にゃんは薄闇の城に祈りを捧げる
安藤さんは、王の後ろのおっさんを見据えた。
「今の発言、正式に謝罪を要求します」
いつもより少し低い安藤さんの声。
おっさんたちは眉根を寄せた。あたしをバカにしたおっさんにいたっては、青筋をたててピクピクしている。
安藤さんは、スウッと息を吸って声を張り上げた。
「この猫は、ただの猫ではありません。私たちと同じ、『神の御使い』です!」
おっさんたちは目を見開き、顔を見合わせる。
そんなこと言っちゃっていいの?安藤さん!?
でも辺りを見回すと、驚いているのはおっさんたちだけだった。
広間の端に控えている警備の兵士さんたちはなんのことかわからず困惑しているみたい。もちろん仕事中だから、態度には出てないけど顔のまわりにハテナマークが飛び交っている雰囲気。
ああ、そっか。『神の御使い』っていうのは、お城や教会の禁書庫の中の資料にしか載ってないんだ。だから一般の人は、そんな言葉自体知らない。
今驚いているのは、禁書庫の中に入る事ができる、偉い人だけって事だ。
「な、何を訳のわからん事を言っておるっ!!」
王が顔を真っ赤にして、物凄い勢いで立ち上がった。
その反応で、何かを知ってるってことが丸わかりだよ。
広間の全員の注目を浴びて、王は叫んだ。
「私が知りたいのは、魔王を倒したのか、否かだ!」
「魔王城が倒壊したのは、報告が届いているのでしょう?」
高田君がゆらりと立ち上がり、後ろの三人もそれに続いた。
王は気押されたように後ろに下がろうとして、先程まで座っていた椅子に尻餅をつく。
「魔王が確実に倒された事を確認するまでは、止めを刺すわけにはいかないのですよね?」
うっすらと口角をあげた高田君の言葉は、王とその後ろのおっさんたちにだけは、きっちりと意味が伝わったようだった。
さつきまで赤かった顔が白くなっている。
しかも目が泳いでるよ。
ユトさんには悪いけど、小物感半端ないんですけど、この王サマ。
「国王陛下、並びに大司教猊下、近衛師団長閣下」
高田君の声に、おっさんたちがビクリとした。
そんな立派な肩書きがあったのか。
「こちらの者たちに見覚えはありませんか?」
高田君の合図で大扉が開き、後ろ手に縛られた刺客の4人が連れてこられた。もう意識は戻っているみたいで、猿ぐつわをされて、目だけが油断なく動いている。
ただ、この2週間程を殆ど眠らされていたためか、足取りは覚束ない。
8人の男たちにそれぞれ両側から引きずられるようにして前へ進み出、ひざまずかされる。。
「知らん、知らんぞ!そんな奴ら。何故ここへ連れてきた、汚らわしいっ!」
狼狽え、叫ぶおっさんの髪が足首の辺りまで達しているのが見える。
あたしはソルハさんの話を思い出した。教会の偉い人は髪が長いって言ってたよね。
じゃあこいつがきっと大司教だ。
「……何故、知らない者を汚らわしいと断じられます?」
ひんやりとしたソルハさんの声。
大司教はピタリと黙り込んだ。
ごめん。ソルハさんにも申し訳ないけど、この大司教サマも小物感溢れ過ぎデス。
この分じゃ、近衛師団長っていうのもいっしょかなぁ。
あ、近衛師団長ってのが、さっきあたしをバカにしたおっさんだよ。結局まだ謝ってもらってないし!
