第117話 縮まらない距離
不機嫌なまま、一度も、リーシャを返る見ることなく、控え室から、アレスが立ち去ってしまった。
そんなアレスに対し、一度だけ、チラッと、出て行く背中を追う。
だが、振り向く気配がないと知ると、悔しくって、顔を背けていた。
化粧を直してから、控え室を出たが、まっすぐに、会場に向かう気分にはなれない。
ついてきたボディーガードを、途中で下がらせる。
静かで、誰もいない庭へと足を運んだ。
これまでも、パーティーなどを抜け出し、庭へ逃げ込んでいた。
関係ない木々たちに当たりながら、庭の奥の方へと、向かっていく。
誰とも会わず、一人になりたかったのだ。
息女たちからの、いじめなどで、落ち込むことが多く、パーティーを抜け出し、誰もいない庭へと避難し、ひと時の休息を取っていたのだった。
けれど、今日は、アレスとケンカし、すぐに、ムカつく相手を見たくなくて、庭へと逃げ込んだのである。
「何なのよ。いつもにまして、横暴なんだから」
やりきれない気持ちを、小枝を振り回し、紛らわせている。
いっこうに、気持ちが、晴れることがない。
「理由ぐらい、言いなさいよね。そしたら……」
(納得できる理由だったら、……聞いたかもしれないのに)
結婚して、一年も、経っていないが、王宮に住むようになり、アレスの立場や、貴族たちのいざこざなどを耳にし、リーシャなりに、アレスの苦労を察し始めていた。
自分の知らないところで、きっと、公爵たちとの間で壁があるのだろうと、アレスの口ぶりで感じていた。
だから、少しでも理解してあげたくて、理由を尋ねたのに、無碍に関係ないと、否定されて怒っていたのだ。
それが、悔しくって、悲しかった。
「アレスのバカ」
どんどんと、沈んでいく。
泣きそうでいると、背後から、突然に声をかけられた。
「リーシャ」
呼ばれる声に、聞覚えがあった。
「ラルム」
立ち止まり、振り向いた。
正装しているラルムが、立っていたのである。
「来ていたの?」
「うん。ところで、どうかしたの?」
「えっ?」
手にしている小枝を、ラルムが目で促した。
着飾っているドレスに、不似合いだった。
「ああ。ちょっと……」
恥ずかしそうに、持っていた小枝を、後ろに隠す。
愛嬌ある笑みを、ラルムが零していた。
「あっちに、座るところがあるよ」
二人で話すため、ラルムが話したベンチに向かう。
そこで、アレスと口論となった原因、スブニール公爵と、ジュ=ヒベルディア伯爵との件を語った。
だが、リーシャと、その二人が話している現場を、遠くの影から見て、把握していたのである。
そのことは口にしない。
ただ黙って、納得がいかないリーシャの話に、耳を傾けていた。
「そう……」
「ラルムは、知っているの?」
覗き込むように、リーシャが窺っている。
海外で、長く暮らしていたとは言え、ラルムは生まれながらに、王族の一員だから、知っているのかなと抱いたのだった。
「まぁね」
「どうして? かかわってはいけないの?」
「……」
突如、口が重くなっているラルムを、翡翠の瞳で捉えている。
「……ラルムも、話せないの。だったら、しょうがないけど……」
「ちょっと、難しいと言うか、プライベートな話になるんだ」
「プライベート?」
アレスが話せないのも、しょうがないかなと巡らせながら、だったら、そう言えばいいのに、どうして、関係ないしか、言えないんだろうと、肩を落としてしまう。
話せない事情さえ、話してくれれば、あんなに意固地に、ならなかったのに……と、少し意地になり気味だったと、一人になってから、アレスに対して、した態度が悪かったと、反省を憶えていたのだった。
「プライベートなんだけど、王族や貴族たちは、みんな知っていることなんだ。でも、暗黙のルールみたいになっていて、誰も、口にしないんだ」
「大切なことなんだ……」
(私って、アレスの何なんだろう?)
「どうなんだろう……」
「知らない方が、いいのかな」
(少しでも、アレスの気持ちを、分かち合いたかったのにな……)
これ以上、リーシャには、悲しまないでほしかった。
「……実は……」
話し始めたラルム。
話しても、いいの?と、顔を傾けていた。
大丈夫と、ニッコリと微笑む。
「スブニール公爵と、ジュ=ヒベルディア伯爵は、実の親子なんだ」
「親子! えっ、誰も、そんなこと……」
衝撃的な事実に、腰を浮かせる。
「落ち着いて。それじゃ、疲れるよ」
座るように促し、素直にそれに応じた。
「庶子なんだ。伯爵は」
「庶子って、外にできた?」
「そう。正妻ではなく、愛人と、作った子供だったんだ」
「……」
想像絶する話に、あんぐりと口を開け、次の言葉が出てこない。
正妻と、正妻の間に子供がいながら、当時、王妃エレナの侍女をしていた女性との間に、子供を儲け、その後に、子供ができなかった伯爵家の養子になった経緯を、ラルムが知っている範囲で話した。
「そうだったんだ……。でも、どうして、公爵とかかわっては、いけないの?」
単純な疑問を、口にした。
それだけの理由で、距離を置くとは、考えられない。
不意に、まだ、何かあるのかもしれないと抱いたのだった。
「それは……」
「だって、それぐらいのことで、みんな、公爵や伯爵のことを、避けているの?」
「それだけじゃないんだ」
珍しく、躊躇いが生じていた。
じっと、口を濁しているラルムを、無垢な瞳で凝視している。
「……公爵と陛下の仲が、悪いんだ」
「えっ……」
「顔を合わせると、いつもケンカらしい。だから、公爵たちを、貴族たちは避けている。何かかかわって、陛下から、変な勘繰りとか、受ける可能性も、あるかもって。……それに、公爵の方にも、少しだけ、問題があって、意に染まらないことを言われると、癇癪を起こして、相手を、こてんぱんにしてしまうんだ」
(おじい様も、同じなんだけどね。癇癪を起こすのは)
「嘘。信じられない」
先ほど、話したフィーロを思い返す。
どうしても、ラルムが話すイメージと、合致しない。
(だから、さっきアレスも、驚いていたのか)
ようやく、アレスが驚いていた訳に、合点がいった。
「随分と、違うんだな。私が、持っている陛下の印象と、公爵の印象が」
優しげに、微笑む二人の姿が、頭の中に、蘇っていた。
その姿からは、癇癪を起こすイメージが、出てこない。
唸り声を漏らし、逡巡している姿を、ラルムが朗らかな顔で、窺っている。
「そうだね」
「ラルムも、怖い?」
「……そうだね。少し、怖いかも」
「そうなんだ」
意外だなと思いつつ、隣から声が、降り注いでくる。
「でも、優しいところも、あると思うよ」
「本当に」
自分と、同じ印象を抱いていることが嬉しくって、顔を綻ばせている。
「うん」
(おじい様は、リーシャと、出逢わせてくれた)
嬉しそうにしているリーシャを、優しげな眼差しで見つめていた。
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