第94話 割れたカップとソーサー3
誰もいない休憩室に、アレスは辿り着く。
誰の姿もないところを捜していたら、ようやく、ここに行きついたのだった。
それも、二人がよく使っている休憩室だ。
憮然としたまま、部屋の中央で、腰を下ろした。
「なぜ、ここしか空いていない……」
忌々しい呟きが漏れた。
一番足を伸ばしたくない場所でもある。
いつも、がらんとしている訓練室や、別な休憩室に、足を運ぶが、どういう訳か、生徒や研究員たちが大勢いて、どこの部屋も空いていなかった。
威圧する空気を放出し、追い出そうかと過ったが、すぐにやめた。
そして、自分専用のロッカーに向かおうと抱くが、その距離まで離れていると、踏みとどまったのだった。
「何なんだ」
乱暴気味に、吐き捨てた。
(こんな場所に休憩室が、必要なのか? 不必要だな。だから、こんなところで、訓練もせずに遊ぶんだ。潰して、別な部屋にでもするか……)
チラッと、スマホから、潰せと命じようかと巡らせたがやめた。
埒もない気がしたからだ。
人の多さに気づく。
なぜだ?と言う疑問よりも、別な思考の方が強かった。
前回の測定で、リーシャが出した数値が、研究員たちの目に止まり、話題となり、どんなものかと、今日のシミュレーションの様子を窺いに来た者たちだった。
訓練室に入れなくても、中でかかわっている仲間の研究員から、情報を聞き出そうと、各部署から研究員たちが、密かに集まっていた。
そのために、訓練室や別な休憩室に、人が集まっていたのだ。
それに、シュトラー王やソーマ、フェルサたちの手足となって動く、軍のエリート集団《コンドルの翼》も、ホワイトヴィレッジに入り込んでいたのである。
リーシャの安全と、様子を窺うために、密かに潜り込ませ、探らせていたのだった。
そのせいもあって、普段よりも、ホワイトヴィレッジに人が溢れていた。
一人で佇むアレス。
これまでのことを思い起こす。
「なぜ? あんなに怒っている? たかが食器ぐらいで……」
そう口にしたものの、どこか罪悪感のようなものは抱いていた。
それも、不満に思う要因でもあった。
何も悪くないと抱いても、なぜか、悪いような気がしてならない。
そう抱かせるリーシャにも、腹立たしかったのだ。
食器を割って、怒っていると言う認識だけは持っていた。
だが、どうして、それだけのことで、怒っているのか、それがわからなかった。
食器が割れるのは、当たり前のことで、新しいものに変えれば、いいだけの話だ。
そう思うのに、なぜか気持ちが沈んでいくばかりだった。
暗い顔で、涙を滲ませ、怒っていた姿が、頭から離れない。
僅かな罪悪感と、不満を、このところずっと抱えていた。
感情を振り回すリーシャに、楽しいと思う反面、振り回されることに、不満と苛立ちがあった。
「……」
(捨て置けばいい。何で、この僕が、あいつに振り回されないと、いけない? そう、捨て置けばいいんだ。そうすれば、いずれ収まるだろう……)
何度も、順繰り廻って、思う答え。
結論を出し、傍観者の立場で、いようと思うのにいられない。
「……いつまで、待てと言うんだ」
眉間にしわが寄り始める。
胸の中には、楽しげに笑うリーシャの姿。
「あれが悪い。機嫌を直さないのが、いけないんだ」
知らず、拳に力がこもる。
(僕は、王太子なんだぞ。向こうから、声をかけるべきだ)
沈んだ顔を、させたくないと抱き、メイ=アシュランス子爵邸にいった。
コロコロと、変わる笑顔を見たくって。
でも、メイ=アシュランス子爵邸で、アレスは楽しくなかった。
楽しげな笑顔をしていたが、どこか遠くへ行ってしまいそうな気がして。
結局、帰る際になり、ケンカしてしまった。
戻った仮宮殿でもケンカし、リーシャの機嫌は、いっこうに直らない。
それどころか、機嫌の悪さが増していった。
(僕と、口を聞かないつもりか?)
