にゃんと織りなす光の奇跡
解放された近衛師団長は、固定されてた腕をヨロヨロと動かした。激痛が走るらしく、顔をしかめ、歯を食い縛っている。
ただ、そんな様子でも、ふてぶてしい態度だけは崩さなかった。
「いいか、貴様らには関係無い。アイシャ王女と私の結婚は、陛下も認めておられるのだ。私は王女にも納得して頂きたいと、猶予を与えているに過ぎん」
体裁を繕いつつ告げるおっさんの言葉を、ユトさんは鼻で笑った。
「連日連夜、部屋に押し掛けては追い返され、先日はとうとう忍び込もうとしたらしいな」
おっさんの頭から湯気が立ち上るのが見えたのは、きっとあたしだけじゃない、と思う。
「…っ!誰が、そんなことを……」
「ちょっと調べただけで色々わかったさ。王女に降嫁してもらうのでは意味がないんだよな?先ずは婚約だけでも結んでおいて、身体の関係まで作っておけば文句なしだ。3歳の王太子殿下は事故でお亡くなりになり、あんたは第2王女の婿に納まる」
流れるように紡がれるユトさんの言葉を兵士たちは呆然と、ただ聞き入っている。
「第1王女が既に隣国に嫁がれた今、第2王女が王の跡継ぎとなる。そこで国王が病気で息を引き取りでもすれば、第2王女が女王として即位され、あんたは立派な王配殿下だ。女一人操るのは容易いだろうよ。それとも子供を産ませた後で殺すつもりだったか?」
ゴツリ、と音がした。
王が膝をついていた。
「マヌエル。お前、私を殺そうと?お前も王位を狙っているのか?」
「そうそう、先ほど興味深い話を耳にしたな。徐々に身体を弱らせる、痕跡の残らない毒薬?世の中には便利な物がある」
クツクツと肩を震わせるユトさん。
あたしは絶句するしかなかった。
何それ、もうこの国怖すぎる。
教会では大司教が教主の地位を狙って画策してて、王宮ではこのおっさんが女王の婿になろうと、陰謀を巡らせてる、ってことだよね。
ここであたしはハタと気づいた。
おっさんがユトさんを狙う理由だよ。
もしユトさんの今の話が本当だとするならば、3歳の王太子は確かに、存在するだけでおっさんにとって邪魔者でしかない。
そして、本来第3王子のユトさんが、ユークリフト王子として王位継承権を復活させたら、アイシャ王女の即位……つまりおっさんの野望がまた一段階遠のく事になる。
つまりユトさんも、おっさんにとって立派な邪魔者だってことだ。
「マヌエル…。お前は私のために、ユークリフトを葬り去ろうと言ってくれたのではなかったのか。隠れて生きていたユークリフトをわざわざ見つけだし、私の王位を狙う不埒者どもを、纏めて片付けようと言ってきたのは、己が為か」
王の洩らした『ユークリフト』の名に、兵士たちの数人がピクリと反応した。
ここにいる兵士たちはユトさんより少し年上くらいだろうか。自分達と同年代で、事故で死亡した…と言われている王子の名に覚えがある者もいたのかもしれない。或いは、生きている、という噂を知っていたのかも。
「お前、お前がおまえぇっ!」
王の目に再び狂気が滲み始めた。
その時、
「ふふ…、ふははっ!」
嘲笑が落ちてきた。
「随分、面白い茶番を見せてもらった」
高田君だった。
その双ぼうに酷薄な光を宿して。
「あんたたちの大事な、この国に住まう人々もさぞかし楽しんだろうよ」
意味が解らない。
人々?
キョトンとしているのは、あたしだけじゃなかった。
兵士たちや刺客の男たち、大司教や近衛師団長、目を血走らせた王でさえも、何を言っているのか、と上を見上げた。
「こいつが」
と、高田くんは馬の首を叩き、目を細めた。
「ここに来てからの全ては『障気』を媒介に、この国のあちこちの空に映し出されている。今も逐一、な」
安藤さんが動いた。
あたしを抱えたまま、彼女は祈りの形に手を合わせる。
広間の中央に、ゆらゆらと蜃気楼のようにシャボンの泡のようなものが現れた。
いつかの、安藤さんの魔王が閉じこもっていたようなやつだ。
あの魔王の女の子は安藤さんに吸収されたから、安藤さんがその力を使えるって事?
