第133話 兄弟ケンカ2
途中で、パーティーが混乱しつつも、どうにか無事に終わった。
いつも以上に、疲労感に襲われている身体。
大きいソファに、ぐったりと身体を預ける。
いったん、ベッドに潜り込んだが、眠ることを拒むように、眠れない。
そのために、暗闇の中で、眠りが来るのを待っていたのだ。
このところ、身体は疲れ切っているはずなのに、昔のように、すぐに寝付かれないようになっていたのである。
どこでも、すぐに順応し、眠れていたはずなのに、日に日に、身体が眠れなくなっていった。
「驚きの連続だったな……」
パーティーでの出来事を、呆然としながら、思い返した。
シュトラー王と、フィーロのケンカ。
衝撃的な光景だった。
だが、それ以上に、瞠目したのは、リーシャを気遣う発言をしたアレスだ。
これまでパーティーの席で、不安でいるリーシャに、労わりの言葉を、一度もかけたことがなかった。
それが、初めてかけてくれたことに、驚きと戸惑いながらも、嬉しさが込み上がっている。
「どうしてかな? アレスが……」
呟きながらも、満面な笑みが耐えない。
何度も、何度も、その時の記憶が蘇り、顔が緩んでしまう。
「アレスも、いいところ、あるじゃない」
些細なことなのに、ニンマリする顔がやめられない。
夢じゃないかと、何度も、頬をつねったほどだ。
両足を抱え込むようにし、膝の上に、右頬をのせた。
「ずっと、ずっと、あんなふうにしてて、ほしいな……」
あの一言が、頭の中で響き渡っている。
「そうしたら、嬉しいのに……」
微睡みながら、いい思い出となった断片を、繰り返している。
そうしているうちに、アレスも大変なんだろうなと、立場を慮った。
冷静に、事の成り行きを眺めていたアレスの姿を、掠めていたのである。
その時の精悍な横顔。
しっかりと、脳裏に焼きついていた。
「格好よかったかも……」
ふふふと、笑みが止まらない。
そして、パーティーでの二人のケンカを、振り返った。
「大人の事情って、難しいな……」
呟きながら、途切れ、途切れに、意識が薄れていった。
数度の瞬きを、繰り返しながら、完全に意識が遮断されたのだ。
薄目のまま、ただ一点を、眺めている。
(……誰かが、呼んでいる……)
完全に、意識がない中で、スーと立ち上がった。
ふらつく足。
深夜の部屋を、後にする。
ほとんどの侍従や、侍女たちが、寝静まっている時間帯だ。
身体を、前後左右に揺らしながら、リーシャが薄明かりしか灯してない、廊下を歩いていた。
鳳凰の間で、シュトラー王とソーマ、フェルサの三人は、真夜中に無駄話がしていたのである。
怒りが、鎮火しないシュトラー王。
眠れず、それに付き合う形で、二人が付き添っていた。
可愛がっているリーシャがいる時とは違い、テーブルに、無造作に酒が置かれている。
ゴクリと、飲むシュトラー王だ。
怪訝そうに、ソーマが窘める。
開けてあるものから、ないものまで、多くの酒類が、鎮座していたのだった。
「いい加減にしろ。そんなに、眠る前に飲むな」
グラスを、無理やり取ろうとする。
酒のピッチが気になり、飲んでいるグラスを、奪い取ったのだ。
それほどの量を、すでに煽っていたのである。
「歳を考えろ」
「うるさい!」
怒鳴られようが、シュトラー王の身体を案じ、ソーマが水の入ったグラスを手渡した。
「私は、まだ若い。こんなもの、飲めるか」
「十分、老けているぞ」
若く見られがちだが、六十は、超えていたのである。
「陛下の命令が、聞けないのか」
「こんな時に、それを出すか……」
わがままな態度に呆れながらも、二人が付き合っている。
外国の客を招いたパーティーで、付きっ切りで、傍についている訳にもいかない。
傍で、警護しているソーマたちは、僅かに離れていた場所で、それとなく配置についていた。
そんな隙を狙ったように、突如としてフィーロが現れ、そのままに、混乱へと導いていったのだった。
どうにか、二人のケンカを沈めた後、不機嫌なフィーロは、フェルサと共に下がらせた。
そして、どうにか、落ち着かせようとシュトラー王を説得し、パーティーを続けさせた。
その傍らには、いつ、変貌するかもしれないシュトラー王を案じ、ソーマが控えていたのである。
