第118話 嵐のようなカークランド侯爵
フィーロがリーシャと、パーティーで接触しているとは知らず、執務室にこもって、国王としての勤めを、いやいやながらも、果たしていると、同年代であるカークランド侯爵が、ノックと共に、書類の束を携え、入ってくる。
意外な登場人物に、シュトラー王が眉を潜めていた。
秘書官だと思っていたら、見たくない顔だったのである。
「秘書官から、預かってきた」
堂々としている態度に、遠慮がない。
鋭い眼光のまま、カークランド侯爵が、手にしている書類の束を睨む。
承認の印を必要とする書類の束を、運んできた秘書官から、カークランド侯爵が、無理やりに奪い取り、勝手に部屋に入ってきたのだった。
事前の連絡なしの、突然の来訪だ。
不機嫌な顔に対し、悪びれる様子がない。
「来る途中の秘書官と会って、代わりに、持ってきてやったぞ。親切だろう」
(どこがだ!)
心の中で、思いっきり、吐き捨てた。
そんなオーラを、肌で感じているのに、飄々としたままだ。
対照的に、正面に座っている顔が、どんどんと渋面していく。
雲行きが、怪しくなる部屋にいる秘書官たち。
カークランド侯爵に、出て行って貰おうと、動き始める。
後で、とんでもない、とばっちりが窺えたからだ。
「申し訳あ……」
そんな秘書官たちを、シュトラー王が遮る。
けれど、その表情は、険しいままだ。
「構わん」
「……はい。陛下」
仕事を中断し、秘書官たちを、全員下がらせる。
カークランド侯爵と、二人っきりとなった。
来訪を喜ばない、無遠慮な態度も、気にしない。
ただ、楽しげに、口元を緩ませている。
カークランド侯爵が、政治にも、影響力のある貴族院の古株の一人だった。
シュトラー王や、ソーマたちが、タヌキと揶揄する、面倒な一人でもあったのである。
だからと言って、負けている訳ではない。
「何だ、カークランド侯。こんなところに、足を伸ばすとは?」
国王らしい余裕の笑みを、零している。
だが、一切の隙もなかった。
相手が、どういった態度で出るか、しっかりと、見定めていたのである。
「ただ、本当に、仕事をしているのか、確かめに来ただけだ」
対するカークランド侯爵も、声音を変えていない。
昔馴染みの友に、会いに来たかのようだ。
「だったら、仕事をしているぞ」
「渋々だろう」
「何であろうと、こうして、仕事はしている」
机にある大量の書類や、ファイルの束を、目で促した。
それに従うように、チラッと窺う。
まだ、承認の印が、押されていない書類や、ファイルが置かれていた。
「自業自得だろうな。勝手に、外へ、出回るから」
あっけらかんと、この原因を口にした。
こっそりと、自国を抜け出し、友であるクロスに会いに出かけ、その間の仕事が、溜まってしまったのだった。
パーティーよりも、承認の印を押すことが、大事だったため、代理として王太子夫妻が出席したのである。
「そちには、関係ない」
「一国の主が、極最低限の御付きを連れて、旅行か。随分と、いい身分だな。私には、到底真似ができない。危険極まりないと、思わないのか?」
最後の言葉は、まっすぐに、シュトラー王を見据えていた。
あるまじき行為だと、無言で、侮蔑していたのである。
「大丈夫だ。優秀な者ばかりがいるので、仕事には支障がない。それに、私の実力を、知っているだろう? その辺のやつに、撃たれるような人間だと、思うのか?」
自信が溢れ、揺るぎない眼差しを返している。
若い時のギラギラと、躍動感、溢れる頃を匂わしていた。
「まさか。殺しても、死なないと思っている」
「私は、バケモノじゃないぞ」
キツネとタヌキの化け試合を、繰り広げている。
若い時分より、口論をし続けている関係だった。
「バケモノだろう」
「好きにしろ」
続けるのが、面倒になったシュトラー王が、話を打ち切ってしまった。
つまらないと表情を浮かべ、カークランド侯爵が、部屋を見渡す。
「随分と、のん気に、こんなところで、仕事をしているな。陛下らしくないの」
「何が、言いたい」
この場の空気を、堪能していたカークランド侯爵を、目を細め、見上げている。
仕事を、さっさと終わらせたいシュトラー王。
願うことは、早く帰ってほしかった。
けれど、カークランド侯爵の様子からは、帰る気配が感じられない。
(早く帰れば、いいものを。なぜ、帰らぬ)
表面上は平素を装い、内心で、舌打ちを打っていたのである。
「昔のお前だったら、あちらこちらに、アンテナを広げて、機敏に動き回っていたはずなのに。どうだ、今のお前は」
怪訝そうな顔を、覗かせているシュトラー王を、捉えている。
「こんな狭い部屋に、閉じこもって、淡々と、仕事をして。目をギラギラさせていた、若かりし頃のお前さんは、どこへ、いってしまったのだろうな」
