第104話 行方不明3
「……あのバカ、こんなところで、眠っていたのか」
のん気に、すやすやと、眠っている姿に呆れる。
だが、王宮の外に出ていなかったと、安堵も憶えていた。
ゆっくりと、バラを掻き分け、二人に近づく。
注意を払いながらも、服や手などに、棘が当たった。
ようやく、二人の前に到着する。
強張っていた身体が、自然と、力が抜けていた。
寝顔を眺めていると、さらに、口角が上がる。
「いい気なものだな。こんな騒ぎを、起こしておいて」
酷いいでたちに、思わず、眉間にしわが寄ってしまう。
泥だらけの上に、服のあちらこちらが、破れていた。
そして、寄り添うように、眠っている男の子へと、視線を巡らす。
「ジュ=ヒベルディア伯爵の息子か……、なぜ、ここで、一緒に眠っている……?」
報告を受けていたので、隣で眠っている男の子が、瞬時に、王妃エレナたちが捜しているテネルだと、察しがついたのだった。
不思議そうに、首を傾げ、眺め続けている。
一緒になって、眠っていることが、把握できない。
それに、どうして顔や服が汚しているのか、理解できなかった。
二人の風貌を、凝視していた。
「汚い。どうすれば、ここまで、汚すことができる?」
理解の範疇を超えるほど、泥だらけだった。
以前に、リーシャを喜ばせるため、弟ユークの養子先であるアシュランス子爵邸に、出向いた記憶が呼び戻っていた。
その時も、服を汚し、部屋に戻ってきた。
「追いかけっこでも、していたのか」
小さな子供と一緒になり、追いかけっこして、遊ぶ姿を、窓から眺めていた。
「……まぁ、いい」
スマホを取り出し、二人を見つけたと、告げてから、何も知らずに、遊び疲れて眠っている二人を起こす。
目の前で、掛けていたにもかかわらず、二人は起きる兆しがない。
「おい、起きろ! いつまで、眠ってるつもりだ」
片膝をついて揺さぶるが、なかなか瞳が開かない。
「起きろと、言ってるだろう。早く起きろ!」
声を荒げるも、二人が目覚めない。
それでも、根気よく起こし続けた。
寝起きの悪いリーシャとは違い、完全に、覚醒しないままでも、目を擦りながらもテネルの方が、先に起き出した。
呆然とした顔で、アレスの顔を見上げている。
「お兄様は、誰?」
眠たい目をしたまま、尋ねるが、リーシャを起こしたいアレスは無視する。
ぼーとしまま、テネルが見上げていた。
「子供が起きているのに、お前は、まだ寝てるつもりか? 起きろと、言ってるだろう、リーシャ。さっさと起きろ。ここは、寝る場所ではないぞ」
閉じていた目蓋が、僅かに動き、目覚め始める。
「閉じている目蓋を、開け!」
「……アレス?」
ふにゃっとした、しまりのない顔に、睨みを利かせる。
夢心地な身体を、さらに、目覚めさせるため、強く振った。
「いつまで、ぼっさとしている。さっさと、戻るぞ」
「どこに?」
素っ頓狂な問いに、苛立つ。
今まで、動こうとしなかった自分を、動かすリーシャの行動と言葉が許せない。
それまでのアレスだったら、絶対に動こうとはせず、静観する立場をとっていた。
変わりつつある自分に、戸惑い、躊躇っていた。
黙ったままでいるアレスに、声をかける。
「どこに、戻るのよ」
「仮宮殿に、決まっているだろう」
面倒臭そうに吐き捨てた。
「そうか……、あっ、テネルを、つれていかなくっちゃ」
帰ろうと、声をかける前に、アレスが先に答える。
「その子も、一緒だ」
「どうして?」
「どうしてもだ」
「わかった……」
有無を言わせない態度に、素直に従った。
説明するのが、億劫で、無理やりに起こしに掛かった。
訳のわからないまま、身体を起こされたのだった。
つられるように、テネルが一人で立ち上がる。
(子供よりも、手間が掛かるやつだな)
まだ、呆然としているテネルに、優しく声をかける。
「テネルも、一緒だって」
「……はい」
何の違和感もなく、すっと、テネルの前に、手を差し出した。
そして、躊躇いもなく、テネルもリーシャの手を、しっかりと握る。
二人の仕草に、時間もないのに、ここまで打ち解けているのかと、気分を害していた。
まだ、疲れが癒えていないテネル。
目の前にいる人が、テレビによく出てくる王太子本人だと、気づいていない。
「抱っこする?」
「大丈夫です」
気遣う問いかけに、アレスがあからさまに、不穏な表情を窺わせる。
「何?」
「……さっさと、行くぞ」
