にゃんと抱っこと安らぎの魔王
「にゃんっ!?」
安藤さんは慌てて手を伸ばしてくれた。
けど、
ごめんね。
あたし今は高田君の気分なの。
高田君の手から袖に爪を立ててよじ登ろうとしたら、ヒョイと抱えあげて抱っこしてくれた。
そしてみんなに背を向けて、
頭を撫でて、ゆらゆら
そう。これ、これだよ。
「ずいぶん懐かれたもんですね」
少し笑いを含んだソルハさんの声が聞こえたけど、いいんだ。ゆらゆらが気持ちいーから。
でも、……なんでみんなに背中向けてるの?
そう思って見上げた高田君の顔は耳まで真っ赤で。
吃驚してマジマジ見つめたら瞼を塞がれて、あたしは目を瞑ってしまったのだった。
そしてあたしは今もまだ高田君の腕の中。
さっきの衝動がすっかり抜け落ちたあたしは、この場所が恥ずかしくて早く安藤さんの腕に戻りたいんだけど、ずーっと話が続いててタイミングが掴めないのだ。
今あたしたちは、お城の3階部分にあたる大広間のど真ん中で話している。
何かあったときに対処しやすいようにここを選んだんだって。
今度は高田君が喋っている。もう普段の顔に戻っていてちょっと悔しいのは秘密だ。ほんのり低めの声は耳に優しい。
内容はともかくとして。
高田君の話はこうだった。
昨日話をしたあとで、高田君は確信したのだそうだ。魔王はあたしたちの世界の人間だと。だからこそこの世界の人には魔王を倒すことはできないのだと。
あたしが昨日ぼんやり考えた安物のSF的な設定が、今ここに陽の目を浴びようとしている。
そして、高田君は魔王を『倒す』というのは違うんじゃないかと考えた。
理由は『聖女様』。
高田君は勇者様だから、倒せと言われたら剣を使う。
でも聖女様は?浄化しかできない聖女はどうやって魔王を倒す?
安藤さんは、そうなのよ、と言った。
「高田君がいたから何も思わなかったけど、私一人だったらどう倒せばよかったの?昨日、前回の聖女は一人だったと聞いて、不思議に思ったわ。どうやって倒したんだろう、って。だって、浄化と倒すのとは違うでしょ?」
本当だ。どうやって倒したの?前回の聖女様は。
あたしは高田君の腕の中から、高田君を見上げた。
顎のラインがシャープ。
ねーねー、どーやって倒したの?
高田君はにゃーにゃー鳴くあたしをチラリと見た。
「王宮で見た資料には、倒した方法は書いてなかった。書かれていたのは、お菓子の城の設計図のようなもの、動物に似た魔物の生態、とか」
え?それ書いたの、魔王じゃなくて聖女様なんだよね?なんでそんなものを?
「ついでに言えば、前々回の勇者が書いた資料も、エイリアンもどきのイラストを含めて魔物関係が殆どだった。あとは洞窟の見取り図」
安藤さんはグルリと辺りを見回して、凄く嫌そうに言った。
「私もしかして、この城の見取り図を描かないといけないのかしら?」
高田君も嫌そうに呟いた。
「俺も魔物の辞典くらいは作らないといけない気がするけど」
そして二人は顔を見合わせて、ため息をついた。
話がわからずキョトンとしているユトさんたち3人に高田君は言った。
「俺たちはね、魔王と言うのは俺たちの一部なのではないかと考えているんだ」
「一部という表現が正しいかどうかはわからない。欠片、分身、或いは半身?ともかく俺たちを構成する何か。だから他の誰でもない、俺たちが召喚され迎えに来させられた」
と、高田君は困ったように言った。
何それ、何その話。どうしてそんなこと思いつけちゃったの?凄い。
コーフンするあたしとは裏腹に、項垂れる安藤さんと高田君。
「昨日それを思いついて、理由や原因はわからないけど、ともかく私たちの一部がこの世界に迷惑をかけている、と思ったのよ」
「だから、一刻も早く魔王をなんとかしないと、と思った」
そうか、それが今朝から焦っていた理由だったんだ。
昨日高田君が、戦う必要がない、って言ってたのも。
ストンと腑に落ちた。
安藤さんも、高田君も、とても真面目で責任感のある、とってもとってもいい人だ。
いきなりこんな訳のわからない世界に呼び出され、無茶な要望をつきつけられてもその中でちゃんと考えて、自分達の責任を取ろうとしている。二人はなんにも悪くないのに。
あたし以外の3人もきっとそう思った。
だって二人を見る目がとても優しい。
ソルハさんがスルリと動いて高田君の肩に手をかけ、安藤さんに視線をやった。
「私はあなた方のような人に会えてとても嬉しく思っていますよ。さっき私が話した通り、元々の『神の祝福』をもたらしたのは、この国の神です。そしてそれを魔王へと変貌させてしまったのはこの国の愚か者で、あなた方を有無を言わさず召喚したのもこの国の人間です」
ソルハさんの横にユトさんとゼスさんが並んだ。
「むしろ二人が俺たちの世界に巻き込まれたんであって、謝るべきは俺たちの方だよね」
「オレら如きでは代表にもなれんが、この国の代表がアレだからな。代表して謝らせて欲しい。巻き込んでしまってすまない」
頭を下げる3人に、慌てる安藤さんと高田君。
こんな訳のわからない場所に、何でかほのぼのとした空気が流れた。
今?今がチャンス?
