彼はあたしの(秘密を知る)唯一の人(の筈だった……あれ?)
「今回の大司教エデルの失脚に伴い、三名の司教の中から一名が大司教の任に着きます。そして空いた司教の椅子に、私が座らせていただける事になりました」
これで何かとやり易くなります、と艶やかに微笑むソルハさんの後ろに黒いオーラを視たのは、あたしだけじゃないと思う。つかソルハさん、やっぱり相当偉いんだね!
コクリと喉を鳴らすあたしたちを前に、彼はサッと雰囲気を変えた。
「話が逸れました。『祝福』について、でしたね。先程申し上げた通り、それは神の領域です。王からも大司教からも、『祝福』について何も強制はされなかったでしょう?」
ソルハさんは確認するように、あたしたちを見渡す。
「このような『祝福』を与えよ、と命令したところで意味がないからです。
といっても、お二人と全く無関係……という訳でもないようなのですが」
ソルハさんのその歯切れの悪い言葉に、安藤さんと高田君は目を瞬かせた。
ソルハさんの話によると前回の『祝福』は、空に数百本の虹の橋が架かるという形で現れたのだという。
雲から雲へと繋がり、空へ昇る七色の数えきれない程の虹は幻想的で人々の感嘆のため息を誘い、何よりも当時の聖女様を大喜びさせた。
その前の勇者様の時は、魔王が復活した辺境の無人の山中に一晩中稲光がさし、国中を震撼させた。
夜が明けてみると辺りの地形は一変し、それまで影も形もなかった密林が出現。肌の青い、人のような者たちが突然現れ、当時の勇者様一行を驚かせたらしい。
けれど勇者様本人だけは嬉々として、暫く探すなと言い置き、呆然とする仲間を残して青い肌の彼らと行ってしまったという。
一月程を経て戻った勇者様は、楽しかったけどやっぱり自分の世界に帰る、と告げた。
その言葉と共に、目を剥く人々の前で密林は音もなく崩れ落ち、霧散する。
勇者様は大いに満足し、自らの世界へ帰還したのだそうだ。
その話を聞いたあたしたちは目を見合わせた。
虹の架け橋は『お菓子の城』の聖女様だ。いかにも、な感じ。
そしてその前の『エイリアン』の勇者様……。
密林に青い肌、ってもう絶対アレだよ。その勇者サマSF映画ファンに間違いないね。
けどそれにしても年代が……。
あたしが思うような事は、当然安藤さんも高田君も思いついている。
「あの映画どのくらい前だっけ?精々10年ってとこよねぇ。私小学校の低学年だったような……」
「あの映画を知ってるって事は、相当最近の人なんじゃないか?もしかしたら向こうとこちらは時間の流れる速度が違うというより、過去も未来も入り混じってるのかもしれない」
困ったように言う高田君。
あたしたちより前の年代の人が、あたしたちより後の時代に召喚されたり、逆に後の時代の人があたしたちより前に召喚されてたりする可能性もある、って事かな?
だから、召喚されたその時間その場所へ送り返される事が重要なんだろうか。時間の流れがグチャグチャだから?
