第103話 行方不明2
「スマホは?」
会議を終え、戻ってきた王太子アレスが、秘書官ウィリアムから、妻リーシャの行方が知れなくなったと言う連絡を、自室の部屋で、聞いている最中だった。
目の前に立つウィリアムが、自分たちの失態に、やや俯きかげんだ。
「部屋に、置いたままです」
「……」
間が抜けている行為に、言葉をなくす。
(何のためのスマホだ!)
姿を消し、騒ぎになるのは、これが初めてではない。
その時も、スマホは部屋に置いたままだった。
「いなくなって、どれぐらいだ」
「ダンスの講義を終えて、次の講義の時間まで、散歩すると言って、出て行かれたようです。それから、妃殿下は戻られていません」
「何で、ついていかなかった?」
「申し訳ございません」
「……」
「時間を過ぎても、戻られなかったので、侍女たちが、隈なく捜索しましたが、未だに、発見できません。申し訳ありません、殿下」
会議から戻ってきたアレスに、隠すことができなかった。
「何をやっていたのだ。周りの者は……」
「重ね重ね、申し訳ございません」
律義に、アレスが漏らした呟きに、平謝りをしていた。
ふと、庭園にある人気がない、白い東屋が、頭の中に掠めている。
(ラルムと、一緒にあそこにいるのか……)
目を細め、考え込む。
何度か、白い東屋で、二人が佇んで、語らっているのを、見かけたことがあった。
けれど、そのことを、二人に伝えていない。
話す理由がないからだ。
「ラルムは、来ているのか?」
「いいえ。今日は、王宮にはいらっしゃっておりません」
(ラルムと、一緒じゃないのか……)
二人が、一緒ではないと知り、どこか、ホッとしていた。
楽しげに、二人して話しているのが、面白くなかったのである。
(では、どこにいる?)
居場所がわからなくなった。
アレスが知りうる場所は、限られていたし、その場所は、すでに捜している可能性が高かった。
姿がわからないだけで、心許ない。
早く、行方を確かめ、心に空いた穴を埋めたかった。
静かに、待ち構えているウィリアムに、視線を注ぐ。
「宮殿内は、隈なく捜索中か?」
「はい。勿論でございます」
「廊下で、眠っていたことや、訓練室で、眠っていたことも、あったが?」
「勿論。その可能性も踏まえて、捜索に当たらせていますが、未だに、発見できません」
以前、行方がわからなくなって、発見した場所は、すでに捜索済みだった。
アレスに報告する前までに、散々捜索したが、姿を発見するのに、至らなかったのである。
何より、足跡が、何一つ見つからず、ウィリアムたちが困り果てていたのだった。
「……そうか」
脱力し、背凭れに、身体を預ける。
別な考えが、飛び込んできた。
(秘密の通路を使って、外に出たか?)
無断で、王宮の外に、出ようとしたことがあった。
そのことが、頭の中で巡らせている。
(捜しても、見つからないとなると……)
激しい不安に、襲われる。
たった一人の人間が、自分の目の前から消えることに、これまで不安を感じたことがない。
それが、リーシャと出会って、過ごすうちに、アレスの中で、リーシャの存在が、大きくなっていった。
王宮の外に、繋がる秘密の通路は、アレスとリーシャしか知らない。
複雑な通路になっていて、方向感覚に乏しいリーシャでは、道に迷う恐れがあった。
そのために、一人では使うなと、強く約束させ、使わせていなかった。
けれど、両親に会いたくなって許可なく、一人で使おうとした経緯が、以前にあったのである。
(近頃の様子は、落ち着いていたはず……だ)
黙ったまま、ウィリアムが傍に控えている。
そんなことに気を遣わず、深い思考の渦へと入り込んでいた。
(だから、リーシャが、勝手に秘密の通路を、使うはずがない。だとすると……、リーシャは一体、どこにいる?)