現れた泡の近くにいた刺客の男たちを、ゼスさんが蹴り飛ばすように移動させた。
泡はみるみる大きくなり、透明さを増していく。
みんなが呆気に取られて見守る中、キラキラと移り変わる色に景色が混ざり始めた。
なにこれ。
畑の中に平屋か、精々二階建ての家がポツポツと点在している。どこかの農村?
日暮れ時かとも思うほどの薄暗さの空を見上げる大勢の人々。
その先には、上空から見下ろした状態の安藤さんとあたし、ゼスさんやユトさん。
王も、おっさんも、大司教も見える。
広間の真ん中に浮かぶ大きな泡を、固唾を呑んで見詰めるあたしたちがそこにいた。
空に大きく映し出されたそれを、人々は食い入るように見上げている。
場面が変わった。
街だ。
石造りの建物が立ち並び、お店の看板や幟も目立つ。結構大きな街に見える。
広場に集まった人々も、建物の窓から顔を覗かせる人々も、やはり空を見上げている。
映し出されたあたしたちの姿を。
これは。
これは、馬の視点から見たあたしたち?
くるくると変わっていく景色の中に、見覚えのある街が現れた。
広場の真ん中にある大きな鐘が名物の。
ここは、浄化した森のすぐ近くにあった街の一つだ。
あたしたちを一番最初に歓迎してくれた街。
握手してくれ、ってソルハさんとユトさんの前に列を作ったお姉さんたち。
ソルハさんの列には何故だかお年寄りも多く混ざっていて、寿命が延びるって拝まれてたっけ。
産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこして欲しい、って高田君に頼みに来た若い夫婦。
腕相撲しよう、とゼスさんの後ろをゾロゾロついて歩いた子供たち。
もうすぐ結婚するの、と頬を染め安藤さんの祝福を受けるカップル。
あたしは安藤さんの腕の中で、安定の一番人気だった。連れて帰りたい、って百人位には言われたからね。
ホントだよ。
その街でも、あの時の賑やかさが嘘のように、みんな真剣な面持ちで空を見上げていた。
何一つ見逃すものか、とでも言うように。
次から次へと場面は変わる。
一体幾つの街で、村で、一体何千、何万人の人たちが、あたしたちを見ているんだろう。
「さあ、どいつが言いだした?」
高田君が口角を吊り上げ、嬉しそうに言った。
「魔王を倒そうと、長い夜と昼を重ね、旅を続けた聖女と勇者。教会の腐敗を嘆き、身を削り信仰の真実を求めた聖者。暗殺の危機を逃れ潜伏していた身を、国の未来を憂いて再び凶刃の前に姿を現した王子。そして、兄の身を案じた王女により遣わされた、義に篤き勇猛なる戦士をーーー」
眼下を睨みつけた。
「殺してしまえ、と言いだしたのはどいつだ?」
あたしは見た。
高田君が長い台詞を言い終わったとき、安藤さんとソルハさんは澄ました顔してたけど、ユトさんとゼスさんは痒いのを我慢してるみたいな顔して身じろぎしてた。
この台詞はアドリブだったのかな?
あたしの名前は入ってなかったけど、ここを出発するときはまだ、あたしはいなかったから仕方ない。
仲間外れだなんて思ってないよ?