あたしが高田君の腕でモゾモゾ身じろぎすると、高田君は、どうしたんだ?、とばかりにあたしを抱えなおそうとした。
その腕が弛んだ瞬間あたしはズリンと脱け出し、安藤さんへジャーンプ!
「にゃーんっ!」
と、大喜びの安藤さん。ただいまです、安定の定位置。
高田君はまた3人に代わるがわる肩をポンポンされていたよ。何でかな?
そしてあたしたちはまた、城の中を歩き出した。
感情のない、ただ見ているだけの気味悪い視線を感じながら。
あたしが感じる位なんだから、あたし以外のみんなもきっとこの視線を感じてる筈なんだけど。
でも誰も何も言わないのは何でだろう。
これは魔王の視線なのかな?安藤さんや高田君の一部である魔王の?
城の中は上に行くほどめちゃめちゃで、階段を上がるといきなり部屋だったり、廊下がなくなって部屋から部屋へと移動したり、酷いときは窓を乗り越えて廊下に出たりした。
安藤さんの顔はどんどん赤くなり、
「私ってサイテー、あり得ない」
と、ぶつぶつ呟きだし、それを聞いた高田君は、ぷっ、と吹き出して言った。
「お前、昔から根気と集中力がなかったもんな」
「やかましいわ。その分有り余る努力で自分をフォローしているもの!」
あれあれ?なんかこのやり取り。すごく親しげ?
昔からって?昔からのつき合いなの?
何でだろう。あたしの胸がツキンと痛んだ。
安藤さんと高田君は、この頃になると何かに呼ばれるように先を急いだ。もう道を確かめる事もなく、階段を見つけたら上に進む。
それしか道がないように。
あとに続くユトさん、ソルハさん、ゼスさんも黙ってついてくる。
そしてあたしたちは、一際大きな両開きのドアの前にたどり着いた。
高田君が大きく開け放ったそこを安藤さんが一番に、もちろんあたしも一緒に、くぐり抜けた。
あたしたちは目を見開いた。
そこには。
シャボン玉のようないろんな色に煌めく大きな大きな泡の中に、たくさんのぬいぐるみやレースのクッション、溢れそうな花やお菓子、何着ものヒラヒラのドレスにキラキラ光る靴。宝石箱。ピンク色のベッドにモコモコふわふわのお布団まで詰めこんで、彼女はクッションに埋もれるように微睡んでいた。
これが、魔王?
大きな大きな泡は、けれど広い広いその空間の中ではとても小さくて、その中に。
可愛いものや好きなものだけ詰めこんだその中に彼女は閉じこもっていた。
ポタリ、と何かが落ちてきて、見上げると安藤さんが目を見開いたまま涙を流していた。
泡の中の彼女がぼんやりと目をあける。
その姿は安藤さんを少し幼くしたようで、あたしでもわかるくらい、とてもよく似ていた。
二人の目が合ったとき、あたしは安藤さんの腕から飛び降りた。
空気読んだんだよ、偉いでしょ。
安藤さんが手を伸ばして、魔王が手を伸ばして、泡がパチンと弾けて。
魔王はフッと微笑んで朧になり、安藤さんに吸い込まれるように消えた。
その時。
ーー足りなかったもの、やっと見つけたーー
そう聞こえた気がした。
これで終わったのかな?
