【番外編】傭兵はふわふわウサギの夢を見るか 4
こうしてオレは王女と契約することになった。
但し、アレを護身術として教えるのではなく、護衛という形で。
本気で覚える気があるのなら血へどを吐くまでやるぞ、と言ったら女官が泣きをいれたからだ。
王女様がムキムキになるのは非常に問題があるらしい。
そして護身術については、素人でも使えそうな簡単なものを教えるという事で、お互いに妥協した。
期間は5年間。レイさんと旅したよりもずっと短いし、多分あっという間に過ぎるだろう。
年中喪の明けない城は、常に陰鬱な空気を漂わせている。
城の中心に牢獄のような後宮を抱え、軍人が我が物顔で威嚇しつつ歩く城は、迂闊に笑顔など見せてはならない雰囲気だった。
そんな中、王女の纏う空気は何故かほんわりと暖かい。
……素顔の時に限るが。
最初の日に王女が、顔を見せては歩けないと言ったので、城ではずっと白塗りなのかと思っていたら、部屋では素顔だった。
そしてオレは部屋の片隅で奇妙なものを見つける。
「何だ?これは」
首を捻るオレに、お付きの女官はおっとり笑った。
「これは姫様の被り物ですわ」
いや、被り物だというのは見ればわかる。問題は何故そんなものがここにあるのか、だ。
背の低い飾り戸棚の上に、文字通りでかい顔で鎮座していたのは、ウサギの頭を模したふわふわの被り物だった。
「姫様に急な来客があった時とか、少しの時間だけ部屋を出るときなどは、化粧ではなくこちらを使います」
被るだけなので楽ですし、と説明してくれる女官の横からひょっこり顔を出した王女は、ご丁寧に被って見せてくれた。
どうですか?とばかりに小首を傾げる。
無表情なウサギがやけに可愛く見えて目を疑った。
思わず顔をしかめたオレに、王女はしょんぼりした仕草をする。
「……他のは、ないのか?」
なんでそんなことを言ったのか自分でもわからん。
だが。
これは人気がないので片付けていたのですが、と女官が出してきた馬の被り物は大層リアルで気に入った。
「ウサギは禁止だ。今度からこっちにしろ」
「これは、以前妹が小さいときに泣かれてしまったので封印しようかと……」
困ったように言われたが、こんなウサギでは無法な軍人に嘗められるぞ、と言えば納得したようだった。
ちょろすぎて心配になった。
食事も驚いた事の一つだ。
王女の食事は女官が作っているらしい。
女官の控え室の小さな簡易キッチンで作るため、手の込んだものは作れないという。王女の食卓に並ぶのは素朴な家庭料理だった。
「第2王女付きの料理人は、全員退職したのですわ」
料理をしていた女官が言った。
「以前兄君様がお亡くなりになられたときに、食中毒を理由に兄君様付きの料理人たちが全ての責任を取らされ、姫様は酷くショックを受けられました。もしも自分が体調を悪くすれば、それを料理のせいにされて料理人が処罰されるかもしれないと、とても怯えてしまわれて……」
女官はため息をつく。
「仕方なく料理人は全員退職して貰いましたの。もちろん推薦状を書き、次の職場を確保した上での事ですわよ。城の料理人を勤めていた者たちですから、素行や勤務態度に問題がないのであれば、引く手あまたです。本人たちも同僚の処分に思う処がありましたようで、大喜びで……」
なるほど、それが間違って世間で噂されている訳か。
他にもまだ何かあったな。
「宝石……だったか?」
「………?」
女官がオレを見上げた。
「王女は宝石なんかは好きなのか?」
見た感じ、そんなにゴテゴテ飾りたてているようでもないが。
「特にお好きというわけではありませんわ。必要な時に最低限のものだけです。何故、とお聞きしても?」
怪訝そうな女官に苦笑いする。
「すまん、街でそんな噂を耳にしたからな」
そう言うと、女官は目を見開いた。
「街で?……もうそんな噂に」
ではまた何か考えませんと、と呟き目を伏せる。
そして訝し気なオレに気付き、こう言った。
