彼にあたしは甘えたいのデス
あたしが帰るのは10日後に決まった。
といってもサナの森ーーーあたしが現れた森まで馬車で移動するから、移動時間を引いたら遅くとも明後日の朝には出発しないといけないらしい。
ソルハさんたちは結局あのまま教主様を説得できず、あたしを帰してくれるのは教主様になったのだそうだ。
あの勢いじゃあ、確かに難しいだろうね。
こんなにバタバタする日程になったのは教会側の都合もあったけど、一刻も早くあたしを帰したいって高田君が言ったから。
あたしは別に構わないけど、そんなに急ぐのは何か理由があるのかな?後で聞いてみよう。
それから安藤さんとあたしにお客様があった。
ごく一般的なシャツとピッタリしたズボンを身につけた、どこかでみたような若いお兄ちゃんは、あたしや安藤さんを見てくしゃりと顔を歪ませた。
安藤さんの前に膝をつき、深々と頭を下げる。
安藤さんは慌てて同じように膝をつき、無事で良かった……、って目を潤ませた。
それであたしにも、やっとわかった。
若いお兄ちゃんは、赤い上着の騎士ーーーカインさんだった。顔でわからなくてゴメン。騎士の制服と赤い上着、それと笑顔の印象ばかりが強かったもんだから……。
お互いに言葉にならないその様子に、付き添ってきた年配の顎髭の男性が口を開いた。
その人は町の診療所のお医者さんなんだって。
昨日担ぎ込まれてきたカインさんの怪我はかなり酷くて、特に瓦礫に挟まってた左足の膝の下が潰れて壊死しかかってた。
まだ若いし、なんとかならないかと一晩色々やってみたけどどうにもならなくて、もう切り落とすしかないか、と覚悟したところに奇跡が起きたんだそうだ。
間一髪だった。
後からわかった事だけど、もし切り落としてしまってたら、その傷が治ったとしても失くした足は戻らなかったから。
カインさんは泣き笑いで安藤さんと高田君にお礼を言った。それからあたしにも。
カインさん自身はあのとき朦朧としてたそうだけど、後から仲間が色々教えてくれたという。
みんなが彼を助けようと必死だったこと。あたしと安藤さんの光が助けを呼んだこと。高田くんに救われたこと。
そして奇跡が起きたこと。
あと二人の重傷者もすっかり元気になったそうだよ。
お陰で安藤さんも昨日の屈託なんか忘れて、すっかり元気になった。
やっぱり昨日は疲れすぎてただけだったんだね。
高田君は顎髭のお医者さんと少し話して、こちらも表情がだいぶ柔らかくなった。気にしてた当のお医者さんからお礼を言われ、話を聞いたことでだいぶ心が軽くなったみたいだった。
けどその日の午後には、テントの周りに勇者様や聖女様を一目見ようする人たちがひっきりなしに訪れるようになって、ユトさんが見張りの騎士さんを配置してくれたんだけど、いくら帰らせても次々新手が来るもんだから、あたしたちはテントから一歩も出られなくなってしまった。
最後はとうとう王族区画だけでなく、避難所全体に一般人の立ち入りが禁止され、申し訳ないけどそれでやっと一息つけた、って感じ。
そんな状態だから、少し早いけど明日の午後にはサナの森に旅立とうか、って話になったのは仕方ない事なのかもしれない。
本来夜に向けて旅立つ人なんていないから、目眩ましになるだろう、って。
あたしたちの感覚の夜逃げ、そのままで笑えるよね。
それに他にも理由はあって、昨日から何人もの地方の領主や町長といった人たちからの使者が、『祝福』の報告を持ってきた、という名目で王都の様子を探りに来てるんだ。
辺境から王都までの距離を考えると、ここ2~3日がピークになるみたい。
つまりあたしたちがここにいると、落ち着けないだけでなく彼らの詮索の対象になってしまうってこと。
ユトさんは地方の領主たちの殆どを信用していないし、だからこそ『祝福』に関する調査は自分で采配したがってたんだけど、そこまで手を伸ばすにはまだ、信頼できる部下が少ないんだろうね。
