第151話
「アレスいる?」
開けたドアの隙間から、リーシャが顔を覗かせている。
ようやく、ユマから時間を貰い、アレスを捜していたのだ。
誰かがいる前では、話せない話があった。
腰掛けていたアレスが、憮然とした顔を、ドアの方へ傾けている。
ニコニコ顔のリーシャだ。
捜しても、見つからなかったので、以前に、隠れ潜んでいた秘密の部屋に、いるのではないかと推測し、訪ねてきたのだった。
そして、やっとのことで、見つけることが叶った。
「いた」
周りに、誰かいないかと、アレスが視線を巡らせた。
誰も、いないことに、一応、アレスだった。
了承もなしに、勝手に、リーシャが部屋の中へ入り込んでしまう。
黙って、半眼した目で、眺めていた。
リーシャの問答無用な態度。
どこか、慣れ始めていたのである。
顔を綻ばせながら、アレスの前へ、立っていたのだ。
無表情の中にも、不機嫌さを醸し出しているアレスが、見上げている。
朝食の際に、顔を合わした時に、話したいことが、山のようにあった。
だが、周りに、ウィリアムやユマたちがいたこともあり、聞かれると、不味い話題だったため、話をしたくても、我慢していたのである。
その後は、互いに、アカデミーに行くが、車内にも、人がいて、話す機会がなかった。
陽気なリーシャに対し、苛立ちが籠もる声音で、口を開く。
「いつまで、そうしているつもりだ?」
何で、そんなに機嫌が悪いのよと、ちょっと拗ねてみせる。
朝から、よくなかったことは、把握していた。
けれど、この時間帯まで、継続していることに、呆れてしまう。
(どれだけ、引きずっているのかしら?)
無表情の中で、仏頂面を隠しているアレス。
「相変わらず、機嫌が悪いのね」
「どこがだ?」
「刺々しいオーラ、出しているわよ」
包み隠さず、思っていることを告げていた。
誰も、アレスの機嫌の悪さを知りながらも、それについて、触れようとしない。
何もなかったかのように、スルーしていたのである。
「……だったら、来るな」
冷たく、吐き捨てた。
「何よ。そんな言い方しなくっても。……せっかく、届けてあげたのに」
気になる内容に、アレスは眉を潜めている。
不貞腐れている、リーシャに視線を移し、その手に、小さな紙袋が握られているのを窺っていた。
入室時は、気分がよくなく、気づかなかったのだ。
だから、紙袋の存在に気づくのが、遅れてしまったのである。
「用件を、早く言え」
そっぽを向きながら、用件を求めた。
早く、この部屋から、出したかったのだ。
リーシャを、泣かせないために。
「カーラさんからだよ。いつも、貰っているお菓子の、お返しだって」
「……」
ゆっくりと、浮き足立っている様子を、見上げている。
そして、顔が顰めていき、その眼差しは、徐々に、険を濃くしていった。
(カーラさんだと)
「……行ったのか?」
低い声で、尋ねた。
「うん」
悪びれることもなく、あっさりと頷いていた。
「秘密の通路を使って。頑張って、憶えたんだから」
凄いでしょうと、胸を張っている姿を、眇めている。
(一人で、裏街に出かけるとは)
寒々しくなっている表情だ。
その変化に、リーシャが気づかない。
自分が話す内容に、夢中になっていたのである。
いつも、バカにされていたので、見返してやろうと、秘密の通路を必死に憶え、一人でも、通れることを、自慢しようと、うずうずしていたのだった。
それと同時に、常に、落ち着き払っているアレスを、思いっきり、驚かせたかった。
ただ、純粋な気持ちだけだった。
むくっと、立ち上がり、咎めるような視線を注ぐ。
不穏な雲行きを、ようやく感じ始めていた。
「アレス?」
「約束したはずだ。勝手に使うなと」
冷たい声が、部屋に響いた。
ウィリアムや、秘書官たちだったら、ただちに、頭が垂れていた状況だ。
悪い空気を、肌で感じるが、ただ、それだけだった。
全然、危機感を、察知していない。
「大丈夫だって。迷子にならないように、一つを、徹底的に憶えたから。そこだけ使えば……」
何でもないことだと言う態度に、さらに、非難めいた視線を巡らせた。
物凄く、アレスが激怒していることを、察知できないでいる。
(……何を、考えているんだ!)
