第153話
アレスの筆頭秘書官であるウィリアムは、このところ、機嫌が、非常に芳しくないアレスの状況を危惧していた。
そこで、リーシャの専属侍女ユマを、自分専用の部屋に呼び寄せる。
呼ばれたユマの方も、そうしなければと、思っていたところだった。
これ幸いと、仕事をバネッサに引き継ぎ、早々に、ウィリアムの部屋に、足を伸ばしていた。
新婚の二人の住まいである仮宮殿。
ピリピリとする雰囲気が、仮宮殿の中に、充満していたのである。
その解決を、図ろうとしていたのだ。
二人で、意見交換を、ことあるごとに、設けていた。
そうやって、穏やかに暮らして貰おうと、気を配っていたのだ。
大きめなテーブルを挟んで、両側に、腰をかけている。
他の家具は、個人用の机に、きちんと、整理されている書棚、食器棚や、小さなキッチンが置かれていた。
部屋の持ち主を、現したかのようだ。
一つの歪みもなく、鎮座していたのである。
「リーシャ様の様子は?」
きっちりと、髪を結い上げ、背筋を伸ばしているユマを捉えている。
「お加減が、悪いようでございます」
やんわりとした表現を使って、不機嫌でいることを伝えた。
「……」
予想通りの返答だった。
いっこうに、距離が縮まろうとしない、悪循環な状況だ。
非常に、彼らの頭を、悩ませていたのである。
シュトラー王から、結婚の発表を受け、それなりに、大変なことだと、身を引き締め、覚悟をして、仕えていた。
だが、全然、改善の見込みがない。
ずっと、闇の中に、埋もれているかのようで、光の筋が見えなかったのだ。
何度となく、二人の間に、黒い雲が立ち込めていた。
周囲が、ハラハラとすることが、起こっていたのだった。
そして、その曇よりする、悪しき空気の頻度が増し、良し悪しの色も度合いも、濃くなっていた。
(どうしたら、よいのやら……)
溜息を漏らしたいのを、グッと、堪えている。
二人で、穏やかに過ごされ、これはと、予感を憶える時もあった。
けれど、険悪なムードの時の方が、多かったのである。
どうも、些細なケンカをしているようで、侍従や侍女たちが安心して、仕事する日が少ない。
頭を抱える日常を、繰り返していたのだった。
より親密になっていくように、二人を見守る役目も、ウィリアムとユマが、担っていたのである。
「ケンカですか」
わかりきっていることを、ウィリアムが尋ねた。
「そのようです」
重い肩が、さらに、落下していった。
気落ちしているウィリアムに、視線を注ぐ。
王室の暮らしに、不慣れながらも、明るく、一生懸命なリーシャと、気難しいアレスとの仲が、できるだけ、好転すればと、ユマは望んでいたのだ。
だが、今は、ただ、二人が、互いに心穏やかに、睦まじくいてくれればいいと、願っていたのだった。
仮宮殿での、二人の暮らしを垣間見て、誰しも、これまでになかったアレスの変化に、驚愕し、恙無く暮らしていただきたいと、抱いていたのである。
けれど、二人の雰囲気に、合わせたかのように、仮宮殿の侍従や侍女たちに、張りつめる感が漂っていた。
二人の間で、衝突が起こるたび、アレスが、棘のようなオーラを醸し出し、周りをびくつかせていたのだ。
それらを改善しようと、対策を、いつも、ひねり出していたのだった。
「で、その原因は、わかっているのですか?」
ウィリアムの問いかけ。
申し訳なさそうに、小さく首を振っている。
二人のケンカの原因が、理解できる時もあれば、今日のように、不明の時もあったのだ。
わからない中でも、穏やかに過ごして貰おうと、いろいろと、試行錯誤していたのである。
「わからないですか……」
アレスの方から、その原因を突き止めるのは、至難の業だった。
口にも、態度にも、示さないからだ。
ただ、不穏なオーラを、ばら撒いているだけだった。
だから、日頃から、よく零すリーシャから、突き止めることが多い。
ウィリアムの脳裏を掠めているのは、感情を表に出さない、アレスのことだった。
それに対し、感情の起伏があるリーシャと、ことごとく、衝突しているようであった。
