第108話 鬱蒼としている教室
このところの特進科一年の教室では、ドス黒い暗雲が立ち込め続けていたのである。
現在、教室内に、アレスの姿がない。
王室の公務や行事などで、クラージュアカデミーに、顔を出していなかった。
特に、鬱蒼とさせていたのが、民間出身の生徒たちだ。
突如、特進科に所属したリーシャの能力を垣間見、日に日に鬱屈させていた。
教室内は、大きく二つの勢力に分かれている。
王室、貴族などの上級階級派と、民間派だ。
教室内で、目に見えない、小競り合いがあったのだった。
民間出身のダラス・スバーグが唇を結び、自分の席に座っている。
民間出身者の中でも、ダラスは優秀な成績を収め、密かに、上級階級派の連中を、バカにしていたのだった。
これまで味わってきた高揚感。
それが、突如、現れたリーシャの存在により、打ち砕かれてしまったのだ。
リーシャの能力を目にするまで、王太子アレスと結婚させるための方便だと、抱いていたのである。
だから、リーシャが特進科に転科しても、どこか鼻で笑い、他人事のように眺めていた。
だが、実際、違っていた。
驚異的な数値を、目にして。
(何なんだ、あの数値は!)
さらに、ダラスが唇を噛み締める。
眼光が、嫉妬の焔で燃えていた。
「ダラス」
顔を上げると、マーカス・ウォーカーと、ルアン・ソニットが立っている。
彼らも、ダラス同様に、民間出身者だった。
周囲を気にし、ルアンがか細い声で喋り出す。
「な。今から、あっちに行くか?」
視線で、ホワイトヴィレッジを指していた。
(この状況で、行けって言うのか!)
僅かに、目を眇める。
午前中の授業をサボり、訓練に行くかと、誘ってきたのだ。
今までのダラスだったら、即断っていた。
ガツガツしているところを、上級階級の連中に、見られたくなかった。
不意に、のん気な姿を覗かせている、王太子妃の姿が掠めている。
(ムカつく。何なんだよ、あの女は……)
双眸が揺れ、間が生じていた。
「……いい」
「本当にか?」
覗き込むように、マーカスが窺っていた。
(クドい! 俺に、恥をかけと言うのか)
激しい内情とは違い、ダラスの表情は、微かに硬いだけだった。
教室内にいる生徒たちは、ダラスたちに、視線を傾けていない。
各々、好き勝手なことに、興じていたのだ。
テキストを読んでいる者がいれば、音楽を聴いている者、雑誌を読んでいる者、窓から風景を眺めている者、様々だ。
「ああ」
「……俺たちは、行こうかと……」
どこか、歯切れが悪いルアンだ。
目の前にいる、ダラスを裏切るようで。
ダラス同様に、上級階級の連中に対し、鼻を明かしたい二人だった。
自分たちの方が、優秀だと優越していた側だったのだ。
それが、粉々に、崩れそうになっていたのである。
リーシャの驚異的な能力の高さによって。
そして、燃え盛るような嫉妬心が、広がっていた。
王太子妃とは言え、自分たち同様に、民間出身でもある。
これまで、勉強もしていなければ、訓練も受けていない。
そんな彼女に、瞬く間に抜かれたくなかった。
だから、少しでも数値を上げ、揺らぐ気持ちを、落ち着かせたかったのだ。
「行けばいいだろう」
何でもないような顔を、ダラスが滲ませている。
「「……」」
あれ以来、リーシャの数値に慄いてから、ダラスの成績が下降気味になっていた。
それは、二人にとっても同じだった。
「いいのか?」
「構わない」
目を細め、確かめるマーカスを半眼している。
「俺は、負けたくない」
小さい声だが、強い意志が込められていた。
双眸をぶつけ合っているダラスとマーカス。
慌てふためきながら、ルアンが交互に見比べている。
この教室内で、三人は、比較的仲良くしてきたのだ。
それが、壊れそうな状況に陥っていた。
「俺は、負けない。あんな昨日今日、始めた人間に。負ける訳ないだろう」
硬い口角を、無理やりに上げているダラス。
「……そうか」
「ああ」
「……ルアン、行くぞ」
ダラスを見ることなく、マーカスが教室から出て行く。
それを追うように、ルアンが後ろ髪を引かれながらも、ついていった。
それとなく、ゼインが彼ら三人の様子を、窺っていたのである。
俯瞰した眼差しで、教室内の様子を眺めていた。
誰も、いつも通りに振舞っているが、決して同じではない。
(随分と、暗いな)
遠い目をするゼインだった。
(のん気なものだ。アレスも、あれも)
クラージュアカデミーに、姿がない二人のことを思い浮かべていた。
嵐だけ巻き起こし、爪あとだけ残していった。
スマホで、最新の映画を鑑賞していたフランクが顔を上げる。
「どうした?」
「空気が悪いなと、思ってな」
「しょうがないだろう」
「まぁな」
ゼインが苦笑していた。
リーシャの天才的な数値を目にしてから、教室内の空気が一変していたのだった。
恐ろしいほどのリーシャの能力を目の前にし、誰もが持っていた矜持を打ち砕けていたのだ。
そして、自分には無理だと。
それも、今までバカにしていた者にだ。
微かに残っていたプライドで、見た目は平静を装っていたのである。
「でも、あんな数値なんてな」
ぼやくフランク。
「そうだな」
何気なく顔で、相槌を打っていた。
二人が喋っていても、ティオはファッション雑誌に釘付けだ。
あの数値を見て、ティオはただ、驚くだけで、それだけだった。
マイペースなティオに、二人が羨ましそうな眼差しを巡らせている。
「ここにも、のん気なやつがいたな」
口角を上げ、好きな雑誌に、没頭しているティオを窺っていた。
視線を注がれているのに、気づかない。
「ティオだからな」
「だな」
「そういえば、決裂したみたいだな」
映画鑑賞しつつも、フランクも教室内の様子を、傍観していたのだった。
「素直に、行けばいいものを」
突き放したようなゼイン。
「ダラスは、成績が優秀なことを、ひと一倍、鼻にかけていたからな。急に、がっつくところを、見られたくないんだろうな」
「だろうな。どうせ、別な場所とかで、訓練とかしているくせにな」
遊ぶ時間や、寝る時間を削って、密かに訓練をしていることを把握していた。
民間出身者や、上級階級の一部の人間で、誰にも知られないように、訓練していたのである。
少しでも、正規のパイロットに選ばれるために。
「前よりも、居心地が悪くなって、いやだな」
周囲を見渡すフランク。
連日の空気の悪さに、辟易していたのだった。
「そうだな。これ以上、悪くなってほしくはないな」
元々、王太子のアレスの存在でも、教室内は嫉妬心で溢れていたのである。
それが、リーシャの存在で、さらに嫉妬心が、膨れ上がっていったのだった。
軽く息を吐くフランク。
「窓でも、開けるか?」
微かに、口角を上げているゼインだった。
「いい。面倒だ」
「そうか」
映画鑑賞に戻っていたフランクに、視線を巡らせていた。
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