第155話
日付が、もう少しで、変わる頃。
筆頭秘書官であるウィリアムが、アレスの部屋に訪れていたのである。
打ち合わせをするためだ。
大幅な時間を、トレーニングに充ててしまっていたせいで、こんな遅い時間しかなかったのだった。
まだ、王太子としての仕事も、数多く、残っている状態だ。
国の命運が、掛かっている、デステニーバドルのトレーニングを、しているからと言って、王太子の仕事が、免除される訳ではない。
きっちりと、仕事は仕事として、こなしていたのである。
打ち合わせをしていると、母方の叔父であるハワード・アルカヴィス伯爵が、尋ねてきたと知らせを受けていた。
アレスとウィリアムが、部屋で出迎え、アレスとハワードが、ソファに腰掛けた。
アレスの背後に、ウィリアムが控えている。
ウィリアムが残っていることに、ハワードが、いい顔を滲ませていない。
僅かに、眉間にしわを寄せている。
目の前のハワードを、捉えているアレス。
「こんな時間に、それも、無理やりに、面会を求めてくるなんて、アルカヴィス伯爵の行動とは思えませんね」
「もう少し、早くから、求めていたのだが?」
数日前より、面会を求めていた。
けれど、トレーニングや、執務などの仕事に負われ、面会が叶うことがなかったのだ。
ハワードとしても、こんな時間に、来たくはなかった。
咎めるような眼差しでも、アレスは、飄々としたままだった。
「知っていました。私にも、都合と言うものがあるので」
「だから、待っておりました」
アレス自身、ハワードとの面会を、警戒していたのである。
だから、無視していたのだった。
チラリと、ハワードが黙って、控えているウィリアムを窺っていた。
そして、正面にいるアレスを捉える。
「ウィリアム殿を、下げて貰えないだろうか?」
「それは、できませんね」
「叔父としての、願いでもか」
「勿論です。私は、王太子です」
一歩も、譲ろうとしない。
幼い頃から、アレスを見てきたのだ。
アレスの性格を、それなりに、把握していたのである。
思考すること、数秒、軽く、息を吐いた。
「……。わかった」
二人の間は、常に、王族と、貴族でしかない。
アレスが、王太子と決められてから、ハワードはアレスの勢力側の一員として、陰日向に動いて、アレスや、妹セリシアを、彼なりに支えていたのである。
けれど、二人には、親しい交流がない。
アレスの勢力側にいて、距離を置いていたし、アレス自身も、ハワードとの距離を取っていたのだった。
親族だけに、力を持たせないと言う、スタンスにすることで、アレスの勢力に付く者を、拡大していったのだ。
元々、セリシアの生家であるアルカヴィス伯爵家は、アメスタリア国において、大きな貴族の勢力側に立っていなかった。
権力も、力もない、野心さえない、ただの、平凡な貴族の一族だった。
けれど、セリシアが、国王の次男ヴォルテの元に、嫁ぐことにより、これまでの、穏やかに暮らしてきた生活が、ガラリと、変貌してしまったのである。
暗躍蠢く、勢力に加わるしかなかったのだ。
大きな渦に、埋もれないように、貴族社会で、立ち舞わざるをえなかった。
だが、アレスが、王太子となったことで、僅かだが、強大な力に魅了され、小さな願いが、ハワードの胸の中で芽生えて、そのパイプを、より太くしようと、いろいろと画策を抱いていたのだった。
結局は、自分の子供に、娘が生まれることはなく、弟や妹の娘を、アレスの妻にと、密かに巡らせていたのである。
その願いが、叶うことはなかった。
ハワードの妹であり、アレスの母でもあるセリシアが、敬遠していたためだ。
強大な壁であり、恐怖の対象でもある、シュトラー王のことを、踏まえての行動だった。
娘を利用されようとしていた、弟や妹も、難色を示していたこともあり、策としては愚作に近かったのである。
そういった経緯もあり、二人の関係は、微妙な関係でもあった。
「では、用件を聞きましょう」
「……近頃、メディアで、不仲説が流れているのは、ご存知ですか? 王太子殿下」
「知っております」
「あまりいい傾向とは、思えません」
アレス側としては、メディアに、大きな圧力をかけてはいない。
ほぼ、静観する立場を、取っていたのである。
ウィリアムとユマが、密かに、動いていることは把握しつつも、アレスとしては、強く命じていなかったのだった。
