第147話
裏街に、到着したリーシャと、ラルム。
カーラの忠実な、片腕であるログの案内で、普通の街並みとは違う、危険が漂う場所を、のんびりとした歩調で進んでいた。
アメスタリア国で、もっとも危険な、地区である裏街。
不釣合いな、空気を醸し出し、そこに住まう誰もが、濁って、精力が見られない目で、リーシャたちを、胡乱げに眺めていたのである。
経験したことがない、独特の場所で、ラルムは、戸惑いが隠せない。
このような、妖しげなところに、足を踏み入れたことがなかった。
周囲に、不快にさせない程度、様子を窺っている。
そして、人知れず、ゴクリと、つばを飲み込んだ。
何か、リーシャに危険が及ばないかと、気を張りつめていたのだった。
そんなラルムとは違い、二人に話しかけながら、軽い調子で、ログの後をついた。
先頭を歩くログ。
背後にいるラルムに向かい、声をかける。
緊張しているのが、先を歩いていたログにも、伝わっていたのだ。
「大丈夫。そんなにも、強張らせなくても」
声をかけつつも、警戒を怠らない。
隙を見せたならば、何が起こるか、わからない場所だった。
鋭い眼光を、四方八方に巡らせている。
主人であるカーラから、危険が振りかかわらないようにと、命じられていたのだ。
ログ以外の配下たちも、危険がないように、それとなく、目配りをし、警戒をしている。
「……はぁ」
その顔は、まだ、不安げだ。
大丈夫と言われても、場所が、場所だけに、緊張がほぐれない。
無理もないかと、ログが口を噤む。
そして、意識を、背後の隣に変えていた。
落ち着き払っているリーシャを、観察していたのだ。
緊張を緩めない、ラルムの態度が、一般的であり、当たり前だった。
一般の市民が、決して、足を踏み入れようとしない場所なのである。
誰からも、見放された危険地区であり、薄汚いことが、日常的に、暗躍していたのだった。
黙り込んでいるラルムだ。
「どうかしたの?」
表情が、硬いラルムを見つめた。
僅かに、首を傾げている姿が、愛らしい。
「え……」
咄嗟に、どう返答していいのかと、困窮していた。
らしくない、ラルムの仕草。
さらに、首を傾げてしまう。
そんな二人のやり取りを、そっと、ログが見守っていた。
二人に、気づかれないように、微かに、口角が上がっている。
その間も、裏街の人間たちは、ジロジロと、濁った双眸で、リーシャたちを捉えていたのだ。
そして、ログが圧で、黙らせていたのである。
初めて、アレスと共に、裏街にやってきた日は、緊張していた。
だが、何度も、訪れていくうちに、警戒心が、薄れていったのだった。
そのために、ラルムが、困惑している状況を察せない。
すっかり、自分自身のことを、忘れていたのである。
「……いつも、ここに、来ているの?」
いつものラルムとは、違っていた。
チラリと、周囲に、視線を巡らせる。
どこを、見ていいのかと、苦慮していたのだ。
因縁をつけられる可能性を、掠めていた。
ちょっとしたことで、騒動が起こる予感を、与えていたのだった。
「いつもじゃないけど、たまに、アレスと一緒にね」
何でもないような、リーシャの顔だ。
僅かに、苦笑してしまう。
一国の王太子と、その妻が、厳重に守られている王宮を、勝手に抜け出し、こんなところに、足を伸ばすことなんて、あり得ないことだった。
その事実に気づいていない。
何でもない、ちょっとした、気晴らしのような感じを、漂わせていたのだ。
何気ない話に、夢中となっていたので、ラルムの異変に、ようやく気づく。
ここの環境に順応し、何の違和感も、抱いていなかった。
「……大丈夫だよ。怖い人たちが多いけど、案内の人がいれば」
安心しきっているリーシャに、ログが首を竦めていた。
警戒もなく、普通に歩いているのも、どうかと、ログが、思案したからである。
「だからと言って、安心していると、偉い目に合いますからね」
ログの忠告に、瞬く間に、背筋を伸ばす。
優しい声音でも、威厳があったのだ。
「はい」
神妙な面持ちで、頷いた。
けれど、隣にいるラルムに向かっては、怒られちゃったと、舌を出し、可愛く、おどけている。
危険と言う意識を、リーシャなりに持っていた。
だが、大好きなカーラや、ログがいる場所と言う、楽天的な思いが強く、すっかりカジノでの怖い経験が、脳裏の片隅の方に、追いやられてしまったのだった。
緊張が、拭えなかったラルムの身体が、お茶目な仕草で、柔らかくなっていく。
しばらくの間、三人が歩いていると、カーラの屋敷に辿り着いた。
警備システムが、甘い小さな屋敷。
ラルムの中で、不信感が浮上し始める。
見たところ、防犯しているように、見えなかったのだ。
そのため、襲撃とかあった場合などの危険性が、走馬灯のように、脳裏を駆け巡っていたのだった。
(どうして、こんな場所に、アレスは、連れてくるのか……)
突然、扉が開かれる。
それと同時に、人影が現れた。
裏街の入口で、見張り役を務めている人間から、事前に、知らせが来ていたのだ。
だから、呼び鈴を鳴らさなくても、カーラが出迎えてくれていた。
大人の色香が濃い、カーラに呆然としながら、無邪気に、リーシャと抱き合う光景を、目の当たりにしている。
二人のいでたちが、全然、噛み合っていない。
風貌や、雰囲気から、すぐに、カーラが娼婦であることを認識していた。
控えめな、露出の格好を、考慮から除外しても、裏街に住んでいる時点で、そのキーワードが導き出されたのである。
(どこから繋がって、知り合ったのだろう……)
訝しげな表情に、ついついなっていた。
リーシャとアレスが、カーラと知り合う接点が、掴めない。
だから、余計に、言い知れぬ不安が、ラルムの胸に、押し寄せて来ていたのだった。
自分と、リーシャではなく、アレスとリーシャの接点が、増えていきそうで。
(そう言えば、助けて貰ったって、話していたけど……)
リーシャを、可愛がる姿を窺っている。
危険がないのかと、頭を巡らせていたのだ。
妖艶な瞳が、ゆっくりと、ラルムを捉えている。
見惚れてしまう、その容姿に、身体が硬直していた。
「お友達二号さん?」
「はい」
満面な笑みを、リーシャが滲ませている。
(友達二号さん? 何だ?)
