【番外編】傭兵はふわふわウサギの夢を見るか 6
王女は女官が用意した、下働きの娘の一張羅といった感じのワンピースを身に付け、唇にほんのり紅を乗せた程度の素顔でクルリと回ってみせた。
「どうですか?」
ちょっと心配そうに小首を傾げる。
「……うん、まあ、いいんじゃないか」
と視線を逸らせるオレを微笑ましそうに見るのはやめろ、女官ども!
こうしてオレたちは、あれから僅か数日のうちに、お忍びで街へ出かける事になったのだった。
城の中ではなるべく使用人たちだけが使う廊下や階段を通った。
オレは習性で城の中を把握するためにしょっちゅう使っていたし、王女の今の姿なら新しい使用人としか思われない。
こんな城だから使用人の入れ替わりも激しいし、気づかれる事もねぇだろう。
実際、あら新入り?、程度の視線でしか見られる事もなく、王女は自信をつけたようだった。
大門をくぐる時には門番から声をかけられた。
「あっ!ゼスさんっ。可愛い娘連れちゃって、妹さんですかっ?」
「ばーか、んなわけねぇだろ」
この門番は2年前の武闘会以来の知り合いだ。
あのときオレに賭けて儲けたらしい。一度礼がわりにと奢って貰った事がある。
門番は肩を落とした。
「ですよねぇ。あーあ、俺にも早く春が来ないかなぁ」
誤解しているのはわかったが、好きにさせておいた。じゃあどういう関係だ、と突っ込まれるのも面倒だしな。
王女は気づかなかったのか、キョトンとしていた。
しかし化粧や馬で顔を隠してる時は慎重な動きをするくせに、素になるとなんでこんなにそそっかしいかな?
大門を出てメイン通りを少し歩く間にも、すれちがう人にぶつかりかけるのはもちろん、立て看板に足を引っかけたり、植え込みに髪が絡まったりとちょこまか落ち着きがねぇ。
「アーシャ、歩く時はちゃんと前を見ろ」
外で王女とは呼べないから、愛称で呼ぶと決めていた。
子供にするような注意をすると、はにかんで笑う。
「ごめんなさい、なんだか楽しそうな物がいっぱいで、気になってしまいました」
「……なんか見たいもんがあるなら、言えよ?」
オレがそう言うとパッと顔が輝いた。
転ばないように手を引いて歩き、目についた雑貨店や布地屋、古着屋を覗いて回る。
そのうち昼時になったので、屋台の並ぶ通りに出た。
城を出る前に女官たちに頼まれた事がある。
王女は彼女たちが作ったもの以外は、毒味なしに食べられない。7歳の時に目の前で起こった事件以来の事だ。
だから、必ず形だけでも毒味をお願いします、と。
だが、それもどうなんだろうなぁ。
いつまでもあの城にいて彼女たちがついているならともかく、嫁入りを目指している今、それでは困るんじゃないか?