烈火のごとく、心の内側で、激しい嵐が、巻き上がっていたのだ。
「それは、結果論に過ぎない」
「アレス?」
きょとんと顔で、見つめている。
いっこうに、反省の色を見せないリーシャに、焦れていた。
「迷ったら、どうするつもりだった?」
地の底から、湧きあがってくるような声音。
驚きを隠せない。
だた、目を見開き、僅かに、口をパクパクさせている。
迷路のような通路を使い、方向音痴なリーシャが、危険に晒される可能性も、あったから、一人での使用を禁じていたのだった。
そんな気も知らずに、のほほんと使ったリーシャの身勝手な行動。
許せない、アレスだ。
無言の剣幕に、やっと気づく。
「ごめんなさい……。でも、大丈夫だったでしょ? こうしているんだから?」
誤魔化すかのように、あくまで、気楽な仕草をしている。
ますます、アレスの目が、細くなっていった。
(まったく、危機管理ができていない!)
「ごめんでば」
何も、言ってくれないアレス。
段々と、哀しくなっていく。
リーシャの中では、お前も、少しはできるように、なったじゃないかと言われると、安易に、考えていたのだ。
それが、予想が外れ、憤慨している様子に、どうしていいのか、わからず、オロオロするばかりだった。
「それも、一人で、裏街に行くなんて、どういう真似だ」
危険を察知できないリーシャの身を心配し、アレスの身体が強張っていた。
けれど、怒られている側は、さらに、怒りが増したと、勘違いしてしまう。
裏街に行ったと聞き、全身に、冷や汗を流していた。
それほど、危険な場所であると、認識していたからである。
それでも、足を運ぶのは、自分の知らない世界への好奇心と、リーシャの嬉しそうな顔を、見たかったからだった。
そのため、危険を冒してまで、何度も、裏街へと、訪れていたのだ。
「そ、それは、大丈夫。一人じゃないから」
必死に、言い繕うとした。
少しでも、機嫌を直して、貰いたかったのだ。
「どういうことだ?」
怪訝そうに、リーシャを、射抜いている。
迫力ある瞳。
負けそうになりながらも、気力を振り絞った。
「ラルムと、一緒だったから」
何の考えもなく、そのまま伝えた。
「……ラルムだと」
瞬時に、反応することができない。
信じられない内容に、間違いかと、自分自身を疑うほどだ。
そして、言葉の意味を噛み砕いていく。
ますます、目が細くなっていった。
アレスの瞳は、怒りと困惑を、宿している。
(どうしよう、さらに怒っている?)
