儚き菫の行方をにゃんは知らない
あたしたちは、前を塞ぐ瓦礫の山を呆然と見つめた。見つめるしかできなかった。
舞い散る砂埃を避けるため目を眇め、鼻と口を頭から被った上衣で押さえ、ただ立ち尽くすみんな。
あたしは安藤さんの服の中に収まってみんなと一緒にそれを見つめていた。
違う道を選んでいたら良かったのかもしれない。他の道なら通れたのかも。
だけど、この道を選んだ事で騎士さんたちを責める気にはなれなかった。
だって彼らは本当に良くしてくれた。
でも、
絶望感がじわじわと足元から這い上ってくる。
幾つの瓦礫を乗り越え、剥がれた天井板を踏み、どれ程の階段を降りてきただろう。
もうすぐ出られる、安全な所へ行ける、と思ってたのに。
あたしたちが避難のために合流した人たちは、4人の騎士さんも合わせて総勢20人ほど。謁見の間よりもまだ奥にある内政調整室とかいう所でお仕事をしていた文官さんたちだそうだ。
他の部所の人たちが、助けに来た騎士についていち早く逃げ出した中、この人たちはお仕事の書類や何かを持ち出すために、少し遅れてしまったのだという。
まあ、そのお陰であたしたちは合流できた訳だけど。
メガネに白髪混じりの髪をひっつめたおばさんが教えてくれた。
国中から集まる陳情書といったものは、まずこの人たちのところへ集まってくる。
陳情書っていうのは、『○○を□□してください』とか、『○○が●●です、助けてください』とか、そういうお願いを書類にした物の事なんだって。
それはこの人たちの所で、重要なもの、急ぐもの、急がないもの、あまり重要じゃないもの、という風に分けられて、そこで処理されたり調査のため別の部所へまわされたりする。
そんな大事な、国民の生の声が無くなってしまっては大変、と必死に持ち出そうとしているうちに遅くなってしまったらしい。
お仕事熱心なんですね、的なことを安藤さんが言うと、彼女たちは、そうではない、と首を振った。
地方の領主を通して送られてくるようなものに、重要なものはそんなにない。むしろ自分勝手なものが多く、大概の場合お金が絡んでたりする。
だけど、そういった案件が真実かどうか調べるため地方を飛び回る調査員が、現地の人々から拾ってくる言葉はというと、そこの領主の悪事を告発するものだったり、或いは、困っているのに領主は何もしてくれない、だとかの切羽詰まったギリギリのものばかりだ。
そういった声を書類にしたものがたくさんあるのに、それを今ここで無くしてしまうと、彼らに差し延べられる手がもっと遅くなってしまう。それでは間に合わない人たちもいるのだ、と悲痛な顔をする。
……それをお仕事熱心と言わずしてなんと言おう。
いや、ただの『お仕事』じゃあここまでできないよ。
この国で政治に携わっている人たちはみんな腐っているのかと思ってたけど、そうじゃなかった。こんな人たちもいるんだ、と安藤さんと二人、心があったかくなった。
因みに内政調整室は、宰相さんの管轄だそうです。
廊下を進みながらそんな話をしているうちに震動や砂埃がより一層酷くなり、みんなは騎士さんたちの指示で上衣を脱いで頭から被り、口元を押さえた。姿勢は自然に低くなる。
もはや頭上からは絶え間なく、何かがボロボロ落ちていた。
あたしは安藤さんの着ている上衣の中に、カンガルーの赤ちゃんのようにすっぽり包まれていた。そのため頭から被る上衣がない安藤さんは、騎士さんの一人から上衣を貸してもらって被ることになった。
