第9話 瑠璃の間
突然つれて来られ、宮殿にある一室で過ごすのも三日になろうとしていた。その間、リーシャは部屋から出ることも、家族や友人にも連絡できなかった。
ただ豪華な部屋に閉じ込められていた。
何度か逃げ出そうと試みるが、部屋の外には無表情で怖そうな女性二人が見張っていて、勝手に出られず、部屋の中で漠然と過ごしていたのである。
部屋で過ごす中で逃げだす別な手段を模索していた。
ベランダから脱出しようと出るが、部屋が三階にあり、その高さから地上に降りる勇気が湧かなかった。何度かチャレンジしようと、ベランダまで出て行くが地上を見下ろすだけで、部屋の中へおとなしく戻っていった。
ユマが宣言したとおりに、部屋に閉じ込められてからずっとリーシャの身の回りの世話を行っていた。最初は怖そうと思っていたリーシャも、段々と接するうちに隠れたユマの優しさに感謝しつつ、イメージは日に日に変わっていった。
献身的なユマの存在が閉じ込められている今のリーシャの慰めとなっていたのである。
部屋の外へ出ていたユマが戻ってきた。
「リーシャ様。陛下がお会いしたいと申されておられます」
フカフカの椅子に座って紅茶を飲んでくつろいでいたリーシャは、突然の呼び出しに思わず驚き、飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。
どうにか紅茶を飲み込むのに成功したが、ゴホゴホと咳き込んだ。
「大丈夫ですか? リーシャ様」
「えぇ」
その場をどうにか取り繕った。
背筋を伸ばし、凛としているユマに視線を注ぐ。
「今?」
「はい」
シュトラー王が何を聞きたいのかわかっていた。
あれ以外に、考えられない。
「……」
いろいろなことが複雑に絡まって、どうしたらいいのか、まだ自分の中で明確に答えが出ていなかった。
「陛下が……」
心が揺れていた。
「どうしよう」
閉じ込められている部屋から出たい、それに家族や友人に会いたいと言う気持ちだけで安易に結婚を決めていいものか、それとも断固として結婚を拒否し続けるか、思いが胸の中をグルグルと駆け巡っていた。
嘆息を吐く。
何度も口を開きかけた。
その間、辛抱強くユマは待ち続けていた。
「……会います。私、陛下に会って、話を聞いてみます。……そうしないと、先に進みそうもないから」
「わかりました」
ユマの案内で、シュトラー王が待っている部屋に通された。
部屋の前に立ち、初めてシュトラー王に会った部屋なのか?と首を傾げる。
その疑問を隣にいるユマにぶつけた。
「違います。ここは鳳凰の間ではございません」
「鳳凰の間?」
思わず聞きなれない言葉にきょとんとしてしまう。
(なんか変な感じ。部屋に名前がついているなんて)
「こちらの瑠璃の間同様、鳳凰の間も陛下のプライベート空間の一つでございます。ですが、こちらの瑠璃の間は鳳凰の間よりも、限られた人しか入ることができません」
説明を聞いてもピンとは来ず、お気に入りの部屋なのねと漠然と理解した。
「ここからはリーシャ様、お一人で入っていただきます」
「えっ! 私一人?」
不安な顔を窺わせる。
ユマは落ち着き払った優しい微笑みを零した。
「大丈夫でございます。中には陛下がお待ちになっております」
「……はい」
抑揚のない声で答えた。
「私はこちらで控えております」
「いってきます」
頭を軽く下げ、そのままの姿勢でユマは一歩退いた。
怖いと思う気持ちと、どんな部屋何だろう?と言う好奇心が複雑に入り混じって、部屋へと踏み込んでいった。
鳳凰の間の部屋よりも半分ぐらい、それ以下の小さい部屋だった。
「小さい」
入った途端、拍子抜けしてしまう。
部屋の至るところに大小様々な写真が展示されている。
その写真にはどれも若い頃のクロスが写っていた。
「おじいちゃんだぁー」
写真の多さと、どの写真にもクロスが写っていて、この部屋に来た目的を忘れて写真一つ一つを見て回っていた。
「すごぉーい。全部、おじいちゃんがいる。こっちのおじいちゃん、照れている。こっちはすましてる。すごぉーい」
目を真ん丸くして楽しげに写真を見て回っていた。
「気に入って貰えたか」
しまったと瞬時に身体を強張らせた。
「す、すいません」
部屋に国王が待っているのも忘れて、思わず軽はずみな自分の行動に赤面する。まともに自分の顔を向けられなくなり、居堪れずに俯いてしまった。
