第113話 フィーロとルシード1
首都キーデア郊外にある場所に、ルシードが経営しているIT関連会社に、突然、フィーロが訪問してきたのである。
一切のアポイントも、取らずの登場だった。
威風堂々と、ビルの中を進んでいく。
「ルシード、いるか?」
勝手、知った場所だと、戸惑う面々を払いのけ、社長室へ入っていった。
他人へ、迷惑をかける考えなんて、微塵もない。
困惑しつつも、社員たちは、各々の仕事をしている。
唐突な訪問に、当惑していたものの、日ごろから慣れているルシード。
すぐに穏やかな表情で、来客フィーロを迎えたのだった。
フィーロの他に、誰もいない。
周囲に、控えている人間を、下の車においてきたのだ。
「スブニール公爵、どうしたのですか? また急に。用事があるのでしたら、こちらから出向きましたのに」
和やかな声音で、対応していた。
ここに来る際は、周りについている人間を、下の車に待たせている。
気楽な気持ちで、ルシードと、話を楽しみたかったからだ。
「こっちにくる用事があったから、ついでだ」
「そうですか」
何気なさを装っていたが、慌しい出向かいに、苦慮していた。
事前に、連絡を入れてくださいと言っても、一度として、連絡をよこしたことがない。
そのたびに、ルシードを始めとして、社員たちが、多大な迷惑をこうむってしまう。
突拍子もない行動は、兄弟揃って同じだった。
けれど、本人たちは、違うと認めない。
フィーロが、鷹揚に腰掛ける。
「景気は、どうだ?」
「まずまずと、言うところですか」
この会社に、フィーロは個人的に一部出資している。
何気ない日常的な会話をしているところに、女性社員がコーヒーを淹れてきた。
仕事を済ませると、瞬く間に、女性社員が下がっていった。
広い部屋に、二人だけになる。
「仕事もいいが、私のところにも、顔を出せ」
「週二、三度は、お会いしていると、思うのですが?」
優雅な所作で、コーヒーを飲みながら、フィーロの愚痴を耳にしていた。
「それでは、少ない」
「わかりました」
小さく、ルシードが笑った。
国王陛下の弟の周囲に、集まる人間が少ない。
貴族たちが、寄ってこなかったのである。
それは、兄シュトラー王と、弟フィーロが、互いに、ケンカを繰り返すことがあっても、フィーロが王座に興味を示さなかったからだ。
それに、互いに性格が似ていて、激昂すると、手が付けられないほどに、なってしまうところも似ていたからだった。
そのせいか、誰も、フィーロのところへ、来ることがない。
家族がいるが、一人でいることが多かった。
誰も、近寄ろうとはしないフィーロの傍にいるルシードに、近づこうとする者もいなかった。
公式なパーティーや、貴族が主催するパーティーで、誰も形式な挨拶をするだけだ。
ルシードがアレス、ソーマ、シュトラー王たちから、敬遠されている理由は、すぐ近くにフィーロがいたからだけではない。
他にも、置かれている立場が、あやふやと言う理由もあった。
それらの眼差しに負けることなく、周囲に気を配りながら、ルシードは温和に暮らしてきたのだった。
「ところで、王宮に行ったそうですね、公爵」
穏やかな口調にも、ルシードが問いつめた。
けれど、悪びれる素振りもない。
態度は横柄、そのものだ。
王宮での騒ぎの件は、すでに届いていたのである。
「誰か、告げ口でもしたのか?」
「いいえ。自然と、私の耳に」
王族であり、シュトラー王の弟でもあるフィーロに、ルシードはものが言えた。
「テネルのことを、話さなかったのは、別段、大したことがなかったからです」
王宮で、一時テネルが姿を消した件を、伝えなかった理由を話したが、悪くなった機嫌が直ることがない。
それどころか、ますます機嫌が悪くなっていった。
それでも、弁明を繰り返す。
普通の人ならば、威圧する眼光で、口を閉ざしていただろう。
これ以上の揉め事を、増やしたくなかったのだ。
「テネルのことは、私の落ち度でもあります、このことで、王宮に迷惑をかけるのは……」
最後まで言わせない。
途中で、フィーロの眉間に、深いしわが入ったからである。
危険のシグナルを発していた。
開いていた口は、静かに閉じられる。
「子供一人も、見られない王宮が悪い」
「ですが……」
取繕うとするが、険の鋭さに、飲み込むしかない。
人を威圧するものも、兄弟揃って、同じだった。
(やはり、兄弟だな……)
決して、それを口にしない。
さらに、機嫌を悪くするからだ。
「意見した、私が悪いのか? いや、違うな。警備が、甘かったからだ。それを指揮しているソーマや、フェルサたち、その上に立つ、シュトラーが悪い。なぜ? 弟である私が、苦言してはいけない? 王族として、ちゃんと、言うべきことは、言わないと、いけないだろう? 何か、私は、間違ったことをしたか、ルシード?」
