にゃんが怯える崩壊の跫
あたしがキョトンとしたのがわかったんだろうか。
安藤さんは、割れた窓ガラスの向こうを指差した。
「ほら、王都の上空はさっきのでキレイになったけど、他はまだ障気が残ってるでしょう?」
ホントだ。
ここからだと窓のある方向の空しか見えないけど、王都の上だけドーナツの輪のようにポッカリと晴れた空が見えていて、それを取り巻く空は仄暗い障気に覆われたままだ。
「もう魔物は発生しないし、障気もだんだん薄れて消えていくだろうけど、それまでの間、みんな空を見上げて不安になると思うの。太陽がでないと農家の人たちも困るだろうし」
だからね、と安藤さんはにっこり笑った。
「頑張って消してしまおう」
ああ、やっぱり安藤さん格好いい。
安藤さん、好き好き。
あたしは鳴きながら安藤さんにギュッとしがみついた。一瞬誰かの鋭い視線を感じたけど、そんなの構ってられない。安藤さんの腕にグリグリと頭を擦りつけた。
それを了承と取ったのか、安藤さんは再び手を組み祈り始め、あたしも気持ちを添わせる。
安藤さんを信頼してるから。
あたしで役に立つのなら、あたしに力なんてものがあるのなら、それは全部安藤さんにあげる。
広間のみんなに見守られる中。
安藤さんの身体から再び白い光が溢れ出した。誘われるようにあたしの身体からも金の光が揺らめいて、けれど今度はさっきのようにはならなかった。
白い光は薄い靄のように漂い、そこに金の光が金粉を散らしたように、キラキラと輝く。
キラキラをのせた白い靄は、やはり割れた窓から王都へ流れだし、薄く薄く広がり、ものすごい速さで王都を中心に四方八方へと流れていく。
それが触れた場所から薄雲が晴れるように、障気が消えていった。
この勢いなら、
国中の障気が消え去るまでに、そんなに時間はかからない。
誰もがそう思った。
誰かの安堵の吐息がこぼれ落ちた。
その時。
広間の外、遠くの方で怒声が響き、何かが割れる音、鋭い金属音、入り乱れる足音があたしたちを驚かせた。
「何があった!」
大声をあげる茶色い髪の男に、確認して参ります、と答え兵士の中から二人が広間を走り出る。
待つほどのこともなく、そのうちの一人が戻ってきた。
「申し上げます!近衛師団長が陛下を連れて逃亡致しました」
「何だと!?」
茶色い髪の男が目を剥いた。
「一体何をやっていた!いや、そんなことは後だ。どちらへ向かった?追手はつけているのか?」
「後宮の方へ向かった模様です。近衛騎士2名が負傷。4名が後を追っています」
「後宮だと?よりによって…」
兵士の言葉に茶色い髪の男が呻き、ユトさんが疑問を口にした。
「人質でも取って立て籠るつもりか、それとも隠し通路でもあるのか?」
はっきり聞いたことはないけど、子供の人数からしても多分ここは一夫多妻制だ。後宮っていうのは国王の奥さんたちが住む所だから、もしかしてユトさんのお母さんもそこにいるんじゃないのかな?
あたしの考えを裏付けるように、茶色い髪の男がユトさんに叫んだ。
「殿下!アイシャ様は本日、第三妃様の……お母上様のところにいらせられます!」
「悪いっ、あと頼んだ!」
ゼスさんが凄い速さで広間を走り出た。
元々王女の護衛だから、お城の中のことに詳しいんだ。後宮がどこにあるかも知ってるんだろう。
でも、それにしたって速い…。
ポカンと見送るあたしの横で、ユトさんと茶色い髪の男のやり取りは続く。
「宰相、師団の掌握はどこまで進んでる?動かせる人数は?」
「第1部隊は捕らえています。第2部隊は様子見で、第3部隊以降は殿下に恭順の意を示しています。第3部隊以降の師団、近衛騎士、兵士、私の私兵も合わせて、今すぐ動かせるのはおよそ500。全て後宮に向かわせますか?」
「今ゼスが向かったからな。後宮には100でいい。不審者を取り囲んで逃すな。後宮の人々の保護を最優先で。それと、第2部隊ってのは特殊部隊だったか?そいつらも一旦拘束しろ。どっち付かずの連中なんか厄介なだけだ。どこかに閉じ込めとけ」
茶色い髪の男は宰相さんだったのか。
彼はユトさんの矢継ぎ早な命令に、さっきの隊長さんに視線をやる事で答えた。
隊長さんはピシリと胸に自分の拳を当て、早足で広間を出ていく。
今のがこの世界の敬礼なのかな?