昔を懐かしむ目を、滲ませていた。
過去、互いに、何度も、密かな攻防を繰り広げていた。
「……そんなことを言いに、来たのか」
「そうだ。随分と、寛容になったものだと、思ってな」
国王に対し、失礼なことを、口にしているのに、顔色一つ変えない。
ただ、カークランド侯爵の話に、耳を傾けている。
フィーロ同様に挑発し、遊ぼうとしている節があった。
「お前にとって、大切な親友の孫が、いじめられていると言うのに、何もせずに、静観しているとは。歳は、取りたくないものだ。まさか、こんな国王陛下の姿を、見るとは……。何て嘆かわしいことだ」
さすがに、我慢していたことを触れられ、ようやく、僅かに、口元が引きずっていた。
抜け目なく、そんなシュトラー王を、カークランド侯爵が見定めている。
「言いたい放題だな」
冷たい眼差しと共に、口が開いた。
そんなオーラを放たれても、怯まない。
逆に、その状況を、楽しんでいるようでもあった。
「ああ。面白いものが見られると、思っていたからな」
「ソーマとフェルサに、止められている」
ボソッと、本音を吐露した。
「時代かのう……。二人に、止められたからとって、動かないのは」
さらに、無言の圧力を、カークランド侯爵へ向けた。
けれど、動じない。
シュトラー王も、それぐらいで、動かない男だと把握済みだ。
ただの牽制を送っているのに、過ぎない。
「その分だと、何も知らないか」
いっこうに、瞳の奥に牙を見せない姿を垣間見て、いたずらな笑みを零していた。
そんな仕草に、眉間のしわが多くなっていく。
「何がだ」
「いや、何でもない。年寄りの、ただの戯言だ」
「……」
自分の知らない、隠し玉を、持っているのを確信するが、それを聞くのは、矜持が許さない。
沸き立つものを押さえるため、心の中で、嘆息を吐く。
「お前こそ、仕掛けてこないのか?」
国王らしい威厳と、気品に満ちた顔だった。
「何がだ?」
不敵な笑みと共に、首を傾げている。
「二人の結婚の時も、すんなり認めた。その後も、ゆったりと、見ているだけで、何も、動こうとはしない。アレスと、自分の身内を、くっつけようと、していたではないか?」
「あれは、私ではない」
鼻白ろむカークランド侯爵だ。
してやったりの顔を、シュトラー王が覗かせている。
「そうか。果たして関係ないと、言えるのか?」
カークランド侯爵の親戚の一部で、アレスの妻に、自分たちの親族をつけようと、画策する動きが、少しあったのである。
けれど、無駄なことだと、カークランド侯爵は静観するだけで、何もしない、傍観者の立場を、ずっと保ってきたのだった。
「誰が、お前と、親戚関係になりたいと、思う?」
「そういう連中が、多いが?」
実権を握ろうと、次期国王として、選ばれているアレスの妻に、娘や孫、親族から選ばれるように、多くの貴族や、上流階級、中流階級の人間までが、あらゆる手を使い、近づけさせようとしていたのである。
「一緒にするな」
無駄ばかりする連中と、一緒くたにさせられ、ようやく乱暴に吐き捨てた。
「そうか。それなら、いい」
すぐに、カークランド侯爵の顔色が戻っていった。
そして、タヌキが、キツネに、視線を降り注いだ。
「第一、あの時……部屋の外に、軍隊を、待機させていただろう。それで、反対する方が、おかしい。どこぞのヒナドリと、一緒にするな」
「気づいていたのか」
「当たり前だ」
アレスと、リーシャの結婚を、貴族院の承諾を取る際、シュトラー王は、多くの軍隊を話し合いが行われていた、赤月の間の外に、多く配備させ、勝手に出られないように、指示させていたのである。
多くの反対者が続出すれば、賛成に廻るまで、外に出ないようにしていたのだ。
それを見越していたため、カークランド侯爵を初めとして、古株の面々は、何の異論も示さず、すんなりと、賛成に廻ったのだった。
「この老体では、長時間の会議は、苦痛だからな」
あの時の状況を、振り返っていた。
「老体ね。そうは、見えんが」
自分と、同じように、老けているカークランド侯爵の全身を眺めている。
含みのある笑みを、カークランド侯爵が零していた。
「何だ?」
「いつまで、持つかと思ってな」
いやらしさを肌で感じる。
「……」
「お前ほど、忍耐力がない男も、いないからな」
目を細め、軽く言い募ってくるカークランド侯爵を睨む。
「昔とは違う」
「さて、さて、それは、どうかな」
何かを、隠しているような素振りに、イラつく。
「もう、帰るとするかな。それでは陛下、ごきげんよう」
嵐のように訪れ、嵐のように、帰っていった。
その帰る姿を、胡乱げにシュトラー王が、眺めていたのである。
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