第93話 割れたカップとソーサー2
翌日、険悪なムードのまま、二人は揃って、クラージュアカデミーに登校した。
特進科と美術科に分かれて行き、それぞれに、午前中の授業を悶々と受けていたのだ。
公務などの予定がなかったため、午後からリーシャとラルムは、美術科のある校舎から、特進科の授業を受けるために、ハーツの訓練施設ホワイトヴィレッジに向かって歩いていた。
「気にすること、ないよ」
浮かない表情のリーシャを励ました。
段々と、時間が流れるにつれ、沈んでいったのだった。
もう少しで、未だにケンカ中の相手と、顔を合わせることになっていた。
それが憂鬱で、足取りが重かった原因である。
「……うん。わかっている」
「四十分ぐらいだから、一緒なのは」
大丈夫だよと促されるが、どこか、まだ不安が隠せない。
だが、どこか、会いたい気もしていた。
顔を見ないと、落ち着かない時があるのだ。
「うん……」
根気よくラルムが、励まし続ける。
少しでも、心の鬱を取り除けるように。
そして、笑っていられるようにだ。
「そうしたら、二人で、体力造りのカリキュラムだから」
「うん……」
(私って、どっちなんだろう? 会いたくないのか、それとも……)
「あっという間だよ、アレスと、顔を合わせているのは」
これから共同で、授業を受けることになっていたのである。
気が滅入ったままで、ハーツの訓練を受けたくなかった。
でも、周囲に迷惑をかけてしまうと、渋々といった顔で、足を進めていたのだ。
その反面、アレスの様子が気になり、無表情な顔を見て、確かめたいと、心の隅にそんな思いが存在していたのである。
けれど、近くにいると、どうしても壊れたカップとソーサーと、価値観の違いが、目の前でちらつき、自分がどうしたいのか、わからなくなってしまうのだった。
「行くのを、やめる?」
少し躊躇った後、首を横に振った。
「いいの? ホントに?」
揺れ動くリーシャの瞳を覗き込んでいた。
「迷惑、かけれないし……」
「そんなことないよ」
「行かないと、アレス、きっと怒るし……」
「機嫌悪いのは、いつものことだよ」
「私、行くわ」
「そう。なら、行こう」
「ありがとう。いつも傍にいてくれて」
俯いていた顔を上げた。
以前に、一度だけ、訓練を飛び出したことがあり、周りの人たちに、大きな迷惑をかけた経緯があった。
だから、自分のせいで、これ以上の迷惑をかけられないと、強く戒め、健気に頑張るのだった。
昼食の際に、散々アレスの愚痴を、ナタリーたちに聞いて貰っていた。
完全に、気分が晴れてはいない。
いつもだったら、アレスたちとは別メニューで、体力造りをしていた。
だが、今日は同じ訓練場で、一緒に行うことになっていたのを、ラルムから初めて聞いて知ったのだった。
仮宮殿から出かける前に、ユマからスケジュールの説明を受けていたが、ケンカのこともあり、どこか上の空で聞いて、訓練内容を聞き逃していたのである。
ホワイトヴィレッジに到着し、二人は施設の奥へ消えていった。
普段よりも、寡黙なアレス。
友人のゼインたちも、機嫌の悪さを、何となく感じ取っていた。
さすがに、原因まではわからない。
いつも通りに、当たり障りのない接し方をしていた。
何を聞いても、語らないのを把握していたからだ。
シミュレーションしているアレスとは、距離があることを確認してから、ティオが自分のデータを確かめているゼインに話しかける。
ゼインとフランクは、すでにシミュレーションの訓練を終え、自分のデータの結果を顰めっ面で眺めていた。
「荒れているな、アレス」
「そうだな」
そっけない返事。
話しかけられても、ゼインはデータが書かれた紙に、視線を降ろしたままだ。
自分のデータの結果を、気にしている。
想像していたよりも、データの結果が落ち込んでいた。
そんなゼインに気づかぬまま、無神経に話を続けるティオ。
「いつものこととは言え、近づきがたいよな。あーいう時のアレスは」
「確かに」
同じように、自分の結果に、渋い表情のフランクが同意した。
真剣に、自分の結果を注視しているゼインより、幾分だけティオの話に、フランクは耳を傾けていたのだ。
王太子の友達と言うステータスや、上辺だけの付き合いを求め、近づく生徒たちもいた。
けれど、身体から鋭い針を出している時のアレスに、近づこうとする者はいない。
誰も、近寄るなと言う空気を読んで、決して近寄らないのだ。
無表情の中にも、誰でもわかるような雰囲気を、放出していたのである。
黙り込んでいるゼインに成り代わり、フランクが口を開く。
