気高き聖女の資格をにゃんは持たない «前編»
本編に戻ります。
長くなったので、2話に分けて連続更新します。
少しでもお楽しみ頂けたら嬉しいのですが……。
螺旋状の階段を降りきった先には横穴が続き、先には光が溢れていた。
薄暗がりに慣れた目には、その光が眩しい。
自分達の姿は闇に隠し、気配を断ちながらゆっくりと目を慣らして、ユトさんたちは中の様子を窺った。
壁際で固まり、数人掛かりで何かの作業をしている第2部隊の連中。
広い空間の壁に沿うように、大きな楔型の石が幾つも転がり、そこから壁が大きく崩れ落ちてきている。
この空間が無事なのは、多分何かの仕掛けがあるからだ。だって崩れた壁と、空間の上の天井部分は接してないんだもの。だからこんなに揺れて壁が崩れても天井は今のところ無事で、みんなの頭の上に落ちてきたりはしていない。
だけどそれもそんなに長続きするものだとは思えなかった。やっぱり城が軋む度に、歪んでいく度に、頭上からパラパラと何かが落ちてきて、それは激しさを増しているから。
作業をしている連中も気になるみたいで、しょっちゅう上を見上げている。
連中が壁に埋まった楔型の石をひっこ抜こうとしているのはすぐにわかった。
でもユトさんが言った通り、力がないから?いくら抜き取りやすい形でも、石だけに重いのだろうし、上からの圧力もあるんだろう。凄く時間がかかってる。
壁から飛び出た部分にロープをかけてみんなで引っ張ると、ズズ…、ズズ…、と少しずつずれていく。ズシンと音を立てて石が足元に落ちる瞬間、連中はその場から飛び退いた。同時に、石が抜けた穴のところに上部の石が落ちてきて嵌まり、それが合図のようにその辺りの石が外れ落ちて、地響きを立てながら一気に壁が崩れ始める。
あのままあそこに立ってたら、連中きっと怪我してるね。だから飛び退いて逃げたんだ。
もう何度も繰り返した作業なんだろう。連中は淡々と、落とした楔型の石からロープを外し、移動して次の石にロープをかけている。
ザッと見回すと、崩れた壁は全体の2/3位だろうか。全体に等間隔に石が配置されているとすれば、もうあまり猶予はない。
そして無事な部分の壁際に、多くの人たちが固まっているのが見えた。
きっと連れていかれたという後宮の人たちだ。
彼女たちの前に立つ人影は恐らく師団長。こちらに背を向けている。
だけど、
師団長の前に立ち塞がって、女性たちを庇っているあれは?
ユトさんもソルハさんも目を真ん丸にしてる。
それは小柄な身体に乗った、リアルな馬の頭部だった。
白目の部分の方が大きい、濁った焦点の合っていない眼に、突きでた口元は捲れ上がって歯が覗いている。
鬣は乱れ、鼻の穴が大きく膨らんでいた。
言葉もないユトさんとソルハさんの傍で、ゼスさんだけが舌打ちした。
「またあんなもん、持ち出してきやがって!」
その言葉にハッと我に返ったユトさんが、ゼスさんを振り返った。
「なあ、まさかとは思うけど、あの馬……いや、もういい」
ゼスさんの表情から何かを悟ったのか、ユトさんは言葉を切った。
そして悄然とした様子で呟く。
「あのさ、なんか色々悪かったよ…。よろしくお願いしマス」
「何がだ?」
ゼスさんは、なんの事か分からなかったみたいだけど、横で聞いていたソルハさんはプッて吹き出していた。
「変わった方だと噂は聞いてましたが、こういう趣味の事だったんですかねぇ」
既に立ち直ったソルハさんがのんびり言うと、ゼスさんはため息をつく。
「もう被らねぇ、って決めてたんだがなぁ」
「夫婦円満の秘訣の中には、お互いの趣味を尊重する、っていうのもあるらしいですよ」
「何の話してんだよ」
にこやかなソルハさんに、ゼスさんはがっくりと肩を落としたのだった。
「いい加減そこを退けぃ!」
「退くわけがなかろう!」
師団長が怒鳴り、馬が吐き捨て、空気が緊迫する。
ユトさんたちはサッと顔を見合わせ、それからはあっという間だった。
ユトさんは打ち合わせ通り、石を引き抜く作業をしていた第2部隊の連中の方へ走った。
