第154話
王宮にある、トレーニングルームの前。
アレスのボディーガードが、立っている。
この奥では、身体を鍛えているアレスが、一人で、トレーニングを行っていた。
そして、ボディーガードたちは、王太子のアレスを、警備するため、部屋の前で、トレーニングが終わるのを、我慢強く、待機していたのである。
ボディーガードが、中に入ることを、禁じられていた。
集中して、鍛錬したいためと言う理由からである。
「極寒のように、冷えていたな」
ボソリと、一人のボディーガードが呟いた。
トレーニングルームに、閉じこもってしまったので、本来の仕事ができない。
だからと言って、部屋の前から、離れることもできなかった。
「ああ。傍にいるだけでも、凍えるな」
そう漏らしながら、嘆息を吐いていた。
防寒の設備が整っている、宮殿の中にいるボディーガードたち。
寒い訳ではない。
ただ、鋭利な棘を、身体中から放出している、今日のアレスの、不機嫌な現状に、慄いていたのだ。
同時に、ボディーガードは、疲れきった、溜息を漏らす。
いつ、終わるのか、わからないトレーニング。
ただ、ひたすらに、扉の前で、控えている。
この時間帯は、トレーニングの時間ではなかった。
急遽、アレスの変更命令により、時間がわかってしまった。
開きそうもない扉に、視線を注ぐ。
部屋の中で、アレスが、一人で汗を流している。
気が済むまで、何時間でも、しているのだ。
「また、したようだな」
「……そのようだな」
誰が、聞いているのか、わからないので、二人が、ケンカしているとは、口にしない。
聞かれた方も、瞬時に、相手が、何を言っているのか把握し、苦りきった顔を覗かせていた。
二人の雰囲気が、よくない時に当たり、互いに、災難と、顔を滲ませている。
「いつになったら、出てくるんだろうな」
「さぁな」
いっこうに、出てくる気配のない扉。
ただ、二人して、眺めていた。
当番である、今日のボディーガードたちは、アレスの機嫌の悪さに、嘆いていたのだ。
理由は、不明だが、リーシャとの間で、言い争いをしたのは明白で、それが、何なのかまでは、把握できないでいた。
ボディーガードの身分で、王太子に、聞ける通りがない。
「何で、こんな日に、回ってくるんだろう」
「そうだな。傍にいるだけで、ナイフで、切り裂かれるかと、思うぐらいに、凄いよな」
二人の口からは、愚痴ばかり、出てしまう。
「俺なんて、冷徹な顔で、何度、見られたか」
「あーいう時の顔が、一番、キツいからな」
「だろう」
「しょうがないさ。運がなかったと」
「そういうけどな。この前だって当たって、連続なんだぞ」
「俺は、その前の時に、当たった」
今日の状態の悪さは、いつも以上に、酷かった。
よりにもよって、そんな日に、当番が回って来るなんてと、落ち込むしかない。
同時に、嘆息を吐いてしまっていた。
そんなことを、ボディーガードたちが、話しているとは知らず、アレスは、ひたすらに筋力アップの、トレーニングに、勤しんでいる。
本来のトレーニングの時間は、まだ先で、王太子としての雑務や、講義が、詰まっていた。
けれど、どれも、キャンセルし、デステニーバトルのための、トレーニングに、充てると命じたのだ。
国の威信をかけた、デステニーバトル。
五年に一度、開催され、世界のリーダーとなる、最高理事の議長を、決めるのである。
国としては、重要要項の一つである。
デステニーバトルに、出場するため、アレスは日夜、王太子としての仕事以外にも、訓練を行っていた。
そして、これは、その基礎となる、体力造りを、目的としたものだった。
ここに来て、一時間も、黙々と、休憩を挟まず、身体を動かす。
心地いい、疲れに、いったんやめ、タオルで汗を拭う。
トレーニングルームは、アレス個人用で、その時の気分に合わせ、できるように様々な器具が、備わっていた。
隣の部屋は、リーシャ個人用の、トレーニングルームになっていたのだ。
部屋の主がいない方へと、視線を巡らせた。
脳裏には、たくさんの出来事が、蘇らせている。
そのどれも、面白くない。
腹立たしいものばかりだった。
「……」
どんなに、身体を痛めても、悶々としたものが晴れない。
(なぜ、ラルムと一緒になる)
気を抜くと、すぐに、余計なことが、入り込んでしまう。
それらを考えたくないため、トレーニングをしたはずなのに。
「忌々しい」
顰めっ面になってしまう。
思考のすべてを、埋め尽くしていたのは、リーシャとラルムが、二人して、カーラの元へといったと言うことだった。