ぶっきらぼうに言い、アレスがさっさと歩き始める。
その後を追うように、手を繋いだ二人がついていった。
二人は楽しげな会話を繰り広げ、それを忌々しげに、アレスが聞いている格好となっていたのである。
仮宮殿に戻ってくると、侍従や侍女が勢揃いしていた。
その顔触れの中に、専属の侍女ユマたちの顔や、侍従ではない男の人が、待ち構えている。
発見したアレスからの連絡を受け、ルシードたちが駆けつけていた。
ウィリアムから、見つけ出した旨を伝え聞き、急ぎ、仮宮殿に到着するのだった。
「あの人……?」
侍従や侍女に交じっている顔に、見覚えがあった。
「あー、前に助けてくれた人だ」
零れ落ちた呟きが、先を歩くアレスの耳に流れ込んだ。
侍従や侍女の姿が見えていたせいもあり、表に表情を出さなかったが、現状を、未だに把握していない間抜けさに呆れている。
(どこを、どう育てれば、こうなるんだ?)
リーシャと、話していくうちに、テネルが完全に目覚めていった。
そして、自分の父親の姿を見つけると、繋いでいた手を離し、ルシードの元へ駆け出していく。
「お父様」
その様子を、ニコニコしながら、リーシャが眺めていた。
「あの人が、テネルのパパなんだ」
息子の顔を見て、ひと安心しているルシードへ、辿り着く。
すると、楽しげに遊んでいたことを、無邪気に身振り手振りを交え、話していた。
息もつかぬ様子で、話している仕草に、突然、いなくなったことを、注意できずにいたのだった。
無我夢中で、楽しく遊んだ内容を、父親に聞かせていた。
そんな興奮している息子を、初めて見たルシードは、何も言えなくなってしまったのである。
その最中に、アレスとリーシャは、集まっていたところに到着した。
話しているテネルを制し、重々しい表情で、ルシードが一歩前へ出る。
「殿下、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。息子の仕出かしたことを、父親である私が、謝罪させていただきます」
「いいえ」
「ちょ、ちょっと待って。何で、謝るの? テネルは悪くありません」
何も悪くないのに、唐突に謝り出したルシードに、納得できない。
憮然としているアレスと、恐縮しているルシードの顔を、交互に見比べる。
「……ですが……」
「絶対に、テネルは悪くありません。何で、遊んじゃいけないのよ」
自信ありげに、言い切った。
冷淡な顔を、怒っているリーシャに傾ける。
そんなアレスの表情に、物凄く怒っているのを感じていた。
「今は、何の時間だ?」
「時間って……、あっ……講義……」
平静な顔で、ユマが控えている。
すっかり、講義を忘れて遊び、そして、遊び疲れて眠ってしまったのだった。
(うっ、怖っ。あの顔は、絶対に怒ってる。ど、ど、どうしよう……)
慌て始めたリーシャに、冷ややかな眼差しを傾けていた。
「ようやく、事態を飲み込んだか」
「ごめんなさい」
しゅんとしているリーシャ。
テネルも、不安げにしている。
状況をすべて把握できなくっても、自分が悪いことを、したのかもしれないと察していた。
そんなテネルに気づき、きちんと説明をしないと、強く気持ちを震え立たせる。
「だけど、これに関して、忘れていたのは私。だから、テネルは関係ないから」
アレス以外にも、納得して貰うべき人が、もう一人いたのだ。
自分と遊んだせいで、テネルが怒られる訳にはいかない。
「えーと、ジュ……、ジュ……、ジュ=ヒベル……ディア……伯爵、絶対に、テネルを怒らないでください。一緒に、遊ぼうと、言ったのは、私なんです。ですから、テネルを怒らないでください。それに、勝手に連れ回して、ごめんなさい」
怒らないでくださいと連呼され、怒ることができない。
それに、テネルを一人で、テラスにいさせたのは、自分だと言う思いもある。
「……わかりました。妃殿下の言われる通りにします」
「ありがとうございました」
ぺこりと、頭を下げた。
「後、以前、助けていただき、ありがとうございました」
「……いいえ」
戸惑いがちに、ルシードが答えた。
突然、息女たちから、助けたことを持ち出されるとは思ってもみなかった。
近くにいるアレスの様子が、気になっていた。
ニッコリと、リーシャが微笑む。
「少し、待っていただけますか?」
きょとんとするルシード。
目を細め、睨むアレス。
(何をするつもりだ?)