「一段と、今日のは凄いな。俺たちですら、近づけないからな」
「だろう」
相槌を打つティオ。
視線の先は無表情で、シミュレーションを行っているアレスがいる。
訓練しながらでも、冷たいオーラを放射させていた。
「でも、いつものことだ」
「まぁね」
自分のデータから視線を外し、次々とポイントを上げていく姿を、ゼインはそれとなく確かめている。
負のオーラ全開にしながらも、始まった途端、ポイントを重ねていき、ミスは一つもしていない。
機嫌が悪い中でも、冷静にポイントを上げていく姿に、さすがと感嘆していた。
(冷静さは欠けないな。どんな境地にいても)
「人のことよりも、いいのか?」
のん気者に、ゼインが視線を巡らせた。
「何がだ?」
「お前の番」
シミュレーション専用のハーツは四台あり、ティオの番が、すぐ傍まで来ていた。
機嫌の悪いアレスに気を取られ、すっかり自分の出番を忘れていたのだ。
ホワイトヴィレッジは、ハーツパイロット候補生たちが訓練する他に、ハーツパイロットたちが訓練できるような高度な設備が、整えられていたのである。
「ヤバっ」
自分の出番を確かめると、刻々と、その順番が近づいている。
「しっかりしろよ」
「でも、俺はいいや」
「はぁ?」
「どうせ、正規パイロットは無理だろうし、出れるやつに、頑張って貰えれば、それで。それになったらなったで、いろいろ大変だろうし……」
あっけらかんと、気軽な考えをティオが吐露した。
「諦めが早いな、ティオ」
呆れ顔のフランクだ。
ハーツパイロットになる気がないティオ同様に、フランクも、ゼインにも、最終的に選ばれる正規のハーツパイロットになる気概がない。
ただ、そこそこの成績を出していればいいと、二人も安易に思っていた。
貴族の子息や、大富豪の孫である自分たちは、そこまでしなくても、自分たちの務めは違う場所に、用意されていると抱いていたのである。
だから、必死に正規のハーツパイロットになろうと努力し、躍起になっている他の生徒たちとは、そりが合わなかった。
「もう少し、やる気を見せたら、どうだ?」
のん気な姿に、ゼインも、さすがに多少の努力を促した。
「そうだ。お前のせいで、俺たちもそう思われたら、どうするつもりだ」
「いいよ、別に。意外と二人とも細かいことに、拘るんだな」
「無神経過ぎるんだ、お前が」
「それ、言えている」
「それよか、今日はどうだ? クラブに遊びに行かないか?」
訓練後の遊びのことしか、ティオの頭にはない。
他の生徒たちよりかは、熱心ではない二人だが、成績はそれなりに気にかけていた。
このところ、連日の遊びが響いて、シミュレーションのポイントが、普段よりも、ずんと下降し、顔を僅かに顰めている。
「お前みたいに、楽観はできないな」
ボソッと、ゼインが呟いた。
「俺もだ」
頷きながら、フランクも同意した。
「お前たちは、気にし過ぎなんだよ。こんなの、ぱっぱっと終わらせれば、いいだけじゃないか。落ちたところで、大したことはないよ」
何気なく語るティオ。
それを必死に頑張っている生徒たちが、一斉に睨み出す。
けれど、当の本人は気づきもしない。
(口にするな。視線が痛過ぎるだろうが)
心の中で、ゼインが突っ込む。
バカなことを口走られ、頭を抱えるフランク。
そんな二人をよそに、ティオが気楽そのものだった。
「見せてみろよ」
手に持っている二人のデータを、それぞれ奪い取り、成績の内容を確かめる。
「ほら、大したことはない」
「大したことは、あるだろうが」
「そうだ。どう見て、前回よりは、落ち込んでいる。かなりの下降ぶりだ」
冷静に、フランクが自分の成績を、分析していた。
「それは、そうだろう」
二人は同時に、胸を張って、断言しているティオの顔を、黙ったまま窺う。
「訓練せずに、遊んでいたんだから。落ちて当たり前なんだから、気にすることはないさ。測定じゃなく、ただのシミュレーションなんだから。こんなのは、さっさとやればいいだけだろう?」
徐々に、聞いていた二人は、呆れているのを大きく通り越し、感嘆していた。
「お前みたいに慣れたら、どんなにいいだろう」
プラス思考のティオに、ある意味感心するフランクだ。
「いつでも、なっていいぞ」
大きく胸を張るティオである。
喋っているうちに、ティオの番となり、名前が呼ばれた。
シミュレーション専用のハーツに、揚々と歩いていく。
何の気後れもない後ろ姿。
ただ、二人は見送っていた。
そして、あっという間にティオが終わらせる。
