第134話 兄弟ケンカ3
陽が、昇り始めようとしていた時間帯。
ルシードが、フィーロの別宅を訪ねた。
この別宅は、フィーロの個人的な屋敷だった。
フェルサに連れてこられ、本宅へ戻ったが、すぐさまに、別宅へと、いってしまったのだ。
本宅である屋敷に、妻や子供が住んでいるが、別宅には誰もいない。
ルシードは、本宅を訪ねないが、別宅には、テネルを伴い、何度も、通っていたのである。
慣れたように、侍従がルシードを招き入れる。
その顔に、安堵感があった。
「公爵様は?」
「だいぶ、機嫌が悪いようです」
重い溜息を、漏らしてしまった。
パーティーでの、シュトラー王との一件を耳にし、別宅を訪れたのだった。
古くから、仕えている者が心配し、別に暮らしているルシードに、ことの次第を伝えたのだ。
「いつもの部屋ですか?」
穏やかな姿勢で、様子を窺った。
「はい。眠れないようで、部屋に、こもったままです」
「食事は?」
「いいえ。水は、運びましたが、それ以外ものは……」
やれやれと、首を竦めた。
いくつになっても、拗ねると子供みたいで、おかしいと、小さく笑う。
「朝食は、胃の負担をかけないものを」
「わかりました」
一人で、フィーロがいる部屋を、訪ねて入った。
「こんな時間帯に、何のようだ」
振り向かず、つっけんどんな声で咎めた。
ソファに腰掛けたままで、入室したルシードに、背を向けている形だ。
この部屋からも、車のエンジンの音が聞こえ、遅い時間の訪問者が、ルシードだと確信していたのである。
気遣う仕草が、腹立たしくもあり、その温かい行為が、嬉しくもあった。
「こんな時間に、申し訳ありません、公爵様」
「余計なことを言う者も、いるものだ」
出て行けとは、口にしない。
「心配しているんですよ、公爵様のことを」
「ほっとけば、いいものを」
鬱陶しいとばかりの声音を、出していた。
「公爵様……」
やけくそになっているフィーロを、窘めた。
何もかも、悔しく、当り散らしたかったのだ。
知らぬ間に、アレスとリーシャの結婚を決めたことも、許せなかったし、クロスの孫をいかにも、自分だけの孫のように、接しているシュトラー王の態度も、許せなかった。
それに、常日頃から、シュトラー王の味方となり、庇っているソーマやフェルサも、許せない対象でもあったのである。
何もかもが、シュトラー王の思い通りになっていることが、気に入らず、不貞腐れていた。
「今日のことです。どうして、パーティーで、あんな真似を、起こしたのですか?」
パーティーでの件を持ち出した。
わかっていたとは言え、口に出されると、お前もかと、気分が悪くなる。
「妃殿下も、いられたと言う話では、ないですか?」
黙ったまま、ピクリとも動こうとしない。
ただ、真正面を向いたままだ。
「驚かれたと、思いますよ、妃殿下は。パーティーに、出るとしても、もう少し、控えめにしてください。多くの外国の方が、いらっしゃる前で、ケンカをするなんて……。年を考えて、行動してください、公爵様」
「歳は、関係あるまい」
無造作に、吐き捨てた。
「あります」
「それにだ。あれの顔を見た瞬間に、ムカムカして、やっただけだ」
「ムカムカって……」
それだけの理由で、あの大騒ぎを起こしたのかと、軽い眩暈を起こしていた。
理解しがたい行動に、以前から、頭を悩ませていたのである。
けれど、これほど、寄り添えない行動はない。
「たかがと、思っただろう?」
ようやく、ムスッとした顔を、当惑しているルシードに巡らせた。
「思いましたよ」
珍しくはっきりとものを言う姿に、おやっと抱く。
「あれだけの騒ぎを、起こしたからには、私が知らない、何かが、あったのかと。それが、顔を見て、ムカムカしたから、ケンカをしたなんて。小さな子供のケンカよりも、たちが悪いですよ」
「子供を、引き合いに出すな」
「出したくも、なりますよ。くだらないことで、大勢の前で、ケンカしたんですから」
いつもの、ことだろうと言う顔だ。
対照的に、いつもとは違うでしょうと言う顔を、覗かせている。
「よくも、そんな口が叩けるように、なったな?」