だから今回集まる使者たちには、『祝福』に関する調査項目を渡してもう一度詳しく調べさせ、改めて報告させることにしたらしいよ。
その結果と、ソルハさんが教会の独自ルートで調べた結果を付き合わせたら、それなりに正確な数字が出るだろう、って考えてるんだ。
ソルハさん自身も教会を完全には信用してないから、お互いに補いあおうって事なんだね
こういうときって、腹黒い奴は一般の人なら思いもつかないような事を考えて甘い汁を吸おうとするから注意しないと……、ってユトさんが言ってたよ。
それから夜になると驚いたことに、ユトさんとゼスさんに付き添われてアイシャ王女が訪ねてきてくれた。
なんていうか小さい、小動物系の可愛らしいお姫様で、こんな人がよくまああのゴツい近衛師団長を相手に渡りあえたなー、と二度吃驚だよ。
高田君はアイシャ王女に、禁書庫の資料がとても役に立った、とお礼を言って、王女はゼスさんが無事に帰って来られたから、ってお礼を言って、安藤さんは旅立つ前のお茶会のお誘いを断っちゃってごめんなさい、って謝って、王女はこちらこそ急にお誘いしたから申し訳ありませんでした、って謝って。
なんだろう、このほのぼの空間は……。
本物のお姫さまの『ほのぼの』オーラ、半端ないんですケド。同じ小動物系であたしと被ってるしさ。
なんとなく割り込めずに隅にちんまり座っていると、王女がキョロキョロしだしてあたしと目が合った。
思わず、といった風にあたしの方に一歩踏み出した王女は、床の敷物に躓きアワアワと手を振り回す。
マンガか……?
固まるあたしの前で、まるで予想してたような絶妙のタイミングで腕を差し出したゼスさんに掴まり、王女は彼に照れ笑いを向けた。
そのゼスさんが王女に向ける表情ったら、顔しかめてる癖に嬉しそうってどんな?
どの口が『我が儘娘のお守りは疲れる』なんて言ったーっ!って、頬っぺたムニムニしていいレベルだと思うよ。
そして王女はあたしを、この子が噂の『聖猫さま』なのですね、とっても小さくて可愛い!と大絶賛してくれたので、心の中で密かにライバル認定したのは取り消させていただきます。
よく考えたらもうあたし、もふもふアイドルを目指す必要もなくなったからね。
そんなこんなで時間が過ぎて、さあもうお開きにしようか、ってなったとき、ユトさんが爆弾発言をかましてくれた。
「そうそう。俺の妹とゼスが婚約したから」
俺の妹、っていうのはもちろんアイシャ王女のことだ。
なんでそうなったーーっ!?
いやもう、見てたらバレバレではあるんだけどさ。
あたしたちは目を剥いて、ゼスさんと王女を交互に二度見した。
うつ向いて照れてれしてる王女が可愛い過ぎる。
ゼスさんは、こいつ危なっかしくて見てらんねぇから!って強がり言ったけど、もう表情が全ての発言を裏切ってるね。
安藤さんの目がキラキラ輝いてるのはお約束って奴だ。
こんなとき、彼女が何を言い出すか、なんてあたしにはすぐわかる。
案の定彼女は、この国の暫定最高責任者にとっておきの笑顔でおねだりした。
「ねーユトさんっ!女子会したい。妹さん、一晩貸して下さい!」
多分ユトさんもそうなることは想定済みだったんだと思う。
もう私達には今晩しか時間がないのよお願いお願い、と全力で愛想を振り撒く安藤さんに、アイシャがOKしたらね、と鷹揚に頷いた。
安藤さんは目を丸くする王女をすぐさま捕獲。
ユトさんは苦笑しながらゼスさんと高田君を連れて出ていった。
ゼスさんはテントの外で王女付きの近衛騎士さんと見張りをするんだって。
高田君は隣のテントにお邪魔するらしいよ。追い出したみたいでごめんね。
そしてあたしたちは深夜まで、キャイキャイと話した。もちろんあたしは聞き専で。
安藤さんの追求は鋭く、王女はゼスさんとのなれ初めから何から全部白状させられてたけど、安藤さんも今のクラスに気になる男子がいるって白状する羽目になってた。
あたしは今ほど、猫でよかった、と思ったことはないよ……。