「謝ることはない」
「……はい」
まだ、顔を上げられないリーシャ。
温和な表情で座る椅子を指し示した。
指し示した場所はテーブルを挟んで向かい合う場所だ。一瞬驚いたが、示した場所に座らないとならない雰囲気に押され、諦めてしまった。
「……失礼します」
頭をちょこんと下げて、椅子に腰かけた。
金色の小さなクッションがいくつも置かれている。
いかにも高級そうなクッションを見て、うちでは買えないとシュトラー王を前にして、不意に変なことがよぎっていた。
「ケーキを用意しておいた。口に合うといいのだが?」
テーブルに小さな可愛らしいケーキが置かれてあった。
「可愛い」
瞬く間に顔を綻ばせる。
「ありがとうございます。陛下」
「紅茶が好きだと聞いた。ダージリンだ」
シュトラー王自らカップに注ごうとする動作に思わず驚き、やらしてはいけないと自ら注ごうと腰を浮かせた。
「自分でやります!」
「構わん。ここは限られた者しか入れない場所だ。だから、王である私も、ここではこういう真似をする。だから、気にすることはない」
「……はー……」
浮かせた腰を戻した。
気にするなと言われても気になり、カップに紅茶を注ぐ一部始終を眺めていたのである。紅茶をカップに注ぐ姿は、少しダンディなおじいさんといったところだ。
そんな姿を眺めながら、国王でもやるんだと心の中で呟く。
リーシャのイメージする国王像とは、すべて周囲の侍従がやるものかと思っていた。
「びっくりしたか?」
「はい」
素直な反応をするリーシャにほほえましい笑みを零す。
「昔、自分のことは自分でしないとダメだとクロスに言われた」
シュトラー王の言葉に、昔リーシャもクロスに言われたと、考え深げに幼かった自分とクロスを重ね合わせた。
「だから、ここでは自分ですることにしている。自分でやると楽しいものだ」
「おじいちゃんが?」
「そうだ。クロスが言った。クロスは私にいろいろなことを教えてくれた」
「私も、おじいちゃんから、たくさんのことを教えて貰いました」
祖父の話題に、目の前にいるのが国で一番偉い国王であることを忘れていた。
無邪気であどけない笑顔を零す。
そんな姿にシュトラー王も自然と笑みが零れていった。
「そうか。クロスは優しいからな」
「はい」
「飲むがよい」
「ありがとうございます。陛下」
用意されていた砂糖をカップに入れかき回した。
慎重にカップに口を近づけ、一口飲んだ。
(温かい……)
温かな味にホッとし、しばしの時間を和ませる。
隙だらけの姿に、楽しげな眼差しで眺めていた。
「おいしいです」
「そうか。ケーキもある」
「はい。いただきます」
紅茶を飲む時と同様の仕草が繰り返された。
「クロスと会えず、寂しい思いはしていないか?」
「何年も会ってないから、少し寂しいです」
「そうだろう」
「でも、平気です。おじいちゃんからは、たまに手紙が来ますから。それにパパが言っていました。連絡がないのは元気な証拠だって。それから、きっといろいろな人と楽しんだり会ったりして、少し家族のことを忘れているんだろうって」
明るく語る姿にシュトラー王はほのかに心が和む。
(やはり、クロスの息子だな。そのまま、血を受けついたのだろう)
「自分の世話でやりたいことができなかったのだから、もう好き勝手にさせてあげようって。帰りたいと思ったら、おじいちゃんは帰ってくるから。それまでは暖かく待っててあげようって」
リーシャの話に耳を傾けている間、静かに目を閉じていた。
「そうか。そうか。いい父親だな」
「はい。いいパパです」
すっかり目の前にいるシュトラー王によって、自分が両親と弟と引き離された現実がどこかへ消え去っていたのである。
「好きか?」
「?」
「クロスや家族が?」
「はい。おじいちゃんもパパもママも大好きです。それに憎たらしい弟ですが、ユークも大好きです。私の大好きな、そして大切な家族です」
胸を張って自分の家族が大切だと聞いて羨ましく感じる。
「クロスもいい家族を持って、羨ましい」
「陛下だって、いい家族がいるじゃないですか」
「……いい家族か。そう思うか? リーシャは」
「はい」
「嬉しいことを言ってくれる。本当にいい娘だ」