「初めまして、お友達二号さん」
自分に、向けられたものだと察する。
だが、お友達二号さんと称され、泡を食っていたので、挨拶を瞬時に、返すことができない。
そんな態度にも、機嫌を悪くすることがなかった。
ただ、蠱惑的に、微笑んでいたのだ。
(二号とは、僕のことを、言っているのか?)
微かに、眉を潜めている。
そんなふうに、呼ばれたのが、初めてで、やり手の娼婦と、仲良くするリーシャの行動にも、ついていけなかったのが、現状だった。
当惑しているラルム。
そんな中、当たり前のように、カーラを紹介する。
「ラルム。こちらが、私や、アレスを助けてくれた、カーラさんだよ」
「……こんにちは」
ぎこちなく、挨拶を交わした。
頭の中では、どういう経緯で、自分は、二号さんなんだと、疑問を抱いている。
(二号と言うことは、一号は、アレスなのか……)
アレスの後と言う響きに、内臓が、ずっしりと、重くなっていく。
(なぜ、また、アレスの次なんだ)
考え耽っている間に、奥にいる女性たちと、リーシャが話し始めた。
さっさと、屋敷の中へと、入り込んでしまい、その背中を、ラルムが見送っていたのだ。
「お友達二号さんも、中に入って」
「はぁ……」
カーラの視線が、ラルムの後ろに移っていた。
「ありがとう、ログ。帰りも、お願いね」
軽く頭を下げ、ログが、すぐに立ち去ってしまった。
「そんなところに、立っていると、食べられるわよ」
クスクスと、カーラが小さく笑う。
笑っているだけなのに、視線が、はずせないほどだ。
軽く息を吐き、周囲に、視線を促した。
怪しげな男や、女たちが、自分たちの方へ、視線を注いでいたのだった。
「……失礼します」
礼儀正しく、屋敷の中へと、ラルムも入っていく。
勝手、知った場所と、リーシャが、すでに座っており、若い娼婦らしい女たちと、親しげに話し込んでいたのだった。
そして、隣の空席に座ると、女性たちに、ラルムを紹介した。
ラルムと、名前を告げただけで、それ以上、素性を示さない。
警戒心の糸を解かず、小さな微笑みだけを、覗かせていたのだ。
リーシャと、若い娼婦たちの談笑している光景を、眺めている。
この人たちは、リーシャの素性に、気づいていないと、判断を下していたのだった。
ホッと、胸を撫で下ろすラルム。
(リーシャ。もう少し、警戒心がないと、ダメだよ)
観察を続行している。
久しぶりに見た、楽しげで、リラックスしている、リーシャの姿。
(でも、よかった。リーシャが嬉しそうだ)
ラルムの頬も、若干、緩んでいた。
さらに、話に耳を傾けていたのだった。
うっかりと、自分の素性を、示すようなことを言って、困っているリーシャに、助け舟をカーラの姿を捉えていたのである。
(知っているのは、カーラと言う、女性だけだろうか……)
眉間にしわを寄せているラルムだ。
一人の女性が、軽快な声で話しかける。
「あいつより、愛想がいいね」
「あいつ?」
きょとんとした、ラルムの顔。
誰のことを言っているのかと、巡らすが、その答えを、すぐに導き出す。
(……アレスを、あいつ、呼ばわり。よく、許して、我慢しているな)
衝撃的なことに、目を見張ってしまう。
小さい頃からの、アレスの性格を把握しているからこそ、それが、とんでもないことであると、断言できるのだ。
「いつも、無愛想だもんね」
ニコニコしながら、女性たちに向かい、リーシャが同調していた。
「でも、顔は、いいわね。勿論、二号も、いいけど」
そんな話に、あっという間に、変わってしまう。
あちらこちらで、私、一号とか、二号とか、飛び交っていた。
どう、反応していいものかと微妙な顔で眺め、チラリと、その様子を、面白そうに見ているリーシャへと、視線が移っていたのだ。
なんとなく、リーシャの意見を、聞きたかったのだった。
「そんな話をしていると、二号さんが、困っているでしょ?」
窘める声音。
リーシャの答えが、閉ざされてしまった。
心の中で、がっくりと、首を落としている。
小悪魔的な笑みを、カーラが注いでいた。
「……」
「それよりも、働きに行かなくても、いいの」
腰を上げない女性たちに、仕事をしてきたらと、促したのだ。
それが合図だったように、何人かの女性たちが、仕事へ繰り出していく。
そして、その背中たちに向かい、リーシャは、いってらっしゃいと声をかけて、送り出した。
残された女性は、世話役として、残ったのだろうと、ラルムが抱いていたのだ。
甲斐甲斐しく、細かい気配りを、見せてくれたからである。
リラックスしている、リーシャに安堵しつつ、短い休息の時間を過ごしていた。
行き同様に、帰りも、ログが来て貰い、裏街の入口まで、送ってくれたのだった。
帰り際に、カーラから、友達一号さんと、食べてねと、お菓子を貰っていたのである。
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