ユトさんを見た奴らの顔が引き攣る。
何度も相手した、って言ってたから当然連中だってユトさんを覚えてる筈だ。自分たちの魔法が彼には効かないって事も。
連中は、散々肉体労働をした後で身体はもう悲鳴をあげている。
ユトさんは足元の瓦礫を器用に避けながら連中を一人ずつ沈めていった。
一方、ユトさんと同時に暗がりを飛び出していたゼスさんとソルハさんは、師団長と女性たちの方へ向かった。
突然の物音に慌てて振り返った師団長の動きは全然間に合わない。
ゼスさんの姿を認識した時には、もう羽交い締めにされていた。
「おっ!お前らどうやって此処にっ!?」
「てめぇはオレらを見くびり過ぎなんだよっ」
ゼスさんは師団長をギリギリと締め上げ、その前で所在無げに立ちすくむ馬に視線をやった。
「そんなもん脱いじまえ。もういらねぇだろ?」
乱暴な言葉とは裏腹に、その声は優しい。
だけど馬はフルフルと首を振った。
その後ろではソルハさんが、女性たちに声をかけている。
「もう大丈夫ですよ。落ち着いて、さっきの階段を上れますか?上には勇者様が、あなた方を助けるために待っておられます」
緊張から解放されて、座り込んでいた女性たちは、ソルハさんの声に顔をあげた。
こんな極限状態の中でも優雅に微笑むソルハさんに、陶然とした表情を向ける。
「さあ、立ち上がって。一刻も早く、安全な場所へ行きましょう。神は見守っていて下さいますよ」
優しい声に促され、女性たちが4人、5人と立ち上がった。
似たようなお仕着せの女性たちの中で、一人豪奢な刺繍の施されたヴェールを被った女性が前に出る。
「救いに来て頂き、感謝します」
この人が第三妃様だ。ユトさんとアイシャ王女のお母さんの。
「神の御心ですよ。今はこんな事態ですので、無礼は御容赦下さい。先ずは外へ出なくてはなりませんからね」
笑みを崩さないソルハさんに頷き、彼女は皆を振り返った。
「さあ、彼らの手を煩わせてはなりません。わたくしたちは急ぎ、ここを脱出するのです」
第三妃様の言葉に、残った数人の女官たちもヨロリと立ち上がる。
その隙間に、両手で頭を抱え、身体を丸め蹲っていた一人の姿がさらけだされた。
第三妃様は彼の手を取り、言葉をかけた。
「陛下、参りましょう」
彼は幼児のように、第三妃様の手にすがり立ち上がる。覚束ない足取りで彼女について歩いた。
ソルハさんは一瞬国王を拘束しようか躊躇ったのだけど、その様子を見て大丈夫だと判断した。
第三妃様は馬にも声をかける。
「さあアーシャ、あなたもですよ。こちらへいらっしゃい」
ゼスさんの前で硬直していた馬は、その言葉に弾かれたように第三妃様の元に駆け寄った。
第三妃様は自らを覆っていたヴェールを外し、馬に被せる。そしてその陰で馬の被り物を脱がせてしまった。
一瞬チラリと見えた素顔は泣き腫らしたように見えた。
第三妃様は王女をギュッと抱きしめ、貴女が無事でよかった、と囁いた。
女性たちと国王はソルハさんの誘導で階段までヨロヨロと歩き、一列になって登り始める。
「いいですか?突然酷く揺れたりするかもしれません。揺れだしたら一度止まって、マシになったらまた上るのですよ。落ち着いて一歩ずつ確実に上って下さい。上には勇者様がいて、皆さんを安全な所まで連れて行ってくれます」
ソルハさんの声には癒し効果があると思う。
皆はその言葉に頷きながら、震動の続く階段を一歩ずつ、着実に上って行った。
その頃にはユトさんは宣言通り、第2部隊の連中を全員やっつけていた。
魔力もすごいのに、格闘技もすごいなんてステキ過ぎる!と思ったら、いつも持ち歩いてる短剣に魔力を流して、それで叩きのめしてたらしい。鞘のままでさ。
向こうの魔法はユトさんには通じないけど、逆はいけるって事だよね。
ユトさんが自信満々で、勝てるっていう訳だわ。
ゼスさんは拘束した師団長を、石を抜くのに連中が使ってたロープで縛りつけていて、ユトさんもその続きで、意識の無い一人を除いた第2部隊の連中全員の腕を縛った。
