第121話 激震2
プライベートな応接室である鳳凰の間。
寛いでいるシュトラー王の元へ、複雑な表情のソーマが訪れる。
足取りは、非常に重いものだ。
いやな予感を抱き、みるみるうちに、シュトラー王が顔を曇らせる。
「どうした。そんな血相な顔して」
過去を懐かしむため、クロスと撮った数々の写真を、そっと置いた。
うるさい雑踏を抜け、ひと息つける場所だった。
シュトラー王自身が選んだ、限られた人間しか、出入りできない特別な応接室だ。
ソーマやフェルサ、リーシャは、彼らは、出入り自由となっていた。
だが、孫であるアレスやラルムの入室は、許されていない。
声をかけたにもかかわらず、重い口が開かなかった。
「さっさと言え。その顔で、よくない話だと、わかっている」
気を紛らすため、次の写真に、手を伸ばし始める。
大小様々な写真が、部屋のいたるところに、飾られていた。
感情のままに暴れたら、後で片づけるのが、大変だと思うソーマだった。
心の中で、嘆息を漏らしている。
「前もって言っておくが、暴れるなよ」
ソーマの呟きで、伸ばしかけていた手を止める。
その眼光が、きらりと光っていた。
「相当、よくない話のようだな」
若干、声音も低い。
「ああ。だから、覚悟して聞け」
総司令官ではなく、友人としての立場を、取っていたのである。
「フィーロが、リーシャに近づいた。その場に、ルシードもいたらしい。三人とも、和やかに話して、フィーロのことを、知ったようだ」
最後まで、一気に言い切った。
途中でやめてしまうと、気持ちが、折れてしまう恐れもあったからだ。
頬を引きつり始めているシュトラー王。
話が止まりそうになったが、どうにか、最後まで伝えられた。
「……」
激昂しても、おかしくない。
黙っている姿に、首を傾げ、覗き込む。
(珍しい)
「理性は、あるか?」
酷い言い方に、反応が何もない。
微動だにしないのだ。
これまで、なかった行動だった。
「頼むから、殺すなよ。後の処理が、大変だから」
それまでの鬱蒼としていた気分は、嘘のように引いていく。
過激な言動を、示さない様子に、逆にソーマの方が、冷静になっていったのだ。
知らせを受け、ここまで辿り着くまでの間、どう切り出そうかとか、どうやって宥めようか、それに、どうやって止めようかと、考えあぐねいでいたのである。
けれど、考えていたものが、どれも必要ないようで、一計を案じていたのが、バカらしくなっていった。
(あまりのショックで、動けないとは……)
「お前も、歳か」
頬を掻きながら、失礼なことを零していた。
すると、これまで止まっていたシュトラー王が、動き始める。
緩慢とした仕草で、ドアへと、身体を回転させた。
「どこへ、行く?」
野獣を宿した鋭い眼光。
思わず、ソーマが息を飲み込んでしまう。
呼び止められ、巡らせた顔は、昔を彷彿させていたのだ。
瞬時に、悠長なことを、言っていられないと募らせる。
「決まっているだろう。この手で、抹殺する」
はっきりとした、冷たい声音だ。
決して、これが、冗談ではないと、痛感していた。
「落ち着け!」
近づき、両肩を、しっかりと掴んで、動きを封じ込んだ。
次に、何を起こすのか、過去の出来事が、走馬灯のように蘇ってきていた。
「バカな真似は、寄せ」
焦りだけが、膨らんでいく。
決して、シュトラー王は揺らでいない。
ただ、一点を決めていたのだ。
「殺す」
冷め切った、低い声音だ。
「やめろ! フィーロは、お前の弟だぞ」
声を荒げ、止めようとするが、相手も頑として譲らない。
「そんなこと、百も承知だ」
「フィーロが、リーシャと話しても、別段、おかしくないだろう」
もう一人の友人であるフェルサも、連れてくるべきだったと、後悔している。
だが、ここには、ソーマとシュトラー王しかいない。
ただ、舌打ちをするのみだ。
「私の許可なく、会うなどと、許さない」
灯し始めた炎が、消えない。
煌々と、燃え上がっている。
そんなシュトラー王に、頭を抱え込みたかった。
それよりも、止めるのが先決だと、がっしりと両肩を掴んで、部屋から出さないように、根気よく説得を試みる。
何度、振り切って、とんでもないことを仕出かしたか。
過去の苦い出来事が、ソーマの頭を掠めていた。
「いいか。フィーロは、お前の弟で、王族だ。リーシャにとってみれば、大叔父なんだ」
「異母兄弟だ」
「半分は、血の繋がった弟だ」
迸る眼差しを、まっすぐにソーマが、受け止めていた。
「なんだろうと、可愛いリーシャと会うなどと、私が、許さない」
「そんなこと、勝手に決めるな。会うなと言う法律が、ないんだぞ」
ギロッと、目を細め、ソーマを睨む。
殺意が、こもっている眼差しにも、怯まない。
「いいな、バカなことは、寄せ」
「だったら、作る」
「……」
目の前に立つ人間が、やる人間だと言うことを、いやになるほど、人間性を把握していた。