考えながら、美味そうな匂いの漂う中を歩いた。
どこの屋台もパタパタと風を送り、いい匂いを振り撒いて客をおびき寄せようとしている。
そしてまんまと釣られているのが横にもいた。
「ふあぁっ!」
目をキラキラさせて、拳を握っている。
「何か食べたいものはあったか?」
「み、見たことないものばっかりで、どんなものだか……」
視線があちこちに飛んでいる。
「じゃあ、人気のあるやつに並んでみるか」
屋台の中には十人程の列ができている所が幾つかあった。その中の、ホットドッグの屋台に並ぶ。
列はスルスルと動き、さほど待たずに大きなソーセージとピクルスが挟まった定番と、レタスと揚げた鶏肉が挟まった変わり種をそれぞれ1つづつ買った。
振り向くと、後ろにはいつの間にか長い列ができている。
「わぁ、早めに並んでてよかったですわね」
目を丸くする王女の手を取り、道の端へ誘導した。
「こっちにこいよ、アーシャ。次の客の邪魔になるからな。それと、その敬語も禁止だ」
街でそんなに丁寧に話してるやつなんざいねぇよ、と言うと、彼女はキョロキョロと辺りを見回し、納得したように頷いた。
「やってみますわ……、じゃなくて、やってみるわ?」
そしてオレを見上げ、にっこり笑う。
いったいオレをどうしたいんだよ、こいつ。
さりげなく目を逸らし、掴んでいた王女の手を放す。
そして手にしたホットドッグを眺めた。
これを1つ彼女に食べさせると、それだけで腹一杯になるだろう。どのみち毒味もいる。
オレは変わり種の方を、持ってろ、と彼女に渡し、定番のホットドッグを人差し指の先に込めた気で、半分に切った。
刃物できったようなキレイな切り口のそれを、彼女はポカンと見つめる。
「すごーい!そんなの初めて見ま…見たわ」
オレにはどうってことないが、この国では魔法は魔法として使うか、或いは武器や防具といった無機物に魔力を流して使うのが当たり前だ。
気づいてみれば、俺のように肉体に魔力を纏わせて使う奴なんか見たことがねぇ。
レイさんは一体どこで覚えたんだろうか。レイさんの故郷の大陸では、これが当たり前だったのか?
当時全然気にならなかったそれが、今は不思議に思えて仕方がない。
そのせいか、最近レイさんを思い出す事が増えた。
オレが二口で食べたホットドッグを王女は両手で包むように持ち、少し食べにくそうに小さい口ではむはむと食べている。
小動物系だな。
栗鼠……いや、ウサギ?
そのとき頭に浮かんだのは、以前禁止したふわふわウサギの被り物だった。
熱心に食べる姿を見ながらもう1つの変わり種も2つに切り、やや大きい方を自分で食べる。
「こんなの初めて食べたわ。とても美味しいわ!」
「城では出ないだろうな。元々は異世界の食べ物らしいぞ。何百年か前の勇者が広めたそうだ」
残った変わり種の方も渡してやれば、はむはむと食べ始めた。
………うん、やっぱりウサギだな。
こういった軽食は、みんな歩きながら食べるんだが、王女にそうさせると間違いなくこける自信がある。
待っている間に近くの屋台で買ってきた飲み物を手渡し、飲み終えたらカラのコップを屋台に返しに行かせた。
後ろで見ていると、屋台のおっさんと二言三言話し、上気した頬で戻ってくる。
ヤバイ、初めて会ったときの女官たちの気持ちがわかるようになっちまったぞ。
どうした?と聞くと、
「とても美味しかった、って言ったら、次はおまけして下さると仰って……言われたので、今度来たときはチコリのジュースにするって約束したの!」
調子のいいおっさんに一瞥をくれて、王女の頭を、良かったな、とポンポン叩く。
うん、次絶対まけさせてやるからな。
あとはブラブラと歩きながら、目についた揚げ物だとか饅頭だとかを買い、王女に一口分け与えるような感じで昼食を終えた。
ジャンクばっかりだが煩い女官たちもいねぇし、たまにはいいだろう。
そのあとは予定通り孤児院へ向かった。
調べた所によると午前中は教会での奉仕活動のため、小さい子以外の子供は出払っているらしい。
午後からは、大きい子は孤児院内の手伝いをしたり、小さい子の面倒を見て過ごすということだったから、この位の時間なら大丈夫と思ってきてみた訳だ。
視察という訳でもなし外から覗いただけだが、元気に遊ぶ子供たちの姿に王女は安心したようだった。
それから2週間のうちに、三度街へ出た。丸一日はさすがに無理で、午前中だけとか午後だけとかだったが、昼飯は必ず外で食った。
