彼とあたしが交わす約束
去年の一学期どころか、生まれてこのかた、誰かに告白された記憶なんか一度もない。
強いて言えば今……。
そう鳴きかけて、
うわーっ!ちょっと待て。なんであたし彼の腕の中にちょこんと収まってるの!?
意識した途端、恥ずかしくて堪らなくなった。慌てて抜け出そうとしたら、高田君が一瞬顔を歪める。
そうだった。腕を怪我してるから、あたしは身動きが取れないんだったよ。
バクバクする心臓を抱え思わず顔を伏せたあたしの頭を、彼の指がゆっくりとまさぐった。
「そうか、記憶すらないんだ」
何故か納得したように言う高田君。
「お前が間違えて座った席のやつがいただろう?」
彼が話し始めて、あたしはキョトンと顔をあげた。
あたしに、そこは俺の席だよ、って言いに来てくれた人だよね?
「そいつがお前のこと、可愛いって言い出して、告りたいって騒ぎ出した」
ほら、その吃驚した顔だよ、とあたしの頬をつつき小さく笑う。
「たちまちそいつの友人たちが盛り上がって、お前の名前とクラスが調べられたらしい」
そ……そんなことが!?全く気づかなかったよ?
「ともかく、そいつはお前に告白しに行った。教室の間違いを指摘するときに『優しい上級生』を印象づけたから勝算はある、と自信満々だった」
その人だったら確かに優しかったと思うよ。顔は覚えてないけど。
でも、告白された事なんて……、ああっ!もしやバツゲームの人…の中の一人!?
あたしが鳴くと、高田君は微妙な顔つきになった。
「……バツゲーム、な。うん、その中の一番最初のやつだな」
あいつ…顔すら認識されてないのか、と彼は呟いた。
顔…は、うん。全然記憶になかったよ。間違えた席の持ち主だよ、って言ってくれたらわかったのに。
「ともかく、そいつはお前を待ち伏せて告白し、玉砕して帰ってきた」
どうしよう。今晩なんだかヤケに暑くない?
あたしはパタパタと前肢で顔を扇いだ。風なんて全くおきなかったけど。
「あいつサッカー部で結構モテるんだ。それが相手にもされず、煙に巻かれて戻ってきた、って皆が驚愕した」
猫って汗かくのかな。犬は汗線が肉球にしかないから舌を出してハアハアするんだって聞いたことあるけど、猫がハアハアしてるのは見たことないような?
「何やら最初は友人への橋渡しだと誤解されて、否定したら今度はバツゲームだと勘違いされた……、と本人は言っていたな」
高田君はチロリとあたしを見た。
「本気で勘違いされたのか、暗に対象外だと言われたのかわからない、と首を捻っていた」
ええっ!だってあたしなんかに告白する人なんて、いるわけないよっ!?だからてっきり目的は安藤さんだと思って、そしたら違うって言うから、じゃあ何かのバツゲームか、って思ったんだ……よ?
だんだん鳴き声が小さくなっていくあたし。
高田君は親指の腹で、あたしの額の辺りを拭う仕草をする。人間のあたしはやっぱり汗かいてるのかな。
「あたしなんかに告白するやつはここにもいるけどな」
と、彼は苦笑し、あたしは顔を上げられなくなった。
この壊れた心臓をどうにかしてほしい。
「それでそいつの友人たちが、お前に興味をもった訳だ。本気で勘違いした天然なのか、或いは勘違いした振りをして断ったのか、どっちにしてもこいつを振るのはどんな女なんだろう、って」
あの時期何故だか、知らない上級生がやたらあたしに会いに来て、記憶にないけどもしかして知り合いだったか!?と怯えながらしどろもどろの対応をしてたら、どの人も最後には、自分と付き合ってほしい、と言いだした。
それで、ああまたバツゲームか、と思いながら、もし誰かが確認しに来たらちゃんと告白されましたって言ってあげますよ、と笑って教室に戻ったんだよね。
そんな人が3~4人続いたから、てっきり上の学年で流行ってるのかな、と思ってた。
「結局天然認定された訳だけど、あいつらの告白を次々と神業のように話を逸らし、スルーする技術は『芸術レベル』だってクラス内で噂になって、その時お前の名前が俺のところにも聞こえてきた。他の噂も一緒に…」
なんか芸術の神様に怒られそうなんですケド……。そして、他の噂って何ですか?怖くて聞きたくない。
「……だから宮野の名前も知ってたし、おっちょこちょいで思い込みが激しく、勘違いや早とちりが日常茶飯事だってことも知っていた。
さあ、これでお前の疑問には全部答えたと思うけど?」
そう言って高田君はあたしの目を覗き込んだ。
ち…近いんじゃないでしょうか?