「そんな理由で、妃殿下を、驚かせたなんて」
二人に、懺悔の気持ちでいる中での、無神経なフィーロの言動に、ムッとしていたのである。
「いつまでも、隠せまい。いい気味だ」
ほくそ笑んでいる姿に、怒りが湧き上がるのだ。
「それは、公爵様のことも、言えますよ。とても妃殿下は、公爵様のことを、いい印象をお持ちのようでしたから、きっと、心を痛めているでしょうね。ケンカを行った、陛下と公爵様に」
「……」
ふんと、そっぽを向いた。
同情する余地もないと、庇う姿勢をとらない。
「自業自得ですね」
「……機嫌が、悪いようだな?」
珍しく、カリカリしている様子に、フィーロは気づいていた。
「それは、悪くも、なりますよ。テネルに、我慢させているのですから」
「相当、気に入っているようだな」
「公爵様が、考えている以上です」
(テネルだけではない、お前がだ)
入れ込んでいる仕草に、内心で、面白さを感じ始めている。
「そうか。では、相性が、よかったのだな」
「相性?」
奇妙な言葉に、首を傾げていた。
「お前が、もう少し若ければ、アレスと結婚させず、結婚させたものを」
怪訝そうな表情を漂わせているルシードを、恨めしげな双眸で見つめている。
「……」
唐突な発言に、二の句が出てこない。
「それか、リーシャが、もう少し早ければ、問題なかったな。あと三、四年早ければな……」
本気で、思案している様子に呆れ、突如として、物凄い疲れがルシードの身体を襲う。
顔を上げれば、フィーロの眼差しは、お前が悪いと言っていたのだ。
いがみ合っていても、兄弟は似ていた。
この時ほど、痛感した時がない。
「お前の隣に、……リーシャか。似合っているな」
立ち尽くしているルシード。
満足げに、何度も、頷いていた。
「あれよりも、似合いの二人だな」
「……公爵様。私には、愛する妻以外は、いません」
フィーロの想像画を、遮断した。
「随分と、一途だな」
「はい」
「テネルに、母親が必要だと、思わないのか?」
鋭い視線を、フィーロに投げつけていた。
受け止めている方は、痛くも、痒くもないといった感じである。
「テネルは、リーシャを気に入ってるようだし……」
「いい加減に、戯言を言うのは、やめてください」
「戯言だと?」
いい気分を、害され、眉を潜めていた。
「そうです。妃殿下は、王太子殿下の妻ですよ。それに、妃殿下は、十五歳です、どう考えても、十一も違う男のところに、来るものですか。それも、子供もいるのに」
「そんなつまらぬことを、気にするような娘じゃない。きっと、気に入れば……」
自信満々に答える姿勢に、頭を抱え込みたくなる。
「どこから、そんな自信が、来るのですか?」
「クロスの孫だからな」
(クロスの孫だけで、片づけないでください)
否定すれば、何倍も、ロクなことが返ってこないだろうと、心だけに止めていた。
「誰の孫であろうと、今時の子が、こぶつきの僕のところへ、きませんよ」
「わかっていない。だから、お前は、甘いのだ」
不敵な笑みを零す姿。
どうしたら、バカげた考えを、捨ててくれるのだろうかと、巡らすルシードであった。
まさか、そんなことを考えていたなんて、思いつきもしなかったのである。
「くだらない考えを、捨ててください」
「勿体ない。どうせ、あの若造とは、上手くっていないのだろう? だったら、早く見切りを付けさせないと」
含みがある笑みを、フィーロが覗かせていた。
ゾクリとする悪寒を、感じずにはいられない。
「……公爵様、言ったはずです。私には、その意思がないと」
「テネルのことも、考えてやれ」
「新しい母親が、必要だとしても、妃殿下とは、そうなりません」
「本当に、そうか?」
「そうです」
「断言できるのか?」
「できます」
「面白くないの」
「問題を、大きくする発言をするのは、今後一切、しないでください」
真面目な形相で、まだ、捨てきれていなそうなフィーロに、釘をしっかりと刺した。
「しょうがないな」
「いいですね、公爵様」
「わかった」
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