第141話 王妃エレナの采配
数日、過ぎたある日。
王妃エレナは、王太子夫妻を、部屋に招いた。
唐突な招きに、訝しげながらも、アレスはリーシャを伴って、久しぶりに、祖母の部屋に入室したのだった。
呼ばれた内容は、王妃エレナの計らいで、リーシャとテネルが、自由に行き来できるようになった話を、伝えるものだった。
警戒していたアレスの表情が、晴れない。
「本当ですか、王妃様」
歓喜に、はしゃぐリーシャ。
その隣では、アレスが、納得していない顔をしている。
「殿下は、不満ですか?」
アレスの顔色に気づいた、王妃エレナが声をかけた。
「……いいえ。ただ、陛下と公爵殿が……」
「その辺のところは、大丈夫です」
ニッコリと、微笑む。
(大丈夫と言って、済む問題ではないのだが……)
先々のことを踏まえ、案じていたのだ。
二人が、和睦するとは、到底、考えられなかったのである。
フィーロの息子であるルシードとは、かかわりを持たない方が、賢明と判断し、リーシャに会うなと、命じていた。
純粋なリーシャが傷つき、涙を流す羽目に、なり兼ねないから、できるだけ、近づかないように気にかけていたのだった。
「ですが……」
アレスが、何を言いたいのか、察しがつき、先回りした。
余計な気遣いをリーシャに、させないためだ。
「秘密です」
それ以上の追及が、できないと諦める。
祖父同様に、祖母も、一枚も二枚も、上手だった。
「殿下は、気にし過ぎです」
「……」
「これに関して、二人が言うことは、決して、ありませんから。私が、保障します」
自信ありげな態度だが、どこから、そんな自信が湧くのかと、疑問符が浮かぶ。
激しい二人を見ているのに、なぜ、平然としていられるのだろうかと、過ぎってしまう。
衝突し合う二人。
近づけるものなど、そうそういない。
迂闊に近寄れば、二人からの肉体的、精神的なダメージを、与えられたのだった。
だから、パーティーで、誰も、近寄ろうとはしない。
静観する立場を、とっていたのである。
「王妃様。どうして、陛下と公爵様は、ケンカするんですか?」
素直な疑問を、投げかけた。
あからさまな質問に、アレスがド肝を抜かれる。
「リ、リーシャ」
きょとんとしているリーシャを、窘めようとする。
コロコロと、笑っていた王妃エレナが止めた。
「よいのです、殿下」
「……」
王妃エレナに言われては、アレスも、黙り込むしかない。
ゆっくりと、首を可愛らしげに傾げているリーシャを見つめる。
「何でだと、思いますか?」
「よく、わかりません。私には、弟がいて、ケンカをしますが……」
考えても、わからないと、首を捻る。
自分たちの、兄弟ケンカの風景を、思い描く。
その時は、本気で、ムカついていても、時間の経過と共に、他愛のないものへと、変貌していったのである。
本気で、どうにかしようなんて、考えてもいないのだ。
ふふふと、無邪気な姿に、王妃エレナが笑う。
「どんなケンカを、するのですか?」
「私の物を取ったり、食べたりと。後、私が、見ていたテレビを、変えたりして」
弟との、普段のケンカの内容を、披露したのである。
くだらないといった顔で、アレスが睨んだ。
それに対し、リーシャが、いいでしょと顔で表現した。
さすがに、王妃エレナの前では、ケンカができない。
そんな二人のやり取り。
微笑ましい光景だと、王妃エレナが眺めていた。
これまでのアレスの行動では、考えられないものだった。
昔の自分の姿を忘れ、無言の表情合戦を、繰り広げていたのである。
「きっと、それと、同じなのです。互いに、互いのことが、羨ましいのですよ。それと、意地の張り合いを、しているのでしょうね」
「……そうなんですか」
「えぇ」
(そんな理由で、あんな激しい騒動を、起こすのなら、やめて貰いたいものだ)
胸の内側で憤慨し、どれだけ、回りを巻き込むケンカを、しているのかと、アレスが呆れていた。
「どうしたら、仲良くなれるのでしょうか」
「できると、思いますか?」
(無理だな)
素朴な見解を、巡らせた。
バチバチと、火花を散らせ、周囲を巻き込む、兄弟ケンカを止めるなんて、無謀なことだと抱いていると、リーシャの一言に、目を見張ってしまう。
「できると思います」
「どうして?」
面白げな眼差しを、王妃エレナが送っていた。
「何となくです」
(できるだと、バカか。そんなことは、無理だ。そんな危ない真似をしないで、おとなしくしていろ。二人のケンカに、巻き込まれたら、どうするんだ)
アレスの思いも知らず、二人は、しっかりと、スクラムを組む。
「では、今度、どうやったら、仲良くなれるのか、一緒に考えましょうか」
「はい。王妃様」
(王妃様。こいつを巻き込むのだけは、やめてください)
微かに、唇を震わせるアレス。
密かに、慌てている素振りを、窺わせる姿に、王妃エレナは気づいていた。
けれど、素知らぬふりをし、リーシャを巻き込むのだった。
そんなアレスをよそに、話は進み、了承もなく、どんどんとメンバーが、勝手に増えていく。
ふと、二人の目線が、アレスに注がれる。
「殿下も、一緒だと、嬉しいのですが?」
人懐っこい笑顔。
惑わされるものかと、抵抗しようとする。
「いかがですか。殿下は?」
「……」
「そうだよ。みんなで考えれば、何か、いいアイデアが、浮かぶかも」
リーシャの、嬉しそうな笑顔を眺めた。
「……時間に、余裕がある時に……」
「いい返事が聞けて、よかったです」
「はい。王妃様」
そこには、陽だまりのような笑顔があった。
三人で、話していると、来客が姿をみせた。
その来客とは、ルシードとテネル親子だった。
