か弱き花の決意ににゃんは気づかない
ユトさんは辺りの様子を見回し、状況を把握したようだった。
「悪い、ゼス。遅くなった。母上たちは、見つからないんだな?」
ゼスさんは頷き、ため息をついた。
その表情には焦燥の色が濃く滲む。
だけどユトさんも高田君も、ソルハさんでさえその姿は埃まみれで、全員くすんだ色彩に統一されていた。別に遊んでいて遅くなった訳ではないのだ。
「陛下と師団長の姿は見てないが、第2部隊の連中がいたから、ここで間違いねぇ筈だ。それに第三妃様と王女、女官たちの姿もない。恐らく人質に取られてる」
「ゼスがこの人数を使って見つけられないとなると、第2部隊が隠したんだろうな」
ユトさんはソルハさんを振り返った。
「俺が探しても多分見つかるけど、そっちの方が早いと思う。頼む」
その言葉よりも早く、ソルハさんの探索魔法が辺りに広がっていた。
「地下へ降りる通路がどこかにある筈なんだ」
ゼスさんは悔しげに眉を寄せた。
「なんで地下?隠し部屋とかの可能性は?」
不思議そうに問うユトさんに、ゼスさんが答える。
「この揺れは『終わりに導く仕掛け』ってやつなんだろう?そういや、それは知ってるのか?」
「さっき聞いた」
「オレはこの城に3年住んでる。後宮を囲む石壁と、内部のこの造りで隠し部屋は有り得ねぇ。あるとしたら床下だが、この下にそんな人数を収容できる程の、隠し部屋を作れる空白地帯はねぇな。女官から第2部隊まで含めりゃ軽く20人だぞ。そしてこの揺れだ」
みんなが立っているこの中庭は、城の3階の屋上に位置している。こうして話している最中にも、足元は不気味に揺れ、何処かで鈍い振動が響く度に、城が軋み呻き声をあげた。
もっともこの場には、今更そんなもので怯えるような、神経の細い者は一人としていなかったけど。
「連中は多分、要石を抜いた。要石なら城の最下層、土台の部分に仕掛けられている筈だ」
ゼスさんの言葉に、ユトさんが目を瞬く。
「要石……。それが仕掛けの正体?」
「恐らく。楔石ともいうが、それを引っこ抜くか、或いは粉々にすれば、城の土台がずれて崩れ始め、いずれは城全体が崩れる…と思う」
考えもしなかった言い伝えの正体に、みんな目を見開いた。
ゼスさんだけが、その正体に気づいていたんだ。
「連中は必ず、城の最下層にいる筈だ。そしてそこに繋がる隠し通路がこの後宮にある」
ゼスさんは落ち着かない風情で、しきりに辺りを見回している。
「北の奥の部屋にだけ隠秘魔法が使われています。そこが怪しいですね」
ソルハさんの言葉にゼスさんが、謁見の間から走り去った時よりも凄い勢いで、北のエリアに向かった。
「ゼスがあんなに取り乱してるところ、初めて見た」
高田君が唖然として言うと、ユトさんは生ぬるい目で、まああれなら合格かなー、と呟く。
黒い馬が、呆れたように鼻を鳴らした。
ゼスさんが走り去る姿を見送った近衛騎士たちは、困ったように言う。
「北のエリアは、それこそ何度も捜したのですが……」
それにユトさんは軽い口調で返した。
「目眩ましの魔法がかけられてるんだろう。だから、あいつが一人で行っても絶対に見つけられない」
その言葉を裏付けるように遠くから、サッサと来いっ!、とゼスさんの声が響き、ユトさんは苦笑した。
「言い伝えの正体が本当にそれだとすると、城の崩壊は食い止められそうにないな。俺たちはゼスと、母上たちの救出に向かうから、お前たちはご苦労だけど二手に別れて、城の上部から逃げ遅れた者がいないか確認しつつ避難して欲しい」
「いえ、殿下をこんな場に残して避難するわけには参りません」
生真面目な答えを返す近衛騎士たち。
それを予想していたようにユトさんはにんまり笑って、高田君の腕を引いた。
「だいじょーぶ!俺には勇者さまがついてるからな。俺を安心させるためにも、必ず無事で避難しろ」
高田君が、微妙を通り越してものすっごく嫌そうな顔をしたのは、言うまでもなかった。