言葉の意味を理解できず、不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「?」
王妃様や息子さん、それにお嫁さん、孫がいて、何でいい家族ではないんだろうか?と頭の中を巡らせていたが、別な話を向けられて、小さな疑問は瞬く間に消えた。
「ところで、どうだ? 若い頃のクロスは?」
周囲に飾られている写真をグルリと見渡した。
様々な表情のクロスの写真が飾られ、中にはリーシャの見知らぬ人たちと撮った写真もあって面白くなっていた。
「変な感じです」
率直な感想をそのまま伝えた。
「変とは?」
「だって、おじいちゃんの若い頃なんて、なんか想像できなくって。でも、やっぱり写真を見ると、おじいちゃんなんです。本当に陛下と友達だったんですね。びっくりしました」
「私は嘘を言っていなかっただろう? クロスは心を許せる一人だ」
「そう、……何ですか……」
(陛下の周りにたくさん人がいるのに、どうして? こんなことを言うんだろう? 変な陛下だな……。たくさん人がいても、寂しいこともあるのかな)
考え込んでいるリーシャに、さらに話を続ける。
「私はここにいると、落ち着く」
意図がわからずにリーシャは困ってしまう。
「クロスと会えるからな。この場所は限られた者しか、入れない部屋だ。私にとって心を許せる、大切な部屋だ」
自分がそんな大切な場所にいてもいいのだろうかと疑問が生じる。
懐かしむ憂いな表情から、優しく穏やかな表情へ代わり、口角を上げて話を続ける。
「リーシャも限られた者の一人だ。いつでもここに遊びに来るといい。私は大歓迎だ」
「あ、あ、ありがとうございます」
「礼なら私の方だ。クロスの話ができて、こんな嬉しいことはない。こうして話していると、クロスが近くにいるようで落ち着く」
「おじいちゃんに会いたいですか?」
哀しい顔に引き戻っていった。
「……ああ。ずっと傍にいてほしかった。でも、私はクロスの望みを叶えたかった。それが私にできる、たった一つの償いだったからだ」
「望み? 償い?」
きょとんと自分を見つめているリーシャに昔の懐かしい記憶が蘇り、顔を綻ばせながら言葉を紡いでいった。
「私の友には、とても大切な恋人がいた。その恋人はハーツの研究者の一人で、将来は有望な研究員の一人だった。新しいハーツの開発もしていて、それは素晴らしい研究員だった。今は素直に賞賛できるが、私もその当時は若かった。素直になれず、ヘボとか、散々けなした」
「何か信じられません。陛下がそんなことを言うなんて」
「そうか。ま、若かったと言うことだ。……けれど、ある一つの事故で、……それはすべて失った。……ケガをして身体は万全ではなかったのに、私は開発途中のハーツに試乗したいと無理を言った。そして、そんな万全ではなかった身体で試乗したために、開発途中のハーツは暴走して事故が起きてしまった。その事故で私と私のパートナーの友人は助かったが、……付き添ってデータを取っていた、友の恋人は亡くなってしまった……」
何十年も昔、とあるハーツ開発の研究室内の一室。
そこには三人の若い男女の姿があった。
男二人は軍服の格好で、女性は白衣を身に纏っていた。
「な、試乗できるまで仕上がったんだろう? だったら、乗ってみないか?」
三人の目の前には目新しいハーツの機体が二機ある。それはつい最近、世界でも力を誇示しようとアメスタリア国で開発された新型のハーツの機体だった。
「何を考えている。この前、ケガして身体が完治してないだろう、シュトラー」
「大丈夫だ。心配するな」
呆れ顔で好奇心旺盛のシュトラーを見つめる。
「任せておけ」
その隣では白百合のような美しさと華やかさを持ち揃えている女性が、バカにするような冷ややかな目で好奇心を抑えきれずにいるシュトラーを見据えていたのである。
「後にしたら、どうなんだ。一応、王太子と言う身分忘れてないか? バカ王子」
その美しい顔とは違い、話す言葉は乱暴そのものだ。
ムッとするシュトラー。
女性は涼しげな顔のままである。
「お前だって、早くデータが取りたいって言っていただろう? このぐらいのケガ、大したことはない。王太子の命令だ」
美しい女性を鋭い眼光で睨む。
美しい女性は怯まない。
むしろ、楽しいとばかりに剥きになり始めているシュトラーを煽っている節があった。