侍女の案内で、二人は、三人の下へ、通されたのである。
そして、大好きなリーシャを見つけた瞬間、王妃エレナがいるのも忘れ、テネルが小さな足で、駆け出してしまった。
胸へと、飛び込んでいって、強くリーシャを抱きしめる。
「お姉さま」
ほんわかとする温もりを、テネルは確かめ、胸を撫で下ろすのだった。
王妃エレナや、アレスの前であると、ルシードが慌てふためくのだった。
「テ、テ、テネル。王妃様の前で」
上擦っているルシード。
ようやく、王妃エレナの前に立っていると、思い至った。
赤面した顔で、リーシャから、そろりと離れた。
「王妃様、お久しぶりでございます。テネル・デイトン・ラルゴ・ジュ=ヒベルディアです。本日は、お招きいただき、ありがとうございます」
「随分と、大きく、成長しましたね。私のこと、憶えていますか?」
孫の成長を、喜んでいるような眼差しを傾けていた。
チラッと、ルシードに、応えていいのかと、テネルが確かめる。
口角を上げて、頷いた。
「少しだけ、憶えています」
子供らしい、はつらつした声音だ。
「そうですか」
「本日は、王妃様に、お礼をお伝えするため、伺いさせていただきました」
型どおりの挨拶をしていた。
王妃エレナとの面会が決まり、ルシードの元で、何度も、挨拶の練習をしてきたのである。
当初の、突拍子もない行動に驚きつつも、つつがなく、上手くいっている様子に、満足な表情を滲ませていた。
そして、少し不安げに、ちゃんと挨拶ができるのかと、テネルを見守っているリーシャへと視線を巡らせる。
「王妃様のお気遣いで、王太子妃殿下と、会うことが、叶うようになりました。ありがとうございます」
「ルシードに、何度も、稽古させられたの?」
バレていることに、何か、失態のしたのかと、固まってしまう。
同様に、ルシードも、フリーズしていた。
そんな二人を、王妃エレナが笑っている。
「いいのよ。私は、さっきのように、リーシャに、駆け寄る子供らしいテネルが、好きなの。そうだ、身近な人しかいない時には、おばあ様と、呼んでね」
この申し出を、受けていいものかと、顔を引きつらせているルシードに確かめる。
「テネル。お父様の意見ではなく、自身で、答えを出してね」
頼るのを、禁じられたテネル。
助けを求めるように、リーシャに視線を注いだ。
黙って、応援していたリーシャが、大丈夫だよ、テネルには、できると、唇だけ動かして、声援を送っていたのである。
安堵したテネル。
しっかりと、王妃エレナに、自分の顔を向けた。
「はい。おばあ様」
「よくできました」
無事に、できたことを安堵し、ルシードも、口を開く。
「王妃様、ありがとうございます」
深々と、頭を下げた。
「いいのです。迷惑をかけているのは、陛下と公爵なのですから。それなのに、小さな子供に、しわ寄せが来るなんてことは、よくないことなのですから。本当に、困った二人ですね」
何とも言えない顔を、しているルシード。
互いに、当事者に、近い立場に立たされているが、王妃エレナのように、ズバズバと、何でも、発言ができなかったのである。
「テネル。これからは、リーシャに会いに、好きな時に、王宮に訪ねてきなさい。ルシードがいなくても、通るようになっているから、安心しなさい。ただ、ルシードや、周りの人には、ちゃんと、王宮に来ることは、伝えないと、いけませんよ」
クラージュアカデミーでの出来事を、しっかりと、周りに口止めしたのに、王妃エレナの耳に、その件が、すべて流れ込んでいたのである。
そのことも、アレスが納得いかない。
シュトラー王やソーマ、フェルサが耳にしていたら、理解できる部分もあった。
けれど、どうして、王宮の部屋に、閉じこもっている人の耳に、届くのか、不思議でしょうがなかったのだ。
「はい。王妃様」
「それと、おばあ様のところにも、会いにきてくれると、嬉しいです」
「はい。遊びに行きます」
「では、待っていますよ」
「はい」
王妃エレナは、顔をリーシャに傾ける。
「リーシャも、気兼ねすることなく、テネルと会って、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
「よかったわね。これからは、ずっと、会えるわね」
憮然として、面白くないといった顔で、アレスが窺っていた。
近くに、テネルを呼んで、王妃エレナが尋ねる。
「テネル。何か、願い事がありますか?」
「願い事?」
「そうです」
「……お姉さまと、結婚したいです」
誰もが、テネルの発言に、驚く。
「結婚ですか?」
「はい。侍女の人たちが、いっていました。結婚すれば、ずっと、一緒にいられると」
無邪気に、答えるテネル。
侍女たちの会話を聞き、結婚すれば、一緒にいられると、勘違いしたのである。
「それは、難しいかもしれませんね」
口元を緩めながら、王妃エレナが答えた。
きょとんとして、首を傾げる。
あたふたと、恐縮しているルシードだ。
何も、わかっていないテネルを窘めた。
結婚を、申し込まれたリーシャや、王妃エレナ、控えている侍女たちが、クスクスと、子供らしい発言だと笑っていたのである。
けれど、アレスだけは、さらに、ブスッとした顔で、テネルを凝視していた。
「無理だ」
誰も、聞こえない声で呟いた。
(リーシャは、すでに結婚している。そして、夫は、この僕だ)
子供の戯言と思わず、夫だと無言の圧力で、主張していたのである。
和やかなムードの中で、そんなアレスに、気づくものは、誰一人いない。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は、第6章に入ります。