第136話 騒動1
クラージュアカデミーの庭先で、リーシャが一人で、写生をしていたのである。
この時間帯は、空き時間となっていた。
連日の公務や、パーティーで、学校に来られなかったり、ホワイトヴィレッジの訓練等で、美術科の授業に出席できていなかった。
そのため、授業が遅れ気味の上に、何も描かれていない、白紙状態の課題が残っていたのだ。
クラスメートは、おのおの時間を潰し、ナタリーたちは、邪魔しないようにと、カフェテラスでお菓子を食べながら、お喋りしていた。
ナタリーたち三人が、一つのテーブルを囲んでいたのである。
イルとルカは、テーブルに顔を突き出し、だらけていた。
「リーシャも、大変よね」
何気に、視線に映るものを、虚ろな目でイルが見ていたのだ。
ようやく、課題の絵を仕上げ、疲れきっていたのである。
「ホント、王太子妃って、忙しくって、大変」
だらけている姿勢で、ルカが追随している。
呆れ顔で、二人の顔を、ナタリーが眺めていた。
「羨ましいって、言っていたのは、誰よ」
二人は、代われるものなら、代わりたいとか、私のおじいちゃんと、友達だったら、良かったのにと、リーシャの強運を、羨ましがっている節があったのだ。
だが、ナタリーだけは、強運とは思えず、災難だと、抱いていたのである。
「だって、それは……」
取り繕う言葉を探すが、見つからない。
「一つも、いいところなんて、ないって、言ったでしょ」
したり顔でいるナタリーだった。
羨ましく、思っていた二人を、いつもナタリーが、そんなことはないと、窘めていた。
けれど、全然、聞き入れず、羨望していたのだった。
「そうだね」
ばつが悪そうな顔をしているルカだ。
「いい、二人とも」
お説教モードに、さらに二人の顔が歪む。
「私たちのような庶民には、王室は、別世界のところなの。そんなところに、何も知らず、飛び込んでしまったら、地獄よ。これまでの価値観とか、捨てて、一から、すべてやり直すようなものだもの。二人には、無理よ。絶対に」
強気な表情と共に、はっきりと言い放っていた。
間違いなかったでしょうと言う顔に、思いっきり、イルが顔を顰めている。
言い返したくても、何も言い返せない。
事実なだけに。
「何か、言うことでもあるの?」
「そんな、はっきり言わなくっても……」
「うん」
同意する返事をしながら、ルカが何度も、そうだそうだと頷く。
その正面にいるナタリー。
余裕綽々な表情を崩さない。
「それじゃ、聞くけど。できるの?」
「……できません」
一拍置いてから、イルが素直に認めた。
「イルに同じ」
二人が、降参の旗を上げたのだ。
ほら、見なさいと言う眼差しを送っている。
いっこうに、進んでいないノートに、視線を移した。
「歴史の宿題は、終わっているの? 食べてないで、勉強もしないと」
「意地悪だと思わない、ルカ」
「思う。今日は、いつも以上に、意地悪だね」
そんな言葉に屈せず、ナタリーが笑っていた。
カフェテラスに、誘われていたが、ナタリーたちとは合流せず、ラルムは校庭に向かって歩いていた。
王室の行事や、パーティー、デステニーバトルの訓練などで、ラルムも、提出する課題が遅れ気味になっているが、リーシャほど、酷い状況にはなっていない。
時間の合間を縫い、課題をこなしていたからだ。
それに比べ、ハーツパイロットとしては、未熟なリーシャが、ハーツパイロットの勉強や、お后教育の時間に、大幅に時間を取られ、課題が、疎かになっていたのだった。
「大丈夫かな」
微かに、表情を曇らせた。
(このところ、スケジュールも、詰まっていたようだし……)
何か、手伝ってあげたいと抱くが、できないことに、辛酸を嘗めるしかない。
その手に、軽い食べ物と、飲み物が握られていた。
チラリと、それらを眺める。
(今の僕には、これくらいのことしか、できない……)
傍についてあげられないと、悔しかった。
庭先に出て、芝生の上を歩いていると、学校には、不似合いな姿を目撃する。
「!」
目を凝らし、もう一度、確かめる。
現実に、映っている光景だった。
「何で、あんな小さな子供が……」
