第152話
話も、謝罪も、聞かず、出て行ってしまったアレス。
怒っているだけの態度に、無性に腹が立ち、自分の部屋に籠もり、プリプリと、アレスへの文句を、独り言のように吐き出していた。
その光景は、異様なものでもあったのだ。
そんなことにも気づかない。
ただ、アレスへの不満を、次々と、並べていく。
アレスと、楽しい時間を過ごし、貰ったお菓子を、一緒に食べたかっただけだった。
それなのに、一方的に言うだけ言って、出て行ってしまった身勝手な態度に、へそを曲げている。
約束を破った、自分が悪いと、自覚があった。
けど、あそこまでの態度を、とらなくても、いいのではないのかと巡らす。
それに、ちゃんと、それに対しても、ちゃんと謝ったではないかと、不当な態度に、どうして、許してくれないのかと、哀しくもあったのだった。
いろいろな感情が混ざり合い、それらが、リーシャのご立腹へと、繋がっていた。
一人、取り残されたリーシャ。
これ以上、秘密の部屋にいる意味もなくなり、紙袋を開けることなく、そのまま、自分の部屋に、舞い戻っていたのである。
紙袋は、開封されないまま、放置したままだ。
ベッドの上に、寝そべって、ブツブツと呟くリーシャの傍で、クララとヘレナが、鎮痛した面持ちで、控えていたのである。
とても、憤慨しているリーシャに、事情を聞くような雰囲気ではない。
じっと、黙って、居た堪れない気分を、二人だけで味わっている。
剥れているリーシャの姿。
互いに、顔を見合わせた。
どう対処していいのかと。
表情に出ていないが、二人の中で、困惑が広がっていたのだ。
アレスへの、罵倒や罵りに、夢中で、当のリーシャは、気づいていない。
しょうがなく、王太子であるアレスと、何かあったのかと、目だけで、会話していたのだった。
このような状態の時は、いつも、アレスとのケンカが、原因だったからである。
ただ、二人のケンカの原因までは、周囲の人間には、不明のままだ。
目で、何かしらと?と、元凶となったことについて、会話していた。
アレスのことで、憤慨している出来事は、頻繁に、起こっていることであり、日常化になりつつあった。
けれど、このような事態を放置していいものかと、二人の周囲にいる者たちは、思案していたのだ。
これから続くであろう、長い二人の行く末を、心配していたのである。
そんな周りの空気を、当の二人は、感じ取っていない。
全然、気にせず、大小様々なケンカを、繰り返していたのだ。
感情、そのままに、表に示すリーシャとは違い、内に秘め、吐露しないアレス。
無表情の中にも、全身から、放出されるオーラで、何かあったことを表していたのである。
それらの日常の空気感を、侍従や侍女たちは、肌で感じ取っていた。
「悔しいー。せっかく、持っていってあげたのに」
絶叫と共に、何度も、両拳を大きな枕に、ぶつける音が鳴り響く。
瞬時に、目での会話を取りやめ、身体を強張らせる。
そんな二人にも、お構いなしだ。
溜まっている不満を、ぶつけ続けている。
恨めしい形相の目の前には、何の感情も、読み取れないアレスの姿が、映し出されていた。
憎たらしい幻影が、余計に、怒りを膨大していく。
悪かったと言う罪悪感も、すでに、失われていた。
それに向かって、また、叩きつつけるリーシャ。
いくら殴っても、全然、気が収まらない。
「どうしたら、あんな性格になるのよ」
叫び声だけが、部屋の中に、大きく木霊していた。
鋭い眼光を、大きな枕に注ぐ。
そこには、ふてぶてしく笑みを、湛えているアレスの顔が。
「信じられないぐらいに、性格が悪過ぎるって、言うの!」
悔しさで、リーシャの顔が歪む。
「私も、悪かったけど、だからって、黙っていくこと、ないじゃない」
悪態をつきたかったが、それがままならない。
これまで、頭がいいアレスに、言い任せたことがないのだ。
どんなことを罵っても無視したり、至極、簡単に、切り捨てたりしたりし、負けっぱなしと称しても、いいぐらいな状態だった。
「絶対に、赤い血が、流れていないわよ」
いつの間にか、映し出されている姿。
相手をバカにするような、不敵な笑みが、零れていたのである。
むむむと、虫の居所が、より一層、酷くなっていった。
「ちゃんと、謝ったのに。優しさの欠片も、ないんだから」
クララとヘレナが、傍にいる手前、カーラや、秘密の通路のことを、口に出せない。
そのせいか、不完全だったのである。
頬が膨れ、収まる気配すら、みえない。
(サンドバックを、叩きに行こうかな?)
