第102話 行方不明1
体調を崩し、寝込んでいた王妃エレナの元へ、テネルの父親で、以前にパーティーで、息女たちから、嫌がらせを受けていたリーシャを助けた、ジュ=ヒベルディア伯爵であるルシードが、近況を伝えるために、面会に訪れていた。
「それで、どうなの?」
ベッドの中で、座っている王妃エレナ。
部屋の中では、二人の他に、侍女二人が、少し離れた位置に控えている。
王妃エレナの部屋は、国王夫妻が住まう、スティリア宮殿でも、日当たりがいい場所にあった。
「変わりませんよ」
ベッドの横で、苦笑しているルシードが椅子を置き、腰掛けている。
「そう。こちらに、顔を見せてほしいものね」
「それは、無理かと思います」
申し訳ない気持ちで、いっぱいだった。
王妃エレナが会いたがっている人物は、こられないだろうと掠めている。
「そうね。いつになったら、仲良くなってくれるのかしら」
「……」
難しい返答に、困り果ててしまう。
頭の中に、話題となっている二人の顔が、浮かんでいる。
互いに、眼光を光らせ、睨み合っている光景だ。
どう考えても、いがみ合っている二人が、打ち解けないだろうと、思えてしょうがない。
長年の間、歩み寄ることを、拒み続けている二人に、王妃エレナやルシードは気にかけていた。
だが、どうすることもできず、月日だけが、無意味に流れていった。
「これほど、喜ばしいことはないと、思わない?」
「……そうですね……」
「でも、仲良くしているところも、へんよね。不仲の姿が、見慣れ過ぎて」
クスッと、笑っている王妃エレナ。
「……」
そうですねとも、言えない。
「どう思う?」
「さぁ……、どうでしょう……」
僅かに、頬を引きつりながら、惚けるしかなかった。
そんな二人の会話が、耳に入りながらも、忠実な王妃エレナの侍女たちは、顔色一つ変えず、控えている。
「何か、いい方法は、ないかしら?」
更なる問いに、ぎこちなく笑うしかない。
「方法ですか……、関係ない人間が、介入するのは……」
「でもね……、これでは、一生このままよ」
もっともだった。
二人が死ぬまで、このままの状態が続くと思うほどだ。
けれど、肯定することもできない。
「……そうかも、しれないですし、違うかもしれません」
考えた末の苦渋の答えを、口にした。
何か、妙案がないかと、逡巡していた王妃エレナの顔が、ぱっと明るくなった。
「こうなったら、とことん、言い合いをして貰いましょうか」
「えっ」
「悪い膿を出し切ってみたら? 言い合いをして貰って、すっきりすれば……」
いい考えねと喜んでいる姿に、思わず頬が引きずってしまう。
(血の雨が降ってしまう……)
言いにくそうに、ゆっくりと口を開く。
「……それは、やめた方がいいと、思いますが」
「どうして?」
可愛らしい仕草で、首を傾げた。
お茶目な、おばあ様と称しても、いいぐらいだ。
(血の雨が降るかもしれないからです)
心の中では、ストレートに言うことができた。
「総司令官殿や、副司令官殿が、大変かと……」
「ソーマと、フェルサが?」
「はい。仲裁に入る二人に、これ以上の迷惑は……」
ぎこちないルシード。
最後まで言わないまでも、仲裁する二人の過去の姿を振り返って、納得するのだった。
実行しようとする意気込みを削げ、安堵の表情が滲む。
やり兼ねない恐れが、王妃エレナにあったからである。
「ホント、どうしようもない人たちね」
「……はぁー」
これ以上の話題を避けるため、そろそろ退室しようかと、巡らせているところに、息子テネルの話題となる。
「ところで、テネルは、大きくなったかしら?」
「はい。私の言うことを守る、賢い子ですが、……少々、内に、こもるようなところが、あるようです。私のせいでも、ありますが、未だに、友達ができないようで……」
以前から、友達がいないことを、気にかけていた。
けれど、何もできず、そのまま放置していたのだった。
父親一人では、目が行き届かないのである。