二人で、カーラの元へいったと耳にし、いても立ってもいられなかった。
密かに、その深夜に、王宮を一人で抜け出し、カーラが住む、裏街に真相を確かめに、足を伸ばすほどだった。
カーラの口から、二人の様子を聞き出し、余計に、苦々しく、感じるようになっていたのだ。
「偶然? 王妃様を、口実に様子を、見に来たのだろう」
何かと、ラルムが、失敗ばかり繰り返すリーシャを、気遣っているのは、把握していた。
「なぜ、あいつの周りをうろつく」
王宮に、つれられてきた時も、早急に、リーシャと会えるように、図っていたと、後から聞いたのである。
それに、結婚が決まり、ようやく会えることになり、一目散に会いにいき、二人して、話している現場を、アレスが目撃していたのだ。
その後も、ことあるごとに、ラルムが会いにきていた。
(友達だと……、友達のために、立場を考えず、姿を見せるのか……)
心の中で、ずっと、抱いていた疑問を、吐き捨てた。
鋭く、目を細めている。
いつの頃から、わからないが、友達と言う言葉を、鵜呑みのできなくなっていたのだ。
二人は、友達だと、互いを称していた。
だが、ラルムの行動は、友達の範疇を超えている。
第二継承権を持つ、ラルムの周囲と、第一継承権のアレスの周囲では、互いに、牽制しあっていたのだ。
現在は、静かに、様子見をしている状態だった。
それが、ひっくり返って、激しい動きに変わるのか、読めない状態だ。
本人たちに、そうした意図がなくても、周りの人間が、ピリピリとし、敵対関係にあった。
ラルムにとって、リーシャは、敵対する相手の妻なのである。
その関係になっている以上、リーシャも、近づくべきではないし、それを一番理解しているラルムも、手を差し伸べる真似をしてはいけなかった。
それにもかかわらず、リーシャと会い、警戒している周りの動きを、鈍感なリーシャにけとられないようしている節が、見え隠れしていたのである。
穏やかな、微笑みを絶やさないラルムの姿。
脳裏の映像が、リーシャの姿へと、変わっていく。
アレス自身も、何度か、ラルムとの関係について、苦言を呈した。
けれど、仲のいい友達だと言って、聞き入れない。
「お前は、王太子妃なんだぞ」
いっこうに、王太子妃としての自覚が芽生えず、そうした振舞いができない、リーシャに対し、咎めることを零していた。
最近では、そうした面が面白いなと、抱くこともあった。
だが、この件に対しては、どうしても、許せなかったのだ。
ふと、測定検査の結果が、頭の片隅に掠めている。
いやな記憶を、払拭しようと、トレーニングを始めたのに、完全に、呼び戻ってしまった。
気持ちが、落ち着かない。
「……絶対、覆してみせる」
闘志を燃やし、自分と、リーシャの組み合わせの方が、上であると、証明しようと躍起になっていた。
そのため、リーシャとの訓練を、開始するようにと、命じていたのである。
「このままには、しない」
歯噛みしていると、赤いタオルが、視界を捉えている。
赤から、連想されるものが、思考全体を埋め尽くす。
それは、赤いペンダントだった。
「……」
赤いペンダントは、リーシャのもので、ラルムから、贈られたものだ。
贈る現場を、くしくも見てしまう。
釈然と、できぬまま、その記憶が蘇り、苦虫を潰していた。
「またか……」
僅かに、感情が荒くれている。
「何で、あんなものを……」
それ以上の思考を、してはいけないと、訴えていた。
そして、拒否するかのように、奥深くで、何かが、閉ざすような感覚を抱く。
深く、考えては、ダメだと、心が訴えているかのように。
(ますます、気分が悪い)
気分を晴らすため、来たはずなのに、より一層、悪くなっていった。
(どうしたらいい)
こんな状態で、リーシャと顔を会わせれば、ボロボロになるまで、泣かせそうで、会うことができない。
本当は、心の落ち着きを戻すため、リーシャをからかって、怒った顔や、剥れた顔、笑った顔を、楽しみたかったのである。
この心境のままでは、どんなことを言うのか、わからない。
だから、こうした感情を振り払い、少しでも、早く会うため、身体を疲れさせ、痛めつけていたのだった。
さらに、この後、四時間以上の、強硬なトレーニングに挑み、メチャクチャに、身体を酷使させていた。
尋常ではない、トレーニング時間。
ウィリアムを始めとする者たちが目を剥き、驚きが隠せない。
周囲には、疲れた醜態も、見せなかった。
王太子としての顔を、覗かせていた。
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