ただ、リーシャにだけ、降りかかるなとだけだ。
そのため、リーシャ自身は、二人の不仲説が流れていることは、知っていても、どう、流れているのかまでは、知らなかったのである。
「動かないことが、もっともな得策かと、思いますが?」
どことなく、母親のセリシアの雰囲気に似ている、ハワードに視線を注ぐ。
ハワードとセリシアは、四つ違いの兄弟で、面差しは、似ていなかった。
二人の下には、弟と妹が、一人ずついたのである。
「……」
アレスの意見にも、一理あり、何も言い返せない。
逆に、強く否定すれば、するほど、不仲説に、真実に彩られてしまうからだ。
「パーティーなどで、何度か、二人を拝見しましたが、どちらなのですか?」
探るような、ハワードの眼光。
ただ、笑みを漏らしているだけのアレス。
「私たちは、まだ、出逢って、間もないのですよ」
「……」
「ですので、よそよそしいのも、仕方がないでしょう」
「ラルム殿下とは、親しいようですが?」
食い下がろうとしない。
琥珀色の瞳を、見つめるハワードだ。
相手の思考を、読み取ろうとする目だった。
(母上と、同じ目だな。やはり、兄弟だな)
「同じクラスで、元々、親しく、交流していたのです。当たり前ではないですか? 逆に、よそよそしくしていたら、何かあるのではないかと、思ってしまうのですが?」
「……」
微かに、ハワードの双眸が、険しくなっていく。
「ただ、危惧しているようでしたら、リーシャの方にも、気をつけるようにと、注意はしておきます。それで、よろしいでしょう」
「……そうお願いします。王太子殿下」
「なんでしょう?」
「ラルム殿下側の動きが、活発です。何か、策を講じた方が、よろしいかと?」
ラルム側の付いている勢力が、水面下で、動いている報告は受けていた。
そうした動きにも、何も反応を示すこともない。
ただ、黙って、報告を受けているだけだった。
誰一人として、アレスの思考を、読むことができずにいたのだ。
「静観するべきですね。何せ、陛下ご自身が、私を王太子と言う立場を、命じたのですから、その事実は、なかなか覆らないと、思いますが?」
「ですが?」
まだ、納得いっていない顔を覗かせている。
「心配、ご無用」
有無を言わせない、アレスだ。
シュトラー王を、髣髴とさせる双眸。
ただ、気圧されるハワードだった。
だが、ここで、退く訳にはいかない。
「……ですが、何があるか、わかりません」
チラリと、デステニーバトルの数値が、アレスの頭を掠めている。
ただ、一瞬だけだ。
「そんなもの、ありませんよ」
口角を上げ、優雅に、微笑んでみせた。
「殿下についている者たちの中にも、大変、この状況を、よしと見ていない者が、多くいます」
離婚をさせることなく、アレスに、側室を設けようとする動きがあったのだ。
顕著に現れているのが、アレス側の勢力に、ついている貴族たちだ。
自分の娘や妹、近い年齢がいなければ、親戚の中で、アレスと近しい年齢の娘を、傍につけようとする者が、現れていたのである。
「知っております」
「そちらは、どうする、お考えですか?」
鬱陶しいハエとして、アレスを悩ませていたのである。
ここで、怯む訳にもいかない。
平然と構えている。
「何も」
「しないのですか?」
「はい」
アレス側に、ついている勢力の派閥の中で、ハワードの位置は、真ん中ぐらいの位置だった。王太子の叔父と言う力を、使うことなく、おとなしく、勢力の派閥の一人として、動き回っていたのである。
そうして、アレス側の人間を、増やすことに、成功していた。
「殿下」
窘めるような視線。
けれど、アレスの態度は、揺るがない。
「おとなしく、していてください、アルカヴィス伯爵」
盛大な溜息を、ハワードが吐いた。
「……わかりました」
その後も、いくつかのことを話し合い、顔を顰めつつ、ハワードが帰っていった。
ハワードと、入れ替わるように、セリシアが、部屋に訪れたのだった。
訪問した理由は、兄であるハワードが、強引に面会したことを聞きつけたからだ。
セリシアにも、何も告げず、勝手に、アレスに面会を求めたのである。
同じように、セリシアにも、ソファに腰掛けて貰った。
セリシアの正面である上座に、腰掛けたアレス。
先ほどと、同じように、ウィリアムも、アレスの背後に控えていた。
「ウィリアムも、控えていたのですね」