そうしたら今度はその騎士さんが、被る上衣がなくなっちゃうんだけど、多分あたしたちとそんなに変わらない年齢の騎士さんは、聖女さまに使っていただけるなら光栄です!って、にっこり笑顔で頑として讓らないもんだから、安藤さんもあたしももう何も言えなくなってしまって、頭を下げて受けとるしかなかったんだ。
あたしは猫だから、元々何も言えないけどね。
あたしたちがそんな風に、上衣の押しつけあいをしていたのを見ていた文官さんの中の女性の一人が、自分が着ていた上衣をもう一枚脱いで、おずおずと騎士さんに差し出した。
自分は寒がりで、いつもたくさん着込んでいるからどうか使って欲しい、と。
聖女さまに上衣がないのは気づいていたけど、私なんかのものを差し出していいものか躊躇っていた、とも。
そう言って差し出されたのは鮮やかな赤の上衣だったのだけど、騎士さんは他の騎士さんに冷やかされながらも、嬉しそうに受け取って被っていた。
うん、この頃はまだ余裕があったんだ。
だけどそんな余裕はたちまち吹き飛んでいった。
壁が崩れている所も幾つかあったし、ギシギシ変な音がする、と思ったら突然ガラスが割れたりするようになった。いつ割れるかわからないから怖くて窓の近くを歩けない。
まだ割れていない窓が並ぶ廊下に出た時は、騎士さんが近くの部屋のドアを蹴り外してそれを窓に宛がい、ガードしてくれているうちに通り抜ける、なんてこともやった。
それくらい怖い状況だった。
あたしたちはただヨロヨロ進んでるだけだったけど、足元の割れた板切れや瓦礫を避けながらみんなの歩みに合わせ、大きなドアを抱えて運んでくれた騎士さんたちは大変だったと思う。
もうみんな、頭から上着を被った怪しい姿の上に、砂埃でドロドロのグチャグチャだったけど、とても頼りになるし格好良かった。
そうこうしながら幾つかの階段を恐々降りて、長い廊下に差し掛かった時だった。
頭上から落ちてくる何かの破片がなんだか急に増えたなと思ったら、前を歩いていた騎士さんが突然立ち止まった。押し戻されるように後ろに下がらされて、次の瞬間全身がガクガク揺さぶられるような振動がきた。廊下の先で天井が崩れ落ちてきて、壁も倒れてきた。
視界が灰色で埋まって咄嗟に目を瞑り、みんな頭を抱えてしゃがみこんだ。
安藤さんは自分の頭より、あたしを庇ってくれてて本当に申し訳なかった。
そうしてしばらく固まっていて、ようやく目を開けたときには目の前の廊下が見事に瓦礫で埋まってしまっていたのだった。
だれも怪我をしなかっただけマシだったのだと思う。
だけど、あたしたちはショックで魂が抜けたようになってしまった。
そんな中、さすが騎士さんたちの立ち直りは早かった。
4人で顔を付き合わせ何か相談したかと思うと、赤い上衣を被った騎士さんが、西の通用階段が使えるかどうか確認してきます!と器用に板の上を踏みながら走り去った。
走るといっても、こんなに揺れている上に足元が悪い中じゃ小走り程度だけど、ヨロヨロとしか進めないあたしたちに比べたら断然早い。
きっと騎士さんたちだけなら、今ごろとっくに脱出できていたんだ。
ともかく、ぼんやりしていても仕方がないので、少しでも動こうということになり、みんなの顔から少しだけ絶望が剥がれ落ちたとき、文官の男性の一人が傍らの女性に言った。
「俺の上衣の方が大きいから、こっちを使えよ」
みんながキュピーンとそっちに注目する。
そしたら女性も恥ずかしそうに、
「じゃああなたはこれを使って」
と自分の上衣を差し出した。
なんかドラマが始まっちゃってる!?