ユトさんに説得された近衛騎士たちが、後宮3階の出入り口に向かおうとしたところで、痺れを切らせたらしいゼスさんが戻ってきた。
「おいっ!いつまで待たせやがる」
「気が短いのと口が悪いのはマイナスポイントだな」
ユトさんが再びボソリと呟く。
「ユト殿、姑の顔になってますよ」
にっこり笑うソルハさんの突っ込みは的確だった。
「城の5~6階は先程探索魔法で確認しましたが誰も残っていませんでした。4階部分も今調べましたから、3階より下をお願いします」
ソルハさんが立ち止まった騎士たちに告げる。
さっき後宮の2~3階部分に居残った者がいないか探した時に、一緒に城の5~6階部分も調べたからだ。4階…つまり後宮の1階部分は魔法の痕跡を探すためについさっき調べた。
ソルハさんの魔法では、何階層もある建物だと自分のいるフロアーしか調べられないんだって。
あたしは考える。
この時、もしソルハさんが改めて城の4階部分を調べ直していたとしたら。
そしたらもしかして、3階で先に進めなくなったあたしたちが、再び階段を登り、4階にいた事に気づいてもらえたかもしれない、と。
そして4階で悪戦苦闘する必要はなかったのかもしれない、と。
だけど、それは結果論だ。僅か数分前に調べたところをもう一度調べる必要なんてないし、もし調べてたとしても、その時あたしたちはまだ3階だったかもしれない。
どのみち僅かな時間差の話だもの。
それに、彼らには他に差し迫った事情があった。
彼らは逃げた連中を追い、拐われた人々を救出しなくてはいけない。
この城が崩れ落ちる前に。
ソルハさんが近衛騎士たちに告げた言葉を聞いていたゼスさんは、
「何だ?こいつらが3階に行ければいいのか?」
と言い出した。
さっき目の前で大穴をあけるところを見ていた騎士たちの顔は引き攣り、ユトさんたちは首を傾げる。
ゼスさんは揺れる建物にツカツカと入っていき、手近な部屋の一番奥に吊るされたタペストリーをむしり取った。
そして現れた石壁に手をつき、ひとつ息を吐くと何気ない動作で壁に拳を叩きつける。
無造作にあけられた大穴にユトさんたちはポカンと口を開けた。
これは石壁だぞ、とその顔に書いてある。
確かに以前魔王の城で柱を蹴り砕いているのを見たが加工された物とは材質が違う。こんなに簡単に石の壁が砕けるものなのか、と。
しかもゼスさんはさっさとその穴をくぐり抜け、向こう側の床に片膝をついた。
誰の部屋かもわからないそこで床にしばらく手をあて、呼吸を整えると、今度は床にあてた手に気合いを込めた。
「ーーハッ!」
次の瞬間、衝撃に弾かれたように跳んだゼスさんは、捻りを加えて少し離れた床に着地した。
さっきまでゼスさんがいた場所には、何もない大きな穴があいている。
穴の下にはボロボロになった床材や粉々になった瓦礫が山になっていたけど。
「この下は大食堂だ。ここからならどの方向にでも向かえるだろう?」
新しく出来た大きな穴の前で、心なし青ざめた皆を振り返ったゼスさんは軽くそう言った。
近衛騎士たちは二度目のショックに、無言でブンブン首を振る事しかできなかった。
改めて北のエリアに向かうユトさんたちは、ようやくショックから立ち直ったようだった。
そして、後宮の入口横の穴を見たときも、どうやってあけたんだろう、と頭をよぎったのを思い出す。それどころではなくて、すぐに忘れてしまっていたけれど。
「お前、あらゆる意味で危ない男だな」
呆れたように言うユトさん。
何がだ、と大真面目に返すゼスさんに、高田君が言った。
「あの床の下に誰かいたらどうするつもりだったんだ?」
今度はゼスさんが呆れたように返した。
「そんなもん、ちゃんと確認したに決まってるだろう。あのくらいの距離ならわかる」
その言葉に、魔法も使わずにわかる事自体が普通じゃない、と一同ため息をついた。
「それに、崩れかけた城の倒壊に拍車をかけてどうするんです?」