結局あたしたちは考えるのをやめた。考えたって意味ないもん。ちゃんと元通りに戻れるならそれでいいよ。
そして、ユトさんやゼスさんが言っていた、世間で噂されてる『神の祝福で満ちる』っていうのは、どうやら前回の空に満ちた虹の架け橋からきたものだったらしい。
ソルハさんは言った。
「少なくとも『神の祝福』が『魔王』へと変じてからは、『祝福』は私たちにもたらされるものではありません。私は、神から召喚者へのご褒美なのではないか、と思っているんです。
前回の虹はたまたま国中の何処からでも見ることができたため、国民たちもその恩恵に与れただけなのではないか、とね」
「ご褒美……。それならやっぱり私たちの意思が反映するのではないの?その聖女様と勇者様が喜んだ、ということは彼らがそれを望んだ、ということでしょう?」
安藤さんの問いにソルハさんは首を振った。
「前々回の勇者様の場合はご本人に羽が生えたのです。これでは帰れない、とパニックになられたそうですよ」
高田君がちょっと嫌そうな顔をした。
「羽?空を翔んでみたかったってことなのかな?でも確かに自分が望んだのならパニックを起こしたりしないわよねぇ」
「ですので、ご本人も意識されないような心の奥底の望みが叶うのではないか、と思うのですが。因みにその勇者様に、満足すれば羽は消える筈、とお伝えしたら安心され、約3ヶ月に渡って羽のある生活を楽しまれたとか」
「ええっ!心の奥底とか、絶対無理!いや…でも、青い肌の人が出てくるくらいだし、けどやっぱり無理無理っ!」
突然頬をおさえて騒ぎ出した安藤さんを、あたしと高田くんは生温く見つめた。
安藤さんは某アイドルの筋金入りのファンだ。中学生の時に雷に打たれたように突然嵌まったそうで、彼女は彼のライブのためだけにアルバイトに勤しんでいる。
きっと高田君も知ってるんだろう。
お二人のどんな願いが叶うのか楽しみですね、とソルハさんは微笑んだ。
そこで高田君は、もう1つ聞きたいことがあります、と話を切り出した。あたしの事だ。
「こいつは……、にゃんは俺たちの世界から来ています。一緒に帰らせてやりたいのですが、確実な方法はありませんか?」
高田君は最初、あたしが望めばいつでも向こうに帰れる、と思っていたらしい。あたしが精神体だけで、身体を向こうに残してきているから。
けど昨日、何故猫の姿でここにいるのかあたしにもわからない、って話したら、念のためソルハさんに相談してみようって事になったんだ。安藤さんも賛成してくれた。
あ、安藤さんはあたしの事、猫だって信じたままだよ。
主にあたしの都合で内緒にしておこうと決めた。今まで散々甘え倒してきたからね、今更『ホントは友達のみゃんちゃんなんだよー!』なんて言えるわけないじゃない?
この秘密は墓場まで持って行きますとも!
そして、ユトさんやゼスさんソルハさんにも内緒のままだよ。日本に帰ったら彼らにはもう会うこともないし、バラしたっていいのかも…だけど、彼らにも今までモフり倒されてきたからね。『実は安藤さんと同年代の女子なんです!』なんて言ったら、きっとお互いに気まずいだけだと思うんだ。
だからみんなの中では、にゃんはよくわからない存在のままで、本当の事を知ってるのは高田君だけなんだよ。
安藤さんは、向こうに帰ったらあたしを飼ってくれるつもりらしい。
でもきっとそんな事にはならない筈。てゆーか、なったら困る。
もし向こうに戻っても猫のままだったら、あたしが大パニックだもんね。
「にゃんはこちらに残るのかと思っていました」
ソルハさんは残念そうに言った。
「ユト殿か、私が引き取るつもりでいたのですが……」
ああ、面倒見てくれるつもりだったんだ!ありがとうソルハさん!そしてユトさんっ!
でももう帰るって決めちゃったからね、ごめんね。
うん、撤回したりしないから、怖い顔で睨むのやめて下さい、高田君。
ソルハさんは、にゃんは召喚された訳ではないし現れたのも違う場所ですから……と呟き、レイアス様…教主様にお伺いしてみましょう、と席を立った。
教主様って忙しいんじゃないのかな?
こんなに急で大丈夫?
あたしの心配を余所に、その人はまるで呼ばれるのを待ち構えていたかのように現れた。
ドアが開くなり駆け込んできた彼は、真っ白の髪を高々と複雑に結い上げ、なのにその裾は足首にまで達している。髪を全部下ろしたら引きずるなんてもんじゃないだろう。
二十歳そこそこに見える、琥珀の瞳の美麗なその人がレイアス教主様だった。
「うわっ!猫の女の子だっ!なぁ、触っていい?」
あたしの前に跪いた彼は振り向いてそう叫んだ。
………性格は恐らく、全く見かけにそぐわないと思われる。
何やら大きな箱を抱え、後ろから付いて入ってきたソルハさんは、教主サマの勢いにビビるあたしを見て冷たい声で彼に答えた。
「レイアス様。お客様に失礼のないように、とお願いした筈です」
「けどこんな珍しいの見たことない!ねぇ君、言葉通じる?なんでこんな」ちょっっと黙ろうかっっ!なんかわかんないけど、取り合えず黙ろうかっ!あたしは猫なのただの猫なの女の子じゃないからそれ内緒だからぁぁっ!
