にゃんは夜更けの空に神様をさがす
安藤さんのその涙は、さっき魔王を見たときに流した静かな涙とは全然違っててーーー。
その大きな瞳からこぼれ落ちる涙に、あたしはとある記憶を思い出した。
そういえば前にもこんなことあったよ。
あれは確か一年の2学期。授業で映画鑑賞をやったんだ。
感動もののドキュメンタリーで、泣いてる子もちらほらいたけど、安藤さんの泣きっぷりは群を抜いていた。
本人曰く、このての話には涙腺が弱くて、TV番組だろうが映画だろうが、恐らくスタッフが『ここで泣いて欲しい』と思っているであろう箇所で必ず泣ける女、なのだそうだ。
あたしの視線を辿って、泣いている安藤さんに気づいたみんなは戸惑った。
日頃はどちらかというと元気がいいイメージの安藤さんだから、こうなるとどうしていいかわからないんだよね。
困った視線が幾つもあたしにそそがれる。
わかった。あたしに任せて!
あたしは高田君の腕を抜け出し、安藤さんの元へ向かおうと…、あれ?……あれれ?抜けられない…!?
しばらくもがいて、高田君の顔を見上げると眉が少し下がって、あたしを見つめてた。
その目が何だか、行くな、と言ってるみたいでキュンとする。
え?キュンて何?
動揺してもがくのをやめると、彼はごそごそと荷物を探り、取り出したタオルを安藤さんに投げた。
「ほら、早くとめろ!」
泣いてる女の子にその言いぐさはないんじゃない?と思ったが、安藤さんは気にした様子もなく、了解、と涙を拭ったのだった。
そしてユトさんに向き直った。
「ごめんね、ユトさん。アイシャ王女があんまりいじらしくて、ついつい…。我が儘王女って聞いてたけど、こんな可愛い王女様ならお茶会のお誘い断るんじゃなかったわ」
もったいないことした、と笑う安藤さんはもう普段の安藤さんだった。
いつものように頭をポリポリ掻いて、あいつの我が儘はちょっとズレてんだよな、と呟くゼスさんを、ユトさんが複雑な目で見ていたのはきっとみんな気づいてたと思う。
さあ、方針は決まった。
とにかく国王及び教会の腐った人達をやっつけるんだ。
こてんぱんにして、二度と悪いことが出来ないようにするんだ。
そして国王や教会にすりよって、うまい汁を吸っていた連中を懲らしめるんだ!
でも、どうやったらそんなことが出来るんだろう?
みんなは作戦会議と称して何か話し合っている。
あれからあたしはずっと高田君の腕の中に収まったままで、いつの間にかこっちが定位置のようになってしまった。
もう魔物を浄化することもないから、安藤さんに抱っこされてる必要もないんだ。
安藤さんも何も言ってくれないし、あたしはもう要らなくなったんだろうか。
彼の長い指に、頭の毛を梳くように撫でられながら、あたしは猫としての余生について思いを馳せる。
猫の寿命って何年くらい?
人間のあたしは17歳だったけど、猫としてのあたしは今何歳なんだろう。
会議はまだ続いている。
あたしの苦悩も続いている。
ユトさんの味方をするぞっ!って決めたときの高揚した気分はもはや何処にもなく、今は老い先短いご隠居の気持ちに近い。
あたし、なんでこんなに落ち込んでるのかな。
「にゃん、なんだか元気がありませんね」
ソルハさんがあたしを覗き込んで言った。
もう会議は終わったの?
「ここまで結構な強行軍だったから、疲れが出たんじゃねぇか?」
そうなのかなぁ。
みんなが口々に心配してくれるけど、あたしの心の暗雲は晴れない。
そして、闇が近づいてくる。あたしは目を閉じて待ち構える。
あたしは何のためにここに来たんだろう。
誰かを救いたい、誰かを助けたい、と思ったのに結局今、あたしがいなくても誰も困らない。
あたしは居ても居なくても一緒だ。
聖女さまになりたかった。
本を読むと頭が痛くなるあたしが唯一、2ヶ月もかかって読み終えた本。
その内容は強烈にあたしの中にインプットされて、あの日……、しても意味がないと言われたあの手術の日。
あたしは祈ったんだ。
このまま死ぬのは嫌だ。
あたしはまだ何もしてない。
誰かの役にたちたい。
誰かに必要とされたい。
聖女さまになって、たくさんの人を救うことが出来たら、こんなあたしでも生まれてきた意味がある、と思えるんじゃない?
