【番外編】傭兵はふわふわウサギの夢を見るか 7
やがて、アーシャとそれにつき従う騎士や従者たち、総勢30名で隣国を訪れる日がやってきた。
もちろんオレと、女官のうち3名も一緒だ。
当初の計画では、化粧を落とすのは国境を越えてからとしていたが、アーシャの希望で城を出たあとすぐに、馬車の中で素顔に戻っていた。
いつもお忍びで出掛けていた時のように、淡い色の口紅を乗せただけの素顔で。
初日、最初の休憩の時にアーシャが少し緊張しつつ馬車の外へ出ると、たまたまそこにいた近衛騎士数人がギョッとしたのがわかった。
そんなに過剰に反応されたらこいつがびびるだろう。
オレは無言で睨み付け、身体でアーシャを隠す。幸い彼女は気づいていなかった。
昼食のため馬車を降りたときには、恐らくもう全員の耳に噂が届いていた。
遠慮がちな視線、無遠慮な視線に晒され、所在無げに昼食を食べてすぐに馬車に戻る。
緊張しちゃいましたー、とほんわり笑う彼女の頭を撫でてやった。
女官たちは、彼女が毒味無しに昼食を食べた事に感動していた。
それから更にもう一度の休憩を経て、宿につく頃にはもう騎士たちは皆、少なくとも表面上は普通の態度に戻っていた。
つうか、いつまでもジロジロ見ていやがったらオレが殴る。
アーシャのそそっかしさはいつも通り、素顔の時のデフォルトだ。
宿の玄関で躓いてこけかけた時は予想していたオレが支えたが、その時回りにいた数人の騎士たちの手が延びかけたのをオレは見逃さなかった。
お前ら、手のひら返し過ぎだろ。これがリアル馬だったら助けようとしてたか?
彼女は例によってほわほわと、ありがとうゼスさん、と笑いかける。
目を見開いて固まった連中は、当然オレが隠した。
日が過ぎて、アーシャの素顔が旅の一同に浸透し、誰もいちいち驚きの視線を向けなくなった頃、隣国の宮殿に着いた。
この国には4~5年前にレイさんと立ち寄ったことがある。
といっても、辺境伯に雇われて東の国境近くに7ヶ月ほど滞在しただけで、王都は通過点に過ぎなかったがな。
前回はたいして興味もなく通りすぎた宮殿は壮麗で、自国のどちらかといえば武骨な造りの城とは全く趣が違っていた。
正門前には既に連絡を受けていたらしく、第1王女の姿が見える。
アーシャの姉ちゃんは熱烈歓迎してくれた。
一緒に出迎えてくれて、それを微笑ましげに見守る王太子を見ると、いかに大切にされているのかがわかる。
アーシャもそれで、ホッとしたようだった。
実はこの時まで、近衛騎士たちのアーシャへの態度はわりと微妙だった。
第2王女の筈だけど、本当に第2王女なのか?って空気がプンプンしていた。
見慣れた化粧じゃないし、何より話し方も物腰も全然違うからな。
だが彼らは、第1王女が躊躇いなくアーシャを抱擁している姿を見て、漸く納得したようだった。
そのまま王太子と姉ちゃんの案内で王に謁見し、持参した品と目録を渡す。
オレはついていける身分じゃねぇから広間の外に控えていたが、素顔なだけに何かやらかすんじゃないかと気が気じゃなかった。
だがオレが思ってたよりずっと、アーシャは成長していた。
王の御前から退出してきた彼女は、オレに向かってにっこり笑って見せる。
心配なんかしなくていい、と。
宮殿で一夜を過ごし、翌日が歓迎のレセプション。
更にその三日後が結婚式だ。
レセプションは昼間の開催となっていて、立食形式のそのパーティーではアーシャの横に姉ちゃんがぴったり張り付き、次から次へと訪れる歓迎の挨拶を述べる人々を捌いていた。
こういった煌びやかな場になると、オレの出番は全くない。
一通りチェックしたが、あちこちにさりげなく近衛兵が配置されており、警備体制に問題はないように思えた。
ならオレがここにしがみついている理由もない。
元々パーティの間は好きにしていていい、と言われている。
金髪巻き毛のチャラそうな男が、アーシャにダンスを申し込んでいるのを横目に、オレは会場を抜け出した。
パーティーがお開きになる頃にまた迎えにくればいいだろう。
手持ちぶさたで会場を出てきたのはいいが、部屋へ戻る気にはなれず、裏庭の人気のないところで少し身体を動かした。
旅の間は馬で馬車と並走したり馬車に乗ったりだったから、オレ基準でかなり鈍ってる。
気がすんだ所で時間が気になり、会場へ戻ってみた。アーシャはさっきのチャラ男とは別の男と踊っていた。
モテモテじゃねぇか。
姉ちゃんが横についててOK出してんだからお勧め物件、てとこか?