(もう少し、感情を、お出しになっても、いいと思われるのだが……)
誰の前に立っても、アレスが、感情を露わにすることがない。
決して、家族の前でも、表情一つ変えなかった。
そんなアレスの行動を、王太子に選ばれた日から、ウィリアムが見続けている。
そうした行動を、王族や王太子ならば、当然の仕草であると思われるが、リラックスできる家族や、親しい友人の前では、少しぐらい、心を表に出してもいいだろうと、常々考えていたのだ。
けれど、両親や、祖父母の前でも、表情を崩さない。
一貫とした行動を、とっていたのだった。
時として、ウィリアムは、そうした行動を危惧していた。
感情を表に出さず、心を、開かないアレスを。
(だが、ケンカも、いい傾向なのかもしれない。リーシャ様が、来られてから、少しずつだが、変わってきたようにも、思える気がするのだが……)
ケンカが、悪いと、捉えていない。
いい兆しではと、思う節もあったのだ。
リーシャと出会って、アレスが、変わりつつあると感じていた。
これまでのアレスからは、考えられない行動を、いくつも、取ってきていたのである。
「周囲には、口止めをしてありますが、反シュトラー王派や、他の勢力の動きも活発で、こちらに、探りを入れている動きが、いくつか、見られます」
淡々とした、ユマの口調だ。
現状を耳にし、ついつい、眉間にしわが寄せられる。
ケンカをしていることが、知られる訳にはいかない。
特に、敵対している勢力にはだ。
アレスと、リーシャの様子を、探ろうとするやからが、以前から、仮宮殿の周辺に、出没していたのである。
それらの対策も、二人が協力し、状況が漏れないように、講じていた。
王室や、アレスの失墜を狙い、その種が、落ちていないかと、うろついている者が溢れていたのだった。
それらの勢力から守ろうと、主力を使い、撃墜していった。
「それについては、対処していただくように、副司令官に伝えてあります」
二人だけの対策でも、近頃、不十分となっていた。
それほどまで、二人を探ろうとする動きが、見え隠れしていたのだ。
(いつの時代になっても、変わらないですね……)
昔を、回想するウィリアム。
時が、いくら流れても、そうした動きが、消えることがない。
「報道、ネットの方は?」
安心しきれていないユマ。
さらに、突っ込んだ。
神経が、過敏になるほど、尖らせても、足りないほどだった。
それほどまで、二人に対する魔の手が、広がっていた。
「大丈夫です。抜かりはありません」
落ち着き払った返答に、安堵するユマだった。
いくつかの情報が漏洩し、報道やネットに流れていた。
そうした懸念も、抱いていたのだ。
「いかがしましょうか?」
黙り込んでいるウィリアムに、視線を巡らす。
その瞳に、今後の不安が、滲んでいたのだ。
「……そうですね」
曖昧な返事しか、出てこない。
それぞれに、険悪な状態である二人の姿を、頭の中に描く。
嘆息を漏らしそうになるのを、同時に、堪えていた。
二人の傍に仕える者として、アレスとリーシャに、仲良くなって貰いたいと、願っていたのである。
長年、連れ添うパートナーとして、仲違いしたままでは、辛過ぎるからだ。
(殿下が、もう少し、心を開いてくだされば……)
「お二人で、ゆるりとする時間でも、取れれば、よいと思うのですが……」
「そうですね」
今後の過密の二人のスケジュールが、一気に、頭の中を流れていく。
ゆっくりと、過ごせる時間なんて、どこにも、含まれていない。
調整するのが、無理な状況下に、あったのだ。
「無理でしょうか?」
真摯な眼差しを、ユマが送っている。
ユマ自身も、二人のため、仲を深めて貰いと、抱いていたのだった。
「……」
シュトラー王の執務の一部まで、代行している現状では、無理な話だ。
これから、調整に入っても、すぐに、そういった時間を取れる、保証がなかった。
耽っているウィリアムの表情。
到底、叶わない夢だと察していた。
「気長に、お二人を見守っていくしか、ないでしょうね」
「そうですね」
読んでいただき、ありがとうございます。