「それは、いけませんね。友達を作らないと」
自分の孫のように、テネルを可愛がっていた。
たびたび訪れるルシードを、息子のようにも思っていたのである。
ルシードの実母は、若くして、亡くなってしまったが、ルシードを身籠るまで、王妃エレナの忠実な侍女として仕え、厚い信頼をかけて貰っていたのだった。
「はい」
「でも、なんだか、小さい時のルシードに、似ていますね」
慈愛のこもった微笑みを注ぐ。
「そうでしょうか」
僅かに、瞳が揺らいでいる。
自身も、幼い頃、友達が少なかったのだ。
「小さい時のあなたも、そうでしたよ。いつも母親の後ろに隠れて……」
「それは……」
恥ずかしい昔話に、口籠ってしまう。
母親に連れられ、王妃エレナに面会する際、母親の背後に隠れ、話しかけられても、出てこられなかった。
赤面している大人のルシードに、王妃エレナが小さく笑う。
「この話は、止めにしましょうね」
胸を撫で下ろすルシードだった。
「そうしていただけると、助かります」
背後にいる侍女の存在が、あるからだ。
「仕事も、大事ですが、外に、連れて行って上げなさい」
真摯に、王妃エレナの話に、耳を傾けた。
「テネルには、母親がいないのですから」
「……はい」
言われている通りだと、従順に返事した。
「あなたが、一緒に外の世界へ、いってあげないと」
仕事にかまけ、息子を、ずっとほっといてした。
できるだけ、一緒にいようと、心掛けているものの、外に出かけ、遊ぶ時間がとれず、家の中に、ずっと閉じ込めていたようなものだった。
幼いテネルを、一人で外に行かせられず、結局、家の中で、遊べるような本や、おもちゃを揃えただけだった。
「そう、いたします」
「もう亡くなって、何年になるかしら」
「テネルが、一歳の時ですから、四年になります」
ルシードと同様にテネルも、母親を亡くしていた。
「もう五歳」
衝撃的な話に、目を丸くする。
記憶に残っている姿が二歳か、三歳だったのだ。
「子供の成長は、早いわね」
「近頃は、一層そう感じます」
「今度、つれてきなさい」
「そうします」
王妃エレナが病弱のため、幼い子供を会わせられないと抱き、会いたがっていると、わかっていても、控えていたのである。
「リーシャとは、会ったかしら?」
「……はい。先日のパーティーの際に」
急に、リーシャのことを振られ、戸惑いながらも、困ったような笑みが零れてしまう。
話してもいいだろうかと、自分の立場がちらつくからだ。
「どうでしたか? 可愛らしい子でしょ?」
慣れないパーティーで、どうしていいのか、戸惑っている姿が頭を掠めた。
王太子と、結婚したリーシャが、気に入らないようで、息女たちの一部から、嫌がらせを受けていたのである。
その姿が痛ましく、感じていた。
だから、接触しないようと抱きつつも、助けてしまったのだった。
「陛下も、私も、可愛くってしょうがないの」
「そのようですね。噂は、いろいろと耳にします」
「噂? どんな噂が、広まっているの?」
愛くるしい表情を、王妃エレナが覗かせている。
「二人が、競い合うように、可愛がっていると」
「……そうね。そうかも、しれないわね」
無邪気に、笑ってみせる。
「話を、したのかしら?」
「少しだけ」
「どうして? ちゃんと、話さないの」
母親が息子を窘めるような眼差しだ。
ルシードが母を失って以来、王妃エレナは、自分の息子のように、接してきたのである。
「すいません」
「……しょうがない子ね」
置かれている、難しい立場を弁え、迷惑をかけないように、気遣っているルシードを、哀れに思えてしょうがない。
そして、それを乗り越えてほしいと、ずっと願っていた。
「今度、お茶会に、二人を招待するわ。勿論、リーシャもね。だから、その時は、ちゃんと、お話をするのよ。ちゃんとできないと、テネルに笑われるわよ」
茶目っ気たっぷりに、笑ってみせる。
「……はい」
一人の侍女が、血相を変えた様子で、部屋へ入ってきた。