オレが見てる前でアーシャはそつなく踊りきったが、気を抜いた今が実は一番危ない。
ここしばらく散々相手をさせられたダンスの練習の時でも、このタイミングでよく自分で自分の脚を引っかけてこけかけていた。
もちろん予測済みなのできっちり支えるが、引っかかるほど長い脚じゃねぇだろ、と笑うとプンとむくれていたな。
目の前のアーシャは転ぶ様子もなく、優雅にお辞儀をしている。へぇ、と思って顔を見ると、多分オレや女官たちしか分からないレベルで緊張していた。
それでもどうにかレセプションは無事終了し、あてがわれた部屋へ戻る途中、気に入った奴はいたか?と訊いたオレに、まさか、と笑うアーシャ。
その笑顔に、心の何処かでホッとしている自覚があった。
本当に、何もかもがそろそろ潮時だ。
翌日からは第1王女や王太子の好意で王都の観光もさせてもらった。
2日間かけてお勧めスポットとやらを案内してもらい、アーシャは子供のように大喜びだった。
そして第1王女と王太子の結婚式が厳粛に執り行われ、その場で彼女は王太子妃と公に認定された。
祝いの宴は深夜まで続き、その翌日オレたちは帰途についたのだった。
来た道を、同じ日数で辿って帰る。
アーシャはもう素顔で馬車から降りるのに気後れしないし、騎士たちも胡乱な目を向けたりしない。
道中で一度怪しい気配を感じたが、一瞬で消えてしまった。
誰も気づかなかったというので、警戒しつつ城を目指したが、そいつの正体は後で明らかになった。
城で出迎えてくれた者たちの顔は見ものだった。
先触れを出していたため、宰相を始め女官や近衛騎士たちおよそ百名ほどが城の正面で待ち構えていたが、この場で普段の素顔のアーシャを見知っていた者は、アーシャ自身の女官たちと、母親である第三妃付きの女官たち。そして先日まで第1王女の女官を勤めていた者くらいだ。
あとの者たちはみな一様に目を剥いてアーシャを見ている。女官を除いては一番接点の多かった宰相でさえも。
声もない一同に会釈だけを残し、女官たちの労いを受けながら城へ入った。
先ずは国王の所へ帰城の報告に向かわなければならない。
旅に同行した近衛騎士たちは、迎えてくれた仲間たちの驚きを隠せない様子に、素知らぬ振りで通りすぎて行く。
それは何だか共犯者めいたものを感じさせ、笑いが込み上げた。
国王の待つ謁見の間へ向かう間も、すれ違う人々の視線はアーシャに釘付けだった。
本来なら叩頭し、通りすぎるまで頭を上げる事を許されないような身分の者までがポカンと見つめている。
そんな中をアーシャは顔を上げ、毅然と前を見据えて、口許には笑みさえ浮かべ歩み続けた。
以前のアーシャなら顔を隠していなければできなかった事だった。
その小さな背中は緊張に強ばっていたが、きっと誰も気づいていない。
躓くこともなく、キョロキョロすることもなく、素顔のアーシャは化粧の代わりに虚勢でできた笑顔を張り付ける。
謁見の間で帰城の報告を受けた国王は、すっかり変わった娘の様子には一言の言及もしなかった。
何の興味もないのだと、態度で示している。
国王の背後で偉そうに立っている近衛師団長の方が、余程正直に目を剥いていた。
国王はアーシャの後ろに跪くオレや女官、近衛騎士たちにも型通りの労いを述べるにとどまり、疲れたであろうからゆっくり休むがよい、という言葉で早々に退出を促す。
別に長居したい訳でもないが、その余裕の無さは奇妙に思えた。
理由がわかったのは、アーシャの部屋へ戻ってからの事だ。
「魔物……!?」
「そうなのです。1週間程前から目撃情報が相次いでいて、いよいよ魔王が復活したのだと城内は大騒ぎなのですわ。まだ国に正式な発布はしておりませんが、召喚者を迎える儀式の目処が立ち次第、お布令が出される事と思われます」
