第105話 謝るリーシャと機嫌の悪いアレス
身体中の汚れを落とすため、シャワーを浴びた。
そして、傷の治療を終え、リーシャの元へ、アレスが憮然とした表情で訪れる。
二人だけで、話すため、侍女たちを下がらす。
「ごめんなさい」
「……」
二人になった途端、リーシャから、先に迷惑をかけた意識があったので、素直に非を認めて謝った。
シャワーを浴びながら、冷静になっていくと、騒ぎの発端を作ったのは、自分で、それにテネルを巻き込んでしまったと行き着いたのだ。
自分たちを捜していた侍従、侍女に、また、迷惑をかけてしまった挙句、講義を中止し、捜してくれたアレスに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それと同時に、自分を捜してくれたアレスの行為が、とても嬉しかったのである。
口を結んだ状態で、アレスが聞いていた。
「私が、いけなかったの。だから、ごめんなさい」
治療を受けていたリーシャは、そのままソファに、腰掛けていた状態で、どこにも座らず、アレスは立ったままで、しゅんと落ち込んでいる姿を見下ろしていた。
機嫌を確かめるため、僅かに目を上げる。
口は閉ざされ、じっと、リーシャを見つめていた。
(怒ってる? それとも、呆れてる? いつも、思うけど……。アレスって、読みづらい。一体、どっちなんだろう……)
治療を受けている間、ユマたちに講義を忘れ、遊んでいたことを詫びた。
だが、こちらの落ち度ですと言って、叱ることはしなかった。
いつもパターンに、少しずつだが、リーシャの心に影を落としていた。
これまで王太子妃であるリーシャが失敗や、失態をしても、ユマは叱らない。
ただ、自分たちの失態ですと言って、同じように、傍に仕えているバネッサやクララ、ヘレナなどを叱っていたのだ。
自分の代わりに、怒られる人を前にすると、悪いと抱き、できるだけ怒られないに、これまで努めてきたのだった。
口数が少ないユマを、思い返してみる。
そんな仕草に、怒っていたと感じるが、心配していたことも感じていた。
痛いところなどないか、熱心にユマがリーシャの身体を調べていたからである。
(また、迷惑かけちゃった……。かけないようにと、思っていたのに)
情けないあり様に、嘆息を零してしまう。
(つくづく、私はダメね……)
治療が終わった後、受けるはずだった講義が、変更になったことや、この後に予定されているパーティーへ、出席するための準備する予定時間を、ユマが淡々と、口にするのみだった。
その後、すぐに、アレスが姿をみせた。
チラッと、アレスに視線を注ぐ。
侍女たちに、下がれと命じただけで、それ以外、何も口を開いていない。
無言でいられることが、さらに、針のむしろだった。
(口も、聞きたくないほど、怒っているのかな……。それも、そうよね……、こんな騒ぎを起こしておいて、怒らないはずがないもんね。どうしよう……。どうしたら、アレスの機嫌が直るのかな……)
自分がいなくなったことで、みんなが手分けして、捜してくれたことや、アレスが講義を中止し、行方を捜していたのを、ユマから聞かされていたのである。
何も言ってくれないので、めげそうになりながらも、こちらから窺うように、声をかける。
「馬術の講義、どうなった?」
「後日に、移した」
質問には答えてくれたので、微かに安堵する。
「本当に、ごめんなさい」
「何度目だ」
「えっ?」
きょとんした顔を、アレスに傾けていた。
「姿を消したのは、何度目だと聞いている」
険が帯びた視線に、居た堪れない。
「うっ……、それは……」
言葉を失っているリーシャに、容赦しない。
「お前の頭は、空っぽなのか」
「なっ……」
「学習能力がないだろう」
酷い言い方に、反抗心が芽生え始める。
「意地悪ね」
「同じことを、繰り返している」
「その時の状況とは、違うもん」
「そうか。姿を消すのは、同じだ」
「そんなことないもん。ただ、消えた訳じゃない。それに、とにかく、頑張っているもん」
お后教育や、ハーツパイロットなど、一生懸命に、王室の一員や、アレスのパートナーとして、慣れるように頑張っていたのを振り返っていた。
王室に嫁ぐ前は、勉強なんて、めったしなかった。
それが、お前もやるじゃないかと、認められたい一心から、勉強をしていた。
「だったら、なぜ、こんなことになる」
「それは……」
口籠った。
「やる気が、足りないからだ」
「いっぱい、頑張っているもん」
思いっきり、頬を膨らます。
その一方で、いっこうに認めてくれない、アレスに心が萎んでいく。
常に、横暴なアレスに、弱気な態度を見せたくなかった。
だから、精いっぱいの虚勢を、張ってみせる。
そんな気持ちでいるとは知らず、冷ややかな視線を浴びせた。
「頑張る? どこを、どう頑張っている? その割りに、講義は遅れているし、失敗ばかり繰り返す。今日が、いい例だろう。講義を忘れて、小さい子供を、勝手に連れ回し、大騒ぎを起こした。どう見れば、お前が、頑張っているように見える? ただ、講義を受けたくなくって、逃げ出すために、子供を連れ回したようにしか、見えない」
何も言わず、黙ったまま、悔しさで、唇を噛み締める。
テネルを勝手に連れ回したのは、自分だと思うからだ。
「違うと言うのか、これが? いつになったら、普通になれる?」