「あれが第3の部隊長です。今だけ、第3から第7までを取りまとめさせています」
ユトさんはそれに頷いた。そして、
「後宮に隠し通路ってあると思うか?」
と、宰相さんに尋ねた。
「私は存じませんが、場所が後宮だけに迂闊なものは作れないのでは?」
「だよな。でも、それじゃ例えば国王が後宮にいるときに、賊に襲われたとしたらどうなる?逃げ道はないのか?」
宰相さんは、それを告げるのを少し躊躇ったようだった。
「なに?言ってみろ」
ユトさんに促され、渋々のように口を開いた。
「後宮は城内で最も攻めにくい場所に、堅牢に作られています。国王がくつろぐための場所だからです。つまり」
あたしたちは、宰相さんの言葉に耳をそばだてる。
「後宮が攻め落とされるということは、相手が敵であれ、身内の反乱であれ、……」
彼は、あたしたちを見渡した。
「この城の最期を意味します」
足元が、
床が、身震いした。
「どういうことだ?」
ユトさんは怪訝な顔で、宰相さんを見る。
嫌な音が聴こえる。これは地響き?誰も気づいてない?
「言葉通りですよ。殿下は幼少の頃にここを離れられたので、ご存じなくとも無理はない。杞憂であればいいのですが、もし。……もしも近衛師団長が自棄を起こしたとすると。そしてあの言い伝えが本当だとすると…」
城が、身震いしてる!
なんで誰も気づかないの!?
このままじゃ、お城が…
「後宮には代々の国王しか知らない、全てを終わりに導く仕掛けがある、と言い伝えられているのです」
逃げて!!逃げて逃げて逃げてっ!!お城がっ!
突然騒ぎ、暴れだしたあたしを安藤さんは取り落とした。
「にゃん!?どうしたの?」
狼狽する安藤さん。
あたしは床に着地すると、更に声を張り上げた。
だってこのままじゃ、お城が潰れちゃう。みんな潰れちゃうよ!
あたしの尋常ではない様子に、みんなに緊張が走る。
元魔王の黒い馬が、辺りの様子を窺うように耳を動かした。
高田君も慎重に床を見て、天井を見上げた。
早く気づいて!
お城が悲鳴をあげてる!