ずんと、胸の中が重くなるのを感じる。
食器を割って以来、会話らしい会話をしていない。
頑なに、リーシャが口を結んでいたのだ。
食事の際、常に、リーシャは一人で喋っていた。
どれだけアレスが無視してもだ。
それなのに、今は二人して、静かな食卓を囲っていた。
(うるさくなくって、ちょうどいい)
そう抱こうとするが、本音は違っている。
当初は、それを望んでいたが、静か過ぎるぐらいの食事の席に、物足りなさを感じ、早く口を開いて、声を聞きたいと巡らせていたのだった。
「面倒だ……」
そう口にするものの、解決策を模索し始める。
元通りに戻したいが、その手段が浮かばない。
これまで、仲直りの解決策を、習ってはこなかった。
ケンカをしたことがなければ、衝突らしいことが起きても、相手から折れていたからだ。
「どうすれば……」
知らず、知らずに、口から言葉が漏れていたのである。
普段の冷静沈着な姿からは、想像できない失態だ。
周りの目を気にしていることもあり、失言には気をつけていた。
「どうかしたの?」
背後から声を掛けてきた。
振り向くと、首を傾げ、後を追ってきたステラが立っている。
眇めた後、アレスはすぐに視線を外した。
あからさまに、避けられた態度にも、臆すことがない。
それよりも、アレスと話をしたいと願っていたからである。
周囲の目を気にし、なかなか声をかけられずに、ずっと話すタイミングを見計らっていた。
パートナー時代の時でさえ、周囲の目を気にしていたのである。
パートナーを解消となり、余計に周囲の目が気になるものの、どうしてもアレスの傍に近寄りたかったのだ。
「別に」
拒絶している姿勢を、無視するステラ。
むげな態度を取られても、一緒にいたかった。
「何かあったの?」
「ない」
「様子が、変よ」
「いつもの、僕だ」
味気ない返事。
ただ、ステラが苦笑いするだけだ。
知り合って、これまでの態度と、全然わからない。
パートナーの時代も、むげな態度を取られたことがあった。
「そう。それならいいの」
それ以上、深く問い質さない。
引きどころを、これまでの経験から、把握していた。
「ハーツのことで、相談あるんだけどいい?」
「……なんだ」
一瞬だけ、ステラの顔を窺った。
一人で、あれやこれやと考えたいことが山のようにあった。
けれど、結局、結論には至らなく、悶々と、鬱屈した気分になるだけだった。
少しの気晴らしが、必要な気がしたのだ。
「どうしてもね……」
口にしながら、アレスに寄り添っていった。
二人の肩が、ぴたりと、くっつく。
その光景を、シミュレーションを終えたばかりのリーシャと共に、ラルムも眺めていた。
まるで、親密な関係の二人のように映っていたのである。
呆然と、立ち尽くすリーシャ。
顔色を失っていく様子を、じっと傍らで、心配げに窺っていた。
「大丈夫?」
小声で、具合を確かめた。
顔面蒼白で、今にも倒れそうだ。
この位置から、あちらまで声が聞こえないと思っても、これ以上、面倒なことになって、リーシャを傷つけたくなかった。
互いに鉢合わせし、惨めな思いをさせたくなかったのだ。
何でもないと、気丈に振舞う姿が痛々しい。
「うん……。さすが元パートナーね、仲がいいわね」
「そうだね」
相槌を打つことしかできない。
訓練室でも、二人が一緒のところを、リーシャは見かけていた。
無視しながらも、それとなくアレスの動向を窺っていたのだ。
二人が一緒のところを目にするたびに、胸のところが激しく痛くなっていた。
(……仲良くなれば、あんなふうに慣れるのかな……)
いっこうに、仲良くなれない自分たちに、さらに距離感が遠のく気がする。
「行こうか、リーシャ」
「そうだね、ラルム」
無理に、笑顔を作った。
そうしなければ、涙が出そうになったからだ。
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