結婚年齢に、達していないアレスとリーシャを、結婚させるため、法律を改正させ、結婚させてしまったのである。
それまでアメスタリア国では、両方とも、十六歳になっていなければ、結婚できなかった。けれど、法律を改正させ、王族に限っては、年齢が満たしていない場合、国王の承認があれば、結婚できるようにしてしまったのだった。
「やめろ。そんなバカな法律を、作るな」
「断る」
即答な上に、顔が大真面目だった。
余計に、本気度を表しているようで、怖かった。
低い声で、ソーマが呟く。
「クロスが怒るぞ。これ以上、バカな法律を作ったら」
伝家の宝刀を、繰り出した。
一瞬だけ、シュトラー王の身体が震えている。
効果は、てき面だった。
「……大丈夫だ」
十分なほどあった自信が、喪失しかかる。
そんな隙を、ソーマが見逃さない。
「いや。怒るぞ。バカな法律を、作るなって」
「……」
二人の脳裏に、クロスの姿が、映し出されていた。
とても、優しい笑顔を覗かせている。
「国王は、国王らしくあれと言うはずだ。そして、私を、失望させないでくれ、シュトラーには、いい国王でいてほしい、誰もが愛する、強く優しい国王に……と、ここにいれば、言うはずだ」
少し、濃い目の脚色を加えていた。
「……」
突っぱねようとした動きを、ぴたりと、やめていた。
クロスのことを話題にすれば、多少は、落ち着きをみせていたのだ。
(収まったようだな)
「なぜ、接触させた?」
向けられた矛先に、やれやれと、甘んじて受け入れる。
「最初から、それには、無理があった」
「無理を通させるのが、お前の役目だろうが」
食って掛かる、子供のようなシュトラー王に、苦笑している。
「お前な」
そして、知り会っても、変わらない自分本位な性格に、呆れてしまう。
(つくづく思うが、よくついていけるな、こんな、こいつの性格に)
王室に、リーシャを迎えるに当たり、フィーロと、接触させるなと、強く命じられていた。癇癪持ちのフィーロが、リーシャに、危害を加えないかと、心配していたのと、親しく、接してほしくなかったのである。
嫌いなフィーロと、分け合いたくなく、独り占めしたいと言う、シュトラー王の我がままでもあった。
できるだけ、意に添うようにしてきた。
だが、これまで接触してこなかったため、どこか気が抜けていたのだった。
いい加減にしろと言う気持ちと、自分たちの落ち度でもあると、言う思いが重なり、強い態度に、出られない面があったのだ。
「今後、絶対に、近づけさせるな」
「無理を言うな」
「やれと言ったら、やれ」
無茶苦茶な命令。
脱力しながらも、頑なに意志を曲げない姿勢に、嘆息を吐いていた。
何が何でも、意志を通させるところが、あったのである。
「リーシャは、私の可愛い孫娘だ。独り占めするのは、私だけで十分だ」
「正確には、クロスの孫娘だ」
ムッとした顔で、睨んだ。
臆せず、さらに言葉を紡ぐ。
「それに、独り占めするのは、夫であるアレスだと思うが?」
忌々しげな視線を、送ってくる。
「お前には、独り占めする権利がない。それにだ、クロスは、そんなこと、望んでいないぞ。可愛がるなら、平等に、可愛がるようにと、言うはずだ。だろう? シュトラー」
この場にいないクロスとは、そういう人間だった。
そういったクロスを、慈しみ、大切にしているシュトラー王。
何も、言うことができない。
「とにかくだ。何かあってからだと困る。フィーロには、近づけさせるな」
「努力はする。けれど、あいつが、癇癪を起こさなければ、そのままだ」
「ソーマ」
強い口調で、呼んだ。
「俺は、俺なりのやり方をする」
揺るぎない眼差しに、シュトラー王が唇を噛み締めた。
鳳凰の間で、シュトラーとソーマが話していた頃、フェルサが、執務室の近くを歩いていると、ファイルを携えた秘書官たちと、出くわしたのである。
「陛下にか?」
「はい」
素直に、副司令官であるフェルサに答えた。
「当分、無理だろう」
「?」
すぐに、フェルサの言葉が、飲み込めない。
「……もしかして、機嫌が……」
「今頃、悪くなっているだろう。総司令官が、スブニール公爵のことを、伝えに行ったからな」
「スブニール公爵ですか……」
その名前だけで、機嫌が非常に悪くなるのを、秘書官たちも、じわじわと浸透していった。
「でしたら……、当分の間、ダメですね」
困り顔で、真新しいファイルに、視線を注いだ。
「とりあえず、私と、総司令官のところへ」
「いいのですか?」
助け舟とばかりに、顔を輝かせる。
「しょうがあるまい」
平素の表情で、答えるものの、二人は、余分に、仕事を増やす余裕なんてない。
仕事を引く請けた要因は、若い王太子アレスに、これ以上の負担をかけても、よくないと決断したからだ。
「ありがとうございます」
フェルサの後に、秘書官たちがついていった。
読んでいただき、ありがとうございます。