「こんな時だけ王太子を使うな。バカ王子」
「だったら、バカ王子と言うな。ヘボ研究員」
果てしなくバカとかヘボと言う言葉が続く。
端整優美な二人の容姿からは想像がつかない。
「いい加減にしなさい。二人とも」
注意された二人は口を尖らせ、少し剥れる。
しかし、その表情は怒ると言うよりも、嬉しそうな表情をどちらも浮かべていた。
「ケンカはそこまで」
シュトラーは前へ歩み出た。
注意した男との距離が縮まった。
「ダメか?」
恐々と男の表情を窺う。
「……大丈夫なのか? ケガは?」
「大丈夫だ」
シュトラーが胸を張って答えた。
「……しょうがないやつだ。でも、無理はするなよ」
「ああ。な、提案なのだが、一号機と二号機、交換して乗ってみないか?」
「交換……。別にいいが、いきなりどうした?」
「ただの興味だ」
「……わかった」
「それこそ、我が友だ」
シュトラーは自信に満ちた満面の笑みを零す。
男はそんなシュトラーの顔が好きだった。
「悪い、そういうことだ。セッティング頼む」
女性はわかったと言って、司令管制室がある上へ上がっていった。残った二人は開発途中のハーツへ搭乗準備を始める。
二人は正規のハーツパイロットで、一人の女はハーツの開発研究者だった。
二人がハーツに搭乗して、しばらくは順調に進んでいたが異変が突然起こった。
問題なかったハーツが暴走し始める。危険を知らせる赤色のランプが点灯し、司令管制室や二機のハーツがある開発室は真っ赤なランプの色に染まっていた。
けたたましい音が辺り一面に響き渡ったのだ。
無線機を使い、ハーツに搭乗している二人に知らせる。
「早く。そこから脱出しろ!」
司令管制室から見る二機のハーツからは、妖しい灰色の煙がモクモクと上がって、今までに聞いたことのない異常な音を出していたのである。
開発室に映し出されたガーディアンナイトの更なる暴走が始めった。
完全に操作不能となり、女性がいる司令管制室に向かって手に持っていた剣を投げつけた。強制ストップができずに、具現化された剣は消滅せず、放物線を描いて司令管制室に突き刺さってしまったのだった。
上にあった司令管制室は爆音と共に大爆発を起こした。
「その友って、おじいちゃんのことですか?」
「そうだ」
「恋人って、おばあちゃんのことじゃないですよね?」
「そうだ。リーシャの祖母フランと出会ったのは、この事故後だ。この事故でケガをしたクロスは入院をした。私以上にクロスのケガは深刻だった。……私の前では予測できなかった事故だと優しく慰めてくれたが。……クロスの身体も心もボロボロだった。……そんな時だ、クロスが入院していた病院で、看護師をしていたフランと出会ったのは。フランのおかげだ、クロスの傷を癒してくれたのは。……すぐにでも戻るとクロスは言った。それをきっと周りの声がうるさかったからだ。周りに迷惑はかけられないと思ったのだろう。……そんなクロスに私は事故を思い出してほしくはなかった。まだ、時が早いと思ったからだ。言葉にせずともハーツがクロスの苦痛を甦らせるものだとわかっていたから、私はクロスにハーツから身を引くことを提案した。この国を揺るがすものだったが、私の意志で誰も有無を言わせなかった。そして、クロスは同意した」
「……」
シュトラー王の話に心はズキズキと自分のことのように痛んだ。
「そして、私は叶えたかった。クロスとミラを一緒にさせることはできなかったが、クロスの孫であるリーシャと、ミラの妹でエレナの孫アレスを結婚させようと。結ばれなかった二人の血を後世に結ばせようと。……私のせいだ。償いをしたくても、どうやっても償いはできない。私の罪だ」
苦渋の表情に想像以上に傷ついたのだろうと心中を察する。
「……おじいちゃんが違うと言うなら、違うと思います。その事故は誰のせいでもないと思います。もし、誰かのせいと思うなら、その事故は三人のせいだと思います。誰か一人のせいではない、そんな気がします。それをわかっていたから、おじいちゃんは誰のせいにもしなかったんだと思います」
「……そうか。クロスはそう思っていたのか……」
「たぶん」
「結婚の件だが、承諾……」
「わかりました。私、結婚します」
満面の笑みを見せるリーシャをシュトラー王は凝視していた。
「……決まりだ」
読んでいただき、ありがとうございます。