ティオの成績は、下降していたものの、大きく下げていたゼインや、フランクのように、激しい落ち方ではない。
軽く、嫉妬を含む眼差しで、二人が窺っていたことに気づかないティオ。
アレスたちが終わってから、ようやくリーシャたちが姿を現した。
姿を見せても、視線を合わせようとしない。
いつものアレスの態度だったが、いっこうにアレスを見ようとはせず、話しかけようともしない、普段とは違うリーシャの態度に、ゼインたちが不審がる。
王太子と言う立場に臆すことなく、友達感覚で、よく話しかけていたのだ。
いつもとは違う雰囲気に、いつも以上に観察し始める生徒たち。
極まれに、ラルムと話している光景を、垣間見ることができた。
だが、それ以外は、固く口を結んでアレス同様に、虫の居所が悪いように思える。
「何があった?……」
「緊張している……とは、思えないな」
「機嫌が、悪いな」
それぞれに、三人は測定で驚くほどの成績を収めたリーシャを観察していた。
ハーツパイロットに、大した興味がない。
けれど、驚異的な成績を見せる、素人のリーシャに、興味を憶えたのだった。
予定の時間より、遅れて到着した二人を、アレスは見ていなかった訳ではない。
ただ、誰にも気づかれないように、静かに窺っていた。
先に行っていたアレスの成績は、いつもと変わりなく、同じ成績を出している。
シミュレーションを淡々とこなしながらも、その思考は、リーシャに対し、憤慨したり、なぜなんだと疑問を抱いたりし、全然集中していなかった。
そのためか、成績は変わらなかったが、精神回路を表す波形の線が、僅かに乱れを生じていた。
(何をやっている、遅刻して)
無表情のままだ。
(また、喋っていたのか)
休憩室で、仲良く話している光景が、ありありと浮かぶ。
王宮の庭園でも、楽しげに話している二人の映像が……。
次々と、仲睦まじく話している姿が浮かんでくる。
「……」
表情に出ていない。
だが、苦虫を潰したような気分を味わっていた。
「アレス」
背後から、ステラが呼びかけた。
そして、憮然としたままでいるアレスの脇に立つ。
突然、リーシャが特進科に所属するまでは、一年生の中で紅一点の存在だった。
クラージュアカデミーでも、群を抜いた美人として、知れ渡っていた。
現在は、その人気は二分されつつある。
王太子妃になったリーシャとだ。
「どうした?」
元パートナーだったとは、思えないほど淡白な返答だ。
そんな冷めた態度にも、綺麗な顔立ちで、ステラが受け流した。
「成績は、どうだった?」
「別に、変わりはない」
「見せてくれる?」
無言のまま、自分のデータを、ステラに渡した。
「さすがね。クラスの中で、トップね」
「わからない。ラルムがいるからな」
「確か、海外でも、訓練はつんでいたのよね?」
「ああ」
その通りだったので、そのまま答えた。
「じゃ、なぜ? 妃殿下と、訓練しているの?」
わからないので、何も答えない。
「アレスだって、わかっているんでしょ? 同等の力があるって」
「……」
(確かに。……なぜだ? あいつはリーシャと、一緒に訓練している? 海外に行っていたとは言え、実力は、大して変わらないはずだ。ハーツパイロットになるなら、少しでも、きちんとした訓練を、始めなければならないはず……。なぜ、リーシャと一緒なんだ? ハーツパイロットになるつもりがないのか? いや、そんなことはないはず、ラルムのことだから……)
「何も、聞いていないの?」
「知って、どうなる。興味がない」
「良きライバルじゃないの?」
「ラルムはラルム。僕は僕だ」
幼い頃、よく比べられていた。
比べられることを、幼い時は毛嫌いしていたのだ。
そう答えながらも、なぜと言う疑問符が拭えない。
視界の隅に、二人の姿がある。
ステラの視界にも、同じ光景が見えていた。
「そう。このシミュレーションの結果は、どう予想する、意見を聞かせて」
「僕に、近い数字が出てくるだろうな。上か下かは知らない」
「凄いのね、ラルムは」
「そうだな」
「私は……」
「では、失礼」
自分の結果を、口にしようとしたステラを置き、もう用事は済んだはずだと言わんばかりに、さっさと立ち去ってしまった。
その後ろ姿を、少しムッとした顔で、眺め続けていたのである。
話をしながら、ラルムに対しての疑問の数々が、浮かび上がっていた。
けれど、その比重よりも、気にかけていたのはリーシャのことだった。
誰にも、邪魔されないところへ行こうと、足を踏み出したのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。