第128話 待ち伏せされるルシード1
いつもの日課のように、ルシードが王妃エレナの元へ、静かに足を運んだ。
この時期に、面会しても、いいものかと悩んだ末、王妃エレナからの誘いを強く断れず、王宮を訪ねてしまったのだった。
このところ足が、遠のえていたのだ。
そのせいもあり、王宮に訪ねてくるようにと、要請がきていた。
「テネルは、どうしたの?」
事前に、侍女からテネルが来ていないと、告げられていた。
久しぶりに、顔が見られると喜んでいたが、来ないと言う知らせに、王妃エレナが落胆の色を滲ませていたのだ。
消沈している姿に、あたふたとたじろぐ。
自分一人が、悪者になった気がし、居た堪れない。
「……前回のことも、ありましたので、今回は、屋敷で、お留守番させております」
目を合わせようとしない。
ただ、小さな声で、苦し紛れの言い訳を漏らした。
「それは、残念」
体調が良いようで、テーブルの席で、二人して語らっていた。
好きな銘柄の紅茶を、暗い表情で、王妃エレナが嗜む。
「申し訳ありません」
真摯に、謝罪を口にする姿に、口角が微かに上がっていたのだ。
「今日は、会えるのかしらと、楽しみにしていたのに……」
居心地の悪さに、頭が垂れてしまう。
王妃と言う立場ではない。
エレナ自身の雰囲気に、完全に飲まれていた。
王妃エレナの前では、いつまで経っても、緊張してしまう構図となっていたのである。
「それに、この前のことを、気にし過ぎです」
「はぁ……」
なんて答えていいかと、困り果ててしまった。
テネルとリーシャが、行方知れずとなり、迷惑をかけた一件が過ぎっている。
「私の、落ち度なのですから」
沈痛な面持ちで、王妃エレナが口を開いた。
「ちが……」
否定しようとする言葉を、王妃エレナが、視線だけで制する。
気圧されているルシードだった。
「いいえ。小さなテネルに、誰もつけなかった私の、落ち度なのです。だから、ルシードが気に病むことは、ないのです。……でも、ルシードのことですから、気に病むのでしょうね」
困ったものねと言う眼差しを、注いでいた。
堂々と、自分の非を口にする姿に、凛々しさを感じさせる。
ただ、ただ、圧倒されるばかりだった。
「……そんなことは、ありません」
小さな声で、覚束なく否定した。
見透かされてしまい、恥ずかしさで、身体が萎縮している。
「そんなに、かしこまらないで」
顔を上げると、慈愛に満ちた笑顔を傾けている。
「ちょっと、剥れているだけなのに。そんなに落ち込まれては、いじめている甲斐がないじゃないの」
「……いじめですか」
可愛らしく口を尖らせ、無邪気な吐露に、どう反応して、いいものかと悩む。
からかわないでくださいも、言えない。
苦渋とも、思案顔とも、とれる複雑な表情になってしまう。
「そう。いつまで経っても、ルシードが、よそよそしい態度しか、取ってくれないでしょ? それに、テネルと、なかなか会わせてくれないから、ちょっと、懲らしめてあげようとしたのに。それなのに、そんな顔をしていたら、物凄く、私が、悪いみたいではないの」
落ち込んでいる姿を見せ、困らせようとしていたのである。
だが、予想以上の反応ぶりに、早々に、王妃エレナはネタばらしをしてしまった。
「はぁ……、それは……」
「そう、謝るものではありません」
「はぁ……」
謝ることを禁止され、双眸が宙を彷徨うしかない。
そんなルシードの姿に、小さな嘆息を漏らした。
「アシルが、亡くなってからは、あなたの母親だと、思っているのよ。それなのに、あなたったら、いつまで経っても、そう思ってくれないくって、どれだけ、寂しい思いをしていたと思うの?」
強い口調で、窘められた。
それも、母親が、子供を叱るようなに。
「聞いていたの? ルシード」
まごつくルシード。
けれど、窘める双眸はやめない。
「どっちなの。聞いていたの? いなかったの?」
「それは、もう……、聞いていました……」
段々と、声が尻つぼみになって、消えていった。
無言の威圧感と視線。
相手から、注がれるだけで、汗が流れ落ちるようだ。
すっかり、控えている侍女たちの存在を、忘れていた。
いつもは、慈愛の微笑みが似合う、優しい王妃エレナだが、時に、怖さを匂わすこともあったのだった。
「私は、何?」
「私の母です」
「その通りです。それでは、母の言いつけを、忘れたの?」
母親が子供を諭すように、小さくなっているルシードを捉えている。
「……いいえ」
「男は、無闇に謝るものでは、ありません」
「はい」
納得できる答えを引き出し、満足げに頷く。