何かを感じたようで、和やかな表情から一変し、王妃らしい気品ある、凛々しい表情へと変わった。
「落ち着きなさい。何があったのです」
入室してきた侍女が、逡巡した後、当惑しているルシードの顔を窺っている。
「ジュ=ヒベルディア伯爵ですか?」
王室に関することではなく、瞬時に、侍女の様子から、ルシード側に、何かあったと察する。
「は、はい」
乱れた呼吸を整えた。
「……テネル様が、行方知れずになって、しまいました。周辺を捜しましたが、いっこうに、姿が見当たりません」
衝撃的な事実を告げられ、座っていた椅子から、飛び上がってしまう。
大切な存在がいなくなったと耳にし、身体の力が抜けていくようだった。
「至急、手の空いている者を総動員して、宮殿内と、庭園を捜させなさい。それに、他の宮殿にも、行っている可能性が、あるかもしれません。他の宮殿にも伝えて、捜索に当たらせるように。できるだけ、大事にしないようにしなさい。それに、テネルは小さい子供です。そのことを踏まえて、捜索に当たるように。大人では、考えもつかないところに、いるかもしれませんから」
てきぱきと、冷静に侍女に命を下した。
侍女は、その命を伝えるため、そそくさと出て行った。
「ルシード。まず、あなたが、落ち着きなさい」
捜索を命じている間、動揺を隠せず、愕然と立ち尽くしていたのだ。
「は、はい」
いつも、言いつけを守るテネルが、いなくなるとは思ってもみないことだった。
それだけに、動揺が大きかった。
「そんなに、遠くには行っていないでしょう。それに、ここは王宮内です。外で行方がわからなくなった訳ではありませんよ」
「はい……」
心、ここに非ずといったようで、ソワソワしている。
「王宮に、小さな子供がいれば、目立ちます。だから、心配はいりません」
「はい」
「いつものところに、いたのでしょう」
「はい」
「だったら、大丈夫です。きっと、この近くに、いるはずですから。……今、あなたがすることは、落ち着くことです」
落ち着きある王妃エレナ。
狼狽し、何もできなくなっていたルシードを窘めつつ、安心させていたのだった。
「はい。……でも、いつもは、おとなしくしているのに、今日に限って……」
「何か、興味を惹かれることでも、あったのかもしれません」
「興味ですか?」
「鳥や虫を見つけて、それを、追いかけてしまったとか」
それは、違うと巡らす。
鳥や虫に対し、興味があるとは思えなかった。
「昔、私もそうでしたから。よくそれで、姉に怒られたものです」
浮かない相槌しか、出てこない。
頭の中は、テネルでいっぱいだった。
やれやれと、王妃エレナが首を竦めている。
「深呼吸をして」
「はぁ?」
「深呼吸です」
言われるがまま、ルシードが深呼吸をした。
「ここを、出てからもしなさい」
「?」
「きっと、捜してくれるのを、待っているかもしれませんよ」
「! そうでした」
「では、ここを出たら、深呼吸をすることを、忘れないように」
「は、はい。それでは王妃様、失礼します」
頭を下げ、ルシードが大慌てで、飛び出していった。
姿が見えなくなったテネルを捜す部隊に交じり、王宮の広い庭園を捜し回る。
いなくなったテラス周辺を捜すも、その姿がなかった。
懸命になって、テネルを捜しているが、いい知らせが入ってこない。
落ち着こうとするものの、亡き妻から託されたテネルの所在がわからず、焦りだけが募っていく。
各宮殿内も、王妃エレナの命に従い、捜索に当たっていた。
だが、姿を見つけられない。
珍しく、侍従や侍女と顔を合わせずにいたテネルとリーシャは、かくれんぼして遊んでいたのだ。
バラ園の茂っているところに、上手く隙間を見つけ、隠れているテネル、それを懸命にリーシャが見つけようと捜していた。
まさか、大勢の人間が、忽然と姿を消したテネルを捜し、大騒ぎになっているとは思ってみなかったのである。
読んでいただき、ありがとうございます。