「魔王……。魔王ってあの伝説の?」
アーシャの言葉に女官は口許を綻ばせた。
「伝説という程でもありませんわ。私の曾祖母は前回の魔王復活を知っていると小さい頃に聞いた事がございますもの。とても美しい聖女様が現れて、魔王を退治して下さったのだとか」
「まぁ!聖女さま……」
アーシャの目が輝いた。
女官の言葉で、帰り道に感じた怪しい気配の正体がわかった。獣でも魔獣でも、まして人でもないあの気配は魔物だったわけだ。
この国を出る前に、滅多にお目にかかれない祭りに出会えたのは幸いと言うべきか。
そう。この時、オレはもうこの国を出る決心を固めていた。
アーシャがいい相手を選ぶのを見届けたら、契約は途中で打ち切ってもらえばいい。どのみち嫁入り先にまでついていくつもりもない。
傭兵にとって契約を満了できないのは失点になるが、もうどうでもよかった。
そうこうするうちに、魔王や魔物に関する情報は続々と城へ集まってくる。
魔物の出現率が高い方角に魔王がいるという事も。
そして教会では勇者と聖女が召喚されていた。
勇者と聖女が同時に召喚されるのは、前代未聞の事らしく、教会や城の上層部が慌てふためいていた。
魔物の出現率はどんどん高まり、場所によっては雲霞の如く涌き出ているという。
所用で宰相を訪ねていたアーシャが、彼の執務室から真っ青になって出てきたのはそんな頃だった。
「どうした?アーシャ」
ギョッとしたオレがすかさず訊くと、彼女は途方にくれた顔をした。
「あの、ゼスさん…。いえ」
部屋へ戻ってから、と首を振るアーシャ。
部屋までの入り組んだ廊下を苛々しながら歩き、ドアを開けるやいなや彼女を押し込んだ。
「さあ、何があった?言ってみろ」
オレの剣幕に唖然とする女官たち。
アーシャはポツリと言った。
「お兄様が、……わたくしのお兄様が魔王討伐の旅に同行すると……聞いたのです」
異世界から召喚された勇者や聖女は、当然ながらこちらの世界の事は何も知らない。
そのため、旅の間不自由がないよう数人の案内人をつける事が決まっているらしい。
今回教会からは導師が一名。国からは近衛師団長の推薦で、魔力研究所の職員が一名同行すると聞いていた。
「その、魔力研究所の職員というのが、死んだと言われていたわたくしの兄なのですわ」
アーシャはポロポロと涙をこぼす。
「せっかく呪いをすり抜けて生き延びたというのに、もし魔物や魔王の手にかかりでもしたら……」
ああ、なんだか胡散臭ぇ。
以前噂で聞いた、生き延びていた王子ってのがそいつの事か?
そしてよりによって師団長の推薦で、国王が許可しただと?
間違いなく消されるな、と思った。
アーシャの望みはすぐにわかった。
そしてそれを言い出しかねている事も。
だからオレから申し出てやった。こいつの涙なんざ見たくねぇ。
ーーーそして、自分の心にもケリをつけたくなった。
「オレが、魔王討伐の旅に同行してやろう。お前が望むのなら」
アーシャは涙に濡れた顔をあげる。
「その代わり……、旅から戻って、お前の結婚相手が決まったら、残りの契約を解除してくれ」
アーシャの顔が絶望に染まった、と思ったのはオレの願望だろうな。
今この場で言う必要なんか全くなかった。それこそアーシャの結婚相手が決まってから言えばいいだけの話だった。
それをわざわざ告げたのは、自分の気持ちにとどめを刺すためだ。
オレとこいつは、そもそも同じ場所に立ってすらいない。
そうしてオレは魔王討伐の旅にねじ込まれ、同行する事になったのだった。
番外編はこれで終了です。
脇カプの妙な話に長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
次回は本編に戻ります。