舞い戻ってくる可能性もあったので、フェルサが屋敷まで送り届けていた。
フィーロと、しばらく話した後に、ソーマたちと合流していたのである。
そっぽを向いたまま、二人の顔を見ようともしない。
「酒を飲んで、憂さを晴らすのはいい。けど、暴走はするなよ」
ギロリと、鬼の形相。
釘を刺してきたソーマを、捉えている。
管を巻くだけなら、何の問題もない。
ただ、暴走する恐れを、二人は危惧していた。
このところ、その要因となる出来事が、何度も起こり、そのたびに、二人が宥め、落ち着かせていたのだ。
「暴走だと。リーシャの前で、あんな醜態を晒させたんだぞ。このままで、いられると思うのか。どんな顔を、見せればいいのだ」
嫌われていないかと、そればかりを心配し、すぐにでも確かめるべきか、どうかと、さっきまで思案していたのである。
それを、延々と酒を飲みながら、二人が聞かされていた。
「だからだ」
強い声音で、制した。
今にも、よからぬことを、口走る恐れがあったからだ。
「どういうことだ」
「これ以上の醜態を、見せたいのか? リーシャの前で」
黒い双眸で、まっすぐに目の前のシュトラー王を、捉えている。
それを、憮然とした顔で、受け止めていた。
「きっと、心を痛めるだろうな」
「……」
「自分の知っている、陛下じゃないと、沈んでいるかもな……、今頃は。……それに、親しくし始めている公爵をと……思うかもしれないな」
開きかけた口が閉じ、悔しさで、歯を噛み締めるしかできない。
「泣いているかもな」
ふと、シュトラー王から、視線をソーマが外した。
そして、そっと窺うように、横目で、シュトラー王の様子を窺う。
苦慮している姿に、しめしめと、ニヤリと頬が上がった。
「泣くところは、見たくないものだ」
白々しい口調で、最大のダメージを与えた。
ソーマの策に、ハマっているとは気づかない。
ただ、可愛がっているリーシャが、どんな反応を示すか、そればかりを、考えていたのである。
「……悪いのは、あいつだ」
ボソッと、吐き捨てた。
「どっちも、どっちだろう」
「お前は、どちらの味方だ」
剣幕している顔を、ソーマに巡らせた。
「別に」
「お前な」
味方にならない態度が、気に入らない。
「とにかくだ。バカな真似を起こすな」
「いやだと、言ったら?」
揺るぎない眼光を、ソーマに送る。
それは、ソーマも同じだ。
「やれるものなら、やれ。ただの兄弟ケンカに、付き合って、いられない」
さじを投げた態度に、目を細める。
かかわらないぞと、頑ななソーマ。
そこから、ずっと、黙り込んでいるフェルサへと、視線を移した。
何も話さず、黙々と、酒を飲んでいたのである。
「お前もか」
渋い顔のままで、噛み付いた。
「確かに、兄弟ケンカに、付き合いきれません。でも、命令とあらば……」
いつもの静かな声音だ。
「……」
どんな時でも、臣下の立場を崩さない姿勢。
呆れた眼差しを、ソーマが送っている。
「どいつも、こいつも!」
面白くないシュトラー王が、怒声を張り上げた。
「すっきりしたか」
「する訳あるまい」
「突っつくフィーロも、問題だが、それを我慢できない、シュトラーも悪い」
「……」
(言われなくとも、わかっている)
「わざと、やっているとわかっていて、なぜ、我慢できない? 上手く立ち回れ」
(できないから、こうなっているのだろうが)
いっこうに、精進できない様子に、どうすれば……と頭を悩ますソーマだ。
嘆息を吐き、そろりと、頭を痛めているソーマに視線を注ぐ。
「人のことは、言えんだろう? すぐに、剥きになる」
「……お前ほどでも、フィーロほどでもない」
一緒にするなと、いやな顔を示す。
「何だと」
「お前たちと、比べれば、俺は、可愛いものだ」
「よくも、抜け抜けと、言えたものだな」
「蚊帳の外が、つまらぬのだろう……」
冷静に、フェルサが、フィーロの心情を漏らした。
「昔から、外に、追いやられていたから」
「……興味を、示さなかったのは、あやつだ」
目を見ず、シュトラー王が反論した。
正面きって言うことが、できなかった。
「いろいろあるからこそ、そういう素振りを見せていたのだろう。陛下にも、わかっていたはずだと、思いますが? クロスと出会い、少しずつ、変わられた……」