パラパラと砂のようなものが落ちてきた。
みんな、漸く異常に気づいたようだった。
「ねぇ、まさかこれって!?」
安藤さんが震える声で尋ねた。
「城から全員退避させろ!」
ユトさんが叫んだ。
宰相は青ざめた顔で広間を出る扉を開け、そこにいた誰かに何かを命じている。
広間に控えていた兵士たちには別に何事かを言いつけた。
そして走り出そうとする二人の兵士を呼び止め、終わったらお前たちも誘導に加われ、と告げたのだった。
「近衛騎士隊長に避難の誘導を命じました。兵士も動員させます」
ミシミシと壁が音を立てる。
まるで、今まで蹲って眠っていた巨人が目を覚まし、立ち上がろうと手足に力を入れているように。
けど、巨人が立ち上がったときは、このお城が崩れ落ちるときだ。
「……そんな話は、抑止のための作り話だとばかり思っていました。『全てを終わりに』というのが、まさか城の崩壊を指すとは」
宰相の半ば呆然とした声。
あたしたちのいる広間の真上から、鐘の音が響いた。
さっきの魔物たちが現れた時みたいなめちゃくちゃな音ではなく、大きな音を一回小さな音を二回。それを繰り返し。
「城を捨てろ、という合図です。正直、こんな合図は必要ない、と今の今まで思っていました。想定外ばかりです」
宰相は苦笑した。
「さあ、私の兵はまだ残っています。どうしますか?」
地鳴りは断続的に続いている。
もはや、誰もに倒壊を予感させるレベルで。
「どれ程の時間で、どれ程の規模で崩れるんだろうな」
ユトさんの呟きに、
「全くわかりません」
と返した宰相さん。
「国王なら何か知っているかもしれない。崩壊を食い止める方法があるのかもしれない。それが無理でも、みんなを避難させる時間を少しでも稼げれば…」
ユトさんは顔をあげ、あたしたちを見た。
「俺たちは後宮へ向かう。タカダとアンドウさんは避難してくれ。異世界へ戻らなければならない身で、これ以上危険な目に遭わせる訳にはいかない。ああ、もちろんにゃんもだよ。色々世話になった。また落ち着いて礼が言えればいいが、…今は時間が惜しい」
口早にそう告げるユトさん。
扉の向こうからはざわめきが大きくなったり、小さくなったり。
誘導されてここの前の廊下を通っているのかもしれない。
広間の片隅に装飾のため置かれていた石像がずれるほどに床が揺れたとき、廊下から女性の短い悲鳴が響き、落ち着いて!と声をかける男性の声が聞こえた。
その時、少し離れていた宰相さんが戻ってきた。
「報告が参りました。第2部隊の拘束が間に合いませんでした。近衛師団長の逃亡の手助けをしたのは第2部隊と思われます。申し訳ありません、私の失態です」
「失態とか、そんなのは後でいい。後宮へ向かうぞ、向こうの様子が気になる。宰相の兵を何名か彼らにつけてくれ。無事に外に出られるように、出てからも落ち着くまでは警護が必要だ」
ユトさんはあたしたちを見てそう言った。
「ええ、早く後宮へ向かいましょう。あちらの様子が、全く報告が来ないのが気になります」
ソルハさんの言葉に、ハッとした。
ゼスさんもだけどアイシャ王女や、ユトさんのお母さん。他にもたくさんの人がいる筈だ。
いったいどうなってるんだろう。
高田君が一歩進み出て言った。
「俺も行く。俺にはこいつがいるから、何か役に立てるかもしれない」
馬の首を叩くと、奴は張り切ったのか鼻を大きくブルルと鳴らした。
でも、あたしの方を見て蹄で床を蹴るのはやめて欲しい。サイズが全然違うんだから、怖いんだよ。
高田君の言葉にユトさんは一瞬躊躇したけど、助かる、と笑みを浮かべた。
「私たちはきっと足手まといになるから行かないわ。でも、護衛はいらない」
そう言ったのは安藤さんだった。
足元で踏ん張っていたあたしを抱き上げ、広間と廊下を隔てる扉を指した。
「あの人たちに合流する。今は一人でも手勢が欲しいのでしょう?私たちは大丈夫だから。外からみんなの無事を祈るわ。さあ行こう、にゃん」
そうだね。安藤さんはともかく、あたしは足手まといになる自信しかないよ。
あたしたちは連れだって広間を出、そこで別れた。
ユトさんたちは後宮に向かって。
あたしと安藤さんは避難する人たちの方に向かって。
別れ際、高田君はあたしの頭を撫でて、無事でいろよ、と呟いた。
そして安藤さんに向かっては、お前もな、の一言で終わらせたので安藤さんに、私はついでかぁっ!って怒られる羽目になったのだった。
絶対、きっと、無事にまた会えるんだから。
大袈裟な別れの言葉なんていらない。
あたしたちは、じゃあね!、と手を振りあって別れた。
そして安藤さんはあたしを腕に抱えたまま、小さくなってしまった避難の列の最後尾に向かって、
「待ってくださーい、私たちも混ーぜーてーっ!」
と叫びながら走り、驚く人々の中に乱入したのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。