アレスの嫌味から、送られたサンドバック。
吐き出せないものがあると、いつも、叩きに出向いていた。
だが、目まぐるしい忙しさで、行く時間が、このところ、あまり取れない。
ストレス解消に、それを撃ちにいこうかと、巡らせている。
(それとも、貰ったお菓子、全部、食べちゃおうかな)
チラリと、椅子の上に、無造作に置かれている紙袋に、双眸を傾けた。
アレスと、一緒に食べてと、渡されたものだ。
一緒に食べようとして、今まで、我慢してきたのである。
けれど、こんな状況では、いつ、食べられるのか、わからないと、嘆息を吐いた。
二人で、食べるのを、密かに、心待ちにしていたのだ。
そして、二人だけで、いろいろと話そうと、抱いていた。
誰かいる時は、決してアレスは、話そうとしない。
二人だけの時は、いつもよりも、話してくれたのだった。
だから、そのきっかけに、お菓子がなればいいなと、巡らせていた。
そんな思いが打ち砕け、まだ、口にしていないお菓子だけが、無残にも残っている。
いつの間にか、怒りが消え、物悲しさだけが、居残っていたのだ。
(バカアレス)
何度目か、わからない言葉が、心の内側で、淋しく漏らしていた。
なぜだか、涙が出る、一歩手前まで、来ていたのだった。
突然、スマホの着信音が鳴る。
その音で、我に返った。
控えていた二人が、リーシャとの距離を開けた。
できるだけ、プライベートの話を、聞かないようにするためだ。
スマホの相手は、友達のナタリーからだった。
ムクッと起き出し、スマホに出る。
結婚当初は、この状況に、慣れずにいたが、僅かに時が流れ、二人の存在に、気にかけないようになっていったのである。
「ナタリー。聞いてよ」
第一声は、愚痴を聞いて貰おうと、求めたのだ。
いきなりの不満な声。
かけたナタリーが、スマホの向こうで、小さく笑っていた。
声音一つで、アレスとのケンカが、結びついたからである。
『また、殿下と、ケンカでしょ?』
「何も、言っていないのに、よくわかったね、ナタリー」
すぐに、気持ちを理解してくれる、ナタリーに、感心していたのだ。
ずっと、不機嫌なアレスとは違い、以心伝心が通じると、心が和み、二人の違いは、なんなのだろうかと、脳裏に浮かび上がっていた。
(男と女だから?)
『わかるわよ。リーシャは、単純明快なんだから』
「単純明快?」
褒めていないような言葉に、首を捻ってしまう。
「それって、喜んでいいの?」
『とりあえず、喜んでいなさい』
どこか、面白くない表情が、出てしまう。
そんな声音を察したのか、また、笑い声が聞こえてくる。
『面白くないって、思っているでしょ?』
ズバリ言い当てられ、その先が、出てこない。
ブスッといた顔を、滲ませている。
『渋面作って、考えているでしょ? どうして、わかるの?って』
「……正解」
楽しげなナタリー。
納得できなかったが、当たっていたので、渋々と、認めた。
『深く、考えない。余計なことを、考える容量なんて、ないんだから』
「容量?」
『遅れている勉強、お后教育、デステニーバトルで、手一杯でしょ?』
「……うん」
素直に頷いていた。
『だから、余計なことは、さっさと忘れて、次に移らないと』
もっともな話に、大きく首を縦に振る。
それを見越したかのように、話を続けるナタリーだ。
『さっさと、愚痴を零しなさい。そして、そうすれば、すっきりするでしょ』
「うん」
満面な笑みと共に、スラスラと、溜まっている愚痴を、吐き出していく。
勿論、アレスとの約束は守って、秘密の通路などのことは、話さない。
これ以上、約束を破りたくなかったのである。
それと、カーラに関しても、口を閉ざした。
ただ、自分が悪いことをして、謝ったにもかかわらず、身勝手なアレスが、何も言わずに、出て行ってしまったことを、永遠と、お后教育が、始まるまでの時間を使い、吐露していたのだった。
話の全体の八割が、アレスに対する愚痴だ。
残りの二割は、自分と同じ年齢なのに、大人に混じって、仕事をこなす姿に、尊敬の念を漏らしていたのである。
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