まだ、何か言いたげそうなルシードに、視線を注ぐ。
「何だ? 言いたいことがあるのなら、言え」
「……アドバイスをするのは、いいですが、もう少し、穏便には、できなかったのですか?」
昔のルシードだったら、ひたすら黙って、やり過ごしていただろう。
けれど、結婚し、すでに子供まで儲けていたのである。
「穏便?」
「はい」
「私は至って、穏便だぞ? ただ、陛下が、いらっしゃらなかったから、捜していたまでだ。そこに、総司令官が現れたんで、代わりに、意見を言ってきただけだ」
「……」
貴族がいるところに、顔を出さないルシードの耳にも、フィーロが王宮を訪ねていった顛末が、届いていたのである。
湾曲された内容に、嘆息を零していた。
随分と、都合よく書き直されているなと、自分本位なフィーロに呆れてしまう。
「大声で、捜していたとか?」
「宮殿が、広いからな、しょうがあるまい」
「総司令官が、止めているにもかかわらず、捜していたとか?」
「それは、気づかなかった」
わざとらしく、大げさな演技をしてみせる。
(わかっていて、やっていたんだろうな)
目の前にいるフィーロに、勝てる人間なんて、早々いないだろうと抱くルシードだ。
(長年、傍にいるが、この人に勝てる人なんて、陛下ぐらいか……。それに確か、何度か聞いたことがある、リーシャ妃殿下の祖父ぐらいなのかもしれない……)
何度か、フィーロの口から、リーシャの祖父クロスの話を、聞いたことがあった。
その端々で、フィーロが、クロスを尊敬していることを、感じていたのである。
長い息を吐き、まっすぐに、高慢に構えているフィーロを見据えた。
「でしたら、できるだけ、大声を出さずに、周囲に、目を配ってください」
「……できるだけな」
「お願いいたします。それと、今後、テネルのことを、蒸し返さないでください」
王宮での騒ぎの件を、蒸し返さないように、釘を差しておいた。
蒸し返す恐れがあったのだ。
「考えてみよう」
疑いの眼差しを注いでしまう。
けれど、フィーロの表情が崩れることがない。
「ところで、テネルは随分と、リーシャのことを、気に入ったようだな」
「……」
「会いたがっているそうだな」
胡乱げな視線を、ルシードが注ぐ。
「どこで、それを?」
いたずらげに、口角を上げているフィーロ。
口にしたことは、すべてあっていた。
リーシャと遊んで以来、また王宮にいって、遊びたいと、何度も、口にして困らせていたのである。
家の内部のことまで、知っているのかと、頭を抱え込む。
ケロッとしているフィーロが滲ませていた。
弾かれたように、驚いている姿を、面白がっていたのである。
「蛇の道は、蛇だ」
「……そうみたいです」
やけくその気分で、吐き捨てた。
抜け目がないシュトラー王と、同じように、フィーロも抜け目がない。
手と足になる者が、ルシードの家にいたのである。
「おとなしい子だと、思っていたが?」
おとなしく賢い、聞き分けのいいテネルの姿を、思い返していた。
「そうですね。意外です」
「自分の子供だろう」
「……すいません」
「ま、私も、いい父親とは言えんがな」
軽く口にしたフィーロを、見つめていた。
「どうする?」
不意に、声をかけられ、瞬時に、答えることができない。
「……会わないでいれば、そのうちに、落ち着くでしょう」
目を細め、消沈しているルシードを、眺めていた。
息子テネルのことを考えていたので、見られていることに、気づいていない。
「会わせてみるのも、面白いかもな」
「公爵」
勝手なことを口走るフィーロを、窘めた。
周囲が騒ぎ、騒動になるのは、目に見えてわかっていたのだ。
それを避けるため、会いたがっているとわかっていても、心を鬼にして、会わせないようにしていたのである。
珍しく、自分の意見を主張しているテネルを、尊重してあげたかったが、許してあげられないことだったのだ。
「シュトラーのやつ、どんなに苦虫を潰したような顔に、なっているのか」
どこ吹く風のフィーロに、余裕があった。
「いい加減にしてください」
強い声音で、諌めた。
からかって、遊ぶのをやめたフィーロ。
ムッとしているルシードと向き合う。
「離した方が、懸命の策だろう」
「はい。私も、そう思います」
真面目だった表情が、一気に緩んでいった。
「そうだ、ルシード。今度、私に付き合え」
「構いませんが……」
了承が得てから、さらに、フィーロの唇の端が笑っている。
「約束したからな。違える時は、覚悟しておけ」
「……」
迂闊な返事してしまったかもしれないと、後悔を浮かべる。
張り切っている時のフィーロは、危なかったのである。
用はもう済んだと、軽快な足取りで、フィーロが帰っていった。
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