「宮野、好きだ。何回言ったらお前は本気にしてくれる?」
潜めた彼の声が震え、耳を擽る。
もういいかな。もう、手を伸ばしてもいいのかな?
猫だけど、いいの…?
躊躇いがちに、にゃあ…?、と鳴くと彼は目を見開いた。
その瞳に歓喜が滲み、蕩けるような笑みがこぼれる。
ギュって抱き締められてようやくあたしは、この世界へ来てからずっと抱えていた緊張から解放された。
高田君の言うことなら信じられる。
彼が大丈夫っていうなら、きっと大丈夫。
あたしは日本に帰っても、いいんだ。
それからのあたしたちは、言葉少なくテントへ戻った。
あたしは胸が一杯で言葉にならなかっただけだけど、高田君もそうだったのかな。
彼はテントに戻る前、もう1つだけ、とあたしに質問した。
あたしの病気について、だ。
あたしは虫垂炎、いわゆる盲腸だと言われていた。
薬で散らしてもよかったんだけど、お父さんが若い頃やっぱり虫垂炎で何度も薬で散らしているうちに腹膜炎になって大騒ぎになったから、もう最初から手術で取っちゃおう、って話になったんだよ。
親子だし、体質が一緒かもしれないから、ってね。
「虫垂炎の症状はあった?」
と、高田君。
お腹が痛くなって微熱が出たよ。すぐに治まったけど吐き気もあった。
踵を床にトントンってしたら、お腹に痛みが走るんだよね。
お父さんが自分の時の盲腸の症状に似てるって言ったから、すぐに病院に行って検査したんだ。
そう鳴いたら高田君は、そうか、って頷いてた。
でもホントのあたしの病気は何だったのかな?訳がわかんないや。
もう考えるの、やめよう。
あと、お触り禁止令もだしました。
端からみたらモフモフされてるだけだろうけど、彼の目に人間として映ってると知ってるからには、恥ずかしくてそんなの無理だよ。
そしたら高田君はちょっと不満そうにしてたけど、他の人にもモフらせない、ってことで同意した。
高田君の目にどう映ってるか、って考えた時点で、他の人にモフらせるなんてあたし的にもあり得ないよ。
そうしてテントへ戻って少しだけ眠った翌朝。
高田君と安藤さんは、ソルハさんを訪ねた。
最初にユトさんを探して、もう黒い馬を還すよ、って話をして、ソルハさんの居場所を訊いたんだ。
ソルハさんは街の西側にある教会の総本部にいるだろう、って話だった。
歩いてもそんなに距離はないらしいけど、万が一何かあったら大変だから、ってユトさんが馬車を出してくれた。
こういうのはお城の外周部にあったから、全部無事だったんだって。
安藤さんと高田君が向かい合わせに乗り込んで、あたしはその足元に蹲る。
安藤さんが抱っこしてくれようとしたのは頑なに断った。
約束だからね。
彼女はがっくりしてたけど、高田君が伸ばした手も拒否したのを見て、抱っこの気分じゃないんだろう、と諦めたみたい。
高田君に騙されてるよ?彼は本気で手を伸ばしたんじゃないからね。断られるのがわかってて、安藤さんに諦めさせるためにあえて伸ばして見せたんだからね。
その証拠にほら、彼は全然がっかりしてなくて、むしろご機嫌だよ。
教会に着くと、あたしたちはすぐさま奥へ通されて、落ちついた装飾の施された応接室らしきところへ案内された。途中ソルハさんとよく似た服を着た人たちをたくさん見たけど、彼ほど長い髪の人は全然いない。みんな精々肩くらいから背中の中程くらいまで。
大司教の髪は足首まであったけど、ソルハさんの髪は今まで見た中で、その次に長かった。
偉い人ほど髪を長く伸ばすっていう宗教だもの。
もしかしてソルハさんって、あたしが思ってるよりずっと偉いのかな?
