第131話 しこり
王宮での散歩に、無理やりに付き合わされ、予定の時刻よりも、遅くなってから、ルシードは屋敷に帰宅した。
エントランスで、侍従が出迎えてくれていたのだ。
リーシャから、いただいた袋を、開封せずに手渡す。
要領を知っている侍従。
余計なことは言わず、袋と共に、下がっていった。
その形相は、疲れきっている。
(僅かな期待が、毒なんだ……)
何度も、言い聞かせ、どっと襲ってくる疲れと、戦っていた。
宣言通りに、普通の散歩をしていたが、いつ何時、何か起こる可能性もあるので、気が休まらず、神経を尖らせていたのである。
「……疲れた」
素直な吐露が、漏れてしまった。
王妃エレナだけに会うだけでも、疲れてしまうのに、今日は、いろいろな人に待ち伏せされ、精神的にも肉体的にも、ほとほと疲れていた。
父親の帰宅を知ったテネルが、タイミングよく、ルシードの前に現れる。
何度も、エントランスに顔を出しては、帰りを待っていたのだ。
「お父様、お帰りなさい」
出かけてから、ずっと帰ってくるのを、心待ちにしていた。
覚束ない足取りで、階段を下り、駆け寄っていく。
優しげな声音と一緒に、頭を撫でてあげる。
僅かに、癒やされた。
「ただいま。テネルは、いい子にしていたかな」
「はい。いい子にしていました」
「……そうか。それはいい」
ニコニコして、何かを期待している目を、直視できない。
その理由を知っていたし、それが、打ち砕けることも知っていた。
それを先延ばすように、できるだけ、触れないように語りかける。
「どんなことを、していたのか、聞かせてくれるかな?」
幼いテネルを抱きかかえ、同じ目線で、話せるようにする。
「はい。本を読んだり、勉強をしたりしていました。それに、お絵かきも、していました。おやつも残さずに、綺麗に食べました」
王宮にいけず、リーシャに会えないことに沈み、このところ、食事やおやつを残すようになっていたのである。
そのことに関して、気を揉んで、少しでも、食べられるようにと、テネルの好きなメニューが食卓に上がっていたのだ。
「そうか」
さらに、頭を撫で、褒めた。
「では。お父様と、一緒に本でも、読もうか」
「はい。でも、お父様、お手紙のお返事は?」
ウズウズとしている眼差しに、言葉が詰まってしまう。
即座に、手紙の件を催促したかったテネル。
父ルシードからの問いかけに、素直に答えていった。
いい子にしていれば、いいことがあると、教えられていたので、それを実行していたのだ。
「お父様、お返事は?」
その瞳が、キラキラと輝いている。
「……」
困り果てた顔。
見せまいとしても、どうしようもなく、表情に出てしまう。
そして、出かける前の出来事が蘇った。
侍女たちの立ち話を耳にし、王宮に出かけると知ったテネルが、ルシードの元へ駆け込んできたのである。そして、自分も、王宮に行きたいと懇願したのだった。
だが、貴族院での仕事もあるからと嘘をつき、お留守番させたのだ。
元々は、王宮に行く話を、するつもりなどなかった。
会社での用事を済ませるため、出かけると、伝えようとしていた。
けれど、テネルに、王宮に行くのがばれてしまい、リーシャに手紙を届ける条件で、お留守番することを、納得させたのだった。
「妃殿下も、お忙しい方だって、前に、説明をしたよね?」
「はい……」
暗い表情で、ルシードの顔を窺う。
「直接、お渡しが、できなかったの?」
手紙を渡された時に、直接、渡してくださいと、念を押されていたのだ。
「そう、なんだ」
ぎこちなく答えるしかない。
唇をキツく結んで、黙っている。
傷ついている姿に、咄嗟に謝りたいと抱いてしまう。
出かける前に、貰った手紙が、内ポケットの中に、忍ばせてあった。
証拠となってしまうはずなのに、捨てられず、持っていたのだ。
「侍女の人には、渡したから」
その場を、取り繕うことしかできない。
「……わかりました」
伏せた目のままでいる。
少しでも、元気になって貰おうと、何かないかと巡らした。
「お父様」
呼びかけられ、テネルの顔に、自分の顔を傾ける。
「……どうして、お姉さまと会っては、いけないの?」
「!」
身体がフリーズしていた。