今度はソルハさんが突っ込む。
「あー、それは悪かった。でも身体動かしたら頭冷えたからな、丁度よかった」
そう言ったゼスさんは、もうすっかりいつもの飄々としたゼスさんに戻っていた。
……マイナス30、とユトさんが呟き、ソルハさんが、少し厳しいのでは?と囁く。
高田君は、何か気になる事があるのか、ずっと考え込んでいた。
カーテンを引きちぎった即席ロープで大食堂の床に降り立った騎士たちは、もう二度と流れ者の傭兵をバカにするまい、と心に誓う。
強いのは知っていたし、それを尊敬もしていたが、キチンとした訓練も受けていない傭兵ふぜいが、と心のどこかで思っていたのも事実だ。
だが、強さの次元が違った。今まで何かにつけ手加減してもらっていて、しかもそれに気づいていなかった事に初めて思い当たった。
彼らは、上には上がいるんだな、と項垂れつつ二手に別れて、逃げ遅れた人がいないか声をかけながら、それぞれ下を目指したのだった。
近衛騎士たちがそうやって足の下を移動しているとも知らず、あたしたちは廊下に転がった、割れた石像の群れを乗り越えるのに苦労していた。
何かの英雄とか神話の神様を模したと思われる石像が、この廊下には等間隔で向かい合わせに計十体も並んでいて、それがまたご丁寧に全部倒れちゃってるんだよ。2つや3つに割れたそれらは廊下の幅を塞ぎ、あたしたちは乗り越えないと進めなくなっている。
本来なら絶対倒れるなんてあり得ない、と思える程の安定感ばっちりの美術品は、横倒しの今あたしたちの前で障害物と成り果てていた。
さっきはこの石像、倒れてなかったのに…、としょんぼりする赤い上衣の騎士さん。
仕方ないよ、こんなに揺れてるんだもの。ついさっきすぐ近くで凄い音がして揺れたよね。
きっとあの時倒れたんだよ。
その凄い音がゼスさんの仕業だなんて、あたしたちの誰も知る筈がなかった。
あたしたちの行く手を阻んでいるのは、石像というよりはこの揺れかもしれない。
高さにすれば、安藤さんの腰より低いくらいだもの。よじ登って向こう側に降りるくらい小学生でもできそうだ。
揺れてさえいなければ、ね。
あたしたちはさっきからズズン、ズズンと響いてくる震動の感覚が徐々に狭まっている事に怯えながら、騎士さんたちの手を借りて石像を一つづつ乗り越えて行った。
男性陣はさすがに自力で頑張ってたけど女性に手を貸せる程の余裕もない。
安藤さんも入れて総勢7人の女性たちは、石像の上にたつ騎士さんに引っ張りあげられ、反対側に下ろされる。
この振動の中、不安定な石像の上でビクともしない騎士さんたちの身体能力って凄すぎない?
文官さんたちは抱えた書類が、安藤さんは抱えたあたしが邪魔してるっていうのもあるけどね。
一度、気にしたあたしが服から出ようとしたんだけど、察した彼女に引き留められたんだ。
何があるかわからないから、お願いだからここにいて?、って。
それで結局ヌクヌクとここに居続けてるんだよ。
あたしたちが二つ目の石像を乗り越えた頃、赤い上衣の騎士さんが、念のためもう一度階段を見てきます!と走っていった。4人の中で一番若そうだし、そういう役回りなのかな。
騎士さんは程なく戻ってきたので、きっと階段はもう近いんだと思う。
その階段は1階まで続いている筈で、出る場所は使用人が使う場所だから、騎士さんたちはあまり詳しくないらしいんだけど、一応図面は全部頭に入っている、って話だった。
裏庭へ出る扉が近くにあった筈だというので、階段にさえ着ければもう大丈夫、とそれだけを励みに、あたしたちは石像を攻略し続けていったのだった。
***
地下深く、魔法の光が煌々と照らす中、揺れる足元を踏みしめ、彼女は固く拳を握りしめる。
わたくしがなんとかしなくては、と。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。