アイシャ王女の話は、ゼスさんが勇者様御一行に同行して旅立ったあとに差し掛かり、あたしたちは手に汗を握った。
あの近衛師団長が王女に言い寄りだしたからだ。
初めは高飛車に、お前と結婚してやってもいいぞ、とか言って、王女がピシャリと断ったら翌日には、王の許可を取ったから諦めろ、って言ったらしい。
そんなんで、はいそーですか、なんて言えるわけないよね。
彼女は頑なに断り、王にも抗議した。
それでも事態は進みもせず、戻りもせず。
王女にとって幸いだったのは、師団長が無理矢理ことを進めようとしないで、あくまで王女の合意を得ようとした事だった。
あんな顔と態度のくせして意外と紳士?と思ったら全然違った。
「理由を一昨日ゼスさんが教えて下さいましたの。あの方、国王の椅子を狙っていたのですってね。だから、たまたま第2王女と婚約・結婚したら、たまたま王配の座が転がり込んできた、という形にしたかったらしいのです」
上から目線のくせに段取りを踏みたがるなんて変だと思いましたわ、と王女は笑った。
「でも、なんだか部屋に押しかけて来たり、忍び込んだときもあったっていうじゃない?追い返したって聞いたけど」
おお、ズバズバいきますな、安藤さん!ユトさんがそんな感じの事も、言ってたね。
そしたら王女は、いえあれはその、と赤くなりしどろもどろになってしまった。
「最後の方は毎日部屋に押しかけて来るようになって、ゼスさんの後任に決まった護衛の騎士が頑張って追い返して下さってたのですが。ーーそうしたら痺れを切らせたのか、一度窓から部屋に忍び込まれてしまって……」
王女はフルリと震えた。
「寝室にまで侵入されて、もうダメかと思いました」
あたしたちは目がマジになった。
あいつ、ゼスさんにもっとお仕置きしてもらえばよかった!
「でもゼスさんに、最後の手段だ、って教えてもらった事を実践したのですわ」
………。
「そうしたらそれ以来、求婚は相変わらずですけど、もうわたくしには近づかなくなりましたの……」
おかげで地下室でも近づかれずに済み助かりました、と王女は口許を綻ばせた。
そ、そんなスゴ技が!?
あたしもぜひ知りたい。安藤さんも知りたいよね?聞いてくれないかな?
チラッと安藤さんを見ると、彼女はなんだかとても微妙な顔つきをしていた。
「と、とにかく無事で良かった、って話よね。あんな奴に遠慮する必要ないよ!」
安藤さんがそう言うと、王女も微笑んだ。
「本当に。もし、わたくしが婚約を了承していたら、幼い弟が殺されていただろう、と聞いてゾッとしました。お兄様にもゼスさんにも、よく頑張ったな、って誉めてもらいましたの」
頬を染めるその姿はとても可愛かった。
ゼスさん、こういうタイプが好みだったんだね……。
そしてスゴ技は何処へーーー?
それから少し寝ようかって話になって、あたしを真ん中に川の字で眠る事になった。
二人の手は当然のように伸びてくる。
お触り禁止令の立場は……。
もうどうでもいいか、女子同士だしさ。
そのうちに二人の寝息が聞こえてきて、でもあたしは全く眠くならなかった。
…今朝遅くまで寝てたもんね。
どうしよう、とコロコロ転がりムクリと起きた。
なんとなく予感があった。
こんな日はいつだって……。
あたしがテントの入り口の幕の隙間から外に出ると、やっぱりそこには彼がいた。
少し離れた場所でゼスさんと騎士さんと、小声で何か話してた彼はすぐにあたしに気づいてくれた。
眠れないのか?って形に唇が動く。
あたしは黙って近づいて、彼の足にスリスリと頬を寄せた。
アイシャ王女の話を聞いたからかな?
なんかすごく甘えたい気分なんだよ。
「散歩にでも行くか?」
高田君はあたしを抱えて立ち上がった。
ゼスさんと騎士さんに手を振ってもらって、薄暗がりの方へ歩き出す。
この前と同じ斜面の辺りで、彼は腰を下ろした。
そしてあたしを見て言った。
「……何かあった?」
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