第137話 騒動2
リーシャは、筆が進まず、キャンパスと、睨めっこしている。
描かなければ……と、気ばかり焦っていた。
「何か、違う気がする……」
唸り声を漏らす。
だが、納得する色合いが、見つからない。
イメージする、色合いが出せず、時間だけが、過ぎていった。
「……結局、気が乗らないのよね……」
描けない原因が、わかっていた。
写生に、集中できず、中途半端な状態で、ただ、描いているに過ぎなかったのだ。
大きな嘆息を吐いた。
気分が、上げらないまま、また、筆をのせ始める。
止まっていても、提出しなければ、ならない。
「お姉さま!」
「えっ」
突然の大きな叫び声に驚き、辺りを窺う。
校舎の方に、視線を巡らせると、テネルが走って、こちらに駆け寄ってくるのを、視界に捉えていた。
そして、その背後から、ゆっくりとした歩調で、ラルムが近づいてくる。
絵を描いているリーシャを、見つけた瞬間に、駆け出してしまっていた。
「テネル。それに、ラルムも……」
状況が、飲み込めない。
呆然としながらも、腰掛けていた椅子から、立ち上がっていた。
思いっきり、戸惑っているリーシャに、嬉しさいっぱいのテネルが抱きつく。
「お姉さま。会いたかった」
「……私もよ」
嬉しそうな顔。
すっかり、疑問は吹き飛んでいる。
小さなテネルに合わせ、腰を下ろして、抱きしめた。
ただ、幸せそうに、ラルムが眺めていたのだ。
抱擁を終え、状況を聞こうと見上げる。
「会いに、来たみたいだ、リーシャに。校内で、迷子になっていたから、もしかしてと思って、声をかけて、つれて来た」
「ありがとう、ラルム」
視線を、ラルムから、テネルへと移した。
「迷子になっていたの?」
「……はい」
「お父さんは、どうしたの? 一緒では、ないの?」
消え入りそうな声に、どうしたのかな?と、首を傾げていた。
「……どうしたの? 誰と、一緒に来たの?」
困っている様子。
ますます、わからなくなっていく。
「と、と、途中まで……、つれて来て貰いました……」
小さな声で、しどろもどろだった。
嘘をついてしまった罪悪感で、いっぱいになっていた。
だが、どうしても、大好きなリーシャに会いたかったのだ。
それに、こうして会ってしまったら、少しでも、長く一緒にいたと願い、つれて来て貰ったと、嘘をついてしまったのである。
本当のことを、告げれば、連れ戻され、今度、いつ会えるのか、わからなかったからだ。
「そう……」
不思議に感じながらも、深く追求しない。
それよりも、会えた喜びの方が、勝っていた。
「広いから、大変だったでしょ」
校内を、一人で歩いた労を、素直にねぎらってあげた。
「はい」
さっきまでの返答とは違い、元気な姿に戻っている。
「お姉さまに、会いたかったです」
「私もよ。お菓子、美味しかった? それに、ノートやクレパスは、気に入ってくれた?」
「お菓子? クレパス?」
きょとんした顔で、リーシャを見つめている。
「お父さんや、侍従の人に、頼んだのよ。テネルに、渡してくださいって言って、お菓子と手紙を。受け取って、いないの?」
貰っていないと、首を振った。
「えっ? どういうこと?」
(ちゃんと、渡したのに……。どうして、テネルに、渡っていないの?)
顰め面で、逡巡しているリーシャ。
「僕も、お姉さまに、お手紙を、たくさん、書きました。そして、お父様に、手紙を渡してくれるように、頼みました」
声に合わせるかのように、テネルの表情も、沈んでいった。
驚愕するばかりの事実に、瞠目している。
「……貰っていないけど……」
そんな二人に、痛むような声で、ラルムが、ぼかすように説明をした。
「いろいろと、あるんだよ、ジュ=ヒベルディア伯爵にも」
小さな子供の前で、お父さんが、隠したんだよとは、はっきり口に出すのが、躊躇われたのである。
年齢よりも、大人なびていて、感受性が高そうなテネルの前では、酷なような気がしていたからだ。
「……そう。そうだね、きっと」
同じそうに、感じたリーシャも、落ち込んでいるテネルを気遣った。
温かな笑顔を傾けている。
「会いに来てくれたんだから、一緒に遊ぼう」
「ホント」
歓喜に満ちた顔。
「ホントだよ、何して遊ぼうか? テネルは、何がしたい」
「課題の絵は、どうするの?」
上から、降り注ぐ声。
二人が揃って、顔を上げている。
ラルムの視線の矛先は、描き途中のキャンパスに、傾けられていた。
「うっ」
よく状況が飲み込めないテネルにも、遊べない雰囲気なのだと感じ取り、哀しげに表情を曇らせていく。
「溜まっているんだろう」
「うん……。後でやるから、ダメ?」
上目遣いで、懇願するような眼差し。
簡単に、ラルムが負けてしまう。
それに、隣で、沈んでいるテネルが、不憫な気がしていたからだ。
「後で、頑張ってよ」
「ありがとう、さすが、ラルム」
「いいの?」
まだ、不安げでいるテネル。
安心させる笑顔を、全開でみせてあげた。
「大丈夫。お兄ちゃんが、許してくれたから」
満面の笑顔を、ラルムに巡らせている。
「ラルムお兄様、ありがとう」
「どう、いたしまして」
「ラルムお兄様? 随分と、仲良くなったのね」
何か、あったのと、好奇心に満ちているリーシャ。
二人は、互いに顔を見合わせ、笑っている。
「秘密だよ」
「はい。秘密です」
「ズルい」
仲間外れにされたリーシャが剥れ、ラルムは、口角を緩めていた。
「じゃ、これだけじゃ、足りないから、ナタリーたちを呼ぼうか」
ラルムが手にしている軽食と、飲み物を窺う。
二人分だったのだ。
「私に?」
「差し入れだったけど、必要なくなっちゃったね。ナタリーたちに、たくさん、お菓子と飲み物を、持ってくるように、頼むよ」
温かなラルムの気遣いに、感激していた。
「いろいろと、ありがとう。感謝しても、ラルムには、足りないぐらいね」
「そんなこと、ないよ」
笑ってから、テネルに顔を戻していた。
「お姉さまのお友達も呼んで、みんなで、遊ぼうね」
「はい。お姉さま」
ギュッと、小さな腕で、リーシャを抱きしめた。
それを、ラルムが眺めて見ていたのだった。
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