いわゆる数珠繋ぎってやつだ。
一人だけぐったりと意識が無いやつは、転移能力者だという事だった。
全員が階段を上るのを確認したソルハさんも戻ってきて、先ずゼスさんが意識の無いやつを担ぎ、階段を上ることになった。
意識のない人間って、ぐにょぐにょしてて凄く重いらしいんだけど、ゼスさんはヒョイと担ぎあげる。
次にユトさんがロープの端を持ち、ゼスさんに続いて階段を上った。
ロープには師団長を先頭に6人の男が繋がっている。
連中は手が使えないから上りにくそうだけど、ロープで引っ張られるのと、階段が狭いから壁に身体を押しつけるようにして、どうにかバランスを取って上っていった。
ロープの最後を握るのはソルハさん。
連中が怪しい動きをしないか、見張りながら上っていく。
降りる時よりもずっと時間をかけて、彼らはようやく後宮へ辿り着いた。
穴のような階段から這い出た彼らを待っていたのは高田君と、さっきの馬に比べたら驚く程上品に見える黒い馬と、数匹の翼の生えた魔物だった。
先に登った女性たちの姿は一人も残っていない。
「準備がよくて助かるけど、…俺らはコレ?」
ユトさんは魔物を見て嫌そうに呟く。
「なんで野郎に気を使う必要がある?」
「別に一緒ので良かったのにな」
そっぽを向く高田君にブツブツ文句を言いながら、ユトさんは特別大きな魔物にロープを預けた。
「全員まとめていけるかな?」
ユトさんのその言葉に、ただでさえ青ざめていた縛られた連中は、震えだした。
見た目大きいだけじゃなく、奇怪な風貌でとにかくグロテスクだからね。
高田君が、重量はともかくバランスが……、と言いかけたその時、一際大きな震動が彼らを襲った。
あ、という間もなく一瞬彼らの身体は宙に浮き、床に叩きつけられる。
だけどユトさんやソルハさんは咄嗟に受け身を取っていて、ゼスさんに至っては高田君を庇う余裕すらあった。
「助かった、ありがとう」
高田君が礼を言うとゼスさんは、少し困ったように言った。
「いや、一応受け身を取ろうとしてたな。つい身体が動いちまったが、余計な事したか?」
「受け身は学校の授業で少しかじった程度だから、本当に助かった。帰ったら俺も、何か武道やろうかな」
言いながら立ち上がろうとして、すぐに異変に気づいた。
足元が斜めになっていた。さっきまでのささやかな傾斜どころではなく、まっすぐに立てない程に。
室内の調度は全て倒れるか壊れるかしていて、壁や天井もたわみ歪みを増している。
「これはいよいよだな。もうもたないぞ」
「今のは恐らく下の階が潰れていますね」
ユトさんとソルハさんは、縛られたまま床に叩きつけられ気絶した奴らを魔物に連れ出させ、自分たちも中庭にでた。ゼスさんも放りだしていた転移能力者を再び担ぎ、高田君は馬と共に出てくる。
土煙が立ち上ぼり、今までのようなグラグラ揺れる感じではなく、片側に向かって倒れていく感覚があった。
「脱出する!」
ユトさんの言葉に高田君は奴の、三人は竜型の魔物たちの背に飛び乗った。
そして怪物像たちが残りの連中を担いだりぶら下げたりして、彼らは中庭から見える空へ飛びたったのだった。
さて、あたしたちは最高に運がいい、と見るべきか。或いは最悪に運が無いと見るべきか。
嫌な予感しかしないフラグを立てまくりながら階段を降りていたその時、突然激しい震動があたしたちを襲った。
狭い階段は擦れ違うのがやっとの幅しかなく、みんな一人づつ縦並びで降りていた。
手摺なんて当然無いし、ひっきりなしに揺れるから壁に手をついてゆっくりと。
本当にゆっくりと。
きっとそれは運が良かった。
そして、その今までになく強い震動を感じた時、みんなは咄嗟に座り込み、両手を広げて壁に突っぱった。
他に掴まる所なんてないんだもん。
すると。
一瞬お尻が浮いた感覚がして無意識に手に力がこもり、次の凄まじい音と共に、みんなのお尻は階段に嵌まり込んでいたんだ。
後編に続きまーす。