呆然としている安藤さんと、ホッとするあたし。
けど、みんなの顔からは緊張が抜けない。
高田君は何かを探すように視線をさ迷わせている。
突然ゼスさんが安藤さんの前に飛び出し、腕につけた籠手でガキンッと何かを受け止め弾き返した。
短剣?
ユトさんの足元まで転がったそれは、凶々しくギラついている。
なんで?誰?
訳のわからないあたしの耳に、その声は届いた。
「やっと終わったか」
柱の影?
ゼスさんが予備動作もなく走り、一回転した勢いのまま柱を蹴りつけた。
粉々になった柱の残骸の向こうに、一人の男。
「おお、怖い」
と、嘲笑うその男の目つきには覚えがあった。
こいつだ。あの嫌な視線の持ち主!
あたしはフーッと毛を逆立てた。
いや、何の意味もないのはわかってるんだけどね。一応、猫だから。
「魔王討伐の旅、お疲れさん。討伐っていうには気が抜ける展開だったが、お役目も果たしたようだし今度はこっちのお役目を果たさせてもらうぜ」
言うなり、広間が炎に包まれた。
魔法だ!
あたしたちはギリギリでユトさんが張ってくれた、小さな結界の中に押し込められた。
ユトさんは一人、結界の外で。
大抵の魔法は効かないって言ってたから、一人で戦うつもりなの?
ユトさんが腰の小振りの剣を抜き、バチバチと火花が散る雷を纏わせたのが見えた。
ふと気がつくと安藤さんがあたしを抱えていてくれた。
ねぇ、どうしよう。どうしたらいい?
あたしは何をしたらいい?
その時高田君とソルハさんが動いた。
二人はユトさんの結界を飛び出し、ソルハさんが何か呪文を詠唱すると外の炎が揺らぎ鎮火していく。
高田君は背中の剣を抜き、金の光を纏わせたそれを床に突き立てた。
キラキラ輝く光が、剣から床を伝い、壁を走り、城全体を煌めかせている。何もないときならきっとうっとりするような幻想的な光景だ。
けど、今はもちろんそんな場合ではなく、地鳴りのような気味の悪い音が響き、パラパラと埃が落ちてくる。
ゼスさんはあたしと安藤さんの横にいてくれるようでホッとした。
謎の男は魔法の攻撃を何度かユトさんにぶつけた挙げ句、
「魔法が効かねぇってマジの話だったか」
と、ひとりごちて短剣を両手に一本ずつ構えた。
一体何本持ってるんだろ。
今まで互角で戦ってたように見えたのは、ユトさんに魔法が効かなかったからで、男が魔法を使うのをやめて短剣を握ると、途端にユトさんの旗色が悪くなった。
ソルハさんは援護しようにも、二人の動きに手を出しかねているみたい。
その時また、一度鎮火した筈の炎が燃え上がった。
「まどろっこしくて見ていられねぇ」
ニヤニヤ笑いながら新たに現れた3人の男。
彼らの全身を覆う薄鼠色の衣装を見て、ソルハさんが唸り声をあげた。
「クソがっ、そこまで腐っていたか!」
ソルハさんらしくない、乱暴な口調。
あれが誰か知ってるの?
ユトさんと戦っている男が、
「まだ、出てくるな!このやろう」
と、怒鳴った。
その瞬間ユトさんの突きを受け、たたらを踏む。
「見てられねぇから出てきたんだよっ、と!」
言いながら男の一人がソルハさんに切りかかり、ソルハさんもまた短剣の鍔で受け止めた。押し合いながら、早口で言葉を紡ぎ、炎を鎮火させていく。
別の男が二人掛かりで高田君に向かっていった。
高田君は何かに集中していて動かない。男たちの剣がせまる。
ゼスさんが一歩踏み出した。
ーーけど。
ああっ、もう見てられないっ!
思わず目を閉じた時、高田君の声が響いた。
「急げ!早く、早く戻れ、俺はここだ!」
お読みいただき、ありがとうございました!