分は、知らないのに、自分以外の人が、自分のことを知っている。
こんなおぞましい状況に、常に、晒されていたのだった。
自嘲気味に、内心で、笑ってしまう。
行く場所を決めず、人がいない方へと、足を進めていった。
ボディーガードをつれて、歩いている光景に、多くの生徒たちが、好奇な眼差しを注いで、遠巻きに、王太子アレスを窺っていた。
そんなシチュエーションに、慣れていたはずなのに、強烈に、一人になりたい気分が、巨大に膨れ上がっていく。
競技をしている、グランドから離れていった。
生徒の姿も、少なくない。
生徒が、めったに来ることがない、校舎の裏手に、行くあてもなく、歩いていた。
急に、立ち止まり、背後に控えているボディーガードたちを窺う。
「下がれ」
鷹揚に、アレスが命じた。
あえて、生徒が少ない場所を、選んできていた。
ボディーガードを、下がらせる目的も、あったのだ。
「……申し訳ありません」
命令に応じられない以上、頭を下げるしかできない。
「下がれ」
それでも食い下がらず、同じ命令を下した。
互いに、どうする?と、視線を合わせている。
上からの命令で、二人から、目を離すなと、強く、命じられていたのだった。
そんな命令が、下っているのを、承知していたが、目障りな存在を、とにかく消したかった。
王族であり、王太子と言う存在が、如何に大きいものか、理解していたが、ただのアレスとしては、誰にも、干渉されたくなかったのである。
だから、威圧的なオーラと、威嚇的な声音を出し、あらゆる手段を講じて、遠ざけようとしていた。
「多くの人間が、そこら中にいて、鬱陶しい。それなのに、お前たちまで、連れて歩きたくはない。だから、下がれと言っている」
冷たく、言い放った。
王宮で、要求されれば、瞬時に、従っていただろう。
けれど、ここは、王宮の外なのである。
「申し訳あ……」
「下がれ」
ボディーガードの謝罪に、さらに、強い声音でかぶせた。
「で、殿下……」
「お前たちのせいで、誰も、私には、近づかない」
重厚な冷たい眼光を、降ろしている。
「……」
「これだけ、警備しているのだ。お前たちは、戻っていろ」
冷淡な視線を、浴びせていた。
気も、そぞろなボディーガードたち。
たびたび、ボディーガードを、下がらせることがあった。
だが、すべて、王宮内の出来事だった。
ここは、王宮の外で、王宮内よりも、何十倍と、危険が潜んでいる可能性が高かったのだ。
「下がれ」
揺るがない拒否が、声音にも籠もっていた。
長年、アレスのボディーガードをしていたのである。
声や視線、オーラなどで、機嫌の機微が、把握できていた。
「……わかりました。学校の敷地の外には、出ませんように」
「ああ」
下がっていくのを、確かめてから、さらに、人がないところへ赴く。
とにかく、一人に、なりたかったのである。
これから、どこへ行く?と、自問しながら歩いていると、突然、校舎の出入り口から、見知っている顔が出てきた。
そして、その男も、アレスの姿を捉えると、狼狽えたように、しり込みをしている。
「で、で、殿下……」
目を細め、男を捉えていた。
(確か……、ハンクと言ったか)
《コンドルの翼》の人間だと言う知識があった。
なぜ、総司令官直属が、ここにいるのかと、疑問が浮かぶ。
今回の警備には、警務部が、当たることになっていたからだ。
事前の報告にも、《コンドルの翼》の名が、出てこなかった。
微かに、視線を上下に動かし、ハンクの容姿を確かめる。
密かに、警備するのには、おかしなものも、手にしていた。
(なぜ、あの男の手の者が、ここに?)
総司令官の直属となっているが、自由に、シュトラー王が、《コンドルの翼》を使っているのも、把握していたのである。
ますます、目の前にいるハンクが、ここにいることが、妖しくなっていく。
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