「クロスを、独り占めしていたからな。恨みを買うのもしょうがない」
「……大切な親友だ」
口にしたソーマの言う通り、昔も、今も、変わらず、クロスを独り占めする面があった。
初めてできた、心からそう呼べる友を、誰にも、奪われたくなかったのだ。
まして、半分しか、血がつながっていない弟でも。
徐々に、顔を顰めていくシュトラー王。
クロスが、優しくするフィーロを、できるだけ遠ざけたかったし、それに王位を巡る争いに、興味がないフィーロを、巻き込みたくないと言う気持ちもあり、自分たちに近づけないように、していたところがあった。
「それは、俺たちにも、言えるぞ。クロスは、大切な親友だとな」
自分だけのものだと言う顔に、ソーマが口を出した。
「好きにしろ」
燃やしていた闘志が、いつの間にか消えていた。
「とにかくだ。リーシャが抱く印象は、だいぶ変化するだろうな」
ザマミロと言う態度。
目を細めて、睨む。
「我慢できなかった、お前が悪い」
「……」
「それは、しょうがないな」
弁解の余地がないと、フェルサの声音が言っていた。
「それでも、私の友達か」
二人が、それぞれに笑っていた。
仮宮殿のアレスの部屋では……。
同じように、眠れないアレスがいたのである。
パーティーが終わっても、仕事が残っていたため、それを片づけてから、戻ってきたが、すぐにベッドに入り込まないで、窓からの夜景を眺めていた。
うっすらと、雲が残っているが、その隙間から、星たちが覗いている。
眺めているが、眼中に、入っていない。
「次から次へと、起こるな……」
これまで、静かだったフィーロが、動き出したことについて、逡巡していた。
「一体、何をしようと、しているのか」
目立った動きを、これまで見せていなかったことで、アレスの中では、次に、どう動くのか、経験不足のせいもあり、見当がつかなかった。
不安だけが、募っていたのだった。
シュトラー王の若い時に比べ、誰もが、静かに身を潜めている状態で、経験の浅いアレスには、悩みが尽きなかったのである。
反シュトラー王派の貴族たちが、密かに活動しているのは、それとなく把握しているところではあった。
大きな権力を廃し、自分たちで、動かそうとしている面々が集っていると言う情報は、前々から手に入れ、警戒はしていたのである。
それらの中に、貴族院の古株の古たぬきや、フィーロたちなどが動き出し、思考することが多くなり、どうしたものかと頭を痛めていた。
不安要素でもある、無邪気に笑うリーシャの顔が、目の前に浮かぶ。
「あれに、降りかかることが、ないようにしないと……」
人を疑うこと知らないから、漬け込まれる恐れがあるのだ。
だから、自分が、何とかしないと、思い始めていたのである。
「余計な人間と、かかわらせないようにした方が、いい」
パーティーで、不安げな顔をし、袖を引っ張ってきた姿を思い出す。
段々と、眠くなるどころか、眠気が冷めてしまっていた。
「身体でも、動かすか……」
眠れないと、トレーニングルームで、身体を動かしたり、ハーツのシミュレーションしていたのだった。
身体に、付加を与え、眠らせていたのである。
トレーニングルームに向かって、歩いていると、廊下に飾られている石像の隣で、眠っているリーシャの姿を発見する。
その眉間には、たくさんのしわが刻まれていたのだ。
「……何をやっている。こんなところで」
スヤスヤと、石像に凭れかかり、眠っている寝顔を見入る。
「また、迷子になったのか……」
辺りを見渡すが、迷子になるような場所でもない。
「なんで、こんなところで、眠っている?」
部屋から、トレーニングルームに向かう廊下で、リーシャにとっても、何度も通っている慣れた廊下でもあったのだ。
宮殿内を探索したとしても、部屋を出て、しばらく歩いた場所でもあった。
「……」
(起こすか……)
食い入るように、寝顔を窺う。
(眠らせておくか)
眠っているのを、無理やり起こすこともないだろうと結論を出し、眠っているリーシャを起こさないように、そっと抱きかかえた。
「ん……」
微かに、漏らした声に見下ろした。
その顔が、優しげに笑っている。
「眠っていろ」
リーシャの部屋に向かって、抱きかかえたまま、来た道を戻っていった。
読んでいただき、ありがとうございます。