様子のおかしいアレス。
説明しなくてはと、さらに、あたふたとした状況に陥っていた。
秘密の通路を使い、抜け出してから、ラルムと出かけた経緯を、懸命に包み隠さず、必死に、身振り手振りを交えながら語ったのだ。
そして、その帰りに、カーラからお菓子を渡され、貰ったお菓子を、ラルムに少し分けたことも付け加えていた。
残りのお菓子を、一緒に食べようと、手をつけず、二人になる機会を窺っていたのだった。
「……」
「ホントに、秘密の通路のこと、話してないから」
約束を破っていないことを、懸命に、解いていった。
怒っている原因が、大切な約束を、破ったことだと勘違いし、話していないと謝って、納得して貰おうとしていたのである。
それ以外のことで、怒りを滲ませていると、知る由もない。
「カーラさんのこと、ラルムに話して、ごめんなさい。それについては、アレスと約束していなかったから、大丈夫かなって思って。ホントに、ごめん、私が、軽率だった」
反省を口にし、酷く消沈している。
謝っていくうち、アレスの立場を、思いやれなかったと、芽生え始めていた。
肩を落としている姿を、ずっと、アレスは捉えていたのだ。
二人の間に、静寂が流れ込む。
許しの言葉を、我慢強く、待っていた。
それしか、今のリーシャには、できない。
無性に、噛みつきたい衝動を、アレスは内に秘めていた。
目を閉じ、二拍してから、目を見開いたのだった。
うな垂れているリーシャ。
「ラルムと、一緒だったのだな?」
急な問いに、目を丸くしている。
「う、うん……」
最終確認してから、一言も、喋ろうとしない。
それに習うような形で、リーシャも、口を閉ざしてしまう。
でも、その口は、何かを話したそうしていた。
微かに、唇が動いていたのである。
躊躇っている仕草を、アレスは、ただ、眺めていたのだ。
(何で、いつも、ラルムが、出てくる)
表情は、全然、変わらない。
だが、下ろしている腕の先にある拳が、キツく、握りしめられている。
(どうして、出てくるのだ!)
心の中で、乱暴に、吐き捨てていた。
王太子とは、思えない態度だ。
心の中身は、どうにかなりそうなぐらい、激しく乱れていた。
強い衝動の、その先を掴み取る。
(これ以上、好き勝手に、させるものか)
面の表情は、あまり変化していない。
そのせいもあり、その様子が、見て取れないリーシャだ。
ただ、約束を破ったことを、怒っているのだと、落ち込んでいた。
唐突に、アレスが、俯いていたリーシャの右手を、力強く取る。
「?」
皆目検討ができない行動。
伏せていた顔をあげていた。
目の前にいるアレス。
まっすぐに、リーシャを見下ろしている双眸に、気後れしてしまう。
「ダイヤモンドハーツの訓練に入る」
「ダイヤモンドハーツ?」
突然の話に、ついていけない。
他のハーツでも、きちんとした訓練を、受けていなかった。
それにもかかわらず、ダイヤモンドハーツの訓練を、開始すると言う言動が、理解不能で、どう返事していいのかと、困惑の表情をするしかできなかった。
混乱している姿をほっとき、アレスが、話を続けてしまう。
「準備しておけ」
「準備って、どういうこと?」
素直に、受け入れない姿に、忌々しいと言う形相を漂わせていた。
一瞬、狼狽えそうになるが、持ち堪えている。
それほど、急な訓練話が、釈然と、しなかった。
「言葉の意味、そのままだ。二人での訓練を、開始する」
「だって、そんなところまで、いっていないよ」
置かれている状況を言うが、聞く耳持たないと言う顔だ。
「アレス」
「遅いのが、悪い」
「だって……」
「つべこべ言うな」
さらに、掴んでいた腕に、力を込められる。
これまで、なかったような語気に、身体が強張っている。
互いに、自然と、視線が合わさっていたのだ。
(どうして、いきなり、こんなことを言うの?)
戸惑いの視線を、リーシャが注いでいた。
先に、その均衡を破ったのは、アレスだった。
これ以上の話は、不毛だと、立ち去ろうとする。
「アレス。ちょっと、待ってよ、これは?」
背中に向かって、手にしていた紙袋を上げていた。
そんなリーシャを無視し、無言のまま、出て行ってしまった。
「せっかく、一緒に、食べようとしたのに……」
空しい響きだけが、部屋に広がっていた。
置き去りになってしまった、紙袋に視線を落としている。
アレスと、食べようと待っていたのだ。
「アレスのバカ」
唇を尖らせる、リーシャであった。
その夜、アレスは、単独で王宮を抜け出し、仔細を聞こうと、裏街のカーラの家へと、足を伸ばしていた。
いても立っても、いられなかったのである。
勿論、リーシャには、秘密でだ。
読んでいただき、ありがとうございます。