小さな子供でも、大人が会わせないようにしているのを、感じ取っていたのだと、気づかされたのである。
つかの間、息さえもできない。
ただ、寂しそうなテネルを、見入っていた。
真実を語るのは、早過ぎる気がしていたのだ。
「どうして? 僕は、お姉さまと会っては、いけないの?」
「……ごめんな」
絞るように出した言葉。
謝罪しか、出てこない。
それ以上、小さな口が、開くことがなかった。
その頃、読書をしているアレスの元へ、明るい振りを装いながら、リーシャが訪ねてきた。
秘書官のいない部屋で、アレスが読書をし、時間を潰していたのである。
休憩をしていると言う予定を確かめ、それに合わせる形で、ユマに調整して貰い、部屋に来たのだ。
いつものように、チラッと確かめただけで、双眸を本の方へ戻してしまう。
冷たい態度に、心が折れそうになる。
だが、いつものことだと、諦めるしかない。
邪魔だから、さっさと要件を済ませろと、無言のオーラを出している。
「相変わらず、冷たいわね」
「……」
無視されても、部屋から出る様子もない。
構わず、本を読んでいるアレスの隣に座った。
長ソファに腰掛け、本を読んでいたので、何を読んでいるのか、覗き込む。
小難しい内容に、唸り声を漏らしてしまった。
「頭が、へんにならないの?」
「構造が違う、お前とはな」
「酷い言い方」
「要件を、済ませろ」
随分と、虫のいどころが悪そうなので、今度にしようかと、思案し始めた。
(この次に、しようかな? でも、勢いもあるし……)
もう一度、読書をしている姿を、見据えた。
「さっさと言え」
(私が、悪い訳じゃないのに、そんなに、当たることないじゃない)
自分のせいで、アレスが、機嫌が悪いとは思っていない。
誕生日パーティーで、リーシャとラルムが話していた光景が面白くなく、ずっと機嫌が悪いままだったのだ。
「言うか、出て行くか、どっちかにしろ」
「……言うわよ。ルシードさんって、スブニール公爵様の子供なんでしょ? ラルムから、聞いてびっくりしちゃった。教えてくれても、いいのに、アレスって、ケチ臭いわね」
「……」
事情を、ラルムから聞いたことを語った。
あからさまに、表情に出ないものの、アレスの顔色が微妙に変わる。
その心の内では、ラルムから教えて貰った事実が、煮えくり返るほどの怒りと、苦々しさで湧き上がっていたのだ。
だが、話に夢中なリーシャは、気づかない。
ここに、小さい頃から仕えている秘書官のウィリアムがいれば、その異変に、気づいたはずだった。
「どうして、陛下と、スブニール公爵は、仲が悪いんだろうね?」
ずっと、気にかけていたが、アレスの誕生日や、タイミングが合わず、聞きそびれていた。
「知らない」
即決だ。
そんな態度に、また自分には、話したくないのかと巡らせ、落ち込む。
「私に、そんなに話したくないの」
「興味がない。だから、知らない」
「本当に、何も、知らないの?」
疑うような眼差しで、覗き込む。
「知らないと、言っているだろう」
本当に、知らない様子に、肩透かしを食らった気分を味わう。
「……そうなんだ。でも、気にならないの? 何で、仲が悪いのか?」
「……」
面倒だと、勢いよく本を閉じる。
「互いに、母親が違う異母兄弟。その辺のところに、何か、あるじゃないのか」
鬱陶しいと言うアレス。
それをほっとき、話を進める。
「なんだ。一応、察しは、ついていたんじゃないの」
「こんなこと、誰だって、知っている」
知らない方が、おかしいと言う顔に、リーシャの頬が膨れ始めていた。
「でも、私は知らない」
「無知な、お前が悪い」
「知らない私も、悪いけど、話してくれないアレスも、悪い」
「何のために、専属の侍女がいる」
「私に、話しづらいことだって、あるでしょ」
「くだらない」
「だから、話をして貰えそうな人に、聞くんじゃない」
「……やたらと、聞きまくるな。王室のメンツが、失われる」
「だったら、アレスが、教えてくれればいいでしょ」
ぼやいて、剥れている顔を、ただ、アレスは目を見張っていた。
それに気づかず、ブツブツと文句を呟いていたのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。