あたしは彼の声におっ被せるように、ものすごい勢いで鳴き喚いた。
ビビってる場合じゃない。この人絶対、このまま喋らせといたら不味いやつだ。間違いなくあたしが人間だってバレてるっ!
安藤さんとソルハさんはポカンと口をあけ、高田君は警戒するように教主様を見ていた。
「へぇ!?」
教主様は目を見開き、あたしをマジマジと見つめた。
「君、落ち人……げふん、落ち猫なんだね」
あたしのジト目の圧力に負けたのか、律儀に言い直してくれる。案外いい人かもしれない。
どうやら言葉も通じてるらしかった。
「落ち…猫?」
安藤さんの言葉に、教主様は顔をあげた。
「そう、落ち猫。ーーー君は聖女だね。そちらは勇者」
我が神の道楽に付き合わせて申し訳ない、と彼は軽く頭を下げた。
その背後にやはり跪いたソルハさんは、教主様の長い髪をセッセと持参した箱に詰めていた。
髪を詰めた箱を小わきに抱えるようにソファーに座った教主様は、落ち人げふん落ち猫について教えてくれた。
要するにこの国には、長い年月に渡って神が異世界から『神の祝福』や魔王を呼び寄せ続けたため、あちこちにあたしたちの世界との道筋ができてしまっているのだそうだ。
それは本来なら気にするようなものでもない。けど、たまたま安藤さんや高田君が召喚されたタイミングで、異世界に行きたい、なんて願ったあたしは巻き込まれ、『神の祝福』のような存在としてこの世界に来てしまったらしかった。
その説明をいただく前にあたしは駆け足で、あたしが人間だってバレたくないの!バレたらあたしが個人的に気まずい思いをするだけでなく、ソルハさんも居たたまれなさに部屋に引きこもっちゃうレベルだよっ!ってな事情を威嚇と恫喝を混ぜ込んだ泣き落としの鳴き声でお伝えしたため、彼の説明は甚だ不明瞭なものになってしまったけど、事情を知ってるあたしや高田君にはちゃんと伝わったから、全く問題はない。
現れた時期や場所がずれたのは、その道筋がそういう仕様だったから、らしい。昔にそこから呼ばれた『神の祝福』がいて、その時の設定に引きずられた、とかなんとか。
ごちゃごちゃ説明してくれたけどよくわかんなかった。
「だからこの落ち猫をちゃんと元の場所に帰すには、この猫が現れた場所から帰すのが確実って事だよ」
と教主様。
安藤さんや高田君はこの教会で召喚されたから、ここから帰るらしい。
あたしは高田君を見上げた。
あの場所わかる?あたし、全くわかんないんだけど、大丈夫かな?
あたしの鳴き声に彼は困ったように首を傾げ、ソルハさんを見た。
「にゃんを見つけたのはサナの森でしたね」
ソルハさんの言葉に高田君は頷き、そこまで行けば痕跡が残ってるかも、と言った。
あ、もしかして高田君があたしと喋れる事、教主様に知られない方がいいのかな?
彼の前では高田君に話しかけないようにしなくちゃ。
サナの森まで行けば俺が『道』を見つけられるよ、とニコニコ顔で教主サマがいうと、ソルハさんも負けじと笑顔を浮かべる。
「とんでもない。レイアス様をここからお出しする訳には参りません」
「過保護過ぎんだよ。大司教はもういないんだしさ、閉じ籠ってるのはもう厭きた」
今度は唇を尖らせる教主サマ。
あざと可愛さを狙ってんですか?
目を丸くして見守るあたしたちの前で、二人の攻防は続く。
「だいたい、この落ち猫を帰すために司教や導師ぞろぞろ引き連れてサナの森まで行くつもりか?俺なら一人で済むのに」
「けれど、万が一レイアス様に何かあったらどうなさいます!」
「この国に、俺に何かできるような奴はいない、って何度言えばわかる。エデルの件はお前たちの顔を立ててやった。証拠、ってのも必要らしいからな。だけどもうこれ以上は御免だ!」
この勝負はどうやら、ソルハさんに分が悪そうだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。