よからぬことが起こる、予感を抱く。
「汚れているから、着替えないと。テネル、一緒に着替えよう」
予感が的中し、頭を抱え込みたい衝動に駆られた。
当惑しているルシードが答えるよりも先に、王妃エレナ付きの侍女が冷静に答える。
「妃殿下、そちらは、私たちの方でしますので」
「えっ?」
今度は、リーシャが首を傾げる番だ。
「テネル様の着替えは、こちらで用意しますので、お気遣いなく」
話しかけてきた侍女の顔に、見覚えがあった。
王妃エレナについている侍女だと抱き、視界を広げれば、何人か、王妃エレナ側の侍女たちの顔が見受けられたのだった。
(何で、王妃様の侍女たちが、こんなにいるの?)
騒動を起こした自覚が、芽生えたものの、大騒動になっていたとは思っていなかった。
それに、追随するルシード。
「大丈夫です。こちらの方々に、お願いしますので」
「そうですか……」
寂しそうな顔を滲ませている。
そんなリーシャに、不満を覗かせるアレスだ。
(自分が、おかれている立場を、弁えているのか。リーシャ、お前は、王太子妃なんだぞ。いくら子供だからと言って、一緒に、着替えることは、できるはずもないだろうが)
そんな心の吐露を察するかのように、退散する意を、ルシードが口にする。
「では、私たちは、これで失礼いたします」
このやり取りを眺めていたテネルを促すように、連れて行こうとする。
そんな行動を振り払って、リーシャの元へ駆け寄っていった。
「また、遊んでください。お姉様」
「また、遊ぼうね」
ギョッとした顔で、ルシードがテネルを窘めた。
「テネル。お姉様ではない。王太子妃殿下だ。それに、遊んでくださいと、お願いできるような人ではないんだよ」
きょとんとした顔で、ルシードの顔を窺っていた。
五歳の子供に、理解できなかったのである。
「王族の方なんだ。お姉様と、お呼びしてはいけない。王太子妃殿下と、呼ばなくてはいけない。わかるね? テネル」
「王太子……妃……殿下?」
驚いた顔で、リーシャを見上げ、今にも泣きそうな顔だった。
王族と聞き、自分たちよりも、上の立場で敬う存在だと、幼い心も理解した。
自分たち貴族よりも、王族は、上の立場で、尊敬し敬愛する人と、日頃から教えられていたのである。
「ごめんなさい。王太子妃殿下」
そんなテネルの目線に合わせ、アレスが止めるのも構わずに屈む。
周囲は、固唾を呑んでいた。
「テネル」
優しく声をかけても、俯いてしまった顔が、上を向かない。
諦めず、もう一度、声をかける。
「テネル」
下げていた顔を、少しだけ上げた。
「私たち、友達でしょ?」
「……」
「テネル。約束したでしょ? 忘れちゃった?」
「ですが……」
父親の顔と、リーシャの顔を見比べる。
とても、不安げだ。
「テネル。私は、テネルに、友達のままでいてほしいな。そして、また遊びたいな。テネルは、もういや? 私と、遊ぶのは」
まっすぐに、テネルを見つめたまま、問いかけた。
遊びたいけど、遊んで貰ってはいけない人だと、幼いながらも感じていた。
精いっぱい、考えた上で、テネルが口を閉ざしたまま、大きく首を振った。
「私が、友達なのが、いや?」
大きく、首を振る。
複雑なテネルに、優しくリーシャが微笑みかける。
「だったら、王太子妃殿下ではなくって、お姉様と、呼んでほしいな」
チラッと、不安な顔で、ルシードの顔を確かめる。
微笑む父親の顔を窺い、ホッとするテネル。
「はい。お姉様」
「よくできました」
満足げに、リーシャがテネルの頭を撫でる。
それを、アレスが無表情のままで眺めていた。
ルシード親子と別れ、着替えと、傷の手当てをするため、ユマにつれられて部屋に戻っていく。
読んでいただき、ありがとうございます。