「はい。セリシア妃殿下」
「それなら、いいのです。必ず、兄の面会には、控えているように」
妹であるセリシアの知らないところで、ハワードが、コソコソと、動き回っていることを、セリシアも、アレスも、気づいていたのだった。
そうしたこともあり、それぞれ、ハワードのことを警戒していたのだ。
「はい」
「それで、何を言ってきたのですか?」
「不仲説のことを」
「それだけですか」
相手の本心を探ろうとする、セリシアの双眸。
小さく、アレスが笑っている。
あまりに行動が、ハワードと、似ていたからだ。
「えぇ。勿論ありました」
ハワードのことを、すべて伝えると、セリシアが嘆息を漏らしていた。
「困った人です」
「そうですね。動かない方が、懸命なのに」
焦っているハワードの姿を、アレスが思い返している。
些細なことではないと、捉えているセリシアだった。
「……ラルム殿下の存在も、あるのでしょう」
(だろうな。ラルムが、急に、戻ってきたことによって、焦っているのだろうな)
他人事のような、アレスの振舞い。
セリシアが、小さく、嘆息を吐いている。
ハワードのことを、嘲笑しているアレスは、気づかない。
(アレスは、何を、考えているやら……)
「殿下は、どうするのですか?」
密かに、セリシアの元には、アレスの近しい娘の話を、それとなく、持ちかけてくることが、多くなってきていたのである。
セリシアは、そのすべての話を、無視していたのだ。
シュトラー王が、気づかない訳がないからだ。
「別に」
「……もう少し、仲良くする振りは、できないのですか?」
「……努力は、していますよ」
「そうは、見えませんが」
「そうですか」
「振りをしていれば、このような事態は、起こらないと、思うのですが?」
「変わらないと思います」
とても、母と息子の会話とは思えない。
互いに、相手の懐を、探っているのだ。
「王太子殿下。もう少し、妃殿下に、優しく振舞ってください」
「えぇ。意見は、聞きましょう」
さらに、口を開こうとするセリシア。
「仕事が、まだ残っているので、そろそろよろしいでしょうか」
「……。わかりました」
下がっていく、セリシア。
部屋には、アレスとウィリアムの二人だ。
立ち上がり、身体を、仕事が溜まっている机に、傾けている。
「ウィリアムも、下がれ」
「わかりました」
残っている仕事に、向かって行くアレス。
頭を下げ、アレスの部屋から、下がっていくウィリアムだった。
部屋を出て、歩いていると、その先で、セリシアが待っている。
ウィリアムの姿を捉えると、セリシアが、自分に仕えている侍女を下がらせた。
セリシアの前で、立ち止まる。
視線を伏せるウィリアム。
「あの子は、何を考えているのです」
唐突なセリシアの問いかけ。
「殿下なりに、リーシャ妃殿下と、距離を詰めております」
「嘘をつかなくても、いい。私のところにも、ケンカが堪えないことは、届いています」
「……」
「妃殿下の様子は、どうなのですか?」
「はい。気丈に振舞っております」
「今は、それで、どうにかなるかも、しれません。ですが……」
(王室は、甘いところではない。アレスだって、わかっているはずなのに、なぜ……。私には、ヴォルテがいたから、こうして、やってこれた。けれど、頼る人がいなければ、いつか、壊れてしまう……)
顔を顰めている、セリシアだ。
「……お二人は、互いに、会って間もないです。もうしばらく、お時間を」
「そんな悠長なことを、言っていられるのですか?」
咎めるような眼差しを、セリシアが注いでいる。
不甲斐ないと抱くウィリアムは、一身に受けていたのだ。
「……」
ウィリアムの耳も、リーシャとラルムが、アレス以上に、親しく話をしていることが、入っていたのである。
「なぜ、陛下は、妃殿下と、あの子を、結婚させたのかしら……」
何気ない、セリシアの呟きだ。
それに対し、ウィリアムは、口を閉ざしていたのだった。
もう一度、双眸をウィリアムに巡らす。
「とにかく、あの子が動かない以上、あなたたちの方で、何か方策を、見つけなさい」
「承知しました」
言質を取ったセリシア。
伏せているウィリアムから、一人で離れていった。
セリシアが、見えなくなるまで、ウィリアムが、その場に、立ち尽くしていたのである。
読んでいただき、ありがとうございます。