大司教が口をつぐみ、沈黙が落ちたその時、広間の右側にズラリと並ぶたくさんの大きな窓に、ザザァっと一斉に影が差した。
と、同時に慌ただしい鐘の音がそこかしこで鳴り響いた。
2つや3つじゃない。この王都に幾つの鐘があるのか知らないけど、遠くで近くで重なりあってもう頭の奥でぐわんぐわん響く程の音。
もしかしたら、この広間の上の方にも鐘があるのかも。
なんだ何事だ!、と騒然とする中、何人もの兵士が次々と走り込んで来る。
「報告です!南方カザフ方面より未確認の飛行物体の群れが王都めがけて押し寄せて来ています」
「東方エイリヤ地方からも「西方からもですっ!」
「何がどうなっている!?」
「北方からも影が見えます!南方からの群れは既に王都上空に達しています!指示をっ」
近衛師団長のおっさんは慌てて窓に走り寄った。
カーテンを引き千切らんばかりに引っ張り、呻き声をあげる。
「なん…だ、これは……何だ、これはっ!」
窓の外には奇怪な風貌の、大小様々な魔物の群れが、壁にもガラスにもびっしりと張り付き蠢いていた。
ガリガリと音をたてガラスを削る爪。壁を叩く羽音。
その向こう側にも、空を埋め尽くさんばかりの魔物魔物魔物。
鐘の音は、まるで断末間のように歪な一音を残し、途絶えてしまった。
あまりの光景に王はへたりこみ、椅子の座面にしがみついている。
大司教はというと、真っ青な顔で同じ椅子を取り合うように背もたれを握りしめていた。
トップがそんなだから、兵士たちも慌てふためいている。
喧騒の中、静かに佇んでいるのはあたしたちだけだった。
まあ、あたしたちは慣れてるっていうか、王都まで来る旅の途中もずっと一緒だったし、エグさでいえば魔王城の広間を埋め尽くした時も相当だった。
今更これくらいじゃびびったりしないよ。
見た目はともかく、よく役に立つ案外いい奴だって知ってるしね。
でももちろん、そう思ってるのはあたしたちだけだ。
「き、貴様らかっ!、何をしたーっ!!」
血走らせた目で、振り向きざまに怒鳴りつける近衛師団長。
空気がビリビリと震える。
「黙れ。それはこちらの台詞だ」
静寂の中に、怒りの滲むユトさんの声。
王が目を見開いている。まるで今初めてユトさんに気づいたかのように。
「お…前!一体何をっ…!?」
グギャギャーッ、と。
突如、王の言葉を遮るように甲高い声を上げ、窓の外の魔物の群れが割れた。
道を開けるように両側へザッと。
何かを迎え入れるように。
開けた場所から太陽の光が差し込み、眩しさに一瞬目をすがめる。
あまりの薄暗さに忘れてたけど、まだ真っ昼間なんだよ。
さっきまで真ん丸だったあたしの目は、今はきっと針みたいな筈。
広間に差し込んだ一筋の光は、あっという間に光の絨毯のように一本の道を作った。
そして、
奴が、来る。
ガシャーン!とガラスを割り、巨大な身体で躍りこんでくる黒い馬。
いつかも見た光景だから、今日はもう驚かないよ。
いきなりだったからって、怖がってなんかないからね。安藤さんにしがみついてるのは、仕様ってやつなんだからね。
黒い馬はとても効果的に、広間を縦横無尽に駆け回ってみせた。天井に残った奴の蹄の跡は、大事に保存すればいつか観光名所になるかもよ。
全部終わったらユトさんに教えてあげなくちゃ。
あたしの暢気な感想とは裏腹に、広間は暴れ狂う奴の姿に阿鼻叫喚のるつぼと化していた。
好き放題に暴れてようやく床に降りた奴は、鼻息荒くいななきながら高田君に寄り添う。
高田くんもまた、いつかのようにその鼻面を撫で、ヒラリと跨がった。
王の鼻先をかすめるように壁を蹴り、宙に浮かび高みから、壁にへばりつく王を、這いつくばる大司教を、窓際で凍り付いたように動かない近衛師団長を見下ろし、
「よくも、好き放題してくれたものだな」
愉しそうに、笑んだ。
室内にいた兵士たちの殆どは、剣を握ってはいたものの壁際に一固まりになり震え、使い物にならないのは明白だった。
窓の割れたところからは、幾つもの魔物の顔が覗くけど一匹たりとも入ってこようとはしない。その不思議に気づく余裕のある者もまた、いないようだ。
僅か二名の兵士に庇われ玉座の後ろの壁に後退していた王は、馬を見、高田くんを見て、もう一度馬を見た。
「こやつは、魔王なのだな!」
そして、高田くんを睨み付けて叫んだ。
「おのれ、勇者め。魔に堕ちたかっ!」
目をギラギラと輝かせ、歯を剥き出し、醜怪としか言いようがない姿で。
