第95話 静かな仮宮殿
仮宮殿の主である二人が、クラージュアカデミーに行っている間、侍従や侍女たちは、それぞれの持ち場で、掃除や、点検などの雑務をこなしている。
二人に、よりよい環境で、過ごして貰えるようにだ。
ここ数日の仮宮殿の様子は、がらりと違っていた。
淡々とする、静かさが漂っていたのだ。
侍従や侍女たちの活気が、なくなっていた。
その原因は、いつも以上に、冷淡な様子のアレスと、普段はお喋りなリーシャが、固く口を結び、無口な状況になっていることだった。
仮宮殿内は、居た堪れなさと、消沈した空気が立ち込めていた。
仮宮殿に、嫁いできたばかりのリーシャの姿があれば、楽しげな声や笑い声、歓喜の声など、様々な響きが、木霊していたのだ。
現在の状況は、主が失ったかのように、静寂そのものだった。
メイ=アシュランス子爵邸から戻ってから、王太子アレスとケンカしたようで、元気がなく、仮宮殿にいても静かで、誰もが口に出さないが心配していたのである。
「元気ないわね、リーシャ様」
掃除の手を休め、クララが嘆息を零した。
この時間帯は、年若い侍女の二人が、リーシャの部屋の掃除だった。
このところの二人の様子が気になり、掃除に身が入らない。
何度か、ユマに怒られることもあるほどだ。
「そうね。アレス殿下と、ケンカしたようね」
食卓での、二人の様子を思い浮かべるヘレナ。
連日のように、侍従や侍女たちは暗澹とした気分を、味わっていたのである。
口を聞かない二人を見れば、ケンカしたことは一目瞭然だ。
いつものリーシャのお喋りがない。
メイ=アシュランス子爵邸から、戻ってからの食卓の天気は、曇よりと曇っていた。
これまでの食卓が、明るかったかと言えば、そうでもなかった。
だが、小さく笑ってしまう暖かみが、どこかあったのだ。
今度は、二人揃って、嘆息を吐く。
「いつもだったら、ケンカしても、元気で、いらっしゃるのに」
「どうしたのかしら……」
お喋りだったリーシャが、黙り込んでいる様子からは、その深刻さぶりが垣間見え、どうにも落ち着かなかった。
仕えている人が落ち込んでいる様子に、自然と、二人も落ち込んでいった。
気鬱な状態が続き、掃除も、より一層捗らない。
ますます、遅れる一方だった。
「アレス殿下って、冷たいところあるから……、何か酷いことでも、言われたのかな」
少しでも、元気な姿になってほしいと、クララが原因を模索していた。
自分たちでできることがあれば、手を尽くしたかったのだ。
違う立場だったが、誰に対しても、優しさがあるリーシャの役に立ちたかったのである。
「誰かに、聞かれたら、どうするの?」
迂闊なことを口走るクララに、眉間にしわを寄せた。
王室の人間に対し、侍従や侍女たちが、意見するのは禁じられている。
「だって、心配じゃない。リーシャ様の様子が」
「それは、そうだけど……」
ソワソワしながら、周りに人がいないかと、ヘレナが気を配っていた。
発言一つで、問題視されるからだ。
「私たちだって、目が廻りそうなのに……」
「……」
「あんなに、頑張っているのよ」
元気ない中でも、スケジュールが空くこともない。
決められたスケジュールの予定を、粛々とこなしている状況だ。
全体的に、お后教育などが、遅れ気味だったのである。
落ち込んでいる時間さえ、与えて貰えない。
心の整理さえ、ままならなかったのだった。
講義の時間も、ここに心あらずのようで、何度も、外部からの講師や、講師も務めているユマからも、注意の声をかけられていたのだ。
そのせいもあり、いつもの終了時間になっても、講義の時間が多く延びてしまい、睡眠時間などの削られる部分で、時間を削られていた。
二人の目からしても、過酷とも言えるスケジュールだった。
「大丈夫かしら」
「ホント……」
二人は、掃除の時間にもかかわらず、手が動かず止まっていた。
筆頭侍女のユマは、アレスの母セリシアに呼ばれ、仮宮殿にいない。
最終点検を行うユマがいないことで、どこか気持ちが、おおらかになっていた。
「どうすれば、元気になっていただけるのかしら」
いいアイデアも浮かばないヘレナ。
嘆息だけ零した。
先に、手を止めたクララを、窘めるのも忘れている。
「早く、戻ってほしいわね」
ポツリと、クララが呟いた。
「うん、そうね」
「ここも静かで、何だか寂しい気がするから」
不意に、クララが周囲を窺っている。
しんと、静まり返っていたのだった。
「私も、そう思う……」
二人が同時に、嘆息を零していると……。
「手が、止まっているわよ」
突然の声に、ビクッと、身体を震わせる二人。
身体を同時に、声がするドアに振り向けた。
すると、そこに、同じようにリーシャ専属で、先輩のバネッサが立っていたのだった。
持ち場の仕事を終え、顔を出さない二人の様子を、見に来たのである。
「「す、すいません」」
呼吸を合わせ、二人が謝った。
部屋のほとんどの掃除が、できていない状態だ。
しまったと怒られると、しゅんとしている。
「ユマが戻ってくる前に、終わらせなさい」
「「は、はい」」
驚きつつも、声を揃え、返事をした。
「リーシャ様のこと、気になるのはいいけど。仕事は、ちゃんとしないと、いけないわ」
二人が何を考えていたのか、察していたのである。
「「……はい」」
背筋を伸ばし、バネッサの話に耳を傾けている。
「こういう時こそ、気持ちのいい部屋にしないとね」
軽く微笑むバネッサ。
窘めつつ、二人の心を解く。
それに、つられるように二人が笑う。
「「そうですね」」
「じゃ、後はよろしくね」
「「はい」」
今度は案じながらも、手を休めることなく、掃除を最後まで終わらせた。
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