第159話
忙しい日々で、時が過ぎ、瞬く間に、クラス対抗戦の当日を迎えた。
大勢の生徒たちは、クラスごとに分かれ、青々と、茂っている芝生に、腰掛けていたのである。
そして、一部の生徒たちだけが、熱気に燃えている生徒を、気怠そうに眺めていた。
美術科の場所では、ナタリーたちが、グランドを挟んで、テントの席に設けられた、特別席に、視線を巡らせている。
腰掛けているのは、アレスとリーシャだった。
隣のテントには、理事長や校長、偉い客と思える人たちが、ずらりと、並んで座っていたのである。
「ゆったりと、見られていいな」
テントもなく、太陽の下に、座らされている状況をイルが嘆き、ぼやいていた。
クラスごとの場所は、それなりに、仕切られていたのだ。
だが、日陰もなく、テントもテーブル、椅子もなく、地べたに座って、自分たちの出番が来るのを、ひたすら、待ち続けるしかなかったのだった。
「飲み物って言えば、すぐに、出てきそう」
「ホント。そうだね」
グランドを挟んで、天国と地獄に、別れていた。
テント側の天国の人たちは、のん気に、談笑している。
待遇を羨んでいる二人に、冷ややかな眼差しを、ナタリーが注いでいた。
「晒し者になりたければ、行けば」
周りの環境は、いいかもしれない。
けれど、見学席にいる生徒たちから、まるっきり丸見えで、晒し者状態になっていたのだ。
まるで、動物園の檻に入れられている動物と、それを見物している客だった。
辺りを見渡す二人。
多くの生徒たちが、テントにいる二人を、好奇な目で眺めていた。
「……」
「それは、ちょっといやかも……」
生徒たちは、絶好のタイミングが、訪れたと言う意気込みで、二人に、熱い視線を投げかけている。
その上、グランドで、競技している生徒たちの一部からも、見られる羽目となっていたのだった。
「こんな状況で、飲める訳ないでしょ?」
もっともな意見を、冷静なナタリーが述べていた。
テントの二人は、ただ、まっすぐに前を向いている。
慣れているアレスとは違い、場の雰囲気に飲み込まれているリーシャだ。
ソワソワと、落ち着きがない。
「そうだね」
「喉通らないかも……」
羨む視線から、哀れむ視線へと、変わっていく。
テントの中に、設けられた特別席。
座らせられたアレスは、いつものように、毅然とした姿で、競技に見ている振りをしながら、意識を別なところに費やしていた。
リーシャに、集まってくる多くの視線。
恥ずかしい思いを受け、居た堪れない状況に、途方に暮れていたのだった。
「視線を、落とすな」
俯き出したリーシャを、小声で注意した。
その声に促され、降下していた視線を、どうにか上げる。
「何で、こんなところで、見ないと、いけないのよ」
辺りを気にしながら、文句を、隣にいるアレスに紡いだ。
大きく、二人を覆っているテント。
アレスとリーシャしかいない。
理事長や、校長たちがいるテントとは、僅かに距離があった。
ボディーガードも、目立たないように配置されていたので、二人のやり取りが聞こえなかったのだ。
悲惨な状況に、内心、嘆息しか出ない。
多くの生徒が、見ている前で、できる度胸なんて、持ち合わせていなかった。
車から、降りた二人を、待ち構えていたのは、教室ではない。
特別に、用意されていた、控え室で、有無も言わぬまま、連れて行かれたのだった。
そして、顔も知らない、偉い理事たちと、談笑する羽目に陥っていた。
それらが終わると、訳がわからないまま、ここに、つれてこられたのだった。
最後まで、クラス対抗戦の行事に、参加できると知り、ナタリーたちと一緒に、見学席で見る予定を、立てていたのだ。
それが、跡形もなく、脆く崩れていた。
「王族だからな」
簡素に、疑問に答えているアレスだ。
(学校なのに?)