安藤さんの目もキラリーンと光っている。
元から出来上がってたカップルなのか、もしかしたらご夫婦だったのかもしれないけど、まわりのみんなの反応を見ると違う気がした。
その証拠に何故か数組の男女が、あとに続け、とばかりに上衣の交換をしている。
そこへ戻ってきた赤い上衣の騎士さんが、なんだか変わってしまった雰囲気にキョトンとしてたのが無性に笑えた。
「西の階段はまだ使えそうです。少し後戻りしますが、頑張りましょう!」
元気にそう言う騎士さんに励まされて、あたしたちはまたヨロヨロと歩き出す。
西の通用階段っていうのは、下働きの人たちが上の階のお掃除や用事をするときに使う狭い階段で、騎士さんや文官さんたちは普段使う事はないらしい。
赤い上衣の騎士さんに先導されて、あたしたちは廊下を少し戻り、西の通用階段に向かうべくさっき降りてきた階段をもう一度上がり始めたのだった。
それにしてもお城の内部、複雑過ぎだよ。
あたしたちがそうやってお城の中を必死にさ迷っていた頃、ゼスさんと10名の騎士さんたちも必死になって、後宮の1階部分を捜索していた。
「絶対にあるはずだ!草の根を分けても見つけだせっ」
いつも飄々として、余裕のある態度を崩さなかったゼスさんが、驚くほど感情を顕にしていた。
後宮の1階部分っていうのは、お妃様たちの部屋がある階で、お城でいったら4階にあたる。
後宮の3階の壁に穴をあけて侵入したゼスさんたちは、まず3階の一室で震えていた女官数人を保護し、後宮内の位置関係を訊いた。闇雲に探すより当たりをつけて探した方が手っ取り早い。
そしてそれを元に、2階の洗濯室や厨房に閉じ込められていた下女や料理人たちを保護した。同時に、手分けして1階に降りていた騎士さんたちが東のエリアから、やはり軟禁されていた第2妃様とその女官たち、女性騎士たちを救出。
そして南のエリアからは驚くほどの人数の、無位の女性たちとその世話をする女官たちが救出されたのだった。
話を聞くと、彼女たちは高田君が呼び出した魔物たちが城を取り囲んだときから、恐怖のあまりそれぞれで固まって部屋に閉じ籠り、震えていたのだという。だから空のスクリーンに映し出された顛末も知らなかった。
ただ、白と金の優しい光が魔物を消してくれたので、きっと聖女様と勇者様が助けてくれたのだ、と感謝していたのだそうだ。
そうこうするうちに、いつも静かな後宮には相応しくない騒々しい足音がなだれ込んできて、彼女たちはまたも訳のわからないまま部屋で震えていた。
そのうち静かになったので、そっと覗いてみようとしたら部屋に鍵がかかったようにドアが動かない。
困り果てていると、次は部屋が揺れだした。時々鈍い破壊音まで響いてくる。
次から次へと襲ってくる異変に、対処できず、呆然としているときに騎士さんたちが助けに来てくれたのだという。
だから彼女たちは何も見ていなかった。
後宮になだれ込んできた足音は誰のものだったのか。
彼女たちが閉じ籠る部屋に魔法をかけたのは誰なのか。
彼女たちは誰も知らなかった。
足音の主たちは何処へ消えたのか。
姿の見えない第3妃や第2王女、その女官たちはいつの間に、何処に消えてしまったのか。
東と南には彼女たちがいた。
そこにある可能性は低い。
ゼスさんたちは北と西、そして中庭を探した。
どこかに痕跡が残っている筈だ、と。
「何処へ行きやがった、アーシャ…」
ゼスさんの呟きは、誰にも聞こえないくらい小さい。
その時、中庭に黒い影が差し、ゼスさんも騎士さんたちも思わず空を見上げた。
優雅に空を駆け、不敵にいななくそれは、奴だった。
ユトさんたちは石壁に開いた穴を潜り中に侵入していた。
穴の向こうはどうやら誰かの部屋だったらしい。
持ち主の姿の見えないその部屋には質素な家具が僅かに置かれているだけで、恐らく下女の部屋なんだろうとわかる。
枠が歪み、閉まらなくなっているドアから外に出ると、そこは廊下だった。
「ああ、そうだ。こんな感じだった」
ユトさんは一瞬、懐かしそうに目を細めた。
ユトさんは5歳で城を出たって言ってたっけ?それまでは後宮の中を自由に歩き回ってたんだよね。
反対に後宮の外は、子供がうろつけるようなところは少ない。
ユトさんのお城の思い出っていうのは、つまり後宮のことなのかもしれなかった。
さっきの近衛騎士の報告で、3階と2階には誰も残っていない事が分かっていたけど、念のためソルハさんが探索魔法を使う。城全体の6階で、次に5階部分で。
誰の気配もないことを確認してから、彼らは4階…後宮の1階部分へ降りる階段を目指した。
中庭には、待ちくたびれたように黒い馬が佇んでいる。
その横に、焦燥感で目付きが悪くなっているゼスさんを見つけるのと、ゼスさんが彼らを見つけるのは同時だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。