すでに、亡くなっているアシルは、若き日の王妃エレナに仕えていた、一番信頼できる侍女の一人だった。その当時、王妃エレナの病気見舞いに、訪れていたフィーロが、アシルを見初め、いつ日か、アシルに妊娠の兆候が現れたのだった。
アシルと出会う前から、フィーロには、妻も子供もいたのである。
当時、生むべきかと悩んでいたアシルに、生むべきとアドバイスを送り、臨月間近まで王妃エレナに仕えていたのだ。
やめた後は、フィーロから屋敷を与えられ、そこでルシードを産み育てていた。
子供を生んでからも、周りの目も、声も気にせず、アシルとルシードを呼び、たびたび王妃エレナは会っていたのだった。呼び寄せることによって、なかなか会えない三人を、引き合わせる役目も、密かに担っていたのである。
アシルが亡くなると、手元で育てられないフィーロは、子供がいない伯爵家に、養子に出して、今に至ったのだ。
「今度、必ずテネルを、つれてきなさい」
黙っているルシードを、見つめる。
強気な母の態度を崩さない。
だが、声音は、優しさを含んでいた。
「返事は?」
「はい……」
「それと、リーシャとの件も、気にしないこと」
「……できるだけ」
困った息子だといった眼差しを、巡らせていた。
自分のことよりも、周囲を気にかける、優しい子に、頭を撫でてやりたいが、テーブルを挟んでいるので、それができなく、口惜しさが残ってしまう王妃エレナだった。
意を決した、覚悟の顔を、ルシードが覗かせる。
「私の一存では、それは……」
「確かに、あの人と、フィーロ殿ことを考えれば……と、言うこともあります。けれど、勝手に、いざこざを起こしている二人を、そんなに気に病むことは、ないのです、あなたが」
「そういう訳にも……」
譲れない一線を、ルシードなりに持っていたのである。
「見て見ぬ振りをしなさい。もし、それで、咎められることがあらば、私が、許したと言いなさい。いいですね、ルシード」
有無を言わせない眼光を、傾けていた。
その心中では、決して、王妃エレナの名前を、出さないことも、見て見ぬ振りをして、リーシャとテネルを会わせることがないだろうと、密かに思いを巡らしていたのである。
目の前にいるルシードは、頑固な一面も、備わっていた。
それでも、口にしておかなければと、抱いたのだった。
「……はい」
少しは、前進できたかと、安堵の表情を窺わせる。
「それと、フィーロ殿に、伝言をできるかしら?」
「はい?」
突然のお願いことに、僅かに、伏せていた顔をあげた。
子供らしい仕草に、クスッと、穏やかな笑みを漏らしている。
そして、真顔になる王妃エレナ。
「そういう態度を、おとりになるのなら、私にも、考えがありますと、お伝えして」
「……」
「伝えれば、理解してくれるわ」
「わ、わかりました」
その後は、何気ない会話をした後に、王妃エレナの部屋を出て行った。
一人で、廊下を歩いていると、待っていたリーシャと、顔を合わせる。
王妃エレナのところへ、来ていると小耳に挟み、帰り道を待ち伏せしていたのだ。
「来ていると、伺ったものですから、ここで、待たせて貰いました」
「リーシャ様……」
気づかれないように、こそこそと帰ろうとしていた。
思惑が崩れ、微かに、顔が歪んでしまう。
だが、ほんの微かだったため、リーシャは気づいていない。
リーシャの背後にいたユマだけが、気づいている。
「テネルは、来ていないんですね。来ているのかなって、楽しみにしていたんですが……」
心底、残念がる姿に、心が痛む。
ルシードが来ていると聞き、一緒に、テネルも来ているのかと思い込み、テネルを捜していたのだ。
王妃エレナに仕えている侍女から、来ていないとの話に落胆しつつも、前向きにルシードと会えるではないかと、帰るのを待っていたのである。
「申し訳ありませんでした」
「いいです。そちらの都合も、ありますから」
「ご気遣い、痛み入ります」
「この前のもの、テネル、喜んでいましたか?」
「……えぇ」
チラリと、侍従から、渡されたものが掠めている。
渡されず、机の引き出しに、保管されたままだ。
「そうですか。一緒に、また、お絵かきがしたいなと思って」
「テネルも、そう話しておりました」
「これを、テネルに渡して、貰いますか」
お菓子が入った袋を、手渡される。
「お二人で、食べてください」
「……ありがとうございます」
もっと、聞きたそうなリーシャと、そそくさと別れるのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。