向こうの世界では何も出来ないまま、時間がつきかけていたけど、もしやり直せるのなら誰かのために生きたい。
あたしが生まれてきた意味を遺したい。
そう、思った。
でも、
あたしは聖女さまに、なれなかった。
結局どこにも、あたしの居場所は……
「にゃんっ!?」
安藤さんの悲鳴が聞こえた。
なに?どうしたの?
みんながざわめいている。
高田君の腕にギュって力が籠る。
あたしの身体に幾つもの手がかかる。
どうしたの?みんな。
あたしはゆっくりと目を開けた。
最初に目に入ったのは安藤さんの大きな目。
なんで、そんな顔であたしを見てるの?
それから、安藤さんが握りしめているあたしの前肢に視線を落として愕然とした。
消えかけてる!?
うっすらと、全身が光を帯びて、あたしの向こう側の、高田君の服が透けて見えている。
なんで!?
やっぱりあたしはいらないの?
やっぱりこの世界にも必要じゃなかったの?
誰もあたしを必要としてないの?
このまま消えたらあたしはどうなるの?
元の世界に戻って死んじゃうの?
それとも、消えてそのまま無くなってしまうの?
いや!
ダメだよ!まだダメ!!
ユトさんを。
そうだよ!ユトさんを助けるって決めたんだよ。
応援するって約束したもの。
まだ消えたらダメだよ!
消えるな!
あたしを包む光はおぼろになり、身体は色を取り戻した。
ようやく力の抜けた高田くんの腕から飛び降り、頭は見えないけど胸元から尻尾の先までチェック。
大丈夫、元通りのにゃんのまま。
あたしがホッとして息を吐くと、安藤さんがそっと抱き上げてギュってしてくれた。
心配かけたんだね、ごめんね。
あたしは頬をスリスリしてお詫びの気持ちを表した。
一つだけわかった事がある。
あたしには多分猫としての余生はない。
だって肉体が無いんだもの。なんで食事やトイレが要らないのか、きっとそれが理由だ。
さっきのあの、自分の輪郭があやふやになっていく感覚は忘れられそうにないや。
でももういい。
ユトさんを助けよう。
今はそれだけ考えよう。
誰かに、お前がいてくれてよかった、って言って貰えたら、それであたしは満足なの。
その日は結局お城の大広間で、念のため結界を張って休む事になった。
刺客たちはぐるぐる巻きのまま近くの小部屋に押し込んで、新たに呼び出した魔物を見張りに置いてある。
魔物って役にたつんだねぇ。見た目はグロイのが多いけど。
あ、あたしより役にたつのは反則ですよ?見張り以上の事はしなくていいの。ましてやアイドルの座など狙ってはいけません。
余生はなくても、アイドルの座は渡さないからね。
あたしが密かに魔物にライバル心を燃やしていると、大きな黒い馬がノソリと動いた。
ビビるあたしをしり目に、奴は優雅に歩き高田君の元へ向かう。
そういえばこの馬、名前はないのかな?聞いたことないよね。
高田君は奴の鼻面を優しく撫で、頼んだぞ、と言った。
馬は城に入ってきたときの大きな窓から、器用に割れたガラスを避けて翔び出て行った。
いいなぁ。あたし、頼んだぞ、なんて言われたことないや。
でも、何を頼まれたんだろう?