誰かを、捜しているようで、辺りを、キョロキョロとしている。
王族が、通っているクラージュアカデミーの警護のセキュリティーは、万全なものだ。
それなのに、いてはいけない子供の姿があった。
「……もしかして……」
ふと、あることが思い至った。
とりあえず、警備員に知らせる前に、その小さな子供に、ラルムが近づいていった。
思いついたことが、当たっているのか、どうか、確かめるために。
怯えた様子で、辺りを見回し、まっすぐに、歩けていない。
「お姉さまは、どこ……」
恐怖に、震える唇で、テネルが零していた。
無断で、屋敷を飛び出し、大好きなリーシャに会うため、勝手に入ってきてしまった。
父親の影に、隠れていたテネル。
生まれて初めて、大冒険を、決行したのである。
警備員に捕まず、順調に、中へ入ることに成功し、リーシャを捜していた。
テネル一人では、校門の前に立つ警備員に、捕まってしまうが、訪ねてきた人間と一緒に、入ってきてしまったのである。
警備員も、訪ねた人間の子供だろうと、小さな子供相手に疑いもせず、見逃してしまったのだった。
そして、校庭を歩くテネルだ。
見逃した警備員たち同様に、生徒たちも、校内を警備している人間も、首を傾げながらも、見逃していた。
まさか、小さな子供一人が、学校に入り込むとは、誰も考えなかった。
「どこにいるの……」
広いクラージュアカデミーで、迷子になっている。
知らない人たちに、声をかけられない。
心細く、今にも、泣きそうな状態だ。
大声を出し、泣きたいのを、必死に我慢している。
ギュッと、唇を噛み締めた。
「お姉さま……」
会うことができない、リーシャに会いたいために、その一心で、飛び出した。
小さいながらも、頭のいいテネルは、手紙の返事がこないのは、おかしいと理解し、大人の事情で、何かあるのではと、行き着いていたのだった。
立ち止まり、涙で濡れる瞳。
巨大に映る校舎を、垣間見る。
怖くて、怖くって、堪らない。
助けを請うと、口を開きかけた瞬間……。
「テネルかな?」
背後から、優しい声音で、名前を言われ、驚きながら、振り向く。
見知らぬ顔に、さらに恐ろしさが、募っていった。
立ち尽くし、怯える姿に、穏やかな笑みをかけた。
「違うのかな?」
優しげな眼差し。
ホッとし、頭を大きく振って応えた。
その答えを聞き、ラルムが柔和な笑顔に、変わっていった。
「やはり。リーシャに、会いに来たのかな?」
腰を下ろし、微かに怯えが残るテネルと、目線を合わせた。
リーシャの名前に、強張っていた表情が、徐々にほぐれていく。
優しげなお兄さんに、少しだけ、心を開くのだった。
「……お姉さまのこと、知っているの?」
恐々としながら、口を開いた。
「うん。リーシャから、テネルのこと、聞いていたから、そうじゃないかって思って、声をかけたんだ。よかった、合っていて」
表情も、声も、優しく、テネルが怖がらないように、心掛けている。
「お兄さまは、誰?」
首を傾げる、可愛らしい姿。
話を聞いた通りに、可愛い子だと抱く。
何度も、ジュ=ヒベルディア伯爵の子息テネルの話を、ナタリーたちと共に、聞いていた。そして、手紙を出しても、返事がないことに、落胆していたので、みんなで励ましていたのである。
話を聞きながら、ラルムだけは、ルシードが、互いの連絡を途絶えさせていると、察していたが、なかなか真実を告げられなかった。
ラルム自身が、間に入ることは、簡単だった。
ただ、入ることにより、リーシャに、迷惑をかける恐れがあった。
だから、話を聞いてあげるしか、できなかった。
「リーシャの友達の、ラルムって、言うんだ」
「ラルムお兄さま?」
ニッコリと、テネルが微笑んだ。
その顔に、さっきまでの怯えが、消えていた。
「そう。よくできたね」
安心するように、頭を撫でてあげる。
いやがらず、くすぐったい顔を覗かせた。
「お姉さまは、どこにいますか?」
「この近くにいるよ」
「ホント」
会える喜びで、満面の笑顔になる。
「案内してあげるね」
「ありがとうございます」
ぺこりと、頭を下げた。
愛らしい仕草に、クスッと笑みが零れる。
読んでいただき、ありがとうございます。