「護衛殿、姫様については巷で色々な噂が流れていることと思いますが、その殆どは根も葉もない事です。どうか惑わされず、目の前の姫様を見て差し上げて下さいませ」
そう言われて流したオレの視線の先には、リアル馬がローテーブルに足をぶつけて悶絶していた。
別の女官に、部屋の中でこんなもの被らなくてよろしいのに!、と怒られている。
オレと女官はソッと視線を外した。
王女付きの女官は5人。王女が幼少の頃からつき従っている年季の入った者が3人と、17~18歳くらいに見えるのが2人。
王女についてオレに会いにきてたのは、年季の入った方のうちの2人だ。とはいえ、まだ30そこそこに見える。
その人数が多いのか少ないのかはオレにはわからんが、もう1人いた若い女官は城の空気に耐えられず辞めていったのだそうだ。
痴漢の常習者を飼っている城じゃ仕方ないかもな。
その痴漢どもに会う機会は早々にやって来た。
王女が宰相殿に会いに出かけたその帰り道だった。
この城では近衛師団、いわゆる軍の連中だけがやたら威勢がいい。
近衛師団長という肩書きを持つおっさんの威光を笠にきての事だ。
ただそれも、観察しているうちに一部の勘違い野郎だけだという事がわかってきた。
軍の中には、そういった連中を苦々しく思っている奴も少なからずいる。だが序列が上の奴に口出しはできないというだけだ。
その威勢のいい痴漢が目の前にいた。
ニヤニヤ笑うその2人の男を前にリアル馬は足を踏ん張り、若い女官はススッとその背後に隠れる。といっても、馬は小柄なので全然隠せていなかったが。
なるほど、いつもこうやって女官を庇っていたんだな。
ふーん、と見つめるオレの前で、リアル馬は精一杯背を伸ばし、ギョロリとした目を男どもに向ける。
白目の方が大きい濁った瞳と、僅かに開いた口の裂け目から覗く歯は確かに子供なら泣き喚く恐ろしさだった。
但し、こんな勘違いした痴漢野郎には通じない。
鼻で笑われ、道を塞がれた。
「そこをどくがいい。わたくしを阻んでただで済むと思うなよ」
顔を隠しているとき特有の低い声が、馬の口元からこぼれる。
オレは今ではもう知っていた。
あのとき、武闘会場で感じた違和感は、彼女がこうやって必死に取り繕っている虚勢なのだと。
男どもは相変わらずニヤニヤ笑いながら道を譲る振りをして、王女の背後の女官に手を伸ばした。
「キャッ!」
通りすぎようとしていた王女が慌てて振り返る。
「何をっ」
「おっと、第2王女殿下はこのままお進み下さって結構ですよ。邪魔をするつもりはありませんからね」
「そうそう、私達はこちらの女官殿にすこーしお手伝い頂きたい事があるだけなんですよ。なに、すぐにお返し致しますとも」
ニヤニヤ、と嘲笑う。
いくら気配を消していたとはいえ、オレの事を全くの空気としか思っていない連中には呆れはてる。
しかもこいつらには見覚えがあった。
「王女殿下に対して、随分な物言いだな」
唐突に声をかけられて、男どもはビクリと振り返った。
女官の腕にかけられたその手を引き剥がし、馬と女官を纏めて背に庇う。
「なんだ、お前新しく雇われたという護衛か。俺たちの事を知らないのか?そんな偉そうにしてると後悔するぞ!」
「………その台詞3回目だな。あいにく一度も後悔した覚えはないが」
「は?」
掴んだままだった手を捻りあげ、そのまま男を壁に押しつけた。顎に手をかけ、持ち上げると男の足が宙に浮く。
「うぐ……っ!」
「この前と同じ目に、合わせてやろうか?」
男の目が泳ぎ、頬が引き攣った。ようやく思い出したらしい。
「なんで、お前がここに……っ」
「雇われた護衛だ、って今こいつが言っただろう」
もう一人の男の声に答えてやると、そいつは怯えたように後退りする。
そちらに向かって捕まえていた男を突き飛ばした。
「帰れ。二度とつまらん絡み方するんじゃねぇよ」
捨て台詞も残さず逃げていった男どもを見送り振り向くと、リアル馬がふんぞり返っていた。