夜は静かに更けて行く。
あたしたちはもう、夜営なんてお手のものだ。
ただ、いつもは火を燃やすのだけど、今夜は室内だからね。ユトさんが小さな炎を幾つも出して、プカプカと空中に浮かべてくれた。
窓は割れてるけど結界のお陰で風も入ってこないし、これで充分明るい上に暖かい。ソルハさんが、こんな魔法の使い方もできるんですね、って感心してユトさんにやり方を教わってた。
焚き火のときはみんな火を囲んで丸くなってたけど、今はそれぞれ好きなように寛いでる感じ。
安藤さんは、お城の中のお姫様部屋からフカフカ布団を魔物に取ってきてもらって、それにくるまっている。
ここでも魔物はお役立ちだ。
あたしはといえば、安藤さんがお布団の中に招いてくれて、しばらくはそこでヌクヌクしてたんだけどなんだか落ち着かなくて出てきてしまった。
そんなに心配そうに見なくても大丈夫だよ。まだ、どっかに行ったりしないから。
ちょっとお散歩したいだけ。
あたしがどこという事もなくフラフラ歩いていると、高田君が荷物を枕に剣を抱えて横向きに転がっていた。
男連中は概ね似たり寄ったりの姿だ。
はっきり言えば、ふわふわ布団の安藤さんだけがかなり浮いている。けど、誰も困らないし可愛いので問題ないよ。
あたしが高田君をジッと見てると、彼もあたしに気づいた。
「眠れないのか?」
うんまあ、そんな感じ。
「散歩でも行くか?」
ムクリと身体を起こし、手を差し出してくれたのであたしはテチテチ近づいた。
彼は背中に剣だけ背負い、あたしを抱っこ。
一番近いところに転がっていたゼスさんに、目で合図して結界を出た。
ユトさんの結界は床に接している部分が仄かに光っているので分かりやすい。因みにあたしたち、勇者様ご一行はユトさんの結界に限り出入り自由だ。ユトさんがそういう風に作っているらしい。難しい事はわかんないけど。
結界から一歩踏み出ると、風を感じた。馬が破った窓から吹き込んでくるんだね。
高田君がマントでグルンってあたしを包んでくれた。
毛皮があるから大丈夫だよ。でもよく考えたら、肉体がないのに暑さ寒さを感じるなんて変な話。
大広間を出て、廊下の右側のカーテンの陰からテラスに出ることができる。
ちょっとしたガーデンパーティでも出来そうな広さのテラスで、但しそれらしいテーブルやなんかは一切なかった。
ただただガランとした空間。
ここは何階になるんだろう。登って来るとき、最後の方はもう階数なんて数えてなかった。
最上階なのは間違いないけど、手摺の向こうにあるのは漆黒の闇だけ。
ネオンなんてない世界だもんね。
高田君はそこの手摺にもたれてズルズルと腰を下ろした。
抱っこされているあたしも、一緒に視界が下がる。
明かりといえば月明かりと大広間からほんのり漏れてくる光だけで、あたしは猫だから見えるけど、高田君は多分微かにしか見えてない。
その証拠に彼は、抱っこしたあたしの顔を自分の顔の正面に持ってきた。
近すぎるんじゃない?
吐息のかかる距離とか、ホント恥ずかしいんですけど。
でも照れるあたしとは裏腹に、彼の表情はとても真剣で。
「今日、お前が消えかかったとき、どうしていいかわからなかった。お前、帰ろうとしてたのか?それならいいんだけど、もし本当に消えかけてたんだとしたら……」
そう言ってジッとあたしの目を見た。
「戻ってきてくれてよかった」
絞り出すような声で囁いた。
帰るって、なんでそう思ったの?それにどうやって?
そんなのあたしもわかんないよ。
でも、こんな高田君の顔を見たら、あたし消えなくてよかった…、と心の底から思った。
ねぇ、神様。
なんであたし人間じゃなかったんでしょう。
もう聖女様でなくてもいいから、人間として高田君と出会いたかった。
だってほら、
あたしはこんな彼を抱きしめる腕も持たない。
あたしは目の前の、悲痛な顔を隠さない彼を抱きしめる代わりに、彼の頬をペロッと舐めた。
何故だか、そうせずにはいられなかった。
そしたら高田君は目を見開き、瞬時に頬を赤く染めた。
「おま………っ、ワザとかっ!?」
それきり唸り声をあげ、顔を臥せてしまった。
あたしをギッチリとホールドしたまま。
えっと、確か猫の舌ってザラザラしてるんだっけ。
またもや痛かったのかな?
ごめんね?だからそろそろ放して?
タオルは洗濯してあるのかな?とかは、考えない方向で(笑)
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。