「本当に、ごめんなさい」
ふんと、鼻先でアレスが笑う。
そんな態度が、腹立たしい。
「だけどね、テネルが遊んだことがないって、言うから、遊んであげたくなかったの。確かに、講義を忘れたのは、悪い。けど、逃げ出したいからって、子供を逃げる理由なんかに、私はしない。それに、小さい子供は、元気よく遊ばないと、いけないでしょ。そう思わない?」
迷惑をかけたことを、許して貰いたい訳ではない。
ただ、僅かでも、アレスに通じてほしかったのだ。
「だからと言って、結婚した大人が、無断で、子供を連れ回して、遊ぶのか?」
一貫して、アレスの態度が変わらない。
徐々に、身体が凍えていった。
「ほんの少しの時間と、思っていたの。でも、ついつい遊びに夢中に……」
「だから、お前の頭は、空っぽなんだ」
「アレス……」
胸が怒りよりも、悲しみに支配されていった。
俯いてしまったリーシャを、眺めていた。
逡巡した後、アレスが口をつく。
「……、それと、これ以上、ジュ=ヒベルディア伯爵とは、近づくな。言っておくが、息子も同じだ。いいな、リーシャ」
「どういうこと?」
眉間にしわを寄せ、見上げている。
「今後一切、あの親子とは、かかわるなと、言っている」
冷たい声音だ。
「どうして?」
「どうしてもだ」
ますます、眉間のしわが深くなっていく。
どう考えても、かかわってはいけない理由が浮かばない。
「理由を聞かずに、それに従えって言うの?」
「そうだ」
当たり前のように、鷹揚な態度だ。
「……そんなことできない」
「何だと」
従うことを拒否したリーシャを、半眼している。
「どうして、会うなって言うのか、理由も言わないくせに、どう従えって、言うのよ」
理由を聞いて、納得できるなら、まだしも、何も言わずに、頭ごなしに会うなと言われれば、対抗意識が生じる。
「夫の言うことを聞け」
「いやよ」
「リーシャ」
「理由を言って」
「お前には、関係ない」
翡翠色した強い視線を、アレスにぶつける。
「私には、関係ないんでしょ? だったら、私の好きなようにする」
言うことを聞かない仕草に、忌々しいと睨む。
けれど、負けずに横暴なアレスに、引こうとはしない。
しばらくの間、ぶつかり合う視線が続いていたが、リーシャの方から先に引いた。
顔を背けたまま、口を開く。
「午後から、パーティーでしょ。準備するから、出て行って」
「まだ、時間がある」
「男と違って、いろいろと、準備があるの。だから、出て行って」
「……」
黙って、アレスが部屋から出て行った。
扉を閉め、そのまま、その場に止まっていた。
言われるがまま、従うのは矜持が許せない。
けれど、午後から、パーティーに出向くのは事実だったので、部屋から出てきた。
自分の部屋に戻ろうとして、足を進め始める。
十五歳で、結婚した二人だったが、高校生と言う身分もあり、部屋は、別々にしていたのであった。
この宮殿も、仮住まいで、正式に住まう二人の新居の内装が、行われている最中だった。
苦虫を潰したような気分を抱く。
怒りの表情は、面に出ていないものの、身体からは、負のオーラを放出させていた。
(なぜ、あの二人と、親しくする必要がある?)
頭の中に、ルシードとテネル親子の姿が浮かぶ。
(僕は、夫だ。それなのに……、なぜ、あの親子と、一緒にいたがる?)
親しくなるリーシャが、わからない。
立場上、表面的な振舞いをするが、誰とでも、すぐに打ち解けるタイプではない。
だから、すぐに誰とでも、打ち解けるリーシャが理解できない。
(貴族の女どもには、てこずっていたくせに。どうして、よりにもよって、あの親子と)
まだ、二回しか、会ったことがないルシードに傾ける表情と、自分に注ぐ表情に、違いがあると、不満を抱く。
(僕の時とは、違うじゃないか。何なんだ、あれは)
会ったばかりのテネルと、夫である自分よりも、親しくしている様子に、納得もできない。
歩きながら、目を細める。
動いていた足を止めた。
「もう一度、釘を刺しておく必要がある」
(パーティーに遅れようが、関係ない。このことを、はっきりと、わからせないと)
部屋に、帰ろうとしていた足で踵返した。
リーシャの部屋に戻ってきたアレスは、肘掛に凭れ、眠っている姿が飛び込んでくる。
アレスが出ていた後、遊び疲れた身体は、いつの間にか、眠ってしまっていた。
「……」
スヤスヤと、眠っているところに、静かに近づく。
髪で、顔が、よく見えない。
そっと、手で掻き分けた。
「準備じゃなかったのか……」
か細い声で呟く。
寝顔を見ているうちに、アレスの表情が、穏やかなものに変わっていった。
「疲れたのか、遊び過ぎて。疲れている身体で、遊ぶからだ」
掻き分けた手を、暖かな温もりがある頬に触れる。
「心配した……、何もなくって、よかった」
手に伝わる温もりに、傍にいると言う実感に浸る。
失われなかった温もりに、安堵するのだ。
「ここで、眠っていろ。この場所でだ」
寝顔が、笑っていた。
つられるように、アレスの口角も、上がっていった。
しばらくの間、リーシャの寝顔を見てから、静かに部屋を出ていく。
定刻よりも遅れ、二人がパーティーに出かけていった。
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