その姿に向かって、ユトさんは告げた。
「あなたは、まだ自分が何をしたのかわからないのですか?」
憐れみの混じった声。
そしてユトさんの言葉に合わせてゼスさんが、広間の中央に身動きできないまま放りだされていた刺客たちの、猿ぐつわを外した。
その時を待ちわびていたかのように、
「いいように便利に使った挙げ句、その言いぐさかっ!」
「俺らを使い捨てにする気でいやがったのかっ!」
「汚らわしいだとっ?ふざけたこと抜かしやがって!全部てめぇの指示じゃねぇか!」
教会からの男たちは、大司教に向かって噛みつく勢いで吼えた。
色をなくす大司教。
『はぐれ』の男は王にヒタリと視線を合わせ、
「バカにしてくれたもんだな、魔王が二人いたなどと聞いてねぇ。契約違反だ。一生つけ狙われるがいい」
と、うっそり笑った。
王の顔からも、色が抜け落ちる。
この時のあたしは知らなかったんだけど、『はぐれ』ってのは一匹狼のことなんだって。
一人で依頼を受け、こなす『はぐれ』だけど、自分たちの身を護るために最低限にして最大の、横の繋がりがある。それが『契約違反』なのだそうだ。
契約のときに必ず魔法で織り込まれるそれで、依頼者による嘘や誤魔化しによって契約者…刺客の男の命が失われたり不利益を被ったりした場合、依頼者の情報が世界中に散らばる『はぐれ』たちに開示される。
契約違反者への制裁は『死』。
文字通り、死ぬまで命を狙われ続けることになる。
……らしい。
「待て、私は知らなかったのだ!魔王が二人だなどと」
慌てふためく王。
その言葉が恐らくホントだってこと、あたしも他のみんなも知ってる。
だってあたしたちだって、その時になるまで知らなかったんだもの。
安藤さんや高田君でさえ、多分魔王城に着くまでは気づいてなかった。
こんなお城でふんぞり返ってる王に分かるわけがない。
だけど誰も何も言わなかった。
この時のあたしは、『死の制裁』のことなんて知らなかったんだ。
でも、何か不安を感じて安藤さんを見上げた。
安藤さんはすぐに気づいてくれて、緊張の残る指先でヨシヨシしてくれた。
そうだよね。安藤さんだって不安だよね。
でももう動き始めてしまった。
あたしは祈る。
祈るしかない。
全てがうまくいきますように、って。
王はわめき続けている。
「本当だっ!今まで魔王が複数で現れたことなどないんだ。今回こいつらが、勇者と聖女が共に現れたのは、こいつらの力が弱いからだとばかり…」
………。
ちょっとムカついた。
馬も苛ついたように、頭上で大きくいななく。
ビクリと震え、口を閉じた王にユトさんが言った。
「だから殺せると?弱いから、殺してもいいと刺客を送り込んだのですか?勇者の一行、全員を抹殺しろと命令して?いったいどんな理由で?」
「…勇者が魔王に堕ちたのは、あなたがたのせいですよ」
ユトさんの、その静かな声はシンとした広間に響き渡った。
やがて、ざわめきが走る。
何も知らない一般の兵士たちだ。
そして、狂ったように王が叫びだした。
「違う、違うっ!たいした力も無いくせに私をバカにしおって、私の王位を狙っておるのだ。魔王を倒して英雄となり、次は私の国を奪おうとしておるに違いない。やられる前にやらねばならん。殺さねばならんのだ!私が国王だ!殺して何が悪い。誰にも渡さぬ!!そうだ、誰にも……」
激高した王の叫びは、やがて呟きとなりブツブツと同じ言葉を繰り返す。
その異常な様は誰の目にも明らかだった。
「誰なのです?」
ソルハさんが、いっそ優しいともいえる口調で王に訊いた。
「誰が、あなたにそんな事を教えたのです?」
目を細め、笑みをつくり、小さな子に尋ねるように。
「あなたに、そんな言葉を吹き込んだのは、誰なのですか?」
王は狂気の滲む目を、キョトリと動かした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
年内の完結を目標に頑張っておりましたが、……断念致しました。
無念です(/·_·\)
もし、そのつもりで読んで下さっていた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
そんなわけで、1話の後書きは先程こそこそっと(笑)、削除致しました。
完結までこのままお付き合いいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。