安藤さんと高田君が革張りのソファーに腰を降ろし、あたしが室内をテチテチ探検しているところにソルハさんがやってきた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、突然お伺いしたのはこちらですから」
前から思ってたんだけど、高田君ってソルハさんにだけは丁寧に話すんだよね。ユトさんやゼスさんにはため口なのにね。
ソルハさんが敬語男子だから?
それとも他の理由があるのかな。あたし途中参加だから知らない事がいっぱいだな。
とりとめなく考えながらみんなの足元をウロウロ。
ソルハさんが手を伸ばしてくるのを間一髪で避けました。
残念そうなソルハさん、ごめんなさい。
約束は守るものなのです。
そうこうしているうちにも皆の話は進んで行く。
「……それで、俺たちの願った事が『祝福』という形で現れるのでは、と思ったのですが?」
高田君がそう言うと、ソルハさんは首を振った。
「いえ、少し違いますね。どうやら『祝福』の内容は神に一任されるようなのです。こういったものがいい、と指定する事は出来ないと思われます」
安藤さんと高田君は、顔を見合わせた。
「以前聞いた『空からお酒が降ってきた』っていうのも、神様が決めたの?」
安藤さんが言うと、ソルハさんは顔を綻ばせた。
「よく覚えておられましたね。あれはとても古い資料に載っていたのですが、その当時の『神の御使い』……今でいう聖女様はたいそうお酒が好きだったようで、けれど『神の祝福』を迎えに行く途中ずっと禁酒されていたらしいのです。
『神の祝福』は、現れた場所からほとんど移動する事はなく、今のようにお城を造ったり魔物を創ったりすることもなかったので、何処に居るのかわかる者は『神の御使い』だけだと言われていました。で、彼女が旅の間、これが終わったら酒を飲むぞーっ!と念じ続けていたら、ある日空から酒の雨が降り注いだ……と、いわれています。
『神の御使い』は決して、空からお酒を降らせたいと思った訳ではないのです。彼女は、なんて勿体ない、と真っ青になったそうですよ。この国の人々は大喜びで呑み、踊り騒いだそうですが」
ソルハさんの声が笑みを含んだ。
「笑い事ではないのですけどね。作物や魚や獣にも影響があったようなので……。けれど、なんとも素朴で長閑な時代だったと思いませんか?」
私も生まれるならそんな時代が良かった、と呟いた言葉には、ソルハさんの本音が滲んでいたと思う。
「ともあれ、これは遥か大昔の話で、その頃の資料はほとんど残っていないのです。例えば一体の『神の祝福』がもたらした奇跡はどの程度の回数だったのか、また『神の御使い』が召喚される前と後では奇跡の種類は変わるのか、などわからない事ばかりです。もはや表立って研究することも叶いませんからね。
そして先程の酒の件でわかるように、『神の祝福』がもたらす奇跡は『神の御使い』と密接に繋がっていると思われますが、それも憶測にすぎません」
けれど、とソルハさんは居住まいを正した。
「お二人が知りたいのは、もっと最近の事ですよね?魔王として復活するようになってからの……」
高田君は頷く。
「今日にでも、黒い馬を還すつもりなので、その後もし『祝福』といわれている現象が現れるのならば、それについて先に聞いておきたかった。王宮の資料にそういった事は載っていませんでしたから」
「王宮の資料は召喚者本人が書くようですが、教会の資料は教会の者が書きますからね。視点も違ってくるのでしょう。そして今回の顛末については、恐らく私が書く事になりそうですよ」
!!
ソルハさん!
ソルハさん、それならばあたしの事は是非とも、万人に愛されたもふもふアイドルだった、と記入をお願い致します。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。