王女の行きたがるのは食べ歩きだ。最初の日のがかなりお気に召したらしい。
チコリのジュースはもちろん、約束通りまけてもらったとも。
屋台で買ったものは、もう毒味なんて必要なかった。
周りで知らない奴等も食べてる、ってのもあるんだろうが、誰も並んでいない屋台のものでも平気で食べている。
これがだんだん普通の食事でも出来るようになればいいんだが。
城での公務は第1王女から次々と引き継がれ、宰相の指示のもと、アーシャの直ぐ下の妹姫と二人でこなしていった。
この頃にはもう、城でも人目がなければアーシャと呼ぶようになっていた。
化粧は女官たちの努力で徐々に、違和感がないように薄くしていってる。
全ては順調だった。
第1王女の輿入れの支度はとうに済んでいた。
本当に、後は嫁に行くだけ、の状態で何年も待たせていたらしい。
だからこそ、1ヶ月での輿入れとなった訳だ。
余った時間を彼女は妹のために使う事に決めたようだった。
嫁入りに持っていかないドレスや調度をアーシャの部屋へ運び、仲良く喋っている様子は腹違いとは思えない。
聞けば第1王女の母親は、もう随分前に亡くなった第一妃だという。
アーシャが化粧している時に真似ているのが確か第一妃だったか。
「初めてあの物真似を見たときは、あんまりお母様にそっくりなので笑ってしまったわ。後宮に出入りできる者しかアレを分かってもらえなかったのが悔しかったものよ」
と、アーシャの姉ちゃんは顔を綻ばせた。
オレとしては、あの高飛車な奴のモデルが姉ちゃんの母親という事に吃驚だ。顔は知らんが、少なくとも性格は似てねぇな。
それからもオレたちは、忙しくなった公務の合間を縫ってはこっそりと街へ出た。
相変わらずの落ち着きの無さでチョロチョロしては、失敗して照れ隠しの笑顔。
そんなふうに過ごすのは、アーシャにとっても楽しい時間のようだった。
但しお忍びで出るときは、もう使用人の通路でも極力顔を見られないように気をつけて移動した。
王女の姿の化粧が薄くなってきたら本人だとバレちまうからな。
けどどっちにしても、そうやって外へ出られる時間はもうそんなにないだろう。
オレに彼女がいるらしい、といつの間にか噂になっているからだ。
誰がそんなこと気にするのか知らねぇが、噂の出所はというと、外で誰かに見られたか、或いは大門の門番のあいつしか思い浮かばなかった。確かにこっちも否定しなかったからな、肯定もしてねぇが。
だが、いずれアーシャの素顔が知れわたった時、オレの彼女がアーシャだと思われるのはマズイなんてもんじゃない。街に出るのはそろそろやめなくては。
そうこうするうちに約束の日となり、第1王女は迎えにきた隣国の使いと共に旅立ってしまった。
こちらでも祝いの宴は行われたが、1ヶ月後に、隣国で盛大な結婚式が行われるらしい。
姉ちゃんはアーシャに、できれば結婚式には素顔で参列してほしい、と言い置いて行った。
もしかしたら誰かに見初められるかもよ、と。
アーシャは、そんな奇特なひとがいるかしら、と笑っていたが、素顔を見て性格を知れば、そういうやつはこれから幾らでも出てくるんだろう。
第1王女の言葉に乗せられた訳ではないが、オレはこれを好機と考えた。
アーシャの化粧はもうかなり薄い。
世間一般では濃いと表現するのだろうが、それでも前に比べりゃ許容範囲だ。
リアル馬もとうにお役御免となっていた。
城の人々が彼女を見る目も変わってきている。
オレはもう早く決着をつけたくなっていた。
国王の名代として第1王女の結婚式に向かうアーシャは、2週間後にこの国を出発し、隣国で結婚式の前後1週間滞在して戻ってくる。
その間約1ヶ月。
この国を出たら化粧を落とし、あとは最低限の化粧だけで過ごす。
国王の名代として参列するのだから、その旅には普段はいない近衛騎士たちも多数ついてくるだろう。
まずは彼らの前で素顔で振る舞う事に慣れ、そのまま戻ってくるという寸法だ。
昨日の今日、化粧をやめろと言われたら抵抗があるだろうが、1ヶ月あいだを置けば度胸もつくんじゃないか?
オレの提案に、アーシャは決意をこめた目で、やってみます、と頷いた。
だが。
オレの都合だけを押し付けているようで、なんだか気が重かった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