ちょっと思っただけだよ。もしあたしの名前があったとしたら、どんな風に紹介してくれたんだろう、ってね。
高田君の鋭い眼光に、答えを返した者はいなかった。
泡の中ではまだ、大勢の人々が空を見上げている。
王は、
大司教は、近衛師団長は、
愕然とした表情を隠せないまま、言葉を失っていた。
やがて、
痺れを切らせたように、高田君が声を荒らげた。
「誰一人、名乗り出ぬなら全員同罪だっ!己の所業を、地獄で悔いるがいい!!」
そう叫ぶなり、
全ての窓ガラスが粉々に割れた。
けたたましい音をたてて。
流れ込むように押し寄せ、侵入してくる魔物の群。
弾けて消えた泡。
悲鳴と怒声。
何もかもが、一瞬だった。
あたしは呆然としている間に、安藤さんと一緒にユトさんの結界に引きずり込まれていた。
遅れてゼスさんとソルハさんも飛び込んでくる。
あっという間に広間中を埋め尽くす魔物。
手足を振り回し、吠え唸る魔物たちの足元に、為す術もなく呑み込まれた王や大司教、後ろ手に拘束されたままの刺客たち。
あまりの数の多さに、抜き身の剣を下げたまま兵士たちの恐怖に引きつった顔が魔物の海に沈む。
近衛師団長のおっさんは、特に大柄でグロテスクな魔物たちに周りを固められ、立ち往生していた。
僅か、瞬きをするほどの間。
安藤さんが、コクリと喉を鳴らした。
「にゃん、いくよ」
小さな囁きと共に、
安藤さんの身体が発光する。
白く眩しい、けれどどこか優しい光。
旅の間に何度も見た、浄化の光だ。
大丈夫、あたしも祈るから。一緒に祈るから。
ふと気づくと、何故かあたしの身体も金色に光輝いていて、安藤さんの白い光と混ざり、絡まりあい、広間に満ち、
あれほどの、広間全体にところ狭しと溢れていた魔物たちが、僅かな痕跡だけを残して消滅していた。
何が起こったのかわからず、座り込み、床に伏したままの人達を置き去りに、安藤さんとあたしの光は割れた窓から外へ流れ出る。
外にはまだ、国中から集まってきた恐ろしい数の魔物たちが王都の空を覆い隠していた。
太陽の光なんて欠片も見えない。
薄暗く澱んだ視界の中、見渡す限りの魔物。この世の終わりかと見粉うほどの。
けれど、
王宮の上部、謁見の間から溢れた白と金の光は、ゆるやかにお城全体を巡り、広がり、その降り注ぐ輝きで溢れる魔物たちを浄化しながら、更に光を増し広がり続け、やがて王都全体をその優しい奇跡で包み込んだ。
今や、魔物は一匹たりとも残っていない。
こんなことって、あるんだろうか。
今までと比べたって有り得ない、圧倒的過ぎる浄化の力。
遮るもののなくなった太陽は暖かく王都を照らし、さっきまでのはただの悪夢だったんだよ、と言わんばかりに何もかもが元通りだ。
広間にへたりこんだ人たちと、割れた窓ガラス。ささやかな魔物の残滓だけが、嘘じゃない、と物語っている。
その時あたしはハッと上を見た。
高田君!高田君は!?
彼は、黒い馬に跨がったまま、まるで夢から醒めたような顔をして安藤さんを見ていた。
安藤さんが顔をあげ、彼に手を差し延べる。
高田君は、少し困ったような顔をして、馬の首筋を軽く叩き、ゆっくりと降りてきた。
馬の脚が床に付いたところでヒラリと奴から飛び降り、安藤さんの前に片膝をつく。
差し出された彼女の右手の甲に額を押し当てた。
馬もまた、その隣で首を垂れる。
その絵のような光景。
その途端、ワッと歓声があがった。
吃驚して辺りを見回すと、元々いた兵士たち以外にもいつの間にかギャラリーが増えていて、物凄い拍手が贈られた。
えーっと、これって。
魔に堕ちた勇者と魔王が、聖女さまによって正しき道に戻された、的な筋書き…だったりする?
ギャラリーの中から進み出てきた茶色の髪の男が、引き連れてきた騎士の中の隊長らしき人に耳打ちした。
隊長は、十数名に及ぶ騎士を連れていて、彼らは瞬く間に大司教と近衛師団長を拘束してしまった。
「私を誰だと思っている!!」
抵抗する近衛師団長に、騎士の一人が言った。
「王都でもさっきの姿は全て映されていました。諦めた方が賢明かと」
おっさんはガックリと項垂れた。
刺客の4人も連れていかれた。別室で色々訊かれるんだって。
王は、拘束こそされなかったものの4人の騎士に前後左右を囲まれ、縋るように辺りを見回しながら広間を後にした。
最初に出てきた茶色の髪の男はそれらを見届け、安藤さんに会釈し、ユトさんの前に膝をついた。
「ユークリフト殿下。漸くのお戻りを、心より歓迎致します。……待ちわびましたぞ」
そう言って頭を下げたのだった。
これで、終わったのかな?
あたしの役目はこれで終わり?
安藤さんを見ると、彼女はにっこり笑って言った。
「にゃん、もうひと頑張り、できる?」
もちろんだよ!
でも、何を?
高田君、のりのり(笑)
でもこの世界に地獄はありません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。