「少しは役に立つようだな。精々励むといい」
………礼なら、出来れば部屋へ戻ってソレを脱いでから言ってくれ。
そんな風に日々は過ぎていった。
それからも何度か別の勘違い野郎に絡まれたが、都度相手をしてやるうちにオレや王女の前には姿を見せなくなった。
女官だけでの移動には気をつけるしかなかったが。
第1王女とは仲がいいらしく、良く行き来していた。
といっても、向こうが来るときはオレは城の訓練場を借りて身体を動かしていたし、こちらが行くときは姉ちゃんの部屋の前で待機していたので、オレは彼女の顔をちゃんと見たこともない。
後宮のお母上の元に向かう事も多かった。そこでも当然後宮入り口のドアの前で待つ事になる。
どちらに向かう時も王女は、化粧ではなくリアル馬を被って行った。
きっと中では馬を脱いで、素顔で話すのだろう。
迎えてくれる女官たちが毎回律儀にリアル馬に脅えてくれるので、その時ばかりはウサギを禁止した事を少しだけ反省した。
しょっちゅう行くので後宮の入り口を守る兵士とはすぐ顔見知りになり、その繋がりで近衛騎士や近衛師団にも知り合いが増えた。
頼まれて訓練の相手をする事もある。
オレが傭兵だということで一段下に見られているのはわかっていたが、別に気にもならない。契約期間が過ぎれば、もう会うこともないだろうからな。
殺された筈の王子の一人が、生き延びて潜伏していると噂を聞いたのもこの頃だ。
城に入って細かい状況が分かってくれば、一連の王子たちが犠牲になった事件の犯人が誰かなんて予想がつくし、オレに分かる位なんだから誰もがきっと薄々気づいている。
口に出せないだけだ。
だから、生き延びているという王子に誰もが、何かしらの複雑な感情を抱いている。
それは憐憫であったり、期待であったり。
最初王女にだけ教えた護身術は、成り行きで王女の女官たちにも教える事になった。
元々王女は自分が、というよりも女官たち自身が身を守るための護身術を、覚えたかったらしい。
だから、オレがみなに教えようと持ちかけた時はとても喜んでくれたし、女官たちも喜び熱心に練習した。
オレがみなに教えようとした理由はといえば、結局幾ら形だけ覚えてもいざというときに身体が動かなくては意味がないからだ。
例え練習とはいえオレが襲いかかるのは問題がある以上、女性同士で訓練を続けて貰うのがベストだと思った。
反撃して勝てる筈もなし、彼女たちには隙を衝いて逃げる方法をメインに教え込んだ。
絡まれた場合の逃げ方から、最悪の事態を想定した場合の逃げ方まで。
女官たちは身近に危険が在ることもあり、地道な練習を続けている。
ただ女性同士の練習では、形をなぞる事はできても成果を見る事は難しい。
女性相手では意味のないやり方もあるしな。
彼女たちがそれを実践で試す日が来ないことを、オレは祈った。痴漢野郎の為にだ。
7歳の時から10年近く化粧と被り物で素顔を隠してきたので、王女の素顔を知る者は少ない。
大抵の者は身分差もあって化粧も被り物も見ない振りをするが、やはり陰では興味があるようだった。
オレが城に馴染むにつれて、そういった話も耳に入ってくるようになる。
自主訓練の時などに、露骨に訊かれる事もあった。
第2王女の顔には、二目と見られない酷い傷痕があるというのは本当か?とか、素顔を見ると祟られると聞いた、とかだな。
興味本意の問いに正直に答えてやる義理もないから、俺も見たことねぇな、の一言で終わらせる。
だがお前らの見たことがない素顔の王女は、慌てん坊な上に鈍くさく、ちょこちょこと落ち着きがない。
そして、あのほわほわした話し方と、はにかみからの笑顔は無敵だぞ。
絶対に教えてやらんけどな。
そんな姿を側で見続けたある日、王女が密かに恐れていた日がとうとう訪れた。
第1王女のお輿入れの日が、1ヶ月後に決まったのだ。
オレが王女と契約してから2年が過ぎていた。
ここまでお読みいただいて、ありがとうございます。