肩を落とし、しょんぼりとする。
(関係ないじゃない)
不貞腐れているリーシャの反応を、見透かす。
「どこにいても、王族は王族だ」
このような状態に、生れ落ちた時から、王族のアレスは慣れている。
だから、最初から、クラス対抗戦に、出る気がなかった。
それが、どういう訳か、参加する事態になってしまい、諦めて、身を任せ、静観していたのである。
「何それ」
納得がいかず、眉間にしわを寄せていた。
「王族だからって、こんなところで、見るのって、へんよ。生徒なんだから、みんなと、一緒に見学席で、見るべきよ」
思ったまま、口をついた。
顔を動かさないで、アレスが、前を向いたままだ。
対照的に、隣に座っているリーシャが、無表情な横顔を見て、話を続けている。
「黙っていないで、何か言ってよね」
誰にも、気づかれないように、アレスが、テントの周りに、視線を巡らせる。
僅かに、離れた位置。
数人のボディーガードの人間が、控えていた。
学校の周辺にも、最低限度の警備の人間が、回されていたのだ。
万全の態勢が、とられていた。
アレスの視線が、見学席へと傾けられる。
「あの中で、警備しろと言うのも、大変そうだな。面白そうだから、やってみるか?」
小バカにしたような笑みと共に、リーシャの方へ顔を近づけた。
多くのボディーガードを引き連れ、見学席に行くか?と、誘ったのである。
見学席では、王太子が、妻のリーシャの方へ、顔を向けたぞなど、訳のわからない歓声が上がっている。
だが、引きつるリーシャの脳裏を掠めているのは、たくさんの生徒から、迷惑がられている情景だった。
「どうだ?」
さらに、王太子らしい、不敵な微笑み。
「……結構です」
「なぜだ?」
いかにも、楽しそうだぞと言う顔を、匂わせている。
「場が、白けるでしょ? 周りに、怖い警備の人たちがいたら」
周囲を気にしながら、咎めていた。
少しばかり、ボディーガードたちの印象が、怖いが、実際は、いい人たちだと、認識している。
けれど、そんなことを知らない生徒たちの前に、ボディーガードの集団を、引き連れていく真似ができない。
たちまち楽しい空気が、消えてしまうと、予測されるからだ。
見学席のざわめき。
別なテントにいる人たちからの眼差しも、傾けられていた。
その人たちに対し、まだまだ、修練が、必要な作り笑顔を送っている。
周囲からの視線も、アレスは気に掛けない。
「それも、面白いと思うが?」
「いやよ」
作り笑顔のまま、きっぱりと断った。
アレスの域まで、達していないが、ぎこちない作り笑顔したままで、会話できるまでなっていた。
別なテントの人たちのところまで、二人の会話は、届いていない。
そのせいもあり、はた目から見ると、仲睦まじくしているように、垣間見えていた。
「そうか」
興味がそれたと、顔を、元の位置に戻した。
「ナタリーたちと、一緒に見たかったな……」
ぼやきしか、出てこない。
「こうなるのなら、さっさと、教室に行っちゃうだった」
うっかり、見られている状況を、忘れていたのである。
正面を向いているアレス。
容易に、膨れ面している姿が、想像できていた。
(だったら、いけばいいだろう。僕といるよりも、そっちがいいのならば)
叫びたい衝動を堪え、憮然とした、内心を押し殺している。
競技が行われている方へ、顔を向け続けていたのだった。
グランドから、見学席へと、それとなく、視線を延ばす。
リーシャの友人たちを、視界に捉えていた。
女三人で、何かを話しているようで、そこにいるだろう、ラルムの姿だけがない。
(あいつらの、どこがいい?)
目を細め、じゃれ合っている、女三人の姿を見据えている。
アレスに、見られているとも知らない。
ただ、競技を見ようとはせず、別なことで、盛り上がって、騒いでいたのだった。
(あれらよりも、下なのか……)
寒々しい眼光を、漂わせている。
グランドや、見学席から、離れているせいもあり、生徒が、アレスの表情を、察することができない。
隣にいるリーシャも、ブツブツと、文句を零していたので、気づかなかった。
目の前で、行われていた競技が終わり、別な会場で、行われている競技を見るため、席を立つ時間となった。
多くの競技が、いくつもの会場で、同時進行で、行われていた。
校長や、理事たちが、先導に立ち、その後を、二人がついていく。
その後ろから、ボディーガードや、他の理事の人が、集団となって移動していったのだ。
ふと、隣を歩くアレスに、視線を止める。
「楽しいの?」
「楽しくはない」
そっけなく、誰にも、聞こえないように、アレスが口を開いた。
「確かに、この状況は、楽しくないけど、きっと、競技に参加したら、楽しいよ」
ずっと、面白くなさそうな顔をしていたアレスだった。
気になって、声を掛けたのだ。
朝から、機嫌が悪かったことを把握していた。
けれど、今は、それ以上に、悪いような気がし、みんなと一緒に参加すれば、楽しいはずと、誘ったのだった。
「参加してみたら?」
少しでも、アレスが笑えばいいと、思ってのことだ。
「くだらない」
冷たく、吐き捨てた。
「……」
「時間の無駄だ」
考える余地もなく、拒絶され、心が凍えている。
「そう……」
直視できず、伏せ目がちになっていた。
アレスたちの、長い一行の足は止まらず、続いている。
何も、話そうとはしなくなったのが気になり、それとなく、隣にいるリーシャの様子を窺っていた。
頭を、僅かに落としていたので、その表情を、見ることができない。
(どうしたんだ?)
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