思考のすべてを駆使し、王宮内の、どの辺りにいるのかと巡らせる。
だが、思い当たる場所がない。
苛立ちが募らせる。
だが、その表情が表面に出なかった。
常に、冷静沈着でいるように、幼い頃より、教えられてきたからだ。
(とにかく、どうにか、対処しなければいけない)
「この後の予定は?」
「殿下の予定は、馬術の時間です」
「中止だ。午後の準備は、万全にしておけ。ただ、もしものことも、踏まえておくように」
「はい。そのように、致しておきます」
立ち上がったアレスに、ウィリアムが、まだ何か言いたげな顔を滲ませている。
「何だ、まだ何かあるのか?」
「それが……、王妃様の命令で、ジュ=ヒベルディア伯爵のご子息の行方を、捜させています」
「どういうことだ?」
訝しげに、問い質した。
表情を出さないアレスには、珍しかった。
極秘に、テネルの行方を捜索するようにと、通達が来たことを、掻い摘んで語った。
「リーシャと、同じように、行方が知れないのか?」
「はい。そのように、窺っております」
警戒していたルシードの息子テネルも、同じように行方不明になったと耳にし、王宮内で不穏なことでも、起きたのかと、瞬時に、頭の中を駆け巡っていた。
それと同時に、ルシードとリーシャが、また接触した可能性も踏まえ、考え始めるのだった。
怪訝な顔を、アレスが窺わせる。
「来ていたのか? ジュ=ヒベルディア伯爵が?」
脳裏に、パーティーで、リーシャと接触したルシードの姿が蘇る。
何も知らないリーシャに、近づいていったのだった。
「はい。そのようです」
こっそりと、王妃エレナに面会に訪れていることは、以前から、知っていたのである。
シュトラー王が、会うのを認めていたので、それについて、何も言わなかった。
それに、言うつもりもなく、ただ傍観者の立場をとっていたのだ。
「無視することも、できないな」
「はい」
「何で、こんな時に……」
次から次へと、起こる面倒ことに辟易している。
「申し訳ありません……」
「お前が、謝る必要はない。……王妃様からの通達と、一緒に動け。それと、リーシャの件も、できるだけ極秘だ」
「はい」
通達を、捜索隊に伝えるために頭を下げ、出て行った。
残されたアレスも、リーシャの行方を捜すために、部屋をすぐに出て行った。
庭園に出る前に、念のために秘密の通路が、使われた形跡がないかと確かめた。
けれど、使用した形跡は、残っていなかった。
それと以前に、バレてしまったアレスの秘密の部屋も捜したが、誰の姿もなかったのである。
落胆と同時に、見つからないことへの苛立ちが膨らんでいった。
庭園を一人で、アレスが捜していた。
自分よりも、先にラルムがリーシャを、捜し出したことがあった。
だから、誰よりも先に、自分が見つけようと静観していた立場を変え、動き出していたのだった。
白い東屋や、薬草園を、自分の目で確かめたが、そこにも姿がなかった。
「どこにいる?」
広い庭園内で、行きそうな場所を、思い描く。
宮殿内を捜した方がいいかと、立ち尽くしているアレス。
人一人を捜すには、王宮の庭園は広過ぎた。
ハイテク機器で、警備されているとは言え、いくつかの穴があり、王宮内も万全ではなかった。
設置されているカメラにも、センサーにも、発見する要素が見つからない。
立ち止まっていてもしょうがないと、とりあえず、足を進め始める。
視界の先に、何種類ものバラが、植えられているバラ園を捉える。
「……ここにはいないだろう……」
なぜか惹かれ、理由もなく、足が止まってしまった。
(念のためだ)
バラ園へと、足を踏み入れ、どんどん、奥へと進んでいく。
王宮のバラ園は、一種の迷路のようになっていて、様々な品種のバラが彩られていた。
「やっぱり、こんなところにはいないな」
背の高いバラもあるが、大部分が低いもので、視界が隠れていないのだ。
だから、ここにいるとすれば、すでに視界に入っても、おかしくはなかった。
「引き返すか……」
身体を回転しようとした瞬間。
バラの植え込みのところで、寄り掛かるように、眠り込んでいる二人の姿が飛び込んでくる。
そして、身体を寄せ